Monthly Archives: July 2016


1989年、初めてフィリピンを訪れたとき、フィリピンには喫茶店がなくて、街でちょっと人と会うときに往生したものだ。仕方がないので、ホテルのコーヒーショップやジョルビーなどでコーヒーを飲みながら話すしかなかった。すなわち、フィリピンには喫茶店という概念がなかったのだ。もっとも、フィリピン人は一日に5回食事を取るというから、人とちょっと会って話をするときもしっかり食事を取るので、それでよかったのだろう。しかし、1997年にスターバックスの一号店が開店してから、マカティのいたるところにスターバックスが開店してフィリピンにも喫茶店文化が根付いた。しかし、喫茶店といえる代物はスターバックスなどのチェーン店だけで、他には見たことはなかった。 ところが、最近、KIANの英語の家庭教師のレッスンに立ち会うようになったのだが、そこは紛れもない喫茶店なのだ。私の住んでいるコンドから歩いて数分のところにあり、住宅街の一角、St. Paul St.とEstrella St.の角を私のコンドと反対に向かった50mくらいの左側にある。その通りは100回以上通過したと思うがついぞ気がつかなかった。下記、HP参照。Coffee 8065, San Antonio, Makati City – Zomato Philippines つくりは普通の民家の一階といった雰囲気で、これといったしゃれっ気もなくて、名前もCOFFEE 8065と地味だ。店の内部は古びていて、スターバックスなどのこぎれいな内装とは異なり、いかにも庶民的で、フィリピンの喫茶店文化の原形を見る思いがする。 […]

喫茶店COFFEE 8065でKIANの英語レッスン 2016年7月31日


2016年7月30日追記;現在、入居中の日本人が退出することになって、オーナーの菅原さんが新規にテナントを募集しています。また、コンドテルの内部にコンビニが開店する予定で、ますます便利になっています。 2014年10月18日追記;本ユニットは、おかげさまで、長期の賃貸契約が成立し、当面、他の方に、お貸しすることができなくなりました。ありがとうございました。 先に紹介したVICTOR(旧NTT)コンドテルのユニットを購入した菅原さんが、ユニットを賃貸に出している。当初はご両親を住まわせるつもりだったが、事情が変わって、賃貸することになったものだ。 窓からの景色は開放感がある ご承知の通り、マカティスクエアの和食レストラン街に至近距離で、日本人にとっては最高のロケーションだ。以前、別のユニットを、オーナーの依頼により、パスコのゲストハウスとして提供していたこともあるが、今回は、月単位から年単位の賃貸で、月ぎめの賃貸としては格安で提供している。退職ビザを申請して待機している間、あるいは、そのまま、しばらくフィリピンに慣れるまでの仮住まいなど、使い道は多用だ。 入り口とレセプションも改装されてきれいになっている NTT(VICTOR)コンドテルは、先ごろオーナーが代わって、セキュリティも格段に向上し、前面の道路の排水溝工事も完了し、道路冠水の状況も改善した。また、パソンタモ通りから2本奥まったところにあって、夜間の車の騒音もほとんどない。さらにコンドテルなのでレストランもあり、かつロンドリーやコンビニなども隣にあって大変便利。 入り口の左に移動したレストランも開放的になった 以下は、賃貸の詳細だ。 7258J. Victor Street, Pio del Pilar, […]

VICTOR(旧NTT)コンドテル賃貸物件の紹介2016年7月30日(再掲)



ドテルテ新大統領の信任率が91%と歴代大統領で最高となっている(7月21日)。一方、信任しないは0.2%で実質100%の信任率に近い。その原因は、公約の麻薬撲滅が大統領就任以来、確実に成果を挙げているためと思われる。 大統領就任後、7月5日、空軍の創立記念に参加するためにクラーク空軍基地を訪問した     6月30日の大統領就任前後より、連日のように麻薬密売人の国家警察による殺害のニュースが報じられている。さらに、「違法薬物抜き打ち検査で現職警官9人に陽性反応」(7月5日)、「国家警察幹部5人を違法薬物密売組織に関与していると名指し」(7月6日)、「麻薬王3人(いずれも中国人)の名前公表」(7月8日)、「ニュービリビッド刑務所に警察特殊部隊320人を配置 麻薬取引の取り締まり強化(モンテンルパにある刑務所は22000人の受刑者を収容、麻薬犯罪の温床といわれている)」(7月21日)、「署長、分署長の6割解任 薬物取締りの成績不振で」(7月22日)、と矢継ぎ早に手を打っている。また、ドテルテ大統領は麻薬王の一人と面談し、「証拠を見つけたら殺してやる」と恐喝したそうだ。一方、麻薬王達はドテルテ大統領の首に多額の懸賞金をかけているとも報じられている。 軍と警察を掌握することは大統領としては必須だ たしかに麻薬と犯罪は表裏一体で麻薬撲滅=犯罪の一掃につながるだろう。恋の恨みなどの突発的犯罪は致し方ないが、巷の犯罪は激減するのではないか。そして、近い将来、フィリピン全土の治安が格段に向上するときがくるだろう。そんな夢を実現してくれるだろうと、ドテルテ大統領にほとんど100%の人が期待しているのだ。 ドテルテ大統領は6ヶ月以内に麻薬犯罪を一掃すると宣言している 先日、ルソン島中部、ヌエバエシアにお住まいの退職者の方から、妻の誕生日のケーキを買うために市内に出かけたら、こんな田舎道で大渋滞に出会ったとの話があった。原因は、麻薬密売人が路上で射殺され、その現場に遭遇してしまったのだ。しかも帰りの道も大渋滞で、一日に2回も射殺現場に遭遇したとのこと。さらに近所のバランガイでも同様な事件があり、一体世の中どうなっているのかとびっくりしたが、フィリピン人の妻は、普通のことと平然としていたとのこと。 ドテルテ大統領とトークショーでやりあった人気コメディアンのバイスガンダ。バイスガンダとは副・美という意味だが、巷の副大統領といっても良い存在だ。このトークショーではドテルテ大統領のセンスが光っていたそうだ 「麻薬事件の容疑者殺害 一週間で新たに31人 大統領選以降は計103人に」(7月8日)、「大統領就任以降 首都圏で69人殺害 違法薬物密売容疑で」(7月19日)と、全国的に麻薬密売人の殺害が広がっており、一方「他に552人が逮捕され、約18000人が出頭した」(7月19日)、と報じられている。ドテルテ大統領は6ヶ月以内に違法薬物を撲滅すると宣言しているが、十分達成しそうな勢いだ。 ロブレド副大統領と面会した大統領。前大統領・アキノの回し者のロブレドはドテルテの政敵といっても過言ではない ドテルテ大統領はダバオ市長時代、処刑団を率いてダバオの治安を劇的に改善した、といわれているが、同じ手法をフィリピン全土に展開しているようだ。従来、警察はいったい、庶民の味方なのか敵なのか、警察官自体が犯罪を主導することもあったが、今回は、警察は犯罪者の敵であることを明確に示そうとしており、そのためには、現役警察官であろうとも容赦はしないというものだ。 パパ・カーネル(KIANのお父さん)は善良、正義派の警察幹部だが、かつてぼやいていたことがある。「警官が容疑者を射殺すると、その射殺が正当だったかどうか、一転して警官そのものが殺人の容疑者になってしまう。そのため、事前に発砲を予告したり、何のかやと射殺を正当化するための準備が必要だ。そんな悠長なことをやっていると、犯人が逃走するか、あるいは自分がやられてしまう。瞬時の判断と対応が警察官自身の命を守るためにも必要なのだ」と。 ドテルテ大統領、そして、ドテルテ大統領に指名されたデラ・ロサ国家警察長官が「抵抗したら躊躇なく射殺せよ」と、こんな警察官のジレンマを払拭したに違いない。しかし、ロブレド副大統領は、こんな状況に、「超法規殺人を強く非難」(7月21日)している。 ドテルテ大統領の超法規的殺人を批判するロブレド副大統領 そんなわけで、全国の警察官は、のびのびと麻薬撲滅にまい進しているに違いない。こうなったら、たまらないのは、麻薬の密売人だ。殺されない内にと、18000人が自首したというニュースに、フィリピンではそれほどまでに麻薬がはびこっていたのかと返って感慨深い。確かにシャブという言葉はよく耳にする。最近ではイケメン男優のジェリコが「若いときシャブをやっていた」と告白したそうだ。ジェリコは魚の行商をやっていたのを発掘されたというが、その手の若者がシャブをやっている確立はかなりのものと推定される。国民みんなが、自分が殺されないうちに麻薬から手を洗おうとしているようだ。 […]

ドテルテ大統領の信任率が急上昇 2016年7月23日


マカティスクエアのまん前、パソンタモをはさんで北山ミートショップという店がある。一年以上になると思うが、毎日、前を通りながら、中に入ろうとは、一度も思わなかった。非常にしゃれた店構えで、牛肉専門となると、きっと日本から輸入した馬鹿高い霜降り和牛でも売っているのだろうと、勝手に思い込んで足が向かなかったのだ。 KITAYAMAの門構えはいかにも和風でしゃれている そんなある日、ママ・ジェーンから北山ミートショップで和牛を買ってきてほしいと指示が飛んだ。先日義理の弟のNongを韓国焼肉のSeoulに招待したのだが、大変気に入って、早速焼肉のことをリサーチしたらしい。インターネットで調べて、北山ミートショップが評判の店だというのだ。そして、韓国焼肉を我が家で再現しようというのがママ・ジェーンの企みだ。 我が家の定番、韓国料理のSeoulで焼肉を満喫(左がNong)野菜が食べ放題なのがうれしい そこで、KIANのピアノ教室の帰りに和牛を買ってくることになったのだが、入り口も和風で、いかにも高そうで二の足を踏んだが、思い切って中に入っていった。入り口はいかにも和牛という雰囲気を醸し出している 正面のケースに並んでいる霜降り和牛の塊は確かに見事なものだったが、値段がついていない。きっと、ひと切れ1000ペソを越える代物にちがいないと、値段を聞く気にもならなかった。 店の正面は見事な霜降りの和牛が並んでいる、価格は2000~3000ペソ/Kg(460円~690円/100g) そして、脇に置いてある冷蔵庫をのぞいてみると、トレイに入った切り身が、200とか、300ペソの値札が張ってある。これならいけるとにわかに購買意欲がわいてきた。 店の奥においてある冷蔵庫には我々庶民向けの製品が置いてある。焼肉用で600ペソ/Kg(140円/100g)で極めてリーゾナブルだ そこで、ためしに買い求めたのが、すき焼き用、焼肉用、それにT-ボーンステーキ。それぞれ、300g程度だが、200ペソ、300ペソ、500ペソ程度の値段でまさにアホーダブルな値段だ。フィリピン産の牛肉は硬くて歯が立たないが、さすが和牛で、日本で食べなれた牛肉だった。量的に足らないので、ブタ肉もスーパーで買ってきたが、食べなれた豚のほうがKIANを含めフィリピン人には受けたようだ。 左からT-ボーン、すき焼き用、焼肉用の切り身    ここの肉は、和牛といっても、フィリピン産で、日本から連れてきた和牛を掛け合わせて暑さに強い品種を作り出したもの。原産地は、ミンダナオ島のBukidnon地方で、カガヤンデオロの南に広がる高原地帯の牧場で育っているそうだ。肉の値段は、部位と霜降りの程度により大いに異なるが、すき焼きや焼肉用の切り身で600ペソ/Kg程度、ステーキ用の高級なものは2000~3000ペソ/Kgだ。これを円/100gに置き換えると、140円/100gと460~690円/100gとなり、日本の半分以下の値段だ。 和牛を日本から輸入して売ると日本の販売価格の倍くらいになるから、概算で4分の一程度ということになる。 店の中を興味深く探索するKIAN […]

北山ミートショップで和牛を満喫 2016年7月16日



KIANの育ての親ともいえるヤヤ・チュー以来、5人目のメイド(ヤヤ・リザ)がやってきた(ちなみに我が家では親しみをこめてヤヤもメイドもひっくるめてヤヤ・....と呼んでいる)。それまでのメイドはことごとく蒸発しまっていたのだ。 KIANが生まれたころはメイドとヤヤ(子守)ということで二人の使用人がいたが(ちなみにKIANが生まれて以来、5人ほどヤヤないしメイドが入れ替わったが長続きはしなかった)、その後、やって来たヤヤ・チューは、子守、炊事、洗濯、掃除と、一人4役をこなしたスーパー・メイドだった。ママ・ジェーンは給与を倍にするから、2倍働けと持ちかけたらしいが、昼間はKIANとずーっと一緒で、いつの間にか、炊事、そして洗濯と掃除をこなし、早朝未明から夜更けまで休む間もなく働いていた。二人の子持ちなので赤ん坊の扱いがなれていて、料理もそこそここなし、我が家にはなくてはならない存在となった。2011年の4月から、2014年3月までKIANが1歳から4歳まで、幼児期を世話してもらったことになる。 ヤヤ・チューはKIANの育ての親とも言える 毎週、土曜日、KIANとヤヤ・チューを連れてサイカ・レストランでランチをとるのが私の日課で、私にとっても心休まる楽しみだった。そんなヤヤ・チューがKIANが4歳の誕生日を迎えるころ、突如として姿を消した。なにか家庭にややこしい事情があり、夫以外の男の子を宿し、夫から姿を消すために行方をくらましたらしい(いつそんな時間があったのか不思議だったが)。ヤヤ・チューはKIANをわが子以上に可愛がっており、KIANも実の母のように慕っていた。しかし、意外にもKIANはヤヤ・チューがいなくなってから、ほとんどヤヤ・チューのことを口にすることはなかった。 KIANの横にいつも張り付いてKIANの面倒を見ていたヤヤ・チュー。この日は我が家でシャブシャブパーティだ そして次にやってきたのが、まだ二十歳そこそこのヤヤ・ドナだ。アテ・キムやビアンカと年が近いだけに、3人姉妹のように仲がよかった。土曜のサイカでの食事はもちろん、タガイタイやプールなどアウティングにも家族の一員として連れ歩いた。しかし、メイドとしての腕は今一で、KIANは、もはや手がかからなくなっていたが、炊事、洗濯、掃除をまともにこなすことができず、アティ・キムやビアンカのお荷物になっていた。ちょっとモダンな女でもあるので、近所の男どもからちょっかいがあって、夜な夜な外出するようになって、ママ・ジェーンの不評を買うようにもなっていった。 年齢が近いアティ・キム(右)、ビアンカ(中央)、そしてヤヤ・ドナ(左)は友達同士のようだった そんな彼女も、ある日突然姿をくらました。ヤヤ・ドナは元々、ママ・ジェーンの親友のところで働いており、暗い過去があるそうなので、ことさら気を使っていた。農場にいるときなどは、幸福感にしたって、涙さえ流していたものを、裏切られたママ・ジェーンの怒りはひとしおだった。その後、侘びが入ったそうだが取り合わなかったそうで、私にもヤヤ・ドナから連絡があったが、シカとするよう、お達しがあってほっておいた。家出した直接の原因は、アティ・キムとの口論だそうだが、ヤヤ・ドナとしては呼びもどされるに違いないという公算があったらしい。ヤヤ・ドナは、一年も、持たなかったが、KIANとしては特別の感慨はなかったようで、すぐに忘れてしまったようだ。 ヤヤ・ドナは農場に帰ったときも、農場に住み込んで手伝ってくれていた しばらく、アティ・キムとビアンカがメイド役をしていたが、二人とも学校に通っていたので、家の仕事が滞り気味だった。そこでやってきたのがヤヤ・オ-ディだった。28歳独身のいかにもメイドらしいい雰囲気だった。しかし、このヤヤ・オーディができもので、料理は抜群で皆をうならせるほど、洗濯、掃除もそつなくこなした。しかし、半年もしないうちに「10年近く働いた前の雇用主が戻ってきてくれと切願された」と辞職を申し入れてきた。その後、しばらくしてKIANの一言で、一旦戻ってきたが、数ヵ月後、やはり消えてしまった。関連ブログ「ヤヤ(子守)が帰って来た」参照。 ヤヤ・オーディは写真が大嫌いで、City of Dreamに行くときも顔を隠してしまった ある日、ヤヤ・オーディが私にさよならを言いに来た。それをママ・ジェーンに告げると、そんな話は聞いていないという。しかし、ママ・ジェーンの話によると、ママ・ジェーンの攻撃に恐れをなして、逃げ出したのだと、せせら笑っていた。詳しい話を聞くと、ヤヤ・ドナはビアンカをそそのかして、一緒に元の雇用者のところで働こうと画策しており、それをママ・ジェーンが嗅ぎ付けて、懲らしめようとしていたらしい。メイドとしては抜群のパーフォーマンスを示して、頭の良い子だった。しかし、頭が良いととなると、ずるがしこいこともするようだ。そのころ、ビアンカも大学を中退させられたので、将来に不安を持っていたらしく、誘いに乗りかけたらしい。 知らぬ間に撮ったヤヤ・オーディの唯一の写真(中央)この写真を見てKIANがヤヤはなぜ僕に怒っているのかと質問してきた […]

メイドが消えてしまった 2016年7月14日


最近、公文の帰りに、雨宿りとKIANのアイスクリームを買うために立寄ったMini Stop(コンビニエント・ストア)で面白いハプニングがあった。たまたまそこにいたKIANと同世代の子供がKIANに話しかけてきたが、英語で答えるKIANに対して、お前はアメリカ人かと問いかえす。フィリピン人でありながら英語で話すということは、件の子供には理解ができない。だからフィリピン人と言っても納得がいかない。件の子供が入り口においた私の傘をいじろうとしたので、KIANがそのUmbrella(アンブレラ)に触ってはいけない、と注意したら、子供はパヨン(タガログ語で傘の意味)だと言い張る。店の人が傘を英語でアンブレラというのだと教えていたが、その子供はやはり合点がいかない。 級友とタブレットでゲームを楽しむKIAN その子供はどこにでもいる当たり前の子供なのだが、どう見てもKIANとは一線が画されているような気がした。KIANも英語を話さない子供に遭遇して面食らっていたようだ。ちなみにドンボスコのような私立校に通う子供は、ほとんどが英語を母国語(第一言語)として話す。そこにはなにか住む世界が違う階層の違いというものを感じる。フィリピンの母国語であるタガログ語を話す人間が下級の階層で、国際語の英語を話す子供が上級の階層なのだ。関係ないかも知れないが、おまけに、これら上層の子供は色白、下層の子供は浅黒い。 左はいとこのヤナ(10歳)、KIANとの会話はもちろん英語だが、彼女は母親を癌で亡くし、父親に見放され、今は私の農場でおばあちゃんに面倒を見てもらっている。生まれ育ちは下層階級の典型だが、頭がよくて美人なので上層階級への仲間入りのチャンスがあるかもしれない。彼女もKIANと同様、中国人の血が混ざっている。 KIANが2歳になったころ、タガログ語を話すことを禁止され、周囲もKIANと話すときは英語に徹底された。テレビも英語の番組しか見ることが許されなかった。幼稚園でも先生も園児も、すべて英語だ。KIANの周囲は英語に徹底され、6歳を迎えて小学校に入学したKIANは見事に英語を母国語とする子供に育った。もし、彼がタガログ語で育っていたら、幼稚園や小学校で周囲の子供とコミュニケーションをはかることができないという不思議な現象に、ミニストップの子供のような思いを持ったことだろう。 公文で生真面目に問題をこなすKIAN しかしながら、ここはフィリピンでKIANもフィリピン人だ。母国語のタガログ語を避けて通ることはできない。学校では当然のことながら国語の時間にタガログ語を教えている。もともと周囲の会話を聞いて、ある程度のタガログ語は理解できるが、口から出てくる言葉は英語だけだ。最近、家では、アティ・キムがタガログ語を教えているが、まるで赤ん坊か外国人のようにタガログ語を話すKIANがとても可愛らしいという。私にとってもKIANがタガログ語を話す様は1~2歳のようでとても新鮮で可愛いと感じる。 ピアノの発表会も無事にこなしたKIAN そこで考え込んでしまう私だが、小学校に通い始めた子供が学校で母国語を習うというのは一体何なんだろう。南アメリカのインディオやオーストラリアのアボリジニなどの原住民が、かつての自分たちの言語を取り戻そうと、学校教育にかつての母国語を取り入れるというのは理解できる。しかしながら、フィリピンで一般に話されている言葉、そしてテレビのニュースは皆タガログ語なのだ(もちろん地方ではビサヤなどの方言が話されるが、皆、標準語のタガログ語を理解して話すことができる)。ところが上層階級の子供達は、このタガログ語が話すことができなくて、学校で勉強しなければならないのだ。こんな状況は世界でもフィリピンくらいではないだろうか。ちなみにフィリピンは英語を話す人口が世界で3番目だといい、国民総バイリンガルで、確かにどんな田舎に言っても、ほとんどの人がそれなりに英語を話す。 MOAのタイムゾーンで姉のKIMとゲームを楽しむKIAN 私は、ここにフィリピンの複雑な文化の原点があるような気がする。ハイスクールまで算数、理科などの教科書は英語、大学にいたっては英語の力がさらに要求され、英語で書かれた資料、論文などを読みこなし、レポートも英語で作成しなければならない。社会に出ると公文書はすべて英語、大統領の演説も英語で行われるなど、まさに国際社会が国内で実践されており、人口の10%が海外で働く(OFW)というボーダーレスの社会だ。 この国際社会を担っているのは、子供のころ、英語が母国語でタガログ語が話せなかった上層の子供たちで、下層の子供達は、上層の子供達の下で運転手、セキュリティガード、建設労働者、メイド、ウエイトレスなどとして、親から受け継いだ貧困を継続し、分厚い貧困層を形成しているのだ。この二つの階層を区分する制度・法律あるいは慣習などはなく、誰でもこの境界線を自由に行き来できる。しかし、私立幼稚園そして私立学校の学費、年間5万~10万ペソをまかなうことは、高々5千~1万ペソ/月の収入しかない貧困層にとって、まさに不可能なことなのだ(おまけにKIANは公文、英語の家庭教師、ピアノ、そして近々テコンドーを習い、月々一万ペソ近い月謝がかかっている)。ここにフィリピン特有の階層社会を形成する原点があるのだろう。さらに、フィリピンには富裕層という特別な階層が雲の上にあるのだが、その辺は、私にとって身近に観察することはできない。上層、下層、そして富裕層と、単に貧富の差というよりも、フィリピンではお金が階層そのものを決めており、そこにキリスト教の説く、万人の平等は存在しないようだ。

KIANがタガログ語に挑戦 2016年7月9日



最近、生理学博士のメールマガジンで興味のある言葉が紹介されていた。それは「健康長寿、アンチエイジングの秘訣は教育と教養」という言葉だ。一体、何のことか想像がつかないが、実は駄じゃれで、「今日行く」と「今日用」、すなわち今日、行くところがあって、今日、用事があるということだ。当たり前の話だが、年を取って仕事もしなくなったとしても、体が弱ってきたとしても、毎日、行くところがあってやることがある、家庭あるいは社会生活においてなんらかの役割を持っているということが、健康長寿を実現する上で重要ということだ。たとえ100歳まで生きたとしても10年も、20年も寝たきりというのでは何の意味もない。ちなみに日本では、100歳の長寿を全うしているお年寄りの80%が寝たきりというが、それでは家庭あるいは社会に負担をかけるだけだで、逆に西洋では寝たきりは20%だそうだ。 この話をとある若い退職者の方にしたら、その方は、毎日、料理をしているという。料理は、何を作るか計画し、買い物に行って材料をそろえ、そして料理、さらに、それを家族といえるような人たちと楽しんで食べる。一つのプロジェクトが完結して、実に充実するという。しかも特に外国に居住している場合、自分の口に合うものがいつでも食べられ、フィリピン人の家族にも料理を自慢できるだろうし、また、食べることは人間の最大の本能、喜びであり、生きている証でもある。まさに一石3鳥だ。 ドンボスコの帰りにサイカで食事をするのがKIANと私の楽しみだ いくら料理といっても、それなりのテクと知識がなければ、まずくて口に入れることはできない。私としては、おいしい料理は外で楽しむことにして、仕事をしてその原資を稼ぐことにしている。しかし、それだけでは、ちょっと時間をもてあまし気味なので、KIANがドンボスコ・スクールに通い始めたのを機会に、出迎え役を買って出た。朝、6時半の見送りは、ちょっときついのでアティ・キムにまかせ、11時半の出迎えをして、そのあとランチ、さらに火曜と木曜は公文、月曜、水曜、金曜は英語の家庭教師に連れて行く。私の主な仕事は朝一で済ませて、11時にはドンボスコに向かい、午後は、公文か家庭教師、それに客との面会やデスクワークをする毎日だ。 アティ・キムは警察学校の受験のために浪人していたが、今回も失敗したので、あきらめてマプア工科大学(私立工科系大学の名門)に復帰することになり、昼間は時間がとれない。ママ・ジェーンは第2子(クッキー)を懐妊中で、動きにくい。そんなわけで私としてもKIANの出迎えという家族の重要な役割を担ったわけだ。私としてもKIANと一緒にすごせる時間が長くなるし、刺身などの家では食べられない料理を毎日食べられるし、それに健康長寿の秘訣の教育と教養で、一石3鳥となっている。 KIANも私の出迎えを毎朝「Can you pick up today」と確認に来るほど楽しみにしている。公文や家庭教師もしかりで、私が一緒に行って待っているということで、喜々として出かけていく。その時、ついでにPRAや銀行に行くのが楽しみなのだ。フィリピン人は大の子供好きだから、やんちゃなKIANはどこでも人気で、PRAや銀行に行くと方々からKIAN、KIANと声がかかる。 PRAでは職員と談笑し人気者のKIAN 受付の女の子とツーショットのKIAN、ちなみに美形のこの子はPRAの看板娘だ    そして事件が起きた。 ① KIANが公文の宿題をさぼってしまった。KIANは私に言い訳を言ってほしいとせがんだが、私は、自分で説明しろと話して、彼を教室へ入れた。私がトイレから出てくるとKIANの様子が変だ。先生に宿題のことを聞かれ、パニクッて、私に応援を求めようとしたが、トイレにいた私を見つけることができない。早速、なんとか言い訳してやったが、KIANは怒りに震え、体を硬直させている。KIANが危機的状況に陥っているにもかかわらず、私が消えてしまったことに対して怒っていたのだ。いろいろなだめたが、なかなおさまらない。大好きなタブレットを渡してゲームを始め、ようやくなんとかなったが、その日は教室に戻ることはできなかった。それ以来、公文に行くときは私はガラスドアの外に待機して、トイレにも行ってはいけないときついお達しがKIANから出ている。 […]

アンチエイジングの秘訣、教育と教養 2016年7月9日


7月1日(金)、第31回目の創立記念パーティがフィリピン・インターナショナル・コンベンション・センター(PICC)で執り行われた。午後4時スタートということで、3時半に家を出る予定だった。しかし、いつものことで、出がけにもたもたして、出発は4時を回ってしまった。ママ・ジェーンは、どうせ始まるのは5時だと、意に介さない。ちなみにPRAは朝の9時半にははやばやと事務所が閉まるとの話だった。 駐車場には大型の特製ジープニーが3台駐車していた。たまにはマカティ市内も走っているが、冷房つきの豪華ジープニーだ。きっと観光用に使われているのだろう 4時半近くになって、会場に到着したものの、周囲は人の気配がない。しかし、中に入ると、顔なじみのPRAスタッフが出迎えていたので一安心。先日、PRAの事務所でKIANに執拗に頬へのキスを迫った財務の女性スタッフが、KIANの手をつかんで離さない。KIANは迷惑そうに愛想笑いを浮かべていたが、どうも、KIANの好みのタイプではないようだ。問題は、ママ・ジェーンは一歩進むたびに「写真、写真」と叫んで、なかなか会場に近づくことができないことだ。妊娠、5ヶ月を迎えた彼女も安定期に入って、いよいよ本領発揮といったところだ。生まれてくる子は女の子だそうだがニックネームは「クッキー」と決まっていて、この10月末ごろにはKIANもお兄さんになることになる。そうなるとKIANは「クヤ・キアン」と呼ばれることになる。 この界隈は、マルコス時代にマニラ湾の埋立地に建設された大型の施設が並んでいる。後方にはソフィテル(フィリピンプラザ)ホテルが控えている 日本の京都でガイドをしている方が、「最近はフィリピンの観光客が多いが、ガイドの話を全く聞かないで、写真撮影に明け暮れているのであきれる」という話をしていた。さらにまた、このガイドさんが話していた観光客のフィリピン人とは、偶然にも私の知り合いのフィリピン人で、私が京都観光を薦め、さらにバスツアーが良いとアドバイスしたものだった。こんな話をとなりに座っていた退職者の奥さん(日本人)に話をしていたら、なんとそのガイドさんがこのパーティ会場に来ていて、私に挨拶に来たのだ。このガイドさんはフィリピンが好きで、定期的に尋ねて、私のところに立ち寄るのだが、そのガイドさんがらみの偶然の話をしていたら、そのガイドさん本人が偶然にも現れるという偶然のダブルとなった。 国の威信をかけて建設されたこれらの建造物はその広大な内部空間に圧倒される この写真撮影はパーティの開始から終了まで延々と続いて、一体、パーティに楽しみに来たのから写真を撮りにきたのか区別がつかないくらいだ。しかもフィリピン人は写真を取られることも大好きで、カメラを向けるとうれしそうにポーズをとる。さらに、写真をとるように催促してくることさえある。 パーティ会場の入り口にはたくさんのPRAスタッフが迎えてくれる。PRA看板娘の彼女はもはやKIANの友達だ GMのスピーチんいよると、1985年、マルコス政権の末期に設立されたPRA(Philippine Retirement Authority)も31年目を向かえ、会員も4000人を越え、世界100ヶ国をこえる国々から退職者も呼び込んでいる。その主たる国々は、中国、台湾、香港、韓国、日本、インド、アメリカ、イギリスなどだが、やはり中華系が圧倒している。これは、華僑という現象が退職ビザを使って脈々と続いているのだろう。ちなみにフィリピンには100万人の純粋な中国人が中国語を話し、中国文化を維持して暮らしており、さらに人口の10%、1000万人が中国の血を引いているというが、KIANもその一人だ。 観光大臣(DOT Secretary)をゲストに向かえ、得意げなポスター ママ・ジェーンの言うとおり、5時近くになってもパーティは始まる気配を見せなかった。それでも人々は、久しぶりに会った人と写真を撮ったりして退屈をすることはなかった。 PRAカバンサッグGMとしっかりカメラに収まったカーネル一家 […]

第31回PRA創立記念パーティ開催 2016年7月2日



いよいよ、ドテルテ新大統領-前ダバオ市長が6月30日、マラカニヤン宮殿での就任式に臨んだ。質素な服で行うと宣言していたが、本人も特注のバロンタガログを着て正装で式に臨み、おごそかな雰囲気で式が執り行われた。アキノ前大統領も式に参加してとりあえずなごやかに政権交代が実現した。 PRAの事務所におかれたTVでは新大統領の就任式の実況中継が行われていた 暴言と毒舌で人気を博したドテルテ新大統領だが、メディアからの攻撃に対して、露骨に憤慨し、「記者連中は、殺されても当然の汚職に手を染めている」と発言した。そのため、内外のメディア関係者から批判を浴びて、大統領就任中は一切の取材に応じないなどの強硬な態度に出て、この日も国営メディアのみが取材を許された。 大統領ともなるとそれなりの風格が出てくる ダバオ市長時代は、私設の「処刑団」を使って超法規的な治安対策を行い、大統領になったらマニラ湾は犯罪者の血で赤く染まるだろうなどと発言していた。だが、いざ大統領に当選したとなると、周囲の諌めもあるのか、この日は「司法手続きを順守し、法律には絶対に従う」と誓い、就任の宣誓式の後の演説も優等生のもので、ダバオ市のお山の大将から脱却しつつあるようだ。 4人の子供達につきそわれて宣誓を行うドテルテ新大統領。ちなみに、後ろに控える長女のサラは父親のあとを継いでダバオ新市長、長男のパオロは副市長となる。71歳にしては小さな娘がいるが、この娘にとって身近なお父さんが大統領になるなんて夢のような話だろう 一方、ロブレド新副大統領は、ケソン市の会場で、別途に就任式を行ったがこれは現行共和国憲法制定(1987年)以来のことらしい。ロブレド副大統領には何の役割を与えられる予定はなく、あくまでもドテルテ大統領なきあとの旧アキノ政権の伏兵としての役割を果たすものと見られている。エストラーダ政権が崩壊してアロヨ副大統領が政権の座についたのが2001年で、このことは大いに現実となりうるのだ。 アキノ前大統領とはなごやかな引継ぎが行われた 副大統領選挙に関しては、僅差で落選したボンボン・マルコス(マルコス元大統領の実子)が公式集計に不正があったとして、異議を申し立てたが、悪あがきとしてロブレド側も問題にしていない。 ニュースキャスターもバロンタガログの正装で司会をしていた  ドテルテ新大統領に指名されたビサヤ次期国軍参謀総長は、イスラム過激派アブサヤフの掃討作戦を実行すると、早々と過激派との対決姿勢を明確にしている。ちなみにビザや次期総長は、かつてアキノ大統領の実家のルイシタ農園で起きた農民のストライキを武力で強制排除するなど、強硬派として知られている。 日本のTVでも就任式の模様が放送された 次期国家警察長官デラロサは元ダバオ警察署長で、ドテルテ元ダバオ市長とは旧知のなかだ。やはり強硬派で、最近の麻薬密売人(容疑者)の警察による射殺が急増しているのも、ドテルテ-デラロサ路線の先取りと思える。 オバマ・アメリカ大統領と習中国・国家主席に挟まれた構図は南シナ海の領有権の行方を揶揄しているのだろうが、日本から見たフィリピンはそんな程度の位置づけでしかないのだろう  

ドテルテ新大統領が就任 2016年7月1日