その他


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6月1日からマニラ首都圏はGCQに移行して、封鎖が緩和され、社会経済活動が50%ほど復活した。一方、感染者は毎日数百人、一時は1000人を越えるなど収束というよりも拡大傾向にある。これは、PCR検査を増やしたためともいわれるが、日本と比べたら桁違いの感染者数だ。 ホットスポット化したスコーターエリア(スラム)に感染者が集中しているとはいえ、この時点で封鎖緩和どころではないはずだ。しかし、このまま封鎖を続けていたのでは庶民ばかりではなく国家の財政も破綻してしまうという危機意識から国民の経済と人の命のバランスをとろうと緩和に踏み切ったのだ。これはフィリピンばかりではなくて、世界全般の傾向でもあるが、我々の命は自分で守れということだ。 そんな状況を踏まえて、比較的経済的に余裕のある中間層以上が住むコンドミニアムやビレッジでは封鎖緩和前と同様の措置をとるのが一般的傾向だ。すなわち、自主的隔離、食料医薬品の買出し目的以外の外出禁止などを継続しているところが多い。特にコンドミニアムではそこから二人の感染者が出ると、局所的に厳しい封鎖措置が取られるので、住民にとっては大迷惑となってしまうためでもある。 来週月曜(6月8日)から業務を再開するPRAからニューノーマルと称する業務手順がようやく発行された、それによると、オンラインを主体として、支払は銀行振り込み、書類の提出はドロップボックスないし郵送、面会は、最小限にするためにあらかじめアポが必要で毎日限られた数の訪問者しか受け付けないという、これで業務が果たしてこなせるのかと疑いたくなるルールだ。採算など気にもしなくても良い役所だからこそ出来る芸当だろうが、我々代行業者泣かせの面倒なルールといえる。オンラインに慣れれば、かえって出かけて行く必要がなくなって楽になるかもしれないが、当面まごつくことは請け合いだ。しかし、感染防止と銘打てばなんでも通用する時代ではあるので従うしかない。 60歳以上は公的にも外出禁止の身の私としては、相変わらず家に閉じこもっての暮らしだが、人知れずに戦っていることがある。その敵は自分のウンチだ。私とウンチとの格闘は2017年の名古屋旅行、飛騨高山の宿ではじまった。詳細は下記のブログを参照願いたいが、その後、自己流精進料理、特に豆乳で克服して、さらに豆乳ヨーグルトに進化して、勝利を不動のものとした、はずだったが、コロナで行方がわからなくなった。 参照ブログ「硬いウンチで便器が詰まってしまった 2017年6月11日」「自己流精進料理(朝食)の紹介 2018年9月2日」「 豆乳で自家製ヨーグルトに再度挑戦 2019年8月21日」 それが、今回のコロナ封鎖で、豆乳が手に入らなくなってしまって、作戦が狂ってしまった。1リットル入り豆乳パック4箱、3週間くらいのストックはあったのだが、それが切れて、摂取できなくなった。そうすると、一週間くらいで、それまで、ストンと出てきたものが、かなり気張らないと出なくなってしまったのだ。案の定、かなり立派な一物が便器の底に横たわっている。水を流してもしっかりと便器の底にへばりついてびくともしない。 我が家の駐車場にあるゲスト用トイレで用足しをすると、多少の大物もすっと流れてくれるので、これはあきらかに私のトイレの便器の欠陥で、何も私が異常に硬くて大きなウンチを出しているわけではない、はずだ。しかし、これをほっておくとメイドの噂になって、前出のブログのようにママ・ジェーンからきつい小言が出るはめになる。ウンチを柔らかく、小さめにといわれても、これだけは、おのれの意志に従ってくれないのでどうしようもないのだが。 そこでトイレに備えてある。如意棒(写真参照)というか、先端にゴムのお椀をひっくり返しにつけた棒を駆使して、便器内の溜まった水に圧力をかけて一緒にウンチを流すように心がけた。これは案外有効で何度か繰り返すと、流れてくれる。 一方、ウンチの改良計画は、豆乳が無いなら牛乳を使うことを思いついた。よく考えてみたら牛乳を使うのが普通のヨーグルトだ。日本食材店ハッチンで明治ブルガリアヨーグルトを2パック買ってきて、残ったヨーグルトを使って普通の牛乳で試したら、ものの見事にヨーグルトが出来た。しかし、1~2週間たってもウンチの様子に変化はなく、相変わらず豪快なウンチが出てくる。 そうなると如意棒は必須なのだが、ある日、如意棒が消えていた。これは一大事で、きっと誰かが持って行って返さないのだろうと、ママ・ジェーンに聞いてみると、ここでまた、大騒ぎになってしまった。 ジェーン曰く、如意棒の先端の部分にウンチがこびりついていて、床にウンチがついていて、極めて不潔である、したがって捨ててしまった。今後、一切、如意棒を使用しないこと、そして、トイレを清潔に使用することなど、えらい剣幕で告げられた。メイドの目を気にして、ウンチを流しておこうという気遣いが裏目にでたようだ。そうなると、流れない場合は、逆にそのままにして、いずれ流れるときを待つという作戦に出ることで合意した。 しかし、長いこと便器に茶色い水が溜まっているのは気分が悪い。そこで考えあぐねた末に編み出したのが、流す前にウンチを数センチ程度にぶつ切りにすることだ。歯ブラシの柄でも使ってやれば簡単に切れる。これで一発で流れた時は大いに達成感を味わえる。それでもたまには詰まるが、液体石鹸を入れて、2~3回流せば、なんとか流れてくれる。詰まっている時は便器にあふれるくらいに水が溜まってそろりそろりと流れるのだが、詰まっているウンチが流れるたあとは、ざぁーっと水が渦を巻いて流れて実に爽快な気分になる。いずれ便器を交換してこんな手間暇からおさらばしたいところだが、格闘はしばらく続きそうだ。 コロナで世間は大騒ぎだが、私は人知れず、トイレでウンチとの格闘に明け暮れている。これもコロナとの戦いの一部でもあるのだが。

コロナ戦争番外編(ウンチとの格闘)2020年6月6日


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8月5日追記:昨日、4日からのマニラ首都圏の隔離措置の強化(MECQ)に伴い、PRAならびに入管から、8月18日まで実質的に機能を停止するとの通達が発令されました。18日までの期限については感染状況次第で、逐次延期される可能性があるので、出入国、SRRV等のビザがらみの手続きについては留意してください。PRA通達(8.03)、入管通達(8.03) 8月3日追記:8月2日夜半、政府は、マニラ首都圏などの隔離措置を8月4日から18日まで再度、MECQに強化すると決定しました。これにより、主要な役所は閉鎖されるものと予測されます。これは、5000人/日を超える新規感染者に医療崩壊の危機が迫っているとの医療関係者の訴えによるものだそうです。緊急大使館情報(8.3) 7月31日追記:7月31日、政府は、マニラ首都圏などの隔離措置を従来と同様のGCQに、8月15日まで据え置く決定をしました。一方、外国人の入国が7月16日より若干緩和されたものの、SRRV、9gなどの一般的なビザでの入国は不可で、従来どおり、スケルトンと称する非効率な役所、公共施設の様々な制限、基本的な外出禁止などは継続されることになりました。緊急大使館情報(7.31) 7月20/21日追記:16日付の「長期ビザを保有する外国人の入国を許可する」という通達(IATF56)は、残念ながらクオータビザなどに限定されるもので、極めて限定的なものであることがPRA等からのヒアリングであきらかになりました。マニラ新聞などのメディアで、あたかも長期ビザ保有者全員が入国許可との報道がありましたが、それは過ちです。逆にこれら報道が正になるよう通達が変更されることを期待したいところです。さらに21日に大使館からの情報でも同内容のものが流れています。緊急大使館情報(7.21) 7月18日追記: 8月1日から長期ビザを保有した外国人の入国を許可するという政府通達が発行されました。ただし、通達を良く見ると「Foreign nationals with Long term Visa(Immigrant Visa under Sec.13 of […]

お知らせ



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師走も押し迫って、なにかとばたばたしている。特にフィリピンではクリスマス休みと年末年始の休みが連続するので、この2週間の10平日のうちなんと半分の5日(24、25、30、31、1日)が飛び石で休みとなる。したがってパスコも12月21日の土曜から翌年の1月5日の日曜までの16日間を休業としている。 こんな折に、某ユーチューバーの方から取材の申し込みがあった。「アキラ先輩」というユーチューブを運営しているが、「フィリピン移住サポートのプロとして、フィリピン移住について、話を聞きたい」というのだ。話そのものはいつもやっていることで何の問題もないのだが、私にとって具体的なユーチューブの作成に関わるなんてことは一度もないので、対応可能なのか一抹の不安がよぎった。 近所に住んでいる息子に聞いてみると、ユーチューブ「アキラ先輩」のファンであり、よく視聴しているとの反応だった。パスコの宣伝になると思い、二つ返事で了解した。条件としては、私がべらべらとカメラの前でしゃべるのではなくて、対談形式にしてほしいとお願いした。そうであれば、いつもの退職者との面談と何も変わらず、構えることなく、地で話せばいいだけのことだ。 タイトルはインタビューの後に決まったのだが「フィリピン実は...女性にとって天国だった件」というもので、この視点はアキラさんにとっては目から鱗の新鮮なものだったようだ。 さらに第二部は、介護や子育てで苦労している日本の現状に対してフィリピン流の家族主義で対処すれば何の問題もない、日本でだめならいっそフィリピンに移住してはという趣旨の話だ。

ユーチューブ(アキラ先輩)に出演2019年12月15日


キアンがMOAでTimexを手に入れた直後、ママ・ジェーンがパパ・カーネルの執務場所を見に行かないかと言い出した。それも良しと帰り際、ブエンジア通りからハリソン通りをを右に折れて、さらにリベルタッドの先のパサイ市役所に向った。因みにパサイ市警察は市役所と同じ敷地内にある。 この辺は私にとって大変なじみのある場所で、かつて足繁く通っていた場所でもある。ハリソン通りとリベルタッド通りの角の近くには外務省があってパスポートの発行や各種書類の認証を行っていた。そして夜は一変して、かつてのサリリン・アティンやミス・ユニバースなどの有名ナイトクラブがあったところなのだ。 キアンやクッキーに悟られないようにハリソン通りから窓の外を眺めていると、リベルタッド通りのすぐ近くに、最近、かつての名声を取り戻したという噂の(ミス)ユニバースの看板がまばゆいばかりに輝いていた。 カーネルの執務室は、専用のビルで受付を経由して会議室の奥にある。さらにその奥には寝室があって、週7日、24時間の過酷な勤務状況を連想させるものだった。 しばらく、すると、ジェーンは家族一同で泊まるから、帰ってよいという。これはチャンスとユニバースに寄ろうかとよからぬことを考えていると、ヤヤは一緒に帰るとのこと。がっかりして帰る途中で、ヤヤは呼び戻されて、また警察に行って一緒に泊まることになった。当方の企みは、ママ・ジェーンにばればれだったのかも知れない。 穏やかでないのは運転役のアランで、この渋滞の最中、警察と家とを2往復することになったとぼやいていた。この日、ランサーのガソリンの減りが激しいので、原因は私だとか、ジェーンだとか言い争っていたが、これでジェーンが原因であることは自明の理だ。 翌日はキアンのピアノレッスンだが、彼らは、午後3時過ぎにようやく戻ってきたが、再びMOAを訪問したと聞いてあきれた。妊娠7ヶ月過ぎだというのに、ここのところのMOA通いは尋常でないものを感じる。確かに歩くことは妊婦にとっては良いことではあると思うのだが、度が過ぎているのではないか。

パサイ市警察・署長室訪問 2019年8月25日



私の息子、恵之に待望の子供(リオ、男の子)ができて一年ほどたった。日本から半年振りに返ってきた息子が、どうしてもリオがなついてくれない、と悩んでいた。その内なれるさと、気にも留めなかったが、私自身、実は抱っこさせてもらったことがなかったのだ。 そんなおり、リオの一歳の誕生日を兼ねたバプティスマルに、嫁の実家のヌエバエシアに招待された。そこで息子は、リオを抱っこすれば泣かれて、せっせとご機嫌取りをするものの、子供を持ったという気分がしないとぼやいていた。リオはいつも近くにいたおばさんやおじさんにべったりで、この人たちはリオをわが子と勘違いしているのではないかというくらい可愛がってくれていたが、息子としては返って納得がいかない。一体誰が親なんだと。 息子夫婦は私の住まいの近所に住んでいるのだが、毎朝、息子がリオを抱っこして家に連れてくる。そうこうする内に、リオは息子に散歩をねだるようになり、かつ息子が一人ででかけようとすると泣き出してどうしようもないと、息子が逆にぼやき始めたのだ。しかしながら、私が手を差し出してもそっぽを向いて絶対に寄ってはこない。 逆に一緒に住んでいるクッキーは分け隔てなく愛想を振りまいてくれるし、キアンにあっては、本人どころかママ・ジェーンまで私無しでは生きていけないとまで言い切る。友達や外で他人と話をする時はもはや少年の趣を見せるキアンだが、私の前ではいまだに赤ん坊のままだ。 血のつながりは親子の愛情とは何の関係もないのか、と疑問に思うが、私の持論は「わが子だから可愛いのではなくて、一緒に暮らしていると愛情ホルモン(オキシトシン)が出て愛情を抱くようになる」というものだ(脳内革命、第2弾 2014年5月10日)。だから離れて暮らしている父親が、いくらわが子だからと思っても、本能の赴くままに生きる赤ん坊にとっては血縁などはどうでもよいのだ。要はそばにいて面倒を見てくる人が大事なのだ。しかし、それだけでは判定できない挙動を幼児が示すことに気がついた。 マイカティ・スクエアの地下に「満腹」という焼肉レストランがある。まあ、こんな場所にと思っていたが、試しに覗いてみたら、意外といける。特に並み焼肉セット(1300ペソ)は大人4人が十分食べられる代物だ。ちょっと高いがステーキ(850ペソ)も量が多くて二人で食べて丁度よい。 ここに、キアン、クッキー、それにリオを連れて行った。ミルクが主食のリオはひとしきりすると寝てしまうが、2歳になったクッキーは遊びまわっている。そしてウエイトレスの面々に抱っこされて上機嫌だ。そこでご主人が優しく手を差し伸べると、クッキーは態度を豹変させてそっぽを向いてしまったのだ。 そして年明け、そんな命題も忘れかけていたころ、退職者の方を外の道路まで送るために歩いていたら、ヤヤに連れられたクッキーとすれ違った。そうすると、クッキーは退職者の笑顔に対して、恐怖に引きつったような顔をしてヤヤに抱きついたのだ。退職者の方も訳がわからないという顔をしていた。 息子夫婦は嫁とリオの日本入国ビザを無事にとって、かつ自分自身の13a(配偶者ビザ)もぎりぎりで取れて、先日、3月1日、晴れて日本に出かけて行った。目的は、お婆ちゃんや、おじさん・おばさん、それに従姉妹たち(要は私の家族)にリオをお披露目することだ。それからもちろん嫁の強い日本旅行への思いを果たすこと。 出発前からお婆ちゃん(私の妻)の熱い思いが伝わってきた。なぜか、孫に会えるということで感激しているというのだ。私にはちょっとわからない感情なのだが、まだ見ぬ肉親に恋焦がれていたのだ。 そして、面会を果たしたら、直ちに抱きしめて離さそうとしなかったそうだ。近所に住んでいる私の息子(三男)には二人の女の子、9才と6才がいるのだが、彼女たちの可愛がりようも尋常ではなかったらしい。 リオが女好きだというわけでもあるまいが、私にはいまだに抱っこさせないくせに、彼らには会う早々からべたべたなのだ。どうもこれは愛情ホルモンだけの問題ではなさそうだ。 ライオンは群れを乗っ取ると、まず子ライオンを食い殺して、メスを発情させ自分の子を宿すようにするそうだ。そしてライオンをはじめ多くの動物は雌が共同で子育てをする。オスはいつも自分の縄張りを守ることに必死で家族を守っている。すなわち動物の赤ちゃんにとって外部のオスは自分を食い殺す恐ろしい存在で、メスは自分の親でなくても面倒を見てくれる優しくて頼りになる存在なのだ。 幼児に男と女を見分けることができるのか、あるいはそんな智恵を持っているのかという気もするが、長い動物の歴史の中でDNAに刻み込まれた本能なのではないか。そもそも恐怖という感情は身を守るためのセンサーで逃げる/避けるという行動のスイッチなのだから、幼児は外部のオスにたいしてそのスイッチがはいるという本能を持っているに違いない。 ちなみにリオの警戒心は父親の友人などすべての男を遠ざけ、唯一おメガネにかなったのがおじさん(介哉、私の三男坊)だけだったそうだ。介哉の分析によると、父親の恵之と声が似ているからに違いないというものだが、女の声は赤ん坊にとって安心感、男の声は恐怖心を与えるものなのだそうだ。

幼児は何故大人の男を避けるのか 2019年3月19日


クッキーが歩き始めて以来、つたい歩きも含めて、家の中を縦横に歩き回っており、外では、得意のダンスを披露してご近所の注目を集めている。そんなクッキーの洗礼式の時がやってきた。予算の都合で、大分遅めの洗礼式(Baptismal)となったが、2月10日、午後3時半、場所は、キアンの時と同じSacred Heart 教会、両親の結婚式もここで行った馴染みの教会だ。場所は、パソンタモ通り(Chino Roces Av.)からカマゴン通り(Kamagong)を東に向かって二つ目の角、Sacred Heart St.の 交差点にある。 キアンのバブティスマル 2010年10月15日 いよいよクッキーもクリスチャンとして社会にデビューする記念すべき日となるが、披露宴はデュシットホテル(Dusit Thani Hotel)一階の右奥、The Pantryに100人ほどのゲストを招いて行うという豪勢なものだ。また、パパ・カーネルの昇進祝い(Senior Superintendent)も兼ねるそうなので、滅多にない機会なので、是非多くの方の出席を期待したい。出し物としては、キアンのピアノ演奏とダンス、さらにはクッキーの腰振りダンスを披露する予定だ。 […]

クッキーの洗礼式のお知らせ 2018年1月21日



2018年1月1日追記:ここ最近、夜、部屋で休んでいるときに再度、パスワードの回復に挑戦した。やることは、再び、思い当たるパスワードを入れてみること、さらにペットの好物を手当たりしだに入れてみることだ。しばらくやると、限度ということでやれなくなってしまうが、そうしたら翌日チャレンジする。そして、昨夜、12月31日に、紅白歌合戦のさなか、ついにアクセスできたのだ。頬をつねってみたが夢ではないようだ。そのパスワードとは、何のことはない、今使っている新生銀行のネットバンキングのパスワードだったのだ。時期的にそれを使うことはありえないという思い込みで試さなかったものだ。 私にとって、2017年、最大のニュースであり、最大の贈り物だった。一時は今のビジネスもそろそろ潮時かと思っていたくらいだから、こうなると、後、5年は頑張らなければならないという気になってきた。一方、Yahooメールが使えなくなるかもしれないという危機感から、G-メールやLINEにも挑戦せざるを得なかったのはとんだメリットでもあった。 12月15日追記:そして、旧知のPRAスタッフにお願いして、japandeskのメールアドレスを探すように頼んだが、結論として不可だった。今のところ、これ以上の手は思いついていない。 12月8日追記:最近、私が、インターネットの達人と称する在比の子育てママさんにヤフーメールのパスワードを探り当てるため事務所にご足労願った。イントラムロスのツアーで、その話をしたら、日を改めてわざわざ事務所においでいただくことになったのだ。ブラウザーはFIREFOXを使っているのだが、私のパソコンの中にヤフーメールを立ち上げた際の入力情報が残っているはずだというのだ。そして、見事にパスワード入力の記録を探り当てたのだ。しかい、不幸にも、私が認識しているものと同じパスワードで、やはり使えない。もし、後からパスワードを変えたとしたら、それはFIREFOXには残っていないのだそうだ。 次にトライしたのは、連絡用のE-メールアドレスだ。何を使ったのか皆目見当が付かなかったのだが、ヒントとして j・・・@p・・・となっている。すぐに思いついたのが、japandesk@pra.gov.ph であり、PRAで働いていたときに使っていたものだ。しかし、このメールアドレスにパスワードないしコードが送られるので、それをあけることができなければ意味がないとあきらめた。 しかし、もしかしたら、PRAに頼んで新たにこのメールアドレスを復活して、ヤフーからのコードを受け取ってもらって、それを入力すればパスワードを回復することができるかもしれない。ためしにjapandeskのアドレスを入力したらヤフーに受け付けられたので、一歩前進だ。ためしにjapandesk宛にメールを送ってみたら、やはり、このアドレスは、もはや登録されていなかった。次はPRAにねじ込んで、japandeskのメールアドレスを復活してもらうことだ。 2003年に今の携帯電話を使い始めて、知らぬ間に14年という歳月が流れてしまった。その間、アップルの i ホンの登場により、スマホにあらずんば携帯にあらずとばかり、日本そしてフィリピンの100%の人がスマホを使っているのではないかと思うほどの状況になっている。私自身、比較的新しいものが好きなので、1990年代、まだ企業の駐在員時代、私が運営を担当していたフィリピン子会社と日本の本社との間に専用回線を引いてLANでつないだり、E-メールにもいち早く対応し、さらに、あの馬鹿でかい当時の携帯も使い始めた。 現在のビジネスでは、E-メールを駆使し、Skypeもいち早く使ってもみたが、携帯はノキアの安物でローマ字や英語でメッセージを送ることに慣れ親しんできた。長電話が苦手な私は、添付書類も自由に送受信ができるE-メールを使って交信することを得意としたが、それがスマホの使用を遅らせる原因にもなったようだ。一方、携帯に限らず、私は、ものもちの良い方で、気に入った道具はとことん使い込む。10年間、使い続けるというのは必ずしも長いほうではなくて、腕時計はシチズンの安物を25年、爪切りはドイツ製の高級品を30年(ただし2個目)使い続けている。 10年以上使いこんだノキアの携帯、価格は1200ペソ程度、小さくてシンプルな機能が返って好ましい チタン製の防水腕時計、シチズン・アテッサ。25年前、ダイクマで9千円ほどで買い求めたが、いまだに故障無し、シンプルでにかく軽いのが魅力だ JA. Henckelと刻印が打たれ、折りたたみ式詰め切り。たたむと極めて薄型のすぐれものだ。30年前にドイツを旅行した際に買ったのだが、10年ほど使って、取っ手が折れてしまい、20年前、部下が出張した折に再度買ってきたもらった。値段は忘れたが数千円はしたと思う […]

ついにスマホを買いました 2017年11月28日、12月8日、12月15日、1月1日追記


しばらく前、ヒアリが日本に上陸したと大騒ぎになった。そのヒアリと思われるアリがビコールの農場にもいたのだ。東南アジアでは珍しくもないアリだそうだがその攻撃力は、すさまじいものがある。 子供の頃、赤アリと呼んでいた小さ目のアリの一種だが、大きな黒アリが赤アリに遭遇すると黒アリが飛んで逃げる様を観察したことがある 十数年前、まだ、ビコールの農場を開発中のことだが、素足にサンダルで畑に入ったら、小さなアリが足に這い上がってきた。不注意にもアリ塚を踏んづけてしまったのだ。その瞬間、足に衝撃が走った。あわてて振り払ったが、数箇所噛まれてしまった。たいしたことはあるまいと、たかを括っていたが、その後、足全体が腫れ上がって、数日後には歩くことさえ出来なくなってしまった。抗生物質を呑んで腫れは引き始めたが、それ以来、畑には決して素足をさらけ出して踏み入ることはないよう肝に銘じた。 幸いなことにこのアリが家の中に入り込んでくることはなく、生活圏で遭遇することはない。一方、地元の人間がこのアリに噛まれたという話も聞かない。ヒアリの話を息子にしたら、数年前、息子もこのアリの攻撃を受けてひどいめにあったそうだ。ヒアリが世間を騒がせている折、探してもらったのが下の写真だ。ヒアリに噛まれた経験というも日本人にとっては貴重な体験に違いない。 ヒアリに噛まれた息子の足 

ヒアリの恐怖 2017年11月5日



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昨年10月、クッキーが誕生するころ、肩にできたこぶの切除の手術を行った。ちょっと膨らんでいるだけで、痛くも痒くもないのでほっとおいたのだが、ママ・ジェーンのたっての勧めで、しかも知り合いの整形外科の大家が只でやってくれると言うので、手術に踏み切った。手術そのものはどうってことはなかったのだが、その後の傷跡の治癒に大変な思いをした。 糖尿病を抱えていると、手術が大変難しいそうで、事前に血糖値の検査を行い、OKが出た。傷口も数週間もすればふさがるはずだった。しかし、膿んでいるわけではないのだが、皮ができず、傷口が開いたままの状態が、半年位続いた。件の医師もさじを投げて、サード・オピニオンということで日本人クリニックに行った。傷口を洗って、消毒薬で消毒して、軟膏を塗って大型のバンドエイドでふさぎ、2日に一回交換し、さらに一週間ほど抗生物質をとる。やることは一緒だが、医者が首を傾げるほど傷口が回復しない。傷口からはかなりの体液が浸み出てくるが、膿んでいるわけでも傷口が深くなるわけでもない、小康状態が延々と続いた。 傷口がふさがって、ついに回復の兆しが見えた。ここまで来ればしめたものだ 正月、そしてホリーウイークに農場で滞在した際は、マロンガイの葉の汁を塗りつけ、かさぶたを作ったりする民間療法も試みたが、結果は思わしくなかった。件の手術をした医師は心配してジェーンに様子を聞いてくるが、へたをすると手術跡をえぐり取る再手術が必要になると脅かす。年のせいで免疫力、回復力が落ちているのかと思ったが、日本人クリニックの医者は、そんなことはないと言う。そうなったら年寄りは一切手術ができないことになってしまうことになってしまうと言っていた。 こんな大型バンドエイドを一年近くも貼っていたのだが、これが取れる日は永久に来ないものだとあきらめ始めていた そこで一大決心をしたのが、断酒だ。酒を飲むと抗生物質も効かず、傷の回復も遅れるという。糖尿病も免疫力が落ちて傷がなおらないそうだ。生活習慣を正して、ひたすら根気良く回復を待つ、これしかない。しばらくしたら傷口が皮で覆われ始めて、みるみる小さくなっていったのだ。そして苦節、11ヶ月、一周年目前でバンドエイドを取ることができた。一方、2月の名古屋出張以来悩まされていた便秘も8月あたりからいつの間にか消えて、快食快便が続いている。 傷口もまったくふさがって完治の日が近い しかし、一難去ってまた一難、7月ごろ、今度は突如として指が痛くなった。初めは就寝中に手がしびれて、目が覚めるほどになった。しばらくしたら、痺れは治まってきたものの、右手の中指、左手の小指と薬指、それに親指が痛い。そのためこぶしが握れず、そらすこともできないくて、物を持つのが難儀になってしまった。強くこぶしを握ると自力で指を伸ばすことができず、無理に伸ばすとパキンと跳ね上がる。古希の祝いということで日本に帰った時、女房がこれは「はね指」だと教えてくれた。年をとるのはめでたくても、今まで経験したことがないような体の不具合が出てくるのは、身体の耐用年数を迎えつつある年寄りの宿命ともいえるのだろうか。 折り曲げた薬指を自力で伸ばすことができず、別の手で跳ね上げてやらねばならない 指が痛いということで、手を使わないでいると、関節が固まってしまうのではないかと心配して、指を動かすように心がけた。それを聞いていた孫娘が、あとから卵のような形をした水風船を送ってきてくれた。これを握る運動をするという良いというわけだ。ちなみに伸ばせなくなった指を跳ね上げるのがキアンはなぜか大好きだ。しかし、後から女房が調べて、はね指は動かしてはいけないそうだと言ってきた。 握り卵とでも言うのだろうか、ふにゃふにゃの手触りの変わったおもちゃだ フィリピンで整体師などはいないので、一体誰に相談したらよいのかわからない。あてずっぽうでマカティ・メディカルの受付で聞いてみたら、Hand Specialist の Tacata先生を紹介してくれた。飛び込みなので、待つこと2時間、先生はちょっと手に触れてみて、直ちに「トリガー・フィンガー(引き金指)」と診断した。朝から、5人ほどの患者の治療を行ったそうで、ひざの関節と一緒で、痛みは、加齢で軟骨が磨り減ったためたと説明してくれた。まずは、試しに右手の中指に注射をして、結果がよかったら2週間後に左手を治療することになった。注射一本の治療代は3800ペソ、これは無保険の値段だ。ちなみに何を注射したかは、説明を聞いてもよくわからなかったが、痛み止めではなくて、関節の軟骨の修復をするらしい。 […]

肩の傷とはね指 2017年11月4日


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兼ねてより、婚活、子活に励んでいた息子(次男)についに待望の子供(男の子)が授かった。ここ数年、フィリピンで婚活に精を出していた息子だが、齢40歳を越え、少々焦りの色が見えていた。昨年の9月半ば過ぎより、意中のフィリピーナと同棲を始めて子作りに励んでいたのだが、昨年末、妊娠し、9月16日、めでたく出産の運びとなった。息子は6月から8月末までは日本で仕事をして、帰国早々のおめでたでタイミング的には絶妙だった。名前はRhio、日本名は璃音(リオ)とする予定で、フィリピンでも日本でも通用する名前だ。 数日前にヌエベエシアの実家から親子でマニラに戻ってきて、一昨日の夜、初対面となったが、まだまだいわゆる赤ちゃんで2~3ヵ月後には一皮むけて可愛くなるのだろう。しかし、息子にとってはすでに、いとも可愛いらしい。誰に似ていると聞かれてもなんとも判断できなかった。 頭につけた赤い十字は「神のご加護を」という意味らしい しかし、9月早々に帰国した息子にとって、きわめてはらはらどきどきの展開となった。赤ちゃんの母親とはまだ婚姻手続きをしていないので、未婚の出産となる。したがって父親として認知が必要だ。フィリピン式であれば、出生証明にサインさえすれば息子の子供と認められて息子の姓を名乗ることが出来る。その後、結婚したとしても、正式書類としては婚姻証明と出生証明があるだけなので、手続きとしては完璧だ。しかし、日本の場合は、戸籍というものがあるので少々ややこしい。両親が結婚していれば、自動的にその戸籍に入るが、そうでない場合は、どちらかの戸籍にはいることになるのだろうが、詳しいことは経験してみないとわからない。 未婚でしかも両親の国籍が違うとなると、一体どうなるのか、息子の依頼で大使館でヒアリングをして重大なことが判明した。息子は、いずれ結婚して、子供の認知届を大使館に提出して戸籍に入れればよいと軽く考えていた。しかし、戸籍に入れるということと日本国籍を取得するということは別問題であり、並大抵の手間ではないというのだ。大使館のHP参照「認知された子の日本国籍取得手続き 」 ジェーンの二人目の子供クッキーとご対面。もうすぐ一歳のクッキーだが、いつのまにか赤ちゃんを卒業していた 両親が未婚の場合、フィリピン人の母親から生まれた子供は自動的にフィリピン国籍となる。したがって、後日、日本人の父親が認知をしたとしても別途の国籍取得の手続きが必要となる。一方、出生前、すなわち胎児認知をした場合、子供は出生と同時に日本国籍を取得することができて、単に大使館に出生から3ヶ月以内に所定の出生届けを提出するだけでよい。その場合、その子供の戸籍謄本が別途作られるとのこと。要は日本人として出生するかそうでないかという大きな違いがあるのだ。 そこで息子は9月早々に帰国して、10月半ばの出産予定までの間に胎児認知をする段取りをすることにした。息子はフィリピン帰国後、早速、妻(ただし未婚)の田舎に行って所定の書類をそろえて大使館に胎児認知の手続きをした。しかし、なんと妻の親の名前が出生証明と独身証明とで食い違っていると拒否されてしまったのだ。単にミドルネームがあると無しの違いだけなのだが。そのため、再度、4時間かけて妻の実家にとんぼ返りをして書類を整えに行った。証明書を発行するNSOは車で一時間半のカバナツアンにあり、身重の妻を伴って息子の苛立ちは想像に難くない。 キアンには二人目の兄弟できたようなものだ そのことが、祟ったのか、その日、妻が破水してしまい、急遽、帝王切開で出産しなければならないはめになった。とんぼ返りでマニラに戻って大使館に駆け込んで胎児認知の申請を行って受理されたものの、同時に、妻からすでに出産したとの連絡があった。出生証明の日付をずらせないものかなど頭をかすめたが、すべての努力が水の泡となってしまった。さらに結果的に出生後に胎児認知を行うという嘘の申請をしたことにもなって、子供が生涯日本国籍を取得することが出来ないのではないかという危惧も心を痛めた。こうなったら、胎児認知届の取消、婚姻手続き、認知届け、そして国籍取得手続きと、じっくり取り組んでいくしかないが、お役所仕事にため息をついていた。 いずれにせよ、40過ぎで子供を授かった息子の喜びは尋常ではなくて、マニラと田舎を4時間かけて毎日のように往復するのもいとわないようだ。

フィリピンで孫が誕生しました 2017年9月29日