APECで未曾有の交通渋滞 2015年11月30日


17日(火)から始まったAPECは、一週間、首都圏に未曾有の渋滞をもたらした。14日(土)は、まだまだ大丈夫だろうと空港の先までタクシーで出かけていった。しかし、すでに各国の閣僚がフィリピンに到着し、幹線道路が封鎖されていた。そのおかげで、走ったこともない裏道を迂回するはめになり、かつその迂回路が大渋滞してにっちもさっちもいかないはめに陥っていた。

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  反対側のマカティに向かう高速道路は車が糞詰まりの状態だった(左)。郊外の道路沿いには塀の小屋を作って人が暮らしていた。

その帰り道は、APEC中は前面封鎖される予定のロハスブルバードが通行可能でバクララン、大使館、そしてブエンディアを経由して戻ってきた。その間、すでに警備は始まっており、APEC中、25000人が全国から動員されたという警官が警備につきはじめていた。

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会場に近いロハスブルバード通り沿いには多くの兵士が警戒の準備をしていた(左)。庶民の買い物どころバクラランには屋台が一層されて普通の町並みになっていた(右)

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エドサ通りとロハスブルバード通りの立体交差からながめると、エドサ通りはすでに閉鎖されていた(左)。日本大使館はロハスブルバード沿いにあるためにAPEC開催中は回転休業となる(右)

16日(月)はAPECの休日の前日だったが、夕方のマカティは、ほとんど車が動かず、歩いてマカティを縦断して約束のマカティアベニュー沿いのTIANTIANレストランにたどりついた。朝方、健康のためにPRAまで歩いたので、その日は、2回もマカティを歩いて縦断するはめになってしまった。

17日(火)から20日(金)はAPECの4連休で、17日(火)と18日(水)は家でじっとしていたが、19日(木)と20日(金)は息子のたっての願いでプエルトガレラのビーチリゾートに行く事になった。もしやの事態にそなえて、ボボイに送り迎えをさせたが、案外とスムーズに帰ってくることができた。しかし、20日(金)は各国首脳が帰国する日で、ゲリラ的に幹線道路が閉鎖されて、ひやひやの連続だった。

CIMG3458s-2APEC専用レーンが設けられた高速道路。APECのために訪問した各国の首脳陣を拝めることなどはできないが、庶民はその形跡を垣間見るだけだ

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