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 またまたアンヘレスで申し訳ないが、今回はクリスマスを控えあわただしい車窓の風景を中心に紹介したい。  フィリピンの高速道路沿いにはおびただしい広告塔が建っている。特にEDSA沿い、サウス・スーパー・ハイウエイ、今回走ったノースルソン・エクスプレスウエイ (NLEX)等には所狭しと建ち並び独特な景観をかもし出している。下はNLEXとEDSAの交差点にそびえる巨大広告塔。  EDSA沿いに走る高架鉄道、MRT(写真)はSMシティがあるノースEDSAで工事が中断し、マニラ湾に走る高架鉄道、LRT終点のモニュメントにつながっていない。これがつながれば、マニラ都心をぐるりと囲む高架鉄道が完成し、マニラの足も格段に向上する。その工事がやっとはじまったらしい。 NLEX入り口の近くで橋脚の工事をやっていた。南のスカイウエイの延長など遅まきながらもフィリピンも着実に発展しているのだと実感できる。   NLEXをしばらく走ると料金所がある。片側20ブース以上の巨大なものだ。上りと下りでは別々のところにあるが広大なエリアを占めている。自動のETC 専用のブースもあるが、現金、つり銭なし、クーポン、などとブースが分かれていて間違えるとやばい。ちなみにマニラーアンヘレスの料金は普通車で158ペソ、約300円の安さだ。     NLEXの中ごろに数kmに渡る陸橋がある。多分、湿地帯で地盤が悪いので新幹線のように高架にしたのだろう。この陸橋の下にもスコ-ター(不法占拠住宅地帯)がある。ちゃっかり高架の下に家を建てて住み着いているのだ。ここは道路の下で国有地であり、地主がいないからこうなってしまうのだ。  バスの車内ではステーションごとに物売りが入ってきて、飲み物やスナックを売っている。駅弁のように地方の特色が出ていておもしろい。一日いくら売れるのか知らないが、家族が生計を立てていけるくらいにはなるのだろう。  ここのところガソリンの値段が下げ止まらない。アンヘレスに幾たびに値段が下がっている。この日も2ペソ下がって、33ペソ台、ピーク時の半値に近い。それでもマニラの街でタクシーを拾うと、「いくら払う」と公然と交渉してくる。ガソリン代が半分になってもこうなのかと腹が立つが、「そうだ、クリスマスなのだ」。運転手も年越しのための稼ぎが必要なので必死なのだ。  クラークの入り口付近にあるジープニーのターミナルでは数多くのジープニーが整然と並んでいた。こんなに多くのジープニーが動かないで入るというのは何事なのだろう。ここだけで50台ほど並んでいた。はやばやとクリスマス休暇を決め込んでいるのだろうか。  広大なターミナルはほとんど使われておらず、なんのためにこんな所にこんなに大きなターミナルを建設したのか不思議だ。まるでアンヘレス全部のジープニーを収容できるくらいだ。 […]

金なしコネなしフィリピン旅行その4「アンヘレス編2」2008年12月22日


 12月21日住まいのあるコンドミニアムで小火が発生した。オーナーの不在中に何らかの原因で家具に火がついたらしい。我が家のメイドが窓から煙が出ているのを発見しすぐさま消防署に連絡したのだが、すでに他からも通報が行っていた。火は段々大きくなる一方、十数分後に2台の消防車がやってきた。   しばらくの間サイレンが聞こえたが、コンドの入り口で手間取っていたらしい。入り口は少し急な坂になっているので、消防車が登れなかったのかもしれない。到着後、なにやらばたばたと消防員が準備していた後、放水が始まった。  放水から数秒後、あっけなく火は消えてしまった。その後しばらく放水を続けていたが、瞬間の出来事だった。放水は簡単に窓ガラスを壊し、その威力をまざまざと見せ付けた。小火とはいえ、出火から消火まで本物の火事のプロセスを見るのは我が人生で初めてだった。  普段は閑散としたコンド内の通りだがこのときばかりは、よくまあというほどの人出だった。火事とけんかは江戸の花などというが、人々は興味深げにノンフィクションのショーを見物していた。マカティの消防署は車で5分程度のところにあり、迅速な対応が可能だったのが幸いだったが、これが燃え移ってコンド全体の火事にでもなったら大事だった。教訓として家や事務所には消火器を購入し、いつもバケツ一杯の水を用意しておくことにした。

コンドで小火発生2008年12月22日



 地球温暖化が取りざたされている昨今だが、12月17日の早朝、バギオはこの冬一番の寒さ、10.8度を記録した。マニラも19.1度だった。フィリピン厚生省は風邪や発熱の注意報を発令した。20度という気温はフィリピン人にとって相当な寒さである。雨上がりなど気温が25度以下に下がると我々日本人は心地よく感じるが、フィリピン人にとっては寒いと感じて長袖やジェケットを着る人が出て来る。フィリピン人が寒いと言うと、私は「寒いのではない、暑く無いだけだ」といつも言い張っている。本人が寒いと感じるのだから勝手なことなのだが、本当に寒いといえるのは10度以下に気温が下がったときだけのはずだと思う。  しかしバギオは1000mを超える高地にあるだけに本当に寒くなるときがある。一度Tシャツ一枚に半ズボンで何の着替えもなしに出かけたことがあった。あいにくの雨模様だったが、しばらくの間外で待たされた時、寒くて寒くてふるえが止まらなかった。それでも長袖にズボンだったら何の問題もなかったろう。しかしフィリピンで寒さに震えるなんて想像だにしなかった出来事だった。  この日、今年一番の寒さにバギオの人々はジャケットにマフラーそれに手袋のいでたちだったという。バギオでは普段でもマーケットなどではジャケットを着ている人を見かけるが、とにかくフィリピン人は寒さに弱い。しかしかのジャパユキさんは日本の寒さをどう凌いだのだろうか。郷に入っては郷に従えのことわざのようにすぐに順応してしまうらしくて、日本の寒さをそんなに恨めしそうに言うジャパユキさんはいない。それよりも一冬過ぎてフィリピンに戻ってくると皆色が白くなって美人になって帰ってくる。  元来フィリピン人はスペインや中国の血を引くために、地は案外色白で、普段は陽に焼けて黒くなっているだけなのだ。そこで、話はちょっとずれるが、肌の色について興味深い話を一つ披露したい。 いつか、NHKで色の黒い白いは日光の強弱に人類が適合した結果だという番組をやっていた。元来人類はアフリカで生まれ、体毛を捨てた黒い肌により強い日光から身を守り、草原を走り回って多くの獲物を捕まえ繁栄して行ったそうだ。人類が世界に散らばる過程で日光の乏しい北方に移動するためには数万年の時が必要だったという。それは白い肌を得て、少ない日光を有効に体内に取り入れ骨の形成に必要なビタミンDをつくる能力を獲得するのに何百世代もの世代交代による進化が必要だったのだ。一方日光の強い南アジアには人類はあっというまに広がっていった。その名残が今でもニューギニアやオーストラリアの原住民に見られる。  現代は飛行機でその日のうちに北や南の国に移動できる。その結果、イギリスに住むインド人の子供が日光不足でクル病にかかったり、オーストラリアでは強すぎる紫外線のために皮膚がんにかかる白人が多発しているという。要は彼らは短期間の内に肌の色を変えることができないためにこのような病気になってしまうのだ。一方、かのジャパユキさんは、北の日本にいると白くなって、フィリピンに戻ると黒くなるという、住むところの気候にたくましく適合しているのだ。これはなにもジャパユキさんに限ったものではなく、東洋ないし東南アジアに住む人々の全般的特徴ではないかと思う。色黒の白人というのは聞いたことが無いし、黒人は何百年アメリカに住んでいても黒いままだ。そうなると世界の距離がなくなった今、世界をまたにかけて活躍できるのは肌の色を変えるという特殊能力をもったアジア人=黄色人種ではないかと思う(ちょっと誇大妄想のような気がしないでもないが)。

フィリピンに寒波襲来2008年12月19日


 モーターバイクといえば商業用のトライシクルの需要がほとんどだったが、昨今はバイクを通勤やレジャーに乗り回す人が急増している。地方のモールや闘鶏場にはバイクで乗りつける人が多数を占めるようになってきている。街の道路でもジープやトライシクルに混ざって小型バイクで疾走するする人が目立つようになっている。  車優先のフィリピンでは歩行者は車の間をすり抜けて歩かなければならないが、さらに車の陰にバイクが走ってくるのでますます道路横断が難しくなっている。その点トライシクルのお世話になっていれば安全なのだが、マカティなどの中心街ではトライシクルの乗り入れが禁止されているのでそうも行かない。  最近の新聞に「ホンダXRM-RSの新型車が56900ペソで発売になった」との記事が載っていた。8代目で街乗りを楽しむバイクと銘打っての発売だそうだ。それだけ個人の需要が増えているということだろう。エンジンは100cc程度で、ホンダ、ヤマハ、カワサキなど日本のメーカーが現地生産によりほとんどの需要を賄っている。また、まるでハーレーダビッドソンのようなスタイルに小さなエンジンを載せた中国製のバイクもたまに走っている。  一方、若者には250cc以上の中~大型バイクがあこがれの的となっている。フィリピンでは生産されていないから日本などからの中古車の輸入となるが、ホンダCBR400などが人気の的で2000年前後に生産されたもので30万円前後で取引されているという。  そのため、中古大型バイクの輸入販売ビジネスが盛んで、買い手はいくらでもいるという。まず日本の中古バイク市場で仕入れて、それも分解して運ぶ。運賃と税金を安くするためだ。完成車は車と同じ100%以上の税金がかかるそうだ。それをフィリピンで組み立てて売りさばくそうで、400ccの手ごろなものから1000cc級のものまで、日本でもあまり見かけない超大型バイクを目にすることもある。また、ヨーロッパブランドやあるいはアメリカのハーレーダビッドソンまでもある。  エンジンのない自転車もブームになってきており、郊外に出かけると本格的なコスチュームで走っているのを見かける。案外とお年の人も多いようだが、自転車は健康に大変良いので老化防止のために乗っているのだろう。私も昔取った杵柄で引退したらマヨン火山の麓を走り回ってみたいと思っている(実は学生時代サイクリング部に所属していたので)。

モーターバイクがブームに2008年12月19日 



 12月ともなると街のあちこちはクリスマスの飾り付けでにぎわう。世界的不況の影響か年々地味になってきているような気もするが、フィリピーノにとってクリスマスは絶対欠かせない、1年でもっとも大事な行事だ。16日からは熱心な信者が早朝暗い内からミサに出かけるから、教会周辺の警護が厳重になっているという。PASCOの事務所のあるGMA LOU-BELプラザでも入り口にキリスト生誕を模した人形が飾られた。  引越しから2ヶ月近くたってPASCOもやっとここの住民と認めれ、入り口に会社名が誇らしく掲げられている。各階に3室しかないから、9階にさえ来てもらえれば大きなPASCOのロゴがあるので迷うことはない。ちなみにこのガラスドアは前の事務所のドアを移設したもので、ロゴもそのまま持ってきている。   事務所にもクリスマスの飾りつけが取り付けられた。スタッフの工夫で見事にクリスマスの雰囲気をかもし出している。来週23日、仕事の山が過ぎたところで、ささやかながらクリスマスパーティを開催する予定だ。社員はそれを心待ちにしているが、きっと翌日のクリスマスイブまで24時間パーティを続けてしまうに違いない。それが過ぎたら、25日から翌4日まで11連休という歴史的長期休暇に突入するのだ。   現在、PASCOは退職者関連の業務のほかに、日本から建築の積算の業務を受けている。積算スタッフ8名にシステムエンジニアー1名の構成だ。マンション不況のせいで仕事が滞りがちなのが頭痛の種。ほとんど皆エンジニアーでコンピューターの取り扱いには慣れているので、なにか他の仕事ができないか模索しているところだ。  また事務所スペースにも空きがあるので、これからビジネスを立ち上げようとしている人の連絡事務所、あるいは当座の執務スペースとして利用してもらえるだろう。事務所の場所も便利なところにあるので規模の小さいうちは余分な経費を節約できる。会社登録には、まず初めに事務所を手配しなければならないが、その目的にも利用できる。会社設立登記等はPASCOの本業なので、会社運営のインフラにまで一歩踏み込んだサービスができるのではないかと期待している。

PASCOの事務所にもクリスマスがやってきた2008年12月17日


 12月17日は先日、デラ・ホーヤとの世紀のミスマッチといわれた試合に勝ったフィリピンの国民的英雄マニー・パクヤオの30歳の誕生日だった。テレビに放映された誕生日を祝う様子はまさに国家的行事だった。故郷ゼネラル・サントス市で開催された誕生パーティにはアロヨ大統領を初め、上院議員、パクヤオと試合を行なった元世界チャンピオンなど2000人を超える人々が招待された。会場はラスベガスを模した舞台がしつらえられ、ショーもラスベガススタイルだった。さらに会場がから1.5kmはなれた一般人の会場では誕生会の模様がモニタースクリーンに映し出され、5千人を超える人々が、レチョンを初めとする無料の料理に群がった。スポンサーであるサンミゲルビールからは大量のビールが振舞われ、くじ引きの一等賞は家一軒という豪華な景品が出たそうだ。  パクヤオはゼネラル・サントス市の貧しい家庭に育ち、少年時代サリサリストアから借りたパンを食べ、ボクシ ングの試合に臨み、賞金でその代金を支払ったという。その後、パン職人として生計を立てながら、世界チャンピオンへの道を歩んだ。まさにアメリカンドリー ムを成し遂げたゴールデンボーイだ。    パクヤオは50人にのぼるメイド、ドライバー、ガードマンなどを雇い、フィリピン人の雇用に寄与しているという。もっぱらラスベガスで試合を行い数百万ドルという外貨を稼ぎ、それを多くのフィリピン人にばら撒いているというわけで、おおいに結構なことだ。かつての独裁者のように国民を搾取してそれをスイスの銀行に溜め込んでいたことなどと比べるとはるかにフィリピンに寄与していることになる。フィリピンの人気テレビチャネルABS-CBNのアナウンサーの質問に答えるパクヤオもその顔を見るとその辺のフィリピーノとなんら変わらないのだが。  パクヤオも多くのフィリピン男性と同じように美貌の妻の尻の下に敷かれているそうだ(フィリピンではこれを「アンダー・デ・サヤ/ペチコートの中」と表現する)。メスティーサ(白人との混血)の妻は妊娠中で現在ラスベガスに滞在中。パクヤオも誕生会のあとラスベガスに戻り妻とともに暮らし、次回の世界戦に備えるとのこと。

英雄パクヤオの誕生日2008年12月18日



 私の事務所のあるパソンタモとバグティカン通りの角は4軒のトロトロが並ぶ庶民の食事どころだ。トロトロとは出来合いの料理を指し示して注文することを意味する。ほとんどのフィリピンの食堂はこの形式で、今風に言えばファーストフードだ。デパートの地下などでも多数のトロトロが並び、好きな店から好みの料理を選んでセルフサービスで共同のテーブルで食べるシステムになっている。パソンタモ通りはマカティのオフィス街のはずれになっており、比較的事務所も多い。そのため昼食時となると多くの人がやってきて列をなしている。一番人気が奥から2番目、次が一番奥、そして最後は皆満員となる。さらに夜間もこの付近に住んでいる人の夕食で賑わい、夜間はカラオケを楽しむ人が夜中までビールを飲んでいる。まさに庶民の憩いの場だ。最近は土日も休まずオープンしている。   ここの名物は豚や魚のバーベキューだ。豚のばら肉を味付けして炭火で焼いたバーべキューはとてもおいしい。これ一枚に野菜、ライス、さらにビールを一本つけて100ペソ程度で済む。毎日側を通る時、こんなに仕込んで売れるのだろうかと心配するが、昼食時の行列を見るとなるほどとうなずける。    フィリピン人は一日5回食べるというから、10時と3時のミリエンダ(おやつ)もかかせない。トロトロの前にはおやつや飲み物を売る屋台が出ている。ブコジュースは飲み物の一番人気、フライドポテト、パイナップル、グリーンマンゴなどはミリエンダの定番だ。  トロトロよりももっと安く済ますなら、屋台でバーベキューあるいはフライドチキンなどとライスを買って、事務所あるいは道端で食べることもできる。これなら50ペソ程度で満腹になる。フライドチキンのおばさんは毎日20~30羽は売るので、3000~5000ペソ程度の売り上げとなり、平均毎日1000ペソ近い儲けを出している勘定になる。ただし、トンボイの彼氏と二人がかりで夜中までやっているから、さほどおいしいビジネスではないが。   4軒のトロトロの間には比較的大型のサリサリストアが24時間営業をしている。常に2~3人の客があり、一人相手するのに1分くらいかかるとすると、1時間に60人、1日千人近い客が来ることになる。客単価は数ペソ~数十ペソだろうが、それでも一日1万~2万ペソ程度の売り上げになり、2千~3千ペソ程度の収入にはなるだろう。  節煙のため、毎回2ペソでタバコの一本買いをとなりのサリサリでしているが、毎度のことなのですっかり顔を覚えられ、何も言わなくてもタバコを差し出すようになっている。そのためか、クリスマスが近いわよ、とクリスマスギフトの催促をされてしまった。フィリピンではサービスを受けるものが感謝の意を表さなければならないのだ。

大繁盛、庶民の胃袋を満たすトロトロ2008年12月16日


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 フレンドシップ・クラブはクラークのフレンドシップ・ゲートを出て5分くらい走ったところにあるフレンドシップ・プラザという高級ビレッジ内に建設された根本さんが経営する会員制リゾートだ。フレンドシップだらけの名の通り、フレンドリーを売り物にしている家族的な宿だ。会員でなくても一泊から泊まれるので、アンヘレスに行く機会があったら試してみると良い。http://www.tecb.co.jp/friendship/    昨年の8月にオープンしたのだが、そのオープニングセレモニーに参加したとき、インド人というちょっと珍しい牧師さんが式を執り行ったのが印象に残っている。間取りはかなり大き目のキッチン付のワンルームと普通のホテル部屋の2種類。ベランダが広くて気持ちよい。   開業から一年たち、アンヘレスに行く度に立ち寄るのだが、必ずしも宿泊客は多くないようだ。知名度が低いためかと思うが、とても良いところのなのでおおいに利用して欲しいと思う。ホームページでも取り上げているが再度紹介したい。  庭にはプールが半分2階の床下になっていて強い日差しや雨を避けることができる。カラオケシアタールームやジャグジもある。庭がゆったりとして開放感がある。造園もとてもセンスがあって美しい。    根本さんは少し離れたところにテラピアの養殖場をもっており、そこでバーべキューなどができるよう計画している。是非訪問して釣りなどを楽しんで欲しい。  クラークの中にはミモザやフォンタナなどの大型の住宅兼レジャーパークがあり、ゴルフやプール遊びを楽しむことができる。  クラークの入り口近くにオープンしたSMは巨大だ。まるでアンヘレス中の市民を飲み込んでしまうようで、買い物には不自由しない。ゆったりとした中央の広場はここが屋内であることを忘れさせる。  クラークに沿って走るフィールドアベニューは有名な歓楽街で、その規模に圧倒される。またその延長、フレンドシップゲートに通じる道路には、また多数の韓国レストランが並んでいる。和食レストランも数軒ある。  クラークから車で5分くらいのところには大型のカジノがあり一攫千金を夢見る外国人で一杯だ。また、北に15分くり走るとアンヘレスの中心街に出るが、そこはフィリピン特有の混沌と雑踏に出会うこともできる。  アンヘレスだけでもなかなか楽しめるが、根本さんはここをハブにしてスービック、バギオ、ハンドレッドアイランドあるいはピナツボ火山などに足を伸ばすことを勧めている。ここでは味わえない冷涼な気候や美しい海そしてダイナミックな自然を手軽に味わえることができるだろう。  

フレンドシップ・クラブの紹介2008年12月15日



 12月11日フィリピン退職庁(PRA)のクリスマスパーティがボニファシオ・グローバル・シティで開催された。この後、クリスマスパーティはタガイタイ、セブ、ダバオなど各地で開催され参加するPRAのオフィサーはフィリピン全国周りをすることになる。マカティ市のシティバンクタワー29階にある PRAの受付では写真の二人のフィリピーナが新人ながら必死に世界各国の退職者のお相手をしている。  今回はトラディショナルな民族衣装を着て参加することとなっていたが、ほとんどの客は無頓着で、PRAのスタッフだけが皆民族衣装に身を固めていた。  会場の外、パーティ会場の入り口では民族舞踏が披露されていたが、ひとしきり挨拶が終わった後、ステージで民族舞踊が披露された。この手の舞踊を見る機会はなかなか無いので、各国の退職者は興味深く鑑賞していた。  民族舞踊の後は当地の結婚式さながら、著名人であり、PRAの顔でもある元国家警察長官のゼネラル・アグリパイ会長がそれぞれのテーブルを回って記念撮影をしていた。  我が相棒は皆との記念撮影では飽き足らず、しっかりとアグリパイとツーショットにおさまっていた。  昨今、PRAのメンバーを退会する退職者が多く頭を痛めているとそうで、アグリパイ会長も必死に笑顔を振りまいていた。しかし29階の受付を新米二人にまかせきるなど、退職者へのサービスが何か、どうすれが退職者が満足してフィリピンに滞在し続けるか、もっと真剣に考えたほうがいいと思うのだが、余計なお世話だろうか。

フィリピン退職庁クリスマスパーティに参加2008年12月15日


 フィリピン退職庁(PRA)の認定銀行に一番目になったBank of Commerce(バンクオブコマース、略してBOC)は私が退職者の送金用口座を開設する際、いつもお世話になる銀行だ。パスポートのコピー一つで口座を開いてくれるのでなかなか重宝だ。退職ビザの取得で最初につまずくのが送金用口座の開設で、PRAもなかなかちゃんと説明してくれない。また、銀行の方もトンチンカンなことを言うところが多くて、退職者が困惑することが多い。この支店はジュピター通り、レストラン街のど真ん中にあるこじんまりした支店で家族的だ、支店のあるビルの上はトップグリルというカラオケボックスになっている。  この支店の唯一の男性社員ジョセフがパーティの主役だ。支店中を走り回り、女性陣に可愛がられている。愛想がよくて憎めない性格で笑顔を絶やさない。パーティが始まる前からカラオケではしゃいでいた。  何か始まるごとに神に祈るのがフィリピーノ流だ。無心論者の私は写真撮影に没頭した。小さな支店なのに料理は目一杯用意されている。もちろん目当ては家に残してきた妻子へのお土産に持って帰るつもりなのだ。  フィリピンのパーティには誰が参加しようがかってだ。皆適当に子供などを連れてくる。亭主や妻も仕事を終えて駆けつける。そのころは帰る人もいるが、パーティは延々夜半まで続くそうだ。  いまや世界に流通する日本発の文化として定着したカラオケがパーティの主役だ。これが無ければパーティは始まらない。さすがに銀行のパーティは違う。カラオケを歌うごとに現金の景品があるのだ。ピン札を丸めて切ったストローに差し込んだだけだが、これを目を隠して選ぶ。20、50、100ペソあるいはただの白い紙だ。これを見ていて当方のパーティでは500ペソ札も1枚くらい入れようと思った。  もう一つの主役はゲームだ。一般に女性社員が半数あるいはそれ以上を占めるフィリピンの職場では、パーティの参加者も男女比が拮抗している。そのせいか、男女で楽しむ少々エッチなゲームが多い。ちなみにこの日のゲームは男性が長めのナスを紐で前に吊るして、それを女性が掴み取るというもの。男性は左右に揺らせてつかみにくい様にして、女性は男性の股間目指してナスにしがみつくという按配だ。男性の数を女性より一人少なくして、一人になるまで続ける。勝者には100ペソの商品が贈られた。当然のことながら、やはりこの手のゲームは年増の女性が強いようだ。

Bank of Commerceのクリスマスパーティに参加2008年12月15日