Monthly Archives: January 2015


KIANは、4歳にして、幼稚園に通う傍ら、英語の家庭教師、公文、ピアノ教室と親馬鹿チャンリンの典型みたいな生活をしている。テレビで漫画ばかり見て時間をつぶすよりも、よほどましだと、私と両親は気にかけない。今度は、毎週、土曜日通っているマカティスクエアの2階に極真空手の道場があるのを発見して、早速、様子を見に行った。 MAKATI SQUARE ARENAという、多分、元ボーリング場だったところに各種格闘技の練習場があった。ボクシング、テコンドウ、キックボクシング、それに極真空手の看板を発見。その時は、ボクシングしかやっていなかったが、パンフレットによると、空手教室の入会金が2000ペソ(ユニフォーム代込み)、月謝が、子供は1000ペソ、大人は1500ペソで、なんとか賄えそうだ。ちなみに、日本人の月謝は、何故か倍だ。     道場があるのは、月水金の5時半からと7時からの2回、日曜が10時半から12時までなので、KIANは毎週、日曜に通わせることにした。とにかく、体を動かすのが大好きなKIANだから、きっと、喜ぶだろう。Kidzooonaで毎回、400ペソ払うより、よほど安上がりだ。 それに、空手や柔道などなら、KIANのメタボ気味の体も締まり、礼儀作法も身につけることができるばかりか、自分が強いという自信がついて、精神的に強い人間になれると思う。正直な話、公文やピアノはKIANに、似合っているとはいい難い。しかし、学校の成績ばかりではなくて、格闘技や音楽を身に着けたいというのは、私の、子供のころからのあこがれでもあった。そんなわけで、私(と両親)の期待を一心に背負って、お父さんの後を継いで、未来のフィリピン国家警察長官の道を歩むのがKIANの人生なのだ。そのころは、私は100歳を越えていて、この目で見ることは不可能だろうが。      日曜に出直して、朝からMakati Squareに行ってみると、あいにく、その日はボクシングのコマーシャルビデオの撮影があって、場所が使えないそうで道場はやっていなかった。しかし、極真館フィリピン支部の滝田さんがおられて、簡単な質疑の後、早速、入門することになった。 その時、同行したアテ・キムの目が輝いており、やはり国家警察の幹部を目指す彼女にとって、日本の格闘技は憧れだった。そこで、迷うことなく、姉弟そろって入門の運びとなった。彼女が一緒に通えば、KIANの面倒が見れるし、励みにもなる。現に、ピアノのレッスンに双子の一人、アレクサが参加したら、大いに盛り上がったそうだ。また、夜と日曜なら彼女にとっても時間的にも都合が良くて、KIANも、きっと姉の熱心に励まされて長続きするだろう。帰り際、滝田さんとアシスタントの人が、一声、「オス」と声を発していたのが、いかにもという感じで、日本の雰囲気を感じた。 次の日曜まで待ちきれず、月曜の夜、食事を早々と済まして、道場に向かった。遅れること、約5分、丁度始まるときで、なんとか、フィリピーノタイムの汚名をかぶらずに済んだ。20人ほどが参加していたが、黒帯もいて、少年あるいは若い女性が、きびきびと動いていた。KIANも早速、溶け込んで周囲の動きにあわせて掛け声をあげる。指導者は一人だが、ベテランがキムやKIANを指導してくれて、新人とベテラン、一緒に練習するあたりは、道場の独特な雰囲気を醸し出している。 一時間も経つと、KIANは疲れてしまった、ドクターストップ、私に抱かれて見物に回る。1時間半の練習は、KIANにとってはきついようで、集中力が全く途切れてしまう。しかし、数週間も通えば、ついていけるようになるだろう。姉のキムの集中力はすごくて、1時間半丸まる必死に先生の動きを真似ていた。このことからも、キムが学校の成績が良いというのはよくわかる。 レッスンが終わると、KIANも戻って、礼儀、そして片付け、これが大事なのだ。片付けの段になると、KIANは大喜びで参加していたが、邪魔をしているだけのようにも見えたが。 家に帰ると、KIANは得意になって、空手のレッスンを皆に話し、ビアンカや双子も、空手を習いたいといい始めた。5人となると、さすがに費用が嵩んで大いに躊躇するところだ。

KIANが極真空手に挑戦 2015年1月27日


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昨年、初頭、退職ビザを取得され、後半にフィリピン在住を開始した退職者と食事をする機会があった。用事を終えて、時間が余ったので、ホテルのコーヒーショップで、夕食までの時間調整をした。そこで、コーヒーの支払いに、運転免許証を見せて、シニア・シチズンしての割引を受けたのだ。てっきり、そのホテルは、その方の定宿だったので、特別サービスかと思ったが、その人曰く、どこのレストランでも可能だという。 その証拠に、そのあと、夕食をとったリトル東京のきくふじでも割引を受けることができた。12%程度の割引だったので、多分、VAT(12%)が、免除されたのだと思う。もちろん、彼は、シニア・シチズンシップは持っていない。ちなみに私のSRRVカードを見せたら受け付けてもらえなかった。 ご承知の通り、シニア・シチズンシップという制度は60歳以上の高齢者が、レストラン、薬局、スーパー、映画館、などなど、ほとんどの場所で、5~20%程度の割引を受けることができる制度で、フィリピーノ高齢者の福音となっている。外国人は、原則としてこの恩恵を受けることができないが、市あるいはバランガイで、その判断が違い、居住している場所によっては、SRRVなどの永住ビザを持っている場合に限り、その恩恵にあずかることができる。マカティ市の場合、PRAが間に入って、その取得に動いたが、時のビナイ市長(現副大統領)により、拒否された。 PRAを通じて、なんとか発行してもらえたのが、ブルーカードというナンバー・コーディング(曜日毎に一定の末尾番号の車は、公道を走ることができない制度)の免除だ。これだけでも、仕事上、毎日出かける私には大きい。しかし、運転免許証さえ持っていれば、このシニア・シチズンシップの恩恵に預かれるというのはとても大きい。 しかし、残念なことには、私は、5~6年前にすりに財布をすられて、その際、なくなった運転免許証をほったらかしにしてあって、無免許であることだ。運転は、もうしないと決めていたが、この際、取り直そうかとも思う。 さらに、翌日、別の日本人と食事を取ったら、シニア・シチズンシップ・カードを忘れたと、残念がっていた。その方によると、シニア・シチズンシップは誰でも取れると豪語する。バランガイに申し入れて粘れば、何とかなるという。私の居住するバランガイ・サン・アントニオは、ビナイ一家(副大統領とその息子)が住んでいるので、どうなるかは、わからない。ちなみに、この方はビナイ副大統領と懇意にしているというので、なんとかして欲しいとお願いしたが、たかが、外国人のシニア・シチズンシップの発行に、副大統領が、動くわけにも行かないだろう。  フィリピンの免許証と、話題には関係ないが、街で見かけたど派手のタクシー 話し変わって、運転免許証の効用を発見した方の住居は、郊外なので、車が必須だ。そこで、トヨタの新車も買い求めたのだが、最近のガソリンの値下がりには、メリットを満喫しているという。ちなみ、かつては、ガソリンが50ペソ+、ディーゼルが40ペソ+だった、それが、1月11日にはそれぞれ40ペソ、30ペソを割り込んでおり、さらに、22日には、それぞれ20ペソ、30ペソ台、半ばまで下がった。 原油の価格は、40ドルくらいになっているはずだが、20ドル台になるという話もあるので、それぞれ、20ぺソ、30ペソを割り込むのも時間の問題だろう。こうなると、ガソリン、ディーゼル価格が、昨年の半分以下になるので、当方としてもうれしい悲鳴だ。 この原油価格の下落は、OPECにより、仕掛けられたもので、アメリカのシェールガスの生産を叩き潰す狙いだという。シェールガスの採算ラインは60~70ドルというが、OPECでの原油コストは10ドル台で、まだまだ、余裕があるそうだ。一方、ロシアやベネズエラは経済危機に陥っているという。それにしても、10ドル台の原価のものを100ドル以上で売っていたなんて、なんとも馬鹿にした話だ。いすれにせよ、この世界経済戦争が、どう決着するのか、見ものだ。 原油安が原因かどうかわからないが、フィリピンの株式市場は好調で、23日には、史上初の75000ペソを超えたという。一方、1ドル=45ペソに近づいて、ペソ安傾向が続いていたが、一転して、44ペソに近辺に反転してペソ高傾向になっている。退職者にとっては、円安とペソ高のダブルパンチだ。        1月22日の石油価格               1月11日の石油価格 最後に、この方が、嘆いていたのが、円安だ。年金で暮らす退職者にとって、この円安は、致命的だ。昨年の半ばごろまで、ここ数年、1万円が5200~300ペソを推移していた。しかし、1ドル=120円という水準にいたって、1万円が3700~800ペソになってしまったのだ。なんと一万円につき、1500ペソの目減りで、収入が3分の2くらいになってしまった。 以前、女子大生の卒論のお手伝いで、退職者の聞き取り調査をしたとき、皆さんの生活費は一ヶ月に10万円と口をそろえていた。ペソに換算する52000~3000ペソとなる。これは、フィリピン人なら部長級の給与だから、十分生活できる。しかし、この生活レベルを維持しようとすると、現在のレートで14万円が必要になる勘定だ。 この方にしてみれば、貯金には手をつけないで、年金だけで普通の生活と週一回くらいのカラオケで息抜きができると思っていたものが、4万円がどこかへ行ってしまったことになる。そのため、このカラオケの資金が円安で消えてしまい、夢も希望もないというわけだ。これだけは、神に祈るしかないと悲痛な顔をしていた。 […]

運転免許証でシニア・シチズンシップを享受 2015年1月25日



22日、マンダルヨン市、SMメガモールと反対にショーブルバード1500mほど入ったLIBERTY CENTERにラーメン大翔一号店が開店して、一周年ということで、記念行事に招待された。ちなみに親会社の大翔グローバルについては、会社の登記、登録などでお付き合いがある。 フィリピン人をターゲットに、和食もどきではなくて、本格的な日本の味を提供しようという主旨で、あえて、マカティやグローバルシティ、あるいはモールオブエイシアなど、日本人が訪れる場所を避け、マンダルヨンという日本人からはなじみの薄い場所を選んで出店したそうだ。 フィリピン人好みの日本食と言えば、まずは、焼肉、そして、とんかつ、それにラーメンが三羽烏といえる。特に、ラーメンについては、日本のラーメン・チェーンの進出ラッシュで、無料情報誌、PRIMERでは、ラーメン特集が出るほどだ。それぞれが、日本の味、そのものを維持して妥協を許さず、値段は、高めでもフィリピンの中産階級の和食通に受けているようだ。 ラーメンは5種類、みそ、しょうゆ、とんこつ、塩、それにニンニク油の付け麺だ。それぞれ、麺が違い、異なった味わいがある。とんこつと味噌を試したが、確かに本格的ラーメンだ。具もいける。普通盛りで300ペソ、大盛りは、約その倍だ。一食100ペソ程度が庶民の予算だから、高め、あるいはマカティスクエアのサイカあたりのランチ定食と一緒だ。 この日は、某テレビ局の取材や、マニラ新聞の広告用の取材もあって、なかなかの賑わいだった。大翔グローバルの書記を務めるジェーンもキムとKIANを伴って出席、3人ともパーティの雰囲気を満喫していた。 壁には、ここを訪れた有名人の写真が誇らしげ飾ってあった。また、マニラ新聞の写真撮影は、さすがプロ意識丸出した。この後は、さらに常連客80人が招待されていて、同伴者が一人づつで80人、合計、160人の客が来るそうで、80席と大型のラーメンハウスだが、さばききれそうにないと心配していた。招待客は、期間中に10杯のラーメンを食べた人だそうだ。

ラーメン大翔の創立一周年記念に参加 2015年1月24日


毎週土曜は、サイカでランチを取った後、まずは、ピアノのレッスン、そしてKidzooonaでお遊びというスケジュールを決めた。そして、いよいよピアノレッスンが始まった。場所は、サイカにほど近いマカティ・スクエアの中だから、いたって通いやすい。この日は、飛び入りだったが、30分後の2時からはお目当ての先生の予約が取れた。これから、毎週土曜は2時から一時間、ピアノのレッスンがKIANの日課となった。そして、その後は、Kidzooonaか、おもちゃの、どちらかがご褒美だ。 何のためにKIANにピアノを習わせるのかは、KIANの頭脳の性能アップを図る上で欠かせないということだが、下記のブログに詳細が記載されている。KIANの輝かしい未来のためには、回転の速い頭脳が欠かせないと信じている私だが、楽器を器用に使いこなして音楽を演奏したかったという果たせぬ夢の実現でもある。参考ブログ「キーボードを買いました 2014年5月31日」「脳内革命、第2弾 2014年5月10日」参照。          料金は、一時間のレッスン12回で、4800ペソ。前回、キムが4500ペソに値切ってくれた。早速、支払って、先生を待つこと30分。その間、私は、薬や、ロード、あるいはタブレットの電池の修理など、一人でマカティスクエアの中を歩き回って時間をつぶした。 レッスンと言っても、初心者のKIANは5本の指でドレミファソラシドの鍵盤を押すことに終始いしている。一緒にくっついていたビアンカによると、KIANは飽き飽きして「今、何時、家に帰りたい」を繰り返していたそうだ。これでは、次回、ピアンのレッスンと聞いただけで泣き出してしまうのではないかと心配だが、そのために、当面おもちゃの褒美は欠かせないだろう。 その後は、Kidzooonaでお遊びの時間だが、この日は、ピアノのレッスンで神経をすり減らしたのか、あるいは、前日もビアンカと2時間も遊んだので飽きたのか、おもちゃを抱えて、まっすぐ家路についた。 しかし、先週のKidzooonaでのKIANのはしゃぎようは、久しぶりだったせいもあって、尋常ではなかった。この日は、息子とビアンカ、それに双子も一緒で、大騒ぎだった。19歳のビアンカは、18歳以上の付き添いの入場料は只と喜んでいたが、入り口では何歳かと聞かれて、ちょっとがっかり、いつも体が細いので子供と見られてしまうのだ。ちなみに体重は36kgというから無理もない。昨年、ビールを買いに行かしたら、18歳未満にみられて、どうしても売ってくれなかったという。この日も、童心に帰ってKIAN以上にはしゃいでいたが、KIANの方は、新しく設置された消防車がお気に入りだった。       

KIANがピアノ教室でレッスン開始 2015年1月19日



夕方、おせち会から帰ってくると、今度は、我が家での誕生会だ。昨夜、夜遅くまでかかって、ヤヤ・ドナとビアンカがケーキを作ってくれた。手作りのケーキなどは初めて経験で、感激ものだった。しかし、おせち会に行っている間に、双子がつまみ食いをしてしまって、半がけのケーキだったのが、少々気に障った。その点を追求すると、息子の恵之が食べたとの反論。息子に聞いてみると、彼らが、食べないかと誘ったそうで、しっかりと言い訳を考えて行動していた。10歳にしては、なかなかの悪知恵だ。一方、皆、おせち会で満腹だったので、料理は、ありあわせのそばゲッティ。参考ブログ「新作料理、そばゲッティ 2014年7月13日」参照。 KIANも、私の誕生会とわかっていて、しっかりと、「Happy Birthday to you, happy Birthday Dada」と合唱してくれた。   そのあとは、いつの間にかKIANの誕生会の様相を呈して、一所懸命、ろうそくを吹き消していた。さらに、KIANの提案で、電気を消して、ろうそくの灯りで食事。なかなかムードのある食事だった。

ささやかながら六十?回目の誕生会 2015年1月19日


1月11日、奇しくも六十?回目の誕生日にブラカンにお住まいの野畠さんに恒例のおせち会に招待された。毎年、招待されるのだが、遠いので、参加することはなかった。しかし、野畠さんとは長い付き合いであり、かつ、現在、とあることで、毎日のようにメールをやり取りをしているので、是非一度、訪問したいと思っっていた。しかし、自分の誕生日に一人で遠出するのも気が引ける。それで、野畠さんにジェーン一家も招待してもらえるかと聞いたところ、是非ということで決まった。ジェーン一家は、大の和食好きだから、寿司や刺身が食べ放題と聞いて、二つ返事だった。 話はずれるが、この日、行きがけに立ち寄ったガソリンスタンドでは、ガソリンは40ペソを割り、ジーゼルは30ペソを割っていた。従来、ガソリンは50ペソ、ジーゼルが40ペソを超え、三菱モンテーロを満タンにするのに2000ペソ程度かかっていたが、現在は1500ペソで済む。それが、翌日にはさらに5%ほど下がっていた(左のXCSの値段が48.65となっているのは、何かの間違いだろう)。原油価格の下落は、国際的な経済不安を引き起こしてはいるが、庶民としては、とりあえず喜ばしいことだ。 エドサを過ぎてNlex(North Luzon Express Wayエンレックス)に入るとまもなく、右に、巨大な建造物が見える。いわば東京ドーム、Arenaという屋根付きの競技場で、昨年、Iglesia ni Cristoという新興宗教団体の創立記念大会が開かれ、200万人の信者が集まったそうだ。 途中、道を間違えて、2時間ほどかかってしまい、KIANは退屈して、姉のキムと戯れている。田んぼや養魚池など、いかにも田舎の景色を過ぎて、ようやく野畠さんの家に付いた時は、予定時刻の12時半になっており、宴会は、すでにたけなわだった。 普段は、50人近い、招待客が来られるそうだが、今年は、20人程度に絞ったとのこと。それでも、刺身を含む、大量のご馳走とマカティスクエアのテッペンからやってきた寿司職人による握りたての寿司を堪能できた。       ジェーン一家には特別席が用意されていて、刺身と寿司のオンパレードだ。KIANはお年玉をもらって大喜び。 大きな庭の片隅には犬の墓があり、これを指し示して、ジェーンは農場に、私の墓を作ってくれると話していた。こうやって、死んだものと近くにいて、生前と同じ気持ちを持って接するのはクリスチャンならではなのか。 最後は、野畠さんを交えて、記念撮影だ。

正月恒例のおせち会に参加 2015年1月19日



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一昨年、閉店した天天火鍋を発見した。天天火鍋はパサイロードとマカティアベニューの交差点近くにあって、商社のご用達として、長年、日本人の胃袋を肥やしてきた台湾式の中華火鍋(しゃぶしゃぶ)の老舗だ。1990年代、その存在に気づいた私は、それ以来、百回ではくだらないほど、足を運んできた。うまい、安い、量が多いの三拍子そろった店だが、特に、野菜が豊富に食べられるところがうれしかった。 ところが、一昨年、未明、何度行っても店は閉まったままで、うわさでは、市役所の命令で閉鎖を余儀なくされたらしい。最近、天天が復活したとの情報をジェーンがつかんで、早速、カーネルと二人きりで食事をしてきたと話していた。そのため、早急に皆で食事に行こうと話していた。この日は、法王5連休のため、カーネルも休みで、一家、9人が久々の火鍋料理を味わいに出かけていった。 参考ブログ「ファーザーズデイ(父の日)の食事会 2013年6月18日」、「台湾料理「天天火鍋」は野菜が一杯 2010年1月30日」参照。 店は、マカティアベニュー沿い、アヤラトライアングルの向かい、Atriumというビルにあるが、ここは、1989年、クーデターの舞台になったところで、それ以来、閑散としている旧式のビルだ。店の名前は新天天新鮮火鍋で、かつての富揺天天火鍋とは、公式には別の店らしい。しかし、メニューをはじめ、すべてが元のままで、別れた恋人に会ったような気分だった。ちなみに英語名としてはTian TianからTien Tienになっていたが漢字では同じ天天だ。 店のつくりは、前よりも立派。いかにも中華料理屋といった雰囲気だ。前の2階のように喫煙室も別室にちゃんとある。前のようにゴキブリが走り回っていることなどはなさそうだ。 見覚えのあるウエイトレスはいなかったが、相手は、我々のことを覚えていて、日本人に宣伝してくれと盛んに頼んでいた。 9人で3000ペソ強、値段的には前とほとんど変わらないようだ。Kianといえば、好物のイカ団子を猛烈な勢いでむしゃぶっていた。KIANも天天のことは、忘れていないようだ。

鍋料理の老舗、天天火鍋発見 2015年1月19日


2015年1月15日(木)にローマ法王が20年ぶりにフィリピンを訪問した。80%の国民がカソリックというフィリピンは世界で、メキシコ、ブラジルに次いで3番目にカソリック信者が多いそうだ。そのため、国を挙げての歓迎で、マニラ首都圏には1000万人の信者が全国から集まると予測された。 大統領府は、法王が到着する15日(木)から、出発する19日(月)まで、なんと5連休にすることを決定した。これは、首都圏の交通マヒ、そして国民が法王のミサに集中できるようにとの配慮だそうで、それに異議をとなえる不謹慎なものは皆無だった。 街には、いたるところに法王を歓迎する看板が掲げられ、その熱狂振りを示していた。私が住まいとしているMAKATI PRIME CITY コンドミニアムもしかりだ。 奇しくも、 15日、法王の到着する、丁度その日に、マニラを訪問する方がいた。法王の到着する夕方は、空港が閉鎖されるという情報が飛び交い、果たして、飛行機が飛ぶのか時間が変更になるのか、さらには空港周辺の交通が規制されるというので、果たしてホテルまで無事にたどり着けるのか、不安は高まるばかりだった。当方としても、フィリピン航空のチケット売り場に出向いて、便の運行状況を確認したものの、交通規制については確かな情報を得ることはできなかった。 そのため、規制が始まるという午前12時の2時間前の午前10時に家を出た。ちなみに、到着予定時刻は午後1時半なので、空港で3時間待つ羽目になってしまった。この日は、特別休日であること、交通規制の情報が徹底していたせいか道路はがらがらで、あっという間に空港にたどりいた。途中、スカイウエイ高速道路ではポルシェなどのスーパーカーがグループで疾走していた。 空港は2時以降、立ち入り禁止となっており、各航空会社は到着を早め、2時までに乗客を降ろしてしまおうと算段をした。そのため、昼ごろの空港は出迎え客でごった返していた。人々は長丁場を覚悟して、座り込んでいる。また、タクシーはほとんどいなくて、タクシー待ちの行列ができていた。ゲストとであった時間は、すでに空港からマニラ市に向かう道は閉鎖されているので、反対方向の空港の南を回って、マカティに戻ったが、この日、この出迎えに、ほとんど一日を費やしてしまった。        客を無事ホテルに届けて、ほっとして、家に戻ると、テレビでは法王の到着の模様をテレビで映していた。アキノ大統領を従えて、要人に一人ひとり挨拶しさらに教会の神父たちの歓迎を受ける。ちなみに、神父をファーザーと呼ぶが、この日、法王に謁見が許されているのは、ビショップなどカソリック協会のトップクラスのみだ。法王はフランシスコという名で、Pope Franciscoと呼ばれる。Popeというのは、パパという意味で、法王のみが使うことを許されているそうだ。したがって、法王のことを親しみをこめて皆、パパと呼んでいる。 法王の到着をテレビで見ていたジェーンは、手を合わせて、今までみたこともない慈愛に満ちた顔をしている。カソリック信者にとっての法王は、まさにキリストの化身で、神と映るのだろう。 […]

ローマ法王の訪問でフィリピンは5連休 2015年1月19日



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2009年3月にロングステイ財団、山田元部長の依頼を受けて以来、パスコは、ロングステイ財団公認マカティ・サロンとして6年間、活動を続けてきました。主な活動としては、毎年一回、日本で行われるロングステイフェアの出展、季刊誌ロングステイへの寄稿、その他、会員からの相談などで、フィリピンでのロングステイないし移住のための情報を提供することでした。 ロングステイ財団公認サロンとしての直接的なメリットは特にありませんでしたが、フィリピンをプロモートするものとして、いわば、ボランティア的な活動でした。 しかしながら、財団公認サロンとして看板を上げるとなると、ロングステイヤーの宿、観光、買い物、送迎などのお世話など、当社の主要業務(退職ビザ、会社、相続、登記などの行政書士的業務)とは相容れぬものがあり、少なからず負担となっていました。 しかも、何か不満があると(例えばPRAの手続きの遅れに対する不満など)、直接、財団にクレームされる始末で、当方としては、かえって財団公認サロンであることが足かせにさえなるという事例がでてきました。 そんな事情で、1月末を持ってマカティ・サロンは財団公認を返上しますが、パスコは「退職者の何でも相談所-パスコ・デ・サロン」として、従来と同様な活動を続けていきます。したがって、退職ビザの取得とそれに関連する各種手続き、不動産の購入にまつわる契約・登記手続き、会社設立、相続など、各種行政手続きに関しては遠慮なく相談においでください。 また、ロングステイ財団についても、公認サロンという立場ではなく、パスコとして、種々の情報を提供するなどの協力は続けていく所存です。

ロングステイ財団公認返上のお知らせ 2015年1月19日