shiga


 フィリピンで留学型の英会話学校がブームになって久しい。フィリピン全土に約700校、生徒数500~700人規模の学校もあるというが、これらは 100%が韓国資本だそうだ。これらの英会話学校は宿舎を併設し、韓国、台湾、日本などからの10代~60代の生徒に、1週間~1年程度、英語尽くめの生活を提供する。料金は3食、宿舎、マンツーマンの英会話授業付で1ヶ月10万~20万円程度。アメリカなどへ留学する5分の1~10分の1だという。英会話が出来なければ就職もおぼつかないという韓国からは年間5~10万人の留学生がフィリピンに押し寄せているという。  今回訪問した EIEN英会話学校はマカティから北にちょっと離れたオルティガスのビル街にあるが、オルティガスだけで40の英会話学校があるという。これは1990年代のビル建設ラッシュの時に大量の高層ビルが建設された結果、借り手市場になり、安い物件が大量に出たためと推測される。   EIENは韓国資本ではあるものの、本社を日本に置き、日本のマーケットを中心に生徒を募集している。したがって、生徒比率は日本、韓国、台湾がそれぞれ 30%、その他が10%だ。生徒数は現在、60名程度だが、昨年までは200名程度在籍した。来年になれば、韓国経済が復興し、再び大幅に生徒数が増えるものと見込んでいる。  社長の李さんは東大の大学院を終了した後、東大で社会学の講師をする傍ら、2006年にEIENを立ち上げたエリートだ。英会話の次はフィリピンで日本の介護老人を対象とした介護ビジネスを立ち上げようと計画している。EIENのURLは http://www.eienjapan.com/   学校の入り口はいかにも韓国式で派手派手だ。内部の設備も決して美しいとは言いがたいが、充分清潔で機能的だ。マンツーマンの教室も1.2m角程度で極端に小さい。日本人が経営したらこのような感覚は生まれてこないと思う。李さんによると、日本人経営では決してこの価格は実現できない、だから、フィリピンの英会話学校は100%韓国人経営なのだという。現在、63の教室があり、したがって63人の先生が働いている。もちろん先生は全員フィリピン人だ。毎日6時間、マンツーマンの英会話の授業を受けるそうだが、いやがうえでも英語が上達するだろう。そして外へ出れば、英語尽くしの世界が広がり、実戦の場にも事欠かない。  14階と15階が事務所、教室、自習室および食堂となっている。7階、16階、17階は居室で、一人、2人、3人部屋などがある。元々コンドミニアムであるものを改装して学校にしたものだ。   韓国人のフィリピンに対するイメージについて李さんに質問してみた。フィリピンで英会話を勉強しようと日本人に声をかけたとしても、10人中9人は、「あんな危険なところで?」と拒否反応を起こすだろうが、韓国も同じだったと、李さんは言う。しかし、1990年代、フィリピンで英語を勉強した人が見違えるように英会話がうまくなって帰ってきて、安い、近いということで、われもわれも押し寄せるようになったのだそうだ。フィリピンが危険などというのは単なるイメージであって、実際に行ってみればすぐにそんなイメージは払拭される。だから韓国からは、年間70万人の観光客が訪れ、日本をはるかに凌駕するようになっている。日本でも何かのきっかけで、そんなブームが来ないものかと期待しているのだが。

英会話学校、EIEN訪問 2009年7月6日


昨年11月に紹介した「鳥新」のオーナーの高橋さんが、同じエルミタのマビニ通りに居酒屋「祭りばやし」をオープンした。以前より少々広めでゆったりしているが、メニューは基本的に同じ、焼き鳥を中心にした各種居酒屋料理だ。9時ごろ入店したが、席がないほどの盛況ぶりだった。 「祭りばやし」はマビニ通りのホテル「アリラン」の脇にあり、パンパシフィック・ホテルから南へ、歩いて5分くらいのところにある。入り口は相変わらずに目立たないので気をつけないと見過ごしてしまう。  料理は一皿せいぜい100~200ペソなので、1000ペソもあれば二人で充分楽しめる。普通の和食レストランでは味わえない家庭料理が多いので注文するのが楽しみだ。メニューにはない日替わりメニューが壁に張ってある。しかし、少し遅く行くと品切れが多いのがはやっている証拠だ。この界隈は観光客を目当てに大小のレストランやカラオケが軒を連ねているが、「祭りばやし」は穴場中の穴場といえ、フィリピン通の日本人でいつもにぎわっている。

マニラ裏町探訪(その2)2009年6月28日



マニラにいよいよ恒例の洪水のシーズンがやってきた。マカティで頻繁に洪水被害が起きるのがパソンタモ通りだ。1990年ころアモーソロ通り沿いに流れる川から溢れ出た雨水によりパソンタモ通りに向って車が流れていったのを目撃したこともある。店で食事を終えて出てくると道路は川となり、そのまま数時間立ち往生したこともある。パソンタモ通りは、そんな洪水銀座だった。 2004年ごろから2~3年かけてパソンタモ通りに大きなカルバートの下水溝が設置され、これでパソンタモ川も姿を消すものと期待された。しかし、世の中はそんなに甘いものではないようだ。今年も雨季に入ったばかりというのに、パソンタモ周辺は早くも洪水に見舞われている。しかし深いところでもせいぜい 20cm程度の深さなので人々は靴を脱いで歩き、ジープニーやSUVは平気でかけ抜けている。   これほど簡単に道路が冠水してしまうのは、まず第1に、マニラそのものがほとんどフラットな地形のため、下水管に勾配がとれず、管を流れる雨水の量が少ないことだ(日本のように管を数十メートルの深さに埋めて、末端でポンプアップするなどという芸当はやらない)。だからちょっと強い雨が降るとすぐにキャパシティをオーバーしてしまう。第2に、下水管のメインテナンスをほとんどしないため、管内は泥やゴミで埋まってしまい、管の断面積が小さくなっている。しかも庶民は下水に平気でゴミを流す。第3に、当たり前だが、強い雨が頻繁に降る。  この辺のところを見越して、それぞれの店や家は50cm近く道路面よ り高くなっている。洪水になったら水が引くまでじっと待つ。これが庶民の防衛策で、ちょっと洪水になったからと言って、ギャーギャー騒ぐ人はいないのだ。ちなみに私のコンドミニアムは2階となっている。これは洪水になっても水に浸かる心配はない、停電でエレベーターが止まっても平気。火事になって2階から飛び降りても死ぬことはない、という色々な状況を考慮のうえでの選択だ。

マニラは洪水シーズンに 2009年6月27日


  ヌエバエシアのジャトロファ農園の見学をヘリコプターで行なった。陸路であれば往復12時間はかかろうというものが、たったの3時間で済ますことができた。快晴に恵まれた今日は、普段は見ることのできない空からのマニラ、そしてマニラの北、ブラカン、ヌエバエシヤ、パンパンガなどの風景を満喫することができた。 マニラ・ドメスティック・エアポートを出発。    アヤラ財閥が開発しているコンドミニアム「The Residence Green Belt」の威容。今、マニラで一番高いビルだ。右はマカティの商業の中心、アヤラセンターのグロリエッタ。これもアヤラ財閥の開発だ。  同じくマカティのビル群。前の写真とは90度角度が違う。中央のビルはシャングリラホテル。右はアヤラ通り沿いのパシフィック・プラザ。マカティで最初の高層コンドミニアムだ。  左はブエンディア通りとジュピター通りが並行して走る。左手前がウルダネッタ・ビレッジ、右はベルエアー・ビレッジの住宅街だ。マカティの中心市街地はこのほか、フォルベスパーク、ダイスマリニャス、サンロレンソーなどの高級ビレッジに囲まれている。右の写真はマニラ唯一の川ともいえるパシッグ・リバー。この先、マカティ中心市街地から外れて庶民の街と住宅が延々とつづく。  左はこのブログでもたびたび紹介しているEDSA通りのMRTの延長工事。右はすでにブラカンの田園地帯に入ったところにあったマンゴ農園。   マニラから北はバギオまで、ブラカン、パンパンガ/ヌエバエシヤなど県が続くが、ほとんどまっ平らの平野が延々と続く。規模としては関東平野よりはるかに広大だろう。しかもどういうわけか河がほとんどない。  農園に到着したヘリコプター。これから帰途に着く。右の整然とした建物群はなんと養豚場だ。  広大な平野にぽっつりとそびえるアラヤット山、第2次世界大戦中、抗日ゲリラのフグハラハップが立てこもったことで有名。右はピナツボ山の火山灰によって埋められた河。帰りは西側の山岳地帯に近いところを通ったので河が多かった。 ケソン市は大学の街としても有名で、フィリピンの名門、アテネオ大学のキャンパス。中央の道路の右側は天下のフィリピン大学(University of […]

ヘリコプターの旅 2009年6月27日



 アンヘレス行く途中、EDSA通りの高架鉄道(North Avenue~Monument間、約5km)の進捗を見るのを楽しみにしているが、3ヶ月ぶりに見ると、その工事の進捗の早さに驚いた。前回は柱しか建っていなかったものが、桁が半分以上乗っていた。この調子なら年末までには完成しそうだ。しかし、駅舎の他、MRT-North Avenueとの接続部分やノース・ルソン・エクスプレス・ウエイ(NLEX)との交差など、難工事が予測される部分の工事が着手されていないのが気にかかる。  ところで、この環状線が完成するとなると、次に期待されるのが放射線の着工だ。放射線が伸びるであろう、あるいは伸びて欲しいのは、 1.LRT1 -Monument駅から北、Malabon、Valenzuela方面、 2.MRT-North Avenue駅から北東Quezon City、North Caloocan方面、 3.環状線を横断するLRT2-Santolan駅から東、Marikina、Cainta方面、 4.LRT1-Baclaran駅から南、Paranaque、Laspinasを経由してカビテ県方面、 5.MRT-Magallanes駅から南、Taguig、Paranyaque、Muntinlupaを経由してラグナ県方面、 の都合、5本だ。 これらの建設には数千億円の巨費と10年あるいは20年の年月が必要であろうが、マニラ首都圏の交通は飛躍的に便利になり、都心に出入りするための地獄のような渋滞が緩和されるだろう。特に、ジープニーやバスに乗るしかない庶民には大変なメリットがある。先日ケソンの北方のNorth […]

メトロマニラ高架鉄道の建設状況(その2)2009年6月21日


 6月14日(日)は、あいにく小雨となってしまったが、マカティのマガリアネス・ビレッジで歯科医と技工士の学校を営むドクター小林の70回目の誕生パーティに参加した。出席者は100名前後と推定されるが、7~8割はフィリピン人だ。これだけの盛大なパーティを催すことができて、かつ多くに人に祝福され、小林さんも幸せものだと思う。(写真下、右がドクター小林)  マガリヤネスの豪邸の庭に設えられたテーブルは約、10脚、各々のテーブルに10人程度の客が座ることが出来る。それぞれのテーブルには日本人とフィリピン人が混在して談笑していた。  料理は天ぷら、すし、刺身などの定番の和食にフィリピン料理。大きなレチョンもあった。当方としてはやはり、すしや刺身に手が伸びる。ケイターリングの会社が入っていたが、かなりのボランティアの女性も手伝っていた。きっと、小林歯科と技工士養成学校のスタッフだろう。  ゲスト・シンガーによるショータイムの後、小林さんの長男が歌を披露してくれた。まずはアギナルドの世界的ヒット曲「ANAK、子供」、そして「ホテル・カルフォルニア」。ギターを爪弾きながら見事なものだった。ちなみに彼は日本語とタガログ語を母国語として話し、英語、さらにスペイン語を操る語学の秀才でもある。そして現在は歯科医並びに歯科技工士としてお父さんを手伝っている。  小林さんにはさらに3人の息子と、2人の娘さんがいる。お孫さんも3人いるそうだ。お子さん達は皆、いい子で、バイリンガルでかつ英語も達者。どうやったらこのように子育てができるのか、特に母親がフィリピン人の日比国際結婚で、一つのモデルとも言えるのではないかと、いつも感心して眺めている。

小林歯科医の誕生日に出席 2009年6月15日



 マニラ新聞で、オルティガス、ロビンソンGalleriaの3階でダイソーが100円ショップをオープンしたという情報を得て、早速出かけていった。店の名前は「SAIZEN」という。これはすでにアラバンで「ダイソー」という100円ショップがオープンしているで、本家本元のダイソーがフィリピンではその名が使えないものと推察される。そのほか、フィリピンでは「日本城」という100円ショップがオープンしている。100円ショップと言っても、値段は 85ペソ(約170円)均一。そもそも物価の安いフィリピンでは大分高めで決して気軽に買える値段ではない。 ロビンソンに入るとあちらこちらに「SAIZEN」の垂れ幕がさがり、新規開店は一目瞭然だ。場所は3階でちょっと奥まったところにある。広さは普通のパーマーケットスー程度。店の中に入って驚くのは、中は全くの日本の100円ショップそのものなのだ。商品はたとえ中国製や韓国製だとしても、ダイソーオリジナルで、すべて日本語のタグがついている。品揃えも2万点というからすごい。  たまに日本へ帰ると、暇なときは100円ショップを覗いてみるのが、そこにはこんなものが100円というものがたくさんある。フィリピンへのおみやげも 100円ショップに限っている。5千円も買えば持ちきれないほど買える。だから、フィリピンの生活にも100円ショップがかかせない。この日は、日ごろ欲しいと思っているものが、ほとんどあった。なにしろ、日本人の嗜好にあわせて開発して商品ばかりだから、ありがたい。箸や茶碗まで豊富にそろい、店はここがフィリピンであることを全く意識していないようだ。(以下陳列棚の写真をクリックして商品の詳細を見てください)  せっかくロビンソンGalleriaまで来たのだから、もう一歩足を延ばして、SM North EDSAに行って見た。ここはMRT高架鉄道の終点でもあり、最近Land Markもオープンして、にぎやかになったケソンCityへの入り口だ。旧SM Cityも大幅に改装してSM North EDSAとして最近新規オープンしたばかりだ。モールの前の駐車場に屋根をかぶせ、そこを広場にしたのが特徴だ。たしかに公園の少ないフィリピンではありがたい広場だ。モールの中も以前に比べて広々と明るくなっている。  しかし、モール・オブ・エイシアを知ってしまっている我々には少し物足らない。マカティ近辺あるいはその南に住んでいる人たちがわざわざ出かけて行くところではないだろう、というのが正直な感想だ。

100円ショップダイソーの開店 2009年6月14日


 6月6日のマニラ新聞によると日比国際結婚の2007年の実績は9379件、離婚数は4737件となっている。これは中国に次ぐ2番目の件数だが、 2005年に始まったジャパユキさんへのビザの発給制限により出会いのチャンスが減ったせいか、減少傾向にあるという。一方、離婚数は2桁台の伸びで増加に歯止めがかからない。1992年~2007年の日比の結婚総数は122,252件、離婚総数は42,607件、3組に一組が離婚したことになる(もっとも日本人同士の離婚も同じような数値だそうではあるが)。しかし、結婚から離婚に至る時間差を考慮すると、半数近くが離婚しているとも読める。ちなみに日比夫婦の子供の総数は75,317人に上るそうだ。    フィリピン人妻をもつ日本人と話す機会が多いが、色々苦労しているようだ。書籍「奥様はフィリピーナ」においてもいみじくも「1年に365回の離婚の危機を乗り越えて、二十年近い月日が経ってしまった」とのことである。夫婦の仲というものは他人が見るほど単純ではないだろうが、果たして日比国際結婚というのはそもそも成り立つものなのだろうか。 今藤 元著、彩図社刊   前のブログ「フィリピンは男性天国?それとも女性天国?」でも紹介したとおり、フィリピンではかかあ殿下が普通だ。そして、昨今は様変わりしているとはいえ、日本は亭主関白が美徳とされている。特にフィリピーナと結婚するのは熟年男性が多いから、ねっからの亭主関白とチャキチャキのかかあ殿下が一緒に暮らすことになる。日本の亭主は妻のことを重宝なメイド兼ヤヤ、さらには秘書兼運転手くらいに思っているから、そんな調子でフィリピン妻を扱ったら、大変な剣幕でやられるのは目に見えている。しかも人前でしかりつけたりしたら、たとえ彼女に落ち度があったとしても、数日間は口も聞いてもらえないだろう。一方、亭主の行動を常に監視し、なんでもないことにやたらとやきもちを焼くフィリピン妻にはうんざりする。さらに、逆に、妻に対してやきもちを焼かないと「愛していないの」と食い下がられる。こんな調子では1年に365回、喧嘩するのもうなずける。  亭主関白はあごで妻を使う。一方フィリピン女性は亭主をあごで使う。二人して相手にあごをしゃくりあう。この勝負どっちが勝つのか、あごの長さで夫婦関係が決まるのだろうか。フィリピンに住んでいるのであれば、両者があごをしゃくる方向をメイドに向ければ良い。それですべて解決だ。しかし、メイドを雇うことなど夢の夢の日本ではどうしたらいいのだろう。仲良くやっていきたかったら、フィリピン女性と結婚したのだから、日本人男性も覚悟を決めて、先進国の男性並みに家事の半分ぐらいは担当する心意気が必要だ。相手だってほとんどやったこともない料理を作って亭主に食べさせるのだから、当然だろう。  まがりなりにも文化慣習の全く違う世界で育った男女が一緒になるのだから、恋愛感情だけではすぐに行き詰ってしまう。自分の主張だけを繰り返していたのではいつまでたっても喧嘩が絶えないから、お互いが50%づつ歩み寄って、落としどころを見つけることが肝要だろう。「添い遂げる」というのは、日本流に考えれば、妻が旦那に添う、というニュアンスがある。しかし、フィリピンでは逆に男性が女性に添ってくるものなのだ。だから、日比国際結婚では両方が相手に添うように努力して丁度良いのだろう。   フィリピーナは底抜けに明るいが、心の底はデリケートで複雑、我々の理解の外だ  数値の上では日本男性とフィリピン女性の結婚が98%と圧倒しているが、私の周囲にフィリピン人と結婚した日本女性も数名いる。亭主をたてて影にまわる日本女性と、妻をたてて影に回るフィリイン男性が一緒になったら、料理をしても荷物を持つのも「アコ・ナラン、アコ・ナラン(私にまかせて)」と、実に仲むつまじい夫婦となること請け合いだ。フィリピン男性にとって見れば、妻が料理をして食べさせてくれるだけで感激ものなのだ。これでは夫婦がぶつかりようがない。  フィリピンでは男性もやきもちを焼く。妻が一人で出かけると、男が一緒ではないかと、やたらとチェックのメールが入る。果ては一緒にいる友人の女性に証人として電話に出てもらったりするはめになる。フィリピン人なら、なんて愛されているのだろうと、まんざらでもないのだが、日本女性の反応はいかがなものか。まあ、男勝りで、男を征服するという意識が強い女性はフィリピン男性と結婚すると良いかもしれない。最近は肉食女性と草食男性なんて言葉もあるから、日本も大分国際的になってきたのかもしれないが。   男にとって、世界で一番の幸せは、イギリスの車に乗って、アメリカの家に住み、フランスのリゾートに住んで、中国料理を食べそして日本の女と結婚する、ことだという話を聞いたことがある。世界では日本の女と結婚するのはステータスとも言われている。まさに日本女性はブランドなのだ。一方、日本男性の評価はあまり聞こえてこない。所詮世界では2流なのだろう。そのくせ、亭主関白などと威張り散らしてみても、それは日本だから通じるのであって、フィリピーナは屁とも思わない。フィリピーナはなんといっても強くて逞しい国際人なのだ。

日比国際結婚は是か非か 2009年6月13日



   日本から見ればフィリピンは間違いなく男性天国と見られているだろう。日本のフィリピン・パブと同じシステムのカラオケ・パブないしクラブがマニラだけで100件はあるだろうが、そこではうら若いフィリピーナが夜な夜な日本人男性を癒している。一方、ショー・クラブやゴーゴー・クラブでは水着姿のダンサーやモデルが舞台で腰をひねらせ、客の指名を待っている。中には目を覆うような過激なショーを見せるところもある。カラオケを除くこれらのクラブは原則、連れ出しが可能だ。さらに、フィリピン庶民の遊びどころであるビア・ハウスは全国いたるところ無数にある。観光客相手には手っ取り早い置屋も健在だ。どうみてもフィリピンは男性天国のようで、それを目指して訪れる観光客も少なくない。  マカティの老舗カラオケパブとアンヘレスのゴーゴークラブ。  ところがフィリピンに長く住んでいる日本人は、「フィリピンはまさに女性天国だ」という人が大多数だ。企業の駐在員の奥様方はメイド、ドライバー、ヤヤ(子守)などにかしずかれ、会社支給の豪邸に住み、趣味やショッピングに明け暮れている。これをあこがれの「駐在員妻」と言うそうだが、そんな夢の生活を数年間過ごして日本へ帰ると、カルチャーショックで、日本の生活になじめないという。日本で奥様は、メイド、子守、秘書、ドライバー、果ては旦那のご機嫌取りのホステス役まで、全部一人でこなさなければならないのだ。  フィリピン人の場合も、お金持ちの奥様や旦那が高給取りの奥様は、まさに駐在人妻と同様あるいはそれ以上の優雅な生活をしている。それでいてさらに、妻は家庭のボス、常に旦那を尻に敷いているのだ。亭主関白という言葉のタガロク語は知らないが、旦那を尻に敷くのをフィリピンでは「アンダー・ザ・サヤ(ペチコートの中)」と表現する。レディファーストなんていうのは当たり前、しかもフィリピンにおいては女性の方がはるかに地位が高いから、男女平等というような言葉は意味をなさないのだ。  それに甘んじているフィリピン男性はどうなのだろう。フィリピン男性の優しさは我々にとっては驚愕に値するほどだ。男性は女性をあらゆる手立てで口説き落とし、さらに愛する女性に尽くして幸せにすることが無常の喜びだそうだ(最近では孕まして逃げてしまう男性も多いようだが)。ちなみにバレンタイン・デイには妻や恋人に赤いバラをプレゼントして愛の証を立てるのは男性、さらに料理は男の仕事だ(だから、ほとんどのフィリピン女性は料理ができない!)。   バレンタインには赤い花束を女性に贈る  しかしフィリピンにはその日の糧にも困る人々が多数を占める。そんな時、旦那の尻をたたいて働かせ、あるいはシングルマザーとして逞しく子供を育てるのが女性だ。困難に直面して女性は実に逞しく、頼りになる。だから一家の大黒柱なのだ。会社でも幹部は女性が多い。銀行の支店長などはほとんど女性だ。カラオケやナイトクラブで働く女性も、たいてい一家を背負って立っている。18や19才の娘が病気の父親や、弟や妹の学費を稼ぐために体を売るという覚悟は並大抵のものではなかろうと頭が下がる。     こんな女性の社会進出を助けているのがメイドとヤヤの存在だ。高校(日本の中学に相当し、4年制)卒、あるいはそれさえももろくに出ていないとまともな就職口はない。そんな娘達が月々数千円~1万円で雇えるのだ。だから、共稼ぎやシングルマザーだとしても、子育てや家の仕事は全く問題ない。特に介護が必要な両親を抱えていたとしても、苦にならないのだ。 かいがいしく盛り付けをするフィリピーノ(左写真の奥)、子供にヤヤはつきものだ(右写真の右の女性)。  さて本題に入るが、こんな男女関係のフィリピン人カップルの男性が浮気したらどうなるのだろう。日本なら妻が旦那を責めて、離婚などややこしいことになる。あるいは利口な妻はことを荒立てぬよう知らぬ振りをする。フィリピン女性は、常日頃から旦那あるいは彼氏の浮気を徹底的に監視する。そして尻尾をつかんだら、ただちに浮気相手の女を攻撃するのだ。時には取っ組み合いの喧嘩までやる。男性は喧嘩の成り行きを見守るばかりだが、たいていは妻や元々の彼女が勝利する。旦那は妻に「2度と浮気はしません、愛しているのはお前だけだ」と侘びを入れて、一件落着する。しかし1週間もすれば新しい浮気相手の物色を始めるのだ。  一方、妻あるいは彼女の浮気はどうなるのだろう。もし自分の妻あるいは彼女が浮気したとしたら、男性は「糞を頭に載せている」と評され、恥ずかしくて外を歩けないほどのものなのだ。だから旦那は浮気した妻を徹底的に責める。このときだけは男性が手荒いことをすることも容認されるようだ。女性の方は、なんとふしだらな女だと社会的にも制裁を受ける。ちなみに「姦通罪」という罪も存在するが、これは女が浮気したときにだけ適用され、男の浮気には適用されないそうだ。  以上の通り、カップルの相手が浮気した場合、責められるのは常に女性なのだ。その理由は「浮気するのは男の性(サガ)、だから理性ある女性は、口説かれても拒否するのが当たり前で、妻子ある男性を愛してしまい、浮気を許したのは女性側の落ち度なのだ。」という、なんとも男性に都合のよいものだ。  果たしてフィリピンは日本人男性にとって天国なのだろうか。あるいは地獄なのだろうか。一方、女性にとっては、フィリピンはどうみても天国のような気がする。

フィリピンは男性天国?それとも女性天国?2009年6月11日


 先日書いたセックス・ビデオ・スキャンダルの事件は、その後ますます激しく巷の話題を独占し、一種の社会現象と化している。芸能人のスキャンダルなどを専門に取り上げるSNN(Showbiz News Ngayon)というニュース番組がある。司会はかの元大統領、Cory Aquinoの娘のKris Aquino(下写真右)。週一回の番組だったが人気上々で、今では毎日放映している。その番組に毎日のようにこの「セックス・ビデオ・スキャンダル」が取り上げられているのだ。  先日第2回目の聴聞会が上院で開催された。必死に息子の無実を訴える母親(写真下左)と神妙に聞き入る話題の張本人のHyden Jr. Kho(写真下右)、二人ともここまで話題が大きくなると、神の裁きに頼るしかない。    Hayden Jr.に、セクシーコメディアンであるRuffa Mae(写真下右)を寝取られた男優も登場したが、彼女自身は沈黙を守っている。ビデオに登場した他の女優あるいは女性達も恥ずかしさに耐えて沈黙を守っているが、Katrina Halili(後述)だけが訴訟を起こし、いきまいている。人々は、そんな彼女をレベルの低い女だからと白い目で見ているが。  一方、第3者であるはずの有名人も話題に登場している。Hayden Jr. […]

セクシュアルビデオで話題騒然(その2)2009年6月10日