その他


クッキーが歩き始めて以来、つたい歩きも含めて、家の中を縦横に歩き回っており、外では、得意のダンスを披露してご近所の注目を集めている。そんなクッキーの洗礼式の時がやってきた。予算の都合で、大分遅めの洗礼式(Baptismal)となったが、2月10日、午後3時半、場所は、キアンの時と同じSacred Heart 教会、両親の結婚式もここで行った馴染みの教会だ。場所は、パソンタモ通り(Chino Roces Av.)からカマゴン通り(Kamagong)を東に向かって二つ目の角、Sacred Heart St.の 交差点にある。 キアンのバブティスマル 2010年10月15日 いよいよクッキーもクリスチャンとして社会にデビューする記念すべき日となるが、披露宴はデュシットホテル(Dusit Thani Hotel)一階の右奥、The Pantryに100人ほどのゲストを招いて行うという豪勢なものだ。また、パパ・カーネルの昇進祝い(Senior Superintendent)も兼ねるそうなので、滅多にない機会なので、是非多くの方の出席を期待したい。出し物としては、キアンのピアノ演奏とダンス、さらにはクッキーの腰振りダンスを披露する予定だ。 […]

クッキーの洗礼式のお知らせ 2018年1月21日


2018年1月1日追記:ここ最近、夜、部屋で休んでいるときに再度、パスワードの回復に挑戦した。やることは、再び、思い当たるパスワードを入れてみること、さらにペットの好物を手当たりしだに入れてみることだ。しばらくやると、限度ということでやれなくなってしまうが、そうしたら翌日チャレンジする。そして、昨夜、12月31日に、紅白歌合戦のさなか、ついにアクセスできたのだ。頬をつねってみたが夢ではないようだ。そのパスワードとは、何のことはない、今使っている新生銀行のネットバンキングのパスワードだったのだ。時期的にそれを使うことはありえないという思い込みで試さなかったものだ。 私にとって、2017年、最大のニュースであり、最大の贈り物だった。一時は今のビジネスもそろそろ潮時かと思っていたくらいだから、こうなると、後、5年は頑張らなければならないという気になってきた。一方、Yahooメールが使えなくなるかもしれないという危機感から、G-メールやLINEにも挑戦せざるを得なかったのはとんだメリットでもあった。 12月15日追記:そして、旧知のPRAスタッフにお願いして、japandeskのメールアドレスを探すように頼んだが、結論として不可だった。今のところ、これ以上の手は思いついていない。 12月8日追記:最近、私が、インターネットの達人と称する在比の子育てママさんにヤフーメールのパスワードを探り当てるため事務所にご足労願った。イントラムロスのツアーで、その話をしたら、日を改めてわざわざ事務所においでいただくことになったのだ。ブラウザーはFIREFOXを使っているのだが、私のパソコンの中にヤフーメールを立ち上げた際の入力情報が残っているはずだというのだ。そして、見事にパスワード入力の記録を探り当てたのだ。しかい、不幸にも、私が認識しているものと同じパスワードで、やはり使えない。もし、後からパスワードを変えたとしたら、それはFIREFOXには残っていないのだそうだ。 次にトライしたのは、連絡用のE-メールアドレスだ。何を使ったのか皆目見当が付かなかったのだが、ヒントとして j・・・@p・・・となっている。すぐに思いついたのが、japandesk@pra.gov.ph であり、PRAで働いていたときに使っていたものだ。しかし、このメールアドレスにパスワードないしコードが送られるので、それをあけることができなければ意味がないとあきらめた。 しかし、もしかしたら、PRAに頼んで新たにこのメールアドレスを復活して、ヤフーからのコードを受け取ってもらって、それを入力すればパスワードを回復することができるかもしれない。ためしにjapandeskのアドレスを入力したらヤフーに受け付けられたので、一歩前進だ。ためしにjapandesk宛にメールを送ってみたら、やはり、このアドレスは、もはや登録されていなかった。次はPRAにねじ込んで、japandeskのメールアドレスを復活してもらうことだ。 2003年に今の携帯電話を使い始めて、知らぬ間に14年という歳月が流れてしまった。その間、アップルの i ホンの登場により、スマホにあらずんば携帯にあらずとばかり、日本そしてフィリピンの100%の人がスマホを使っているのではないかと思うほどの状況になっている。私自身、比較的新しいものが好きなので、1990年代、まだ企業の駐在員時代、私が運営を担当していたフィリピン子会社と日本の本社との間に専用回線を引いてLANでつないだり、E-メールにもいち早く対応し、さらに、あの馬鹿でかい当時の携帯も使い始めた。 現在のビジネスでは、E-メールを駆使し、Skypeもいち早く使ってもみたが、携帯はノキアの安物でローマ字や英語でメッセージを送ることに慣れ親しんできた。長電話が苦手な私は、添付書類も自由に送受信ができるE-メールを使って交信することを得意としたが、それがスマホの使用を遅らせる原因にもなったようだ。一方、携帯に限らず、私は、ものもちの良い方で、気に入った道具はとことん使い込む。10年間、使い続けるというのは必ずしも長いほうではなくて、腕時計はシチズンの安物を25年、爪切りはドイツ製の高級品を30年(ただし2個目)使い続けている。 10年以上使いこんだノキアの携帯、価格は1200ペソ程度、小さくてシンプルな機能が返って好ましい チタン製の防水腕時計、シチズン・アテッサ。25年前、ダイクマで9千円ほどで買い求めたが、いまだに故障無し、シンプルでにかく軽いのが魅力だ JA. Henckelと刻印が打たれ、折りたたみ式詰め切り。たたむと極めて薄型のすぐれものだ。30年前にドイツを旅行した際に買ったのだが、10年ほど使って、取っ手が折れてしまい、20年前、部下が出張した折に再度買ってきたもらった。値段は忘れたが数千円はしたと思う […]

ついにスマホを買いました 2017年11月28日、12月8日、12月15日、1月1日追記



しばらく前、ヒアリが日本に上陸したと大騒ぎになった。そのヒアリと思われるアリがビコールの農場にもいたのだ。東南アジアでは珍しくもないアリだそうだがその攻撃力は、すさまじいものがある。 子供の頃、赤アリと呼んでいた小さ目のアリの一種だが、大きな黒アリが赤アリに遭遇すると黒アリが飛んで逃げる様を観察したことがある 十数年前、まだ、ビコールの農場を開発中のことだが、素足にサンダルで畑に入ったら、小さなアリが足に這い上がってきた。不注意にもアリ塚を踏んづけてしまったのだ。その瞬間、足に衝撃が走った。あわてて振り払ったが、数箇所噛まれてしまった。たいしたことはあるまいと、たかを括っていたが、その後、足全体が腫れ上がって、数日後には歩くことさえ出来なくなってしまった。抗生物質を呑んで腫れは引き始めたが、それ以来、畑には決して素足をさらけ出して踏み入ることはないよう肝に銘じた。 幸いなことにこのアリが家の中に入り込んでくることはなく、生活圏で遭遇することはない。一方、地元の人間がこのアリに噛まれたという話も聞かない。ヒアリの話を息子にしたら、数年前、息子もこのアリの攻撃を受けてひどいめにあったそうだ。ヒアリが世間を騒がせている折、探してもらったのが下の写真だ。ヒアリに噛まれた経験というも日本人にとっては貴重な体験に違いない。 ヒアリに噛まれた息子の足 

ヒアリの恐怖 2017年11月5日


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昨年10月、クッキーが誕生するころ、肩にできたこぶの切除の手術を行った。ちょっと膨らんでいるだけで、痛くも痒くもないのでほっとおいたのだが、ママ・ジェーンのたっての勧めで、しかも知り合いの整形外科の大家が只でやってくれると言うので、手術に踏み切った。手術そのものはどうってことはなかったのだが、その後の傷跡の治癒に大変な思いをした。 糖尿病を抱えていると、手術が大変難しいそうで、事前に血糖値の検査を行い、OKが出た。傷口も数週間もすればふさがるはずだった。しかし、膿んでいるわけではないのだが、皮ができず、傷口が開いたままの状態が、半年位続いた。件の医師もさじを投げて、サード・オピニオンということで日本人クリニックに行った。傷口を洗って、消毒薬で消毒して、軟膏を塗って大型のバンドエイドでふさぎ、2日に一回交換し、さらに一週間ほど抗生物質をとる。やることは一緒だが、医者が首を傾げるほど傷口が回復しない。傷口からはかなりの体液が浸み出てくるが、膿んでいるわけでも傷口が深くなるわけでもない、小康状態が延々と続いた。 傷口がふさがって、ついに回復の兆しが見えた。ここまで来ればしめたものだ 正月、そしてホリーウイークに農場で滞在した際は、マロンガイの葉の汁を塗りつけ、かさぶたを作ったりする民間療法も試みたが、結果は思わしくなかった。件の手術をした医師は心配してジェーンに様子を聞いてくるが、へたをすると手術跡をえぐり取る再手術が必要になると脅かす。年のせいで免疫力、回復力が落ちているのかと思ったが、日本人クリニックの医者は、そんなことはないと言う。そうなったら年寄りは一切手術ができないことになってしまうことになってしまうと言っていた。 こんな大型バンドエイドを一年近くも貼っていたのだが、これが取れる日は永久に来ないものだとあきらめ始めていた そこで一大決心をしたのが、断酒だ。酒を飲むと抗生物質も効かず、傷の回復も遅れるという。糖尿病も免疫力が落ちて傷がなおらないそうだ。生活習慣を正して、ひたすら根気良く回復を待つ、これしかない。しばらくしたら傷口が皮で覆われ始めて、みるみる小さくなっていったのだ。そして苦節、11ヶ月、一周年目前でバンドエイドを取ることができた。一方、2月の名古屋出張以来悩まされていた便秘も8月あたりからいつの間にか消えて、快食快便が続いている。 傷口もまったくふさがって完治の日が近い しかし、一難去ってまた一難、7月ごろ、今度は突如として指が痛くなった。初めは就寝中に手がしびれて、目が覚めるほどになった。しばらくしたら、痺れは治まってきたものの、右手の中指、左手の小指と薬指、それに親指が痛い。そのためこぶしが握れず、そらすこともできないくて、物を持つのが難儀になってしまった。強くこぶしを握ると自力で指を伸ばすことができず、無理に伸ばすとパキンと跳ね上がる。古希の祝いということで日本に帰った時、女房がこれは「はね指」だと教えてくれた。年をとるのはめでたくても、今まで経験したことがないような体の不具合が出てくるのは、身体の耐用年数を迎えつつある年寄りの宿命ともいえるのだろうか。 折り曲げた薬指を自力で伸ばすことができず、別の手で跳ね上げてやらねばならない 指が痛いということで、手を使わないでいると、関節が固まってしまうのではないかと心配して、指を動かすように心がけた。それを聞いていた孫娘が、あとから卵のような形をした水風船を送ってきてくれた。これを握る運動をするという良いというわけだ。ちなみに伸ばせなくなった指を跳ね上げるのがキアンはなぜか大好きだ。しかし、後から女房が調べて、はね指は動かしてはいけないそうだと言ってきた。 握り卵とでも言うのだろうか、ふにゃふにゃの手触りの変わったおもちゃだ フィリピンで整体師などはいないので、一体誰に相談したらよいのかわからない。あてずっぽうでマカティ・メディカルの受付で聞いてみたら、Hand Specialist の Tacata先生を紹介してくれた。飛び込みなので、待つこと2時間、先生はちょっと手に触れてみて、直ちに「トリガー・フィンガー(引き金指)」と診断した。朝から、5人ほどの患者の治療を行ったそうで、ひざの関節と一緒で、痛みは、加齢で軟骨が磨り減ったためたと説明してくれた。まずは、試しに右手の中指に注射をして、結果がよかったら2週間後に左手を治療することになった。注射一本の治療代は3800ペソ、これは無保険の値段だ。ちなみに何を注射したかは、説明を聞いてもよくわからなかったが、痛み止めではなくて、関節の軟骨の修復をするらしい。 […]

肩の傷とはね指 2017年11月4日



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兼ねてより、婚活、子活に励んでいた息子(次男)についに待望の子供(男の子)が授かった。ここ数年、フィリピンで婚活に精を出していた息子だが、齢40歳を越え、少々焦りの色が見えていた。昨年の9月半ば過ぎより、意中のフィリピーナと同棲を始めて子作りに励んでいたのだが、昨年末、妊娠し、9月16日、めでたく出産の運びとなった。息子は6月から8月末までは日本で仕事をして、帰国早々のおめでたでタイミング的には絶妙だった。名前はRhio、日本名は璃音(リオ)とする予定で、フィリピンでも日本でも通用する名前だ。 数日前にヌエベエシアの実家から親子でマニラに戻ってきて、一昨日の夜、初対面となったが、まだまだいわゆる赤ちゃんで2~3ヵ月後には一皮むけて可愛くなるのだろう。しかし、息子にとってはすでに、いとも可愛いらしい。誰に似ていると聞かれてもなんとも判断できなかった。 頭につけた赤い十字は「神のご加護を」という意味らしい しかし、9月早々に帰国した息子にとって、きわめてはらはらどきどきの展開となった。赤ちゃんの母親とはまだ婚姻手続きをしていないので、未婚の出産となる。したがって父親として認知が必要だ。フィリピン式であれば、出生証明にサインさえすれば息子の子供と認められて息子の姓を名乗ることが出来る。その後、結婚したとしても、正式書類としては婚姻証明と出生証明があるだけなので、手続きとしては完璧だ。しかし、日本の場合は、戸籍というものがあるので少々ややこしい。両親が結婚していれば、自動的にその戸籍に入るが、そうでない場合は、どちらかの戸籍にはいることになるのだろうが、詳しいことは経験してみないとわからない。 未婚でしかも両親の国籍が違うとなると、一体どうなるのか、息子の依頼で大使館でヒアリングをして重大なことが判明した。息子は、いずれ結婚して、子供の認知届を大使館に提出して戸籍に入れればよいと軽く考えていた。しかし、戸籍に入れるということと日本国籍を取得するということは別問題であり、並大抵の手間ではないというのだ。大使館のHP参照「認知された子の日本国籍取得手続き 」 ジェーンの二人目の子供クッキーとご対面。もうすぐ一歳のクッキーだが、いつのまにか赤ちゃんを卒業していた 両親が未婚の場合、フィリピン人の母親から生まれた子供は自動的にフィリピン国籍となる。したがって、後日、日本人の父親が認知をしたとしても別途の国籍取得の手続きが必要となる。一方、出生前、すなわち胎児認知をした場合、子供は出生と同時に日本国籍を取得することができて、単に大使館に出生から3ヶ月以内に所定の出生届けを提出するだけでよい。その場合、その子供の戸籍謄本が別途作られるとのこと。要は日本人として出生するかそうでないかという大きな違いがあるのだ。 そこで息子は9月早々に帰国して、10月半ばの出産予定までの間に胎児認知をする段取りをすることにした。息子はフィリピン帰国後、早速、妻(ただし未婚)の田舎に行って所定の書類をそろえて大使館に胎児認知の手続きをした。しかし、なんと妻の親の名前が出生証明と独身証明とで食い違っていると拒否されてしまったのだ。単にミドルネームがあると無しの違いだけなのだが。そのため、再度、4時間かけて妻の実家にとんぼ返りをして書類を整えに行った。証明書を発行するNSOは車で一時間半のカバナツアンにあり、身重の妻を伴って息子の苛立ちは想像に難くない。 キアンには二人目の兄弟できたようなものだ そのことが、祟ったのか、その日、妻が破水してしまい、急遽、帝王切開で出産しなければならないはめになった。とんぼ返りでマニラに戻って大使館に駆け込んで胎児認知の申請を行って受理されたものの、同時に、妻からすでに出産したとの連絡があった。出生証明の日付をずらせないものかなど頭をかすめたが、すべての努力が水の泡となってしまった。さらに結果的に出生後に胎児認知を行うという嘘の申請をしたことにもなって、子供が生涯日本国籍を取得することが出来ないのではないかという危惧も心を痛めた。こうなったら、胎児認知届の取消、婚姻手続き、認知届け、そして国籍取得手続きと、じっくり取り組んでいくしかないが、お役所仕事にため息をついていた。 いずれにせよ、40過ぎで子供を授かった息子の喜びは尋常ではなくて、マニラと田舎を4時間かけて毎日のように往復するのもいとわないようだ。

フィリピンで孫が誕生しました 2017年9月29日


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日本へ帰るとなるとお土産がかかせない。フィリピンからのお土産はドライ・マンゴ位しか思いつかないが、2年前の帰郷の時にブームとなっていたバージン・ココナッツ・オイルが嫁さんたちに大いにうけたので今回もそれで行くことにした。しかし、液体であるだけに重いのが欠点だ。1リットル入りを4本、500ccを7本、兄弟が多いのでかなりの本数になってしまったが、カバンが持ち上げられないくらいの重さ(約19kg)で預け入れ荷物の上限ぎりぎりだった。(ちなみに預け入れ荷物は一個当たり20kgまで、2個まで預けることができる) 最近キアンが凝っている和食レストラン「樹海」と併設されている日本・韓国食材店の在庫をほとんだ買い占めてしまった さらに兄弟会や古希の祝いでは、この4月に改訂3版が発行された拙著「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」を配ることにした。実を言うとマニラで事務所を訪れる方々が、少なからず、分けて欲しいと希望されるので、事前に20冊購入してもらい、持って帰ろうと思っていたのだ。しかし、20冊を目の前にして、その重さに驚いて、兄弟や息子に配ってしまおうと思い立ったのだ。 アマゾンなどのインターネットショッピングで購入したがその重量にびっくり 家に戻って、女房がお酒が届いていると話していた。そういえば、親しくしているフィリピン子育てママがお酒を送ると話していた。桐の箱を開けてみてびっくりしたのが、祝古希 和民 xx家一同 とラベルに印刷してあったのだ。初めはワタミ(和民)ブランドのお酒かと思ってみたが、どうもギフト用の特注品らしい。しかも、誕生当日(昭和22年1月11日)の読売新聞のコピーがついているという凝りようだ。このママさんは、情報通で名が通っているが、これまた、感激の一品だ。 焼酎は血糖値を下げるというので、よくオンザロックで飲むのだが、もったいなくてちょっと封を切る気にはなれない 昭和22年1月11日といえば、戦後間もないころだが、掲載されている記事の見出しは現在のものと大差がないようだ 次に、三男の嫁さんの実家からいただいたのが名前入りの壁掛け時計だ。かずたみがかづたみとなっているが、わざとそうしたらしい。たしかにかずたみよりしゃれている。これを壁にかけて、次は77を目指そうかなどという気になってくる。 これも特注の壁掛け時計、喜寿の祝いまで使い続けるつもりだ 息子達のギフトはカメラだった。防水、耐ショック、防塵のヘビーデューティの携帯デジカメだ。現在、使用中のカシオのカメラと同じタイプだが、いよいよ限界に近づいてきたので、物色中だったのを知ってプレゼントしてくれたようだ。私にとってはカメラは商売道具で、常に持ち歩いて、フィリピンの情景を撮影するのが仕事の一部だ。今までのカシオのカメラに比べて高性能だけに、ちょっと使い勝手が複雑で、少々重いのが難点だが、現状ではこのカメラがベストチョイスだろう。大型の一眼レフは使わないのかと聞かれたが、常に持ち歩くためにはポシェットに入らなければ無理だ。このカメラの作品が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」の改訂4版に掲載される日が果たしてくるかどうかだ。 オリンパスの同タイプ、Stylus TG-4 Toughと競い合ったがニコン COOLPIX AW130に軍配があがった 10年近く使い続けたカシオ、キアンが赤ちゃんの頃、床に何度も落としてこんな姿になってしまった。このカメラの後継機種がないのが残念だ […]

古希の祝いとフィリピンのおみやげ 2017年7月31日



還暦(60歳)をとうに越して、いよいよ古希(70歳)を迎えてしまった。古希の祝いに帰ってこないかとの誘いに、老骨に鞭を打って一週間の旅を決行した。正直な話、貧乏暇なしというのが本音で、客商売をほとんど一人で切り回している関係上、なかなか時間と金の都合が付かないのだ。 初日の曜日は家で、うだうだしていたが、二日目、火曜日は、三男の嫁と孫二人を連れて、あこがれのスカイ・ツリーに行ってみた。いまさらどこに行きたいということはないのだが、タワーとしては世界一高いスカイ・ツリーだけは興味があった。帰国するたびに成田からの道のりで電車から建設の進捗を毎回眺めていたこともある。 スカイツリーは後回しにして、まずは併設されている「すみだ水族館」に立ち寄った。最近、テレビでも紹介されたので、是非にということだった。この水族館はあたらしいだけあって、魚と水槽がモダンに配置されていて、生き物というよりもコンピューター・グラフィックを見ているような気がした。若いときに金魚に凝った時期があったので、さすがプロは違うと感慨にふけった。しかし2050円の入場料はきついものがある。 見事なあずま錦が泳ぐ様はまさに人間がつくった造形だ 丹頂もこれだけ集まると絵になる  次にスカイツリーに行ってみると、平日のせいか、ほとんど人はいないのだが、列を作るための広大なスペースが広がっている。きっとエレベーターのチケットを買うのに休日なら数時間、並ばなければならないのだろう。その中で、シニアが座って待てる場所があって、好感を覚えた。 フィリピンでは、シニアは、どこでも並ばず、割引ありの恩恵にあずかることができるが、日本でようやくシニアという文字にめぐり合うことができた  一人2060円も払ったエレベーターだが、ほんの数分で何の違和感もなく展望デッキに到着した。窓から見る地上はまさに地上を這いつくばる生物を天国からながめるといった感じの平面の世界だった。息子の嫁さんの話によると、先日訪れたとき、息子は、エレベーターのある塔の中心から一歩も離れることができず、ガラス窓から地上を見ることはできなかったそうだ。 正に箱庭というべき平面が続き、ここに大津波が襲ってきたら、という妄想が頭からはなれなかった 子供達は、一体何を思いながらこの非現実的景色を眺めているのだろう  展望デッキの下の階に下りると、床がガラス張りの部分がある。子供達はその上で跳ねて遊んでいたが、私は、どうしてもガラスの上に立つことは出来なかった。実は、私も高所恐怖症なのだ。 孫娘の妹はほとんど私の記憶はないと思うのだが、なぜか私を見つめることが多かった  翌日、水曜日は、孫娘の姉の誕生会で、息子の家を訪問した。4LDKの立派な家だが、30台半ばで低利で購入したものの、娘二人の子育てとローン返済のために馬車馬のように働き、休息することを許されない状況にあるそうだ。 なかなかの飾り付けだ。ちなみに姉が持っている人形は女房の手作りだ  しかし、誕生会が佳境に入りかけたとたん、女房が具合が悪くなり、タクシーで帰宅させざるを得ず、誕生会をあとにせざるを得なかった。しかし、その後、嫁さんのご両親が、私と話をしたいということで、近所の居酒屋、串倶楽部で飲みなおした。 […]

古希の祝いで日本に行ってきました 2017年7月30日


マニラ新聞が発行している「よるナビ」5月号に興味深い記事が載っていた。ほとんどがマニラのナイトスポットの宣伝と紹介なのだが、さすがマニラ新聞が編集するだけあって、読み物も興味深いものが多い。米経済誌フォーブスによる2017年度版、世界の資産10億ドル(One Billion 約1100億円)以上の長者番付だが、世界で2043人、フィリピンでは14人が番付に入っている。フィリピン人トップはSMデパートを率いるヘンリー・シー(94歳)で、資産は127億ドルで一兆円を優に越え、世界ランクは94位。フィリピン人では唯一100位以内に入った。 第1位.ヘンリー・シー 94位、127億ドル(一兆4千億円) 一介の靴の修理屋から身を起こし、一代にして、一兆円をこえる資産を手にした中華系フィリピン人。フィリピン全土に巨大なSMモールを展開し、小売業界の王様だ。最近ではコンドミニアム・ブームに便乗し、傘下のSMDCが巨大なコンドミニアムを、これまた、マニラ中に建設した。さらに、バンコ・デ・オロとエクイッタブルPCIの二つの傘下の銀行を合併させて、メトロバンクを抜いてフィリピン最大の銀行を誕生させた。街にはやたらとBDOの看板が建ち並び、支店数は1128とメトロバンクの959を凌駕する。さらに最近では中国本土にも再上陸して、デパートチェーンを展開しているようだ。さらにマカオのカジノ王、スタンレー・ホーと提携して、シティ・オブ・ドリームスを開業している。 巨大モールの総仕上げともいえるマニラ湾のMall of Asia、世界で3番目、中国を除くと、世界一という巨大なモールだ 巨大という文字が好きなのか、SMDCが開発するコンドミニアムは軽く1000ユニットを越える、マカティのJAZZ 全国に1000軒を越える支店網を誇る マニラ湾の埋立地に開発が進んでいるエンターティメント・シティに出現した巨大カジノシティ・オブ・ドリームス 第2位. ジョン・ゴコンウエイ 250位 58億ドル(6400億円) 第一位のヘンリー・シーと同じく中華系フィリピン人、全国に巨大なロビンソン・モールを展開し、コンドミニアム開発も手がけるが、SMの後塵を拝している。しかし、格安航空のセブパシフィックはナショナル・フラッグであるフィリピン航空をしのぐ勢いで、NAIA(マニラ空港)のターミナル3をほぼ独占的に使用している。日本の主な空港にも乗り入れていて、日本でもおなじみになっている。 NAIAターミナル3の前にはセブパシフィックの機体が並んでいる 第3位. ルシオ・タン 501位 37億ドル(4070億円) タバコ王、あるいは脱税王とも呼ばれ、評判は今一の感がある。ナショナル・フラッグのフィリピン航空を率いるが、従業員のストライキなどで世間をにぎわしている間にゴコンウエイのセブパシフィックに第一位の座を奪われた。最近、傘下のPNB銀行とアライド銀行を合併させて、商業銀行としてはフィリピン第4位の銀行を誕生させた。 […]

フィリピンのビリオンネヤー 2017年6月13日



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ここ数年、快食快便を続けていたのだが、今年2月、日本の名古屋に出張したときから異変が起きた。フィリピンを発ってから4日目の朝、ようやくもよおして旅館の共用トイレに駆け込んだ。しかし、いくらきばってもうんともすんとも出てきそうに無いのだ。出産の思いはこんなものなのかなどと思ったりもしたが、要は赤ちゃんの頭が見えても出てこない状態だ。助けを呼ぶわけにも行かないし、時間だけが経過していく。恐る恐る手でふれてみると、そこには湿り気がほとんどない粘土のような、がちがちの物質があった。どうやってこの難局を乗り越えたかは想像にお任せするが、その時は、コンビニやファミレスの食事が原因で、フィリピンに帰って元の食生活にもどれば解消するものと軽く考えていた。   しかし、その後も多かれ少なかれ、同じ状態が続いている。2~3日に一回試練の時は来るが、硬いだけで出るべきものは、奥の手を使ってなんとか出せたのでいずれ回復するだろうとほっておいた。ところが最近、事態はとんでもない方向に発展した。家のメンテをやってくれる大工さんが田舎からやってきて、私の部屋のトイレの便器を直すのだという。何のことやらわからないが2日ほどトイレが使えなくなった。直ったというので、早速使ってみると、早速、例の硬い物質で便器が詰まってしまった。   相棒のジェーンに報告すると、そのために大工を田舎から呼んで便器を直したのだという。私のトイレの便器が詰まってしまうのは家中、有名な話で、メイド泣かせになっていたのだそうだ。メイドが何とかして欲しいとジェーンに訴え、だから大工を呼んだのだと、ジェーンが種明かしをしてくれた。正面から私に文句を言うわけにも行かず、密かに行動をおこしたらしい。それでもだめなら、便器を取り替えるしかないと、ジェーンはDIYのウイルコムに新しい便器を買いに行ったが、見た目ではどれがよいかわからない。しかも中のパイプの太さはどれも一緒で、特に大きい、硬い便用のものはないそうだ。それでは大枚(5000~15000ペソ)をはたいて便器を買う意味もないので、あきらめたのだが、大工が出来ることはタンクの水位をあげてより多くの水が出るようにすることぐらいだった。   ジェーンは話が話だけに、便のことを幼児語のポポと表現していたが、マティガス(硬い)ポポをどうしたらよいか、かつて見たことが無いようなマラケ(大きな)ポポだったというメイドの話に、キアンも大笑いだった(本人としてはちゃんと流したつもりだったがメイドは知っていたのだ)。ジェーンも顔を真っ赤にして噴出しそうになるのをこらえながら議論は続いた。結論として私が、ポポをマランボ(柔らかい)、マリイット(小さい)にするしかないということになって、インターネットで検索して方法を探ることにした。ジェーンの薦める便秘薬だけは飲みたくないというのが本音で、食べるものの工夫でなんとかなるというのが目論見だった。   インターネットを検索してみると、同じ悩みを持っている人がたくさんいると見え、たくさんの記事があり、主な解決策として下記が書かれてあった。 1.水をたくさん飲む 2.繊維質を多く摂る 3.温水シャワーを局部にあてて便を水分で柔らかくする 4.バージン・オリーブ・オイルを摂り、さらに局部に塗る 1と2は当たり前のことで、十分やっているつもりだ。3は設備的にどこでもというわけには行かないし抜本的解決法とは思えない。そして、4.の解決策が心に響くものがあった。バージン・オリーブ・オイルは今でも食卓においてあるし(しばらくほこりをかぶっているが)、バージン・ココナッツ・オイルは毎晩、足や手、それに顔に塗って肌の潤いを保つようにしている。参考ブログ「奇跡の食用油、ココナッツオイル2015年7月13日」。ただ、ココナッツ・オイルを局部に塗るのは、かつて、すべりが良くなりすぎて意思に反して漏れ出しそうになったので、控えていたが、今の状況においては望むところだ。   […]

硬いウンチで便器が詰まってしまった 2017年6月11日


マニラ首都圏における車の増加は顕著なものがあり、いくら道路を作っても、カラー・コーディング(プレートナンバーの末尾の数字により首都圏では週に一度走ることが出来ない制度)で規制しても、万年渋滞は留まるところを知らない。最近はオートバイや自転車まで加わって、毎日、路上バトルが繰り広げられている。だから、マニラの道路を横断できるようになったらフィリピン生活も一人前になったと認められるくらいだ。ちなみに、路上の主は車であって、歩行者は車の隙を狙って、横断するしかなくて、歩行者優先などという言葉はフィリピンでは通用しない。 そんな状況でも車を売りまくっているのがトヨタだ。5月3日付のマニラ新聞によると昨年の新車総販売台数は40万台を越え、中国の2400万台には遠く及ばないものの一億足らずの人口からすれば、かなりの台数だ。そのうち、40%の16万台弱はトヨタ車で占められ、しかも、その半分以上をマニラ首都圏売りさばいている。第2位は三菱(15.2%)、3位が韓国の現代自動車(8.3%)、4位がフォード(8.3%)、5位がいすゞ(6.8%)、6位がホンダ(5.7%)、7位が日産で(4.2%)、以下、韓国のKIA、スズキ、マツダ、スバルなどが続く。雨季になると道路冠水が頻発するフィリピンでは車高のの高いSUVが人気なだけに、いすゞが気を吐いている。一方、日産とホンダが6位と7位ではちょっとふがいない。 トヨタ(トヨタ・モーターズ・フィリピン)の2016年度の売り上げは1558億ペソ(約3500億円)で営業利益が157億ペソ(約360億円)と、日本でも悠々一部上場会社として認められる実績だ。さらに従業員は2600人に達するというフィリピンでは超優良マンモス企業だ。 車種別に見ると、小型セダンのビオスが36千台で第一位(この一位はトヨタ車に限ったものではなくて、フィリピン全体としての売れ行きの一位だ)。マニラを走っているタクシーはほとんどがビオスではないかというくらい、やたら走っており、しかも、現地生産されてるために、国民車ともいわれている。最近は、スタイルが良くなったために自家用車としてもかなり売れているようだ。かつてはトヨタ・カローラあるいは日産・セントラ(日本名 サニー)が小型車の代名詞だったが、現在はビオスが圧倒している。価格は、タクシー用のMT車が61万ペソ(140万円)からATの上位グレードが92万ペソ(210万円)程度と手ごろ(?)だが、フィリピンでは車は日本よりも高いのだ。 タクシーの100%はビオスと感じるくらい多いが、他には韓国の現代あるいはKIAなどが若干走っている  第2位が、ちょっと以外だが、フォーチュナーで、日本では発売されていない本格的SUVだ。これくらいの車に乗っているとステータスを感じることが出来る。ちなみに値段はミドルクラスのAT車で178万ペソ(410万円)、四駆となると217万ペソ(500万円)もする。こんな車が売れ筋なんて、フィリピン庶民の懐はどうなっているんだろうと首を傾げたくなる。 フォーチュナーは高級SUVで三菱モンテーロなどと人気を二分している  第3位がハイエースバン。UVサービスと呼ばれる中距離コミューターの主役で、10~15人の定員で朝夕の通勤客をマニラ郊外から運ぶ庶民の重要な足となっている。マカティのコマーシャルエリアにある駐車場(パーク・スクエア)には夕方の通勤時間に出動するUVサービスのバンが大量に並んでいる。また、先日、ビコール地方に車で旅した際には、国道にはやたらとハイエースが走っていた。当方もハイエースで旅行したのだが、長距離旅行の定番はハイエースということのようだ。UVサービスのほかにも旅行社など、多人数の客を乗せる車の定番だ。ハイエースは、一番安いもので130万ペソ(300万円)、中程度のAT車で190万ペソ(435万円)と決して安いものではないのだが。 ビコールの旅は500km、12時間近い旅だったが、ゆったりしたハイエースなのであまり疲れなかった  UVサービスとはUtility Vehicle Serviceの略で、かつてはFXと呼ばれていた。それは、AUV(Asian Utility Vehicle)と呼ばれたトヨタのタマラオ(野生の水牛という意味)FXという車が使われていたためだが、そのタマラオFXは大家族一同を乗せることができる大衆車として1990~2000年代一世を風靡していた。そして、現在、その役割をハイエースが担っているというわけだ。同型車として、日産のアーバンがかつては市場を二分していたが、現在はハイエースに水を開けられている。タマラオFXはすでに生産を中止しているが、AUVとしては、いすゞ・クロスウインド、三菱・アドベンチャーなどが100万ペソ以下で手に入れることができて主に商用車として根強い人気を保っている。 マカティ、パークスクエアにはハイエースなどのUVサービスの車が並んで庶民の退勤時間を待っている […]

トヨタの車は何故売れる 2017年5月14日