Monthly Archives: February 2015


マカティ市中心街(EDSA通り、ブエンジア通り、パサイロード、パソンタモ通りに囲まれたエリア)は、四つの地区に分けることができる。グロリエッタやグリーンベルトなど、国際的な商業施設が立ち並ぶコマーシャルエリア、高級住宅街のウルダネッタビレッジ、事務所とコンドミニアムが立ち並ぶサルセ・ドビレッジとレガス・ピビレッジの四つだ。これらの地域を区分しているのが、マカティアベニュー、パセオデロハス、そしてアヤラアベニューの三本の大通りだ。そして、その中心にアヤラ・トライアングルの緑地公園がある。これらの位置関係が頭に入っていれば、マカティで迷うことはない。 サルセ・ドビレッジのど真ん中にあるのが、最近、KIANがお気に入りのサルセド緑地公園だ。公園の少ないマニラにおいては貴重な存在で、まさに都会のオアシスだ。毎週、火曜と木曜日、公文での数字のお勉強の後、この公園で遊ぶのがKIANの日課となっている。公文に行くのは、お勉強というよりは、ここで遊べるのが楽しくて通っている気配が多分にあるが、一石2鳥、大いに結構なことだ。ちなみにKIANが通う公文は、公園の目の前のツー・サルセドという高級コンドミニアムの2階にある。           公園の周囲は、高層のコンドミニアムが立ち並び、まさに、ビルの谷間のオアシスで、隣の駐車場では、毎週、土曜日、蚤市が開かれ、有機食品などユニークな商品を売っている。サルセド・ビレッジには、モールなどの商業施設が全くないので、この市は周囲の富裕な外国人でにぎわっている。 ここで、遊ぶ子供達は、フィリピン随一の高級コンドミニアム街の住人の子弟だから、ほとんどが外国人で、欧米、韓国、日本、アラブ人などなど、まさに国際色豊かだ。通用する言葉はもちろん英語。KIANはしゃべり始めたころから英語を主体に話すようにしつけられているから、違和感無し、躊躇なく、周囲となじんでいる。ちなみに公文に通う子供達もほとんどが外国人の子弟で、KIANは着々と国際人として育っている。 KIANの付き添いはビアンカの役割だが、子供一人に、ヤヤが付き添い見守っている。こんなことができるのもフィリピンならだろう。ちなみに、母親が付き添っているのは日本人くらいのものだ。 この公園を知ったのは、3年ほど前に、公園の正面にあるワン・サルセドという高級コンドミニアムの改装のお手伝いをした時だ。完成間近いコンドミニアムにKIANを連れて行った時、KIANはこの公園を見つけて、目の色を変えた。KIANが2歳を間近に控えた時で、そのあどけない顔が今でも目に焼きついている。 それが、公文の通い始めて、懐かしい公園に気がついたKIANは、ここで遊ぶといってきかなかった。その時は、公園は工事中で、地面にスポンジ状のゴムを敷き詰め、転んでも怪我をしないようになった。 KIANにとって、ここで遊べる2時間はあっという間に過ぎてしまう。現在、KIANのお気に入りのNO.2で、ちなみに、第一位はKidzooona(キズナ)だ。しかし、そこは、一回400ペソもかかるが、ここなら只なので、私にとっては大いにありがたい。

サルセド・パークはKIANのお気に入り 2015年2月14日


マニラ湾の沿いのロハスブルバード通りを、空港方面(南)に走り、モール・オブ・エイシアを過ぎた辺りの埋立地の開発が急ピッチで進んでいる(行政地区としてはパラニャケ市に属する)。エンターテイメント・シティと称し、カジノを中心としたリゾート施設、経済特区で、最終的には、約一兆ペソの投資が行われるという。空港からのスカイウエイの建設も急ピッチで進められ、モノレールの建設計画もある。いずれ、ラスベガスあるいはマカオに次ぐ一大カジノ地帯が出現し、中国、香港、シンガポールなどのカジノ好きの中国人など、東南アジアの観光客でにぎわうことになるだろう。 その地域に、SOLAIREに次いで第2弾として開業したのが、CITY OF DREAMS MANILAだ。金色に輝く巨大なビルにカジノと三つのホテル、広大な駐車場は、まさに未来都市だ。フィリピンは、政府系のPAGCOR(フィリピン・アミューズメント・アンド・ゲーミング公社)経営のカジノが各地にあり、隠れたカジノ天国でもあった。ちなみに、マニラには、リゾートワールド(ニューポートシティ、パサイ)、ヘリテージホテル(EDSA、パサイ)、マニラ・パビリオン・ホテル(エルミタ、マニラ)、ハイアット・マニラ・ホテル(マラテ、マニラ)などの本格的カジノがある。 マニラ新聞でグランドオープン(2月2日)の記事を見て、早速、見物に行った。マカパガル通りを南に下ると、やがでも金色の外側に色とりどりの柱を配したビルとCITY OF DREAMS の大きな文字が目に入るので、その手前を左に折れると、駐車場への入り口に通じる。まずは、その広大な駐車場にびっくりするが、開業したばかりだというのに、駐車場の一階は、車で一杯だった。 まさに未来都市を髣髴させる奇抜な外観のビル群に圧倒される。 広大な駐車場は、通路もゆったりとして、そのへんのモールの駐車場とは一線を画す。      カジノは一階と2階で、上階はホテルとなっているらしい。そこには無数のスロットマシンやテーブルが配置され、ディーラーが手持ち無沙汰に客を待っている。ちなみに21歳未満は入場禁止だ。カジノの中の全容をムービーで撮ろうとしたら、係りの人があわてて駆け寄ってきて、制止されてしまった。 カジノ場の周辺は、レストランとショッピングモールだが、まだ、工事中のところが多い。先日、ここで撮影されたデカプリオ(右端)の映画の写真がいたるところに飾ってあった。 CIMG9106 […]

CITY OF DREAMSがグランドオープン2015年2月14日



2週間の農場滞在を終えて、いよいよマニラに帰還する日がやってきた。モンテーロはすでにマニラに帰ってしまっているので、一般の乗合自動車(UV Express)でレガスピ空港に向かった。年末年始の大盤振る舞いで懐がさびしくなったジェーンは、我々だけになると、にわかにけち臭い。 農場訪問の初日と二日目はマヨンが顔を出したものの、その後は、ずっと雨で、最終日になって、やっとマヨンが顔を現してくれた。これはチャンスと、飛行機の中で見たいから、席は右側とジェーンに念を押した。しかし、ボーディングパスをみると左側、ジェーンは、すでに右の窓側は一杯で左しか取れなかったと言い訳を言う。       ところが、飛び立ってみると、通常、旋回して、マヨンの南(マヨンは飛行機の右側)を通過するのが、この日はパイロットの気まぐれか、マヨンをぐるっと回って、マヨンの北側(マヨンは飛行機の左側)を通過したのだ。しかも、快晴でマヨンの絶景が目の前だ。こんなことは過去、一回しかないまれな経験だ。 残念ながら、窓際に陣取ったKIANのおかげで、眼下の農場を見つけることはできなかった、そのあたりの写真を必死に収めた。        KIANもこの絶景に感激かと思いきや、さほどではなく、飛行機が飛び立つとまもなく、お腹がすいたと、カップラーメンを注文していた。 飛行は順調で、40分も経つと、マニラ空港に到着。ターミナル3の目の前は、SKY WAYからターミナルに通じる立体高速道路の建設がたけなわだった。マニラの道路事情も徐々に良くなっていくようだ。  

マニラ帰還(マヨンの絶景を満喫) 2015年2月7日


今年は、帰りのチケットの関係で、1月6日(火)まで農場に滞在した。1月5日(月)ともなると、学校が始まって、周囲は、にわかに日常になる。 1月5日(月)は学校が始まっていたのだが、いとこのヤナはKIANのお相手で、学校を休まされた。午後になると、学校を終えて、他の子供達も農場にやってきて、KIANのお相手をしている。 いよいよ農場滞在の最終日だが、今度は、私の誕生日(1月11日)の早めのお祝いということで、再び、食事会。素敵な中華料理屋ができたというふれこみだったが、マカティのルートンマカオとは比較にならなかった。それでも皆、大いに盛り上がっていた。 話は違うが、農場からタバコ市に向かう国道の拡幅工事が行われていた。2車線4を車線に拡幅するものだが、ところどころお店や樹木を残しながら、道路工事だけは、かなり進んでいる。ちなみに樹木は、市の許可が下りなければ伐採することはできない。また、土地の収用を担当する部署も工事部門とは連携は取れていないようで、ちぐはぐな工事がすすんでいた。いずれは、辻褄が合うのだろうが、いかにもお役所仕事だと感心する。 農場も、なんとなく日常が戻ったような雰囲気だ。散歩する鶏の親子も田舎ならではの光景だ。カラバオも毎日雨に現れて機嫌がよさそうだ。 黒豚の脱走事件により、フェンスを修復するための資材が配達された。フェンスの根元を玉石で固めて、穴が掘れないようしようという算段だ。 農場のゲートハウスは改修されて、立派な居室となっているが、当面、使用する気配がない。左が内側で、右の写真は農場の外側の写真だ。この界隈ではオレンジゲートの家として有名だ。  

正月開け、農場の日常 2014年2月7日



三が日も開けた4日(日)、今をときめくオカマのタレント、バイス・ガンダが、なんと、こともあろうに大統領とトークショーを行ったのだ。数日前から、テレビで予告していたが、見逃すまいと、皆に檄を飛ばしておいた。参考ブログ「バイス・ガンダの物語 2014年2月24日」参照。 トークの内容は、大統領の私生活に関する他愛もない質問で、大統領は、笑みを浮かべながら質問に答えていた。たとえば、シャンプーは何を使っていますかなど、毛の薄い大統領に対して、予想外で他愛のない質問をぶつけていた。 アキノ大統領は私立の雄、アテネオ大学の出身だが、経済学を前大統領のアロヨに教わったとか、知られざるエピソードも紹介された。 それにしても一介のコメディアンが、大統領を相手に一時間番組をこなすなど、日本では考えられないことだ。一方、我が家の聴衆は、終始、笑顔で、バイスガンダの話術に聞きほれていた。私と言えば、写真を撮るだけで、彼らに何を話しているのかと聞いても、ちょっと訳しようがない、ジョークの連発だったらしい。

バイス・ガンダが大統領とトークショー 2015年2月7日


アヤ・メデルと言えば、かつて一世を風靡したセクシー女優だ。宿敵、ロザナ・ロシェスと同様、日本で働いていたこともあり、日本人との間にイシという女の子をもうけ、レストランの名前は,自分と子供の名を取って、Ishi・Aya Garden Bistro と名づけている。 彼女が、農場のあるタバコ市に和食レストランを開業しているというので、早速、皆を引き連れて、久々の日本食を食べに行った。         レストランはガーデン・ビストロというだけあって、かなり広めの庭にテーブルがたくさん並んでいた。和食と銘を打っているだけには日本風の絵や飾りがたくさんあったが、そのセンスと言えば、いかにもフィリピン風だ。 有名人の開いた店というもの珍しさもあって、店内はほぼ満員だった(ただし外のガーデンにまで客がいるほどではなかった。こっちは、きっと夜用なのだろう)。ウエイトレスの衣装はこれまた、いかにもフィリピン風着物だ。       日本食に飢えていた息子と私は、早速、日本食を注文しようとした。しかし、マグロもエビもなくて、あるのはサーモンの刺身とカルフォルニア巻きだけ。ちょっと、 がっかりしたが、こんな田舎で本格的な日本料理を注文する人もいないだろう。周りが注文しているのはクリスピーパタなど、まさにフィリピン料理の定番ばかりだった。        アヤ・メデルとジェーンは友人だという。同郷のよしみかと思ったら、Face Bookで知り合ったのだという。アヤは調理師の免許を取って、ここでチーフシェフをしている。単に、オーナーとしてふんぞり返っているのではなくて、厨房で忙しそうに働いていた。こんな根性なら、ここもはやるかもしれない。

往年のセクシー女優 アヤ・メデルの日本レストランで食事2015年2月6日



ターボ(TURBO)とは、最近はやったカタツムリの映画の題名だ。エンジンに巻き込まれたカタツムリのテオ君がレーシングカー並みのスピードで走るようになり、ターボと呼ばれて、レースに勝利するという物語だ。映画では、色々な形をしたカタツムリが登場するが、空想のカタツムリだと思っていた。しかし、彼らが、農場にいたのだ。 はじめは、大きなカタツムリを見つけて家に持ち帰ったが、これは、以前にも見つけたことがある。さらに、他にもいないかと探したら、まさにターボがいたのだ。        大小、合わせて4匹のカタツムリを見つけたが、日本で見るのとは、比較にならないくらい大形で、色や形も多様だ。彼らは、親子であろうか、より集まって、ゆっくりと動き回る。小さい子供は親の背中に乗って、そこには、まさに、ターボの世界があった。もちろん、彼らは、決してターボのようにスピーディに走り回ることはなかったが。

ターボ イン フィリピン 2015年2月6日


いよいよ、恒例の年末パーティの日がやってきた。ジェーンの一家だけで総勢21人、それに使用人とその家族で、40人ぐらいの人数になる。クリスマスパーティをかねているから、ギフトは欠かせない。皆に、複数のギフトを用意するのだから、その数は、200個程度になる。最近は、包装用紙代がもったいないので、マニラ新聞がその名誉に預かっている。   膨大なクリスマスギフトに囲まれて、ご機嫌のKIAN。外では、大工さんの子供達が遠慮深げに中を覗いていた。カメラを向けると、はじめは恥ずかしがっていたが、そのうち、無垢な笑顔を見せてくれた。        若者組みは、それぞれがしなを作ってカメラに収まる。花も恥らう10代の若者だ。 ヤヤドナ(KIANの子守兼メイド)とツーショットにおさまる息子。ヤヤは休み中、ずっとファームハウスにとどまって、メイド役をこなしてくれた。どうも父親のいる家には帰りたくないようで、曰く因縁があるらしい。カーネルも、今回はたっぷりと休んで、娘のキムとKIANに囲まれてご機嫌だ。 いよいよ、恒例の撮影会。それぞれのファミリーがおばあさんを囲んで記念撮影だが、子供達との撮影では、KIANは、真ん中に座って、いかにも、私がボスって感じだ。息子も皆に促されてビアンカとのツーショット。 クリスマスギフトを配るのはKIANの役目だ。私には、T-シャツが用意されていた。 その後は、しばらく時間つぶしをして、12時を待つ。そんな時はカラオケが定番だ。 12時になると、新年の無事を祈って、鍋やフライパンをたたいて家中を歩き回って、悪霊払いをする。   そして、いよいよ新年の食事会だ。6時過ぎには簡単に食事を取ったのだが、彼らの食欲はとどまるところを知らない。 それにしても大量の食料だが、残りは、お土産に持って帰らせるから、わざと大量にあまるように用意してあるのだそうだ。 KIANと言えば、好物のパンシット(焼きそば)をほおばるだけだ。

2014 年末パーティ 2015年2月5日



息子が手塩にかけて育てていた黒豚が脱走した。黒豚の放牧地は金網で囲まれているのだが、黒豚が本気で体当たりすれば、ひとたまりもない。また、豚は地面を掘って、何か食べるものを探す習性があるので、フェンスの下も掘ってしまう。特に餌場の近くのフェンスはかなりへたっていた。 ちなみに黒豚のえさは、ぬかで、農場の米の副産物だ。だから、市販の豚の餌よりもかなり安くすむ。ぬかは、玄米を白米に精米する際に出てくるのだから、栄養豊富なはずだ。でも、それだけでは栄養が偏ってしまいそうだが、それは、放牧の良いところで、雑草や土の中の昆虫を食べたりして、元気に育っている。 そんな訳で、黒豚たちがこぞって塀の外へ逃げ出してしまった。目的は、単にえさ探しだから、畑の隅に行って、一所懸命土堀をしている。 すわ一大事とばかり、農夫のダニーを呼びつけた。いつも餌をやっているダニーの掛け声に黒豚は一斉にかけ散じた。ダニーは準備周到にぬかを持ってきており、黒豚たちはすなおにダニーの後を追って、一件落着となった。 まるで飼い犬のようにダニーの後を追って歩き去る黒豚たちは、とても可愛かった。息子が将来、農場経営の柱にしようと目論んでいるだけに、もしものことがあっては、心配したが、杞憂だった。

黒豚が脱走した 2014年2月5日


KIANのいとこのアレインは14歳、ハイスクールの2年生だ(右下の写真の左から2番目)。この日は、年長組の女の子5人が勢ぞろいして、ファームハウスの石畳で親交を深めていた。一方、年少組は、お猿さんの小屋の前に止めてあったトライシクルで遊んでいた。 その時、アレインが学校のクラブで練習している器械体操、床の演技を披露し始めた。色白で細身のアレインの演技は、なかなか見ものだった。それを見たKIANが、我もと闖入し、演技中のアレインを突き飛ばしたのだ。          そこで、アレインとKIANの競演が始まった。KIANにしてみれば、アレインが遊んでいるように見えたのだろう。KIANも開脚には自身がある。アレインのスタイルを真似るが、アレインの足の長さにはかなわない。今度は、ジャンプだが、私のバカチョン・カメラで見事、空中姿勢を収めることができた。 さらにKIANは何を勘違いしたのか。空手の構えを始めた。これが、後日、空手道場に通わせるきっかけになった。

アレインの器械体操にKIANが挑戦 2014年2月5日