Daily Archives: November 28, 2011


2011年11月19日、アロヨ元大統領が選挙法違反の罪で病院内で逮捕された。 アロヨは、その数日前から脊髄の病気を理由に海外への脱出を試みていたが、最高裁の出国監視の差止め命令に逆らって入管が出国を阻止し、この日の逮捕にいたった。罪状は2007年に行われた上院議員での選挙妨害ということだが、アロヨは在職時代から2006年の大統領選挙そのものの不正、エストラーダ前大統領の恩赦、幾多の賄賂等で在職時代から何度か政権崩壊の危機を迎え、なんとか乗り越えてきた。 アキノ現大統領はアロヨの不正を暴くことを公約に大統領選を戦ったが、アロヨによる妨害で、1年半を経てようやくこの日の逮捕にこぎつけた。特に最高裁の長官および15人の裁判官のうち12人までが、アロヨ政権による任命で、アロヨ側に加担していることが、ことの進展を妨害してきた。  1998年からアロヨは副大統領の座にあったが、2001年、エストラーダ前大統領を不正蓄財の罪で追い落とし(エドサ革命2)自らが政権の座についた。そして2006年の選挙では人気男優のフェルナンド・ポーに僅差で勝利し、9年の長きに及ぶ政権の座を維持した。この選挙についても不正が行われたとの告発がなされ、追訴される可能性も大きい。  エストラーダ前大統領、そしてアロヨ元大統領かつ現役の下院議員の2代続いた大統領の逮捕とあって新聞やテレビは連日、その報道に終始した。しかし、巷の反応は冷静で、来るべくして来た、といった感じで、他の国のようにアロヨを指示する一派と、アキノを支持する一派の戦いなどという構図はフィリピンでは成立しない。選挙で新しい大統領が選ばれて、彼が元大統領を法に則って告訴するというきわめて民主的かつ平和的にことが進められている。  ところで、先ごろ世界経済フォーラムが発表した135カ国の「男女格差報告書」によると、フィリピンは堂々8位にランクされ、東南アジアにおいては断トツだった。ちなみに日本は98位、トップは北欧諸国が占めている。先のアキノ前大統領、アロヨ大統領をはじめ、上院議員でもサンチャゴやレガルダなどの男勝りの議員が活躍している。巷でも銀行の支店長などはほとんど女性だ。フィリピンでは男女格差というのは女性が上位であることに対して使うこともあるくらいだ。  だから、たとえ女性の大統領といえども、不正選挙や汚職など、男性の政権トップと同等あるいはそれ以上にやってのけるらしい。

アロヨ元大統領の逮捕 2011年11月28日


   ロングステイフェアに参加するために半年ぶりに日本の土を踏んだ。期待はしていたのだが、今年は柿の当たり年で、裏庭には食べごろの柿が豊作だった。 この柿を 30個ぐらいフィリピンにお土産に持って帰って来たのだが、周囲のフィリピン人は皆、ありがとうとは言うものの、そのまま冷蔵庫にしまって一向に食べる気配がない。たまたまマニラに来ていたマム・ジェーンのお母さんが大好物といって、ほとんどビコールの田舎に持って帰ってしまったが、フィリピン人特有のお愛想なのかどうか、彼らにとって食べられる代物でないのか、未だに不明だ。りんごやみかん、それにぶどうは中国産のものが大量に出回っているが、柿はほとんどみかけない。それだけ希少価値があると私は勝手に思っているだが。  ロングステイフェアの翌日の日曜日は孫娘(結月、ユズキ、3歳)の七五三だ。午前中、9時か10時といわれていたのだが、フェアが終わって気が抜けたのか、有明のホテルで8時ごろまで寝て、のんびりと横浜の家路についた。11時ごろ誰もいない家についたとたんに、電話がけたたましくなった。息子(三男坊の介哉、カイヤ)が、かんかんになって、一体何をやっているのか、直ちに着替えて近所の富岡八幡に駆けつけろというのだ。七五三などは三々五々、適当に神社にお参りに行けばいいくらいに思っていたが、そうでもないらしい。  しかしながら、私は携帯を持っていないし、息子としてはやきもきして苛立ちが頂点に達していたらしい。あわてて、久しぶりの礼服に着替えて八幡様に行ってみると、式は終わって記念撮影の時間となっていた。しかしなんとか記念撮影に間に合って事なきをえた。 引退して仕事を離れてしまって、日々のんびりしていたら、きっといつもこんな失敗をしでかして、女房や息子にぼけ爺と怒鳴られてばかりいるのだろうと、冷やりとした。この後は恒例の会食だが、嫁(智美さん)のお父さんは忙しくて欠席、近所で和食を楽しんだ。しかし、二人の娘をもうけ、1990年代ものとはいえ高級車のジャガーに乗り、新築の4LDKを手に入れて、好青年振りを発揮している介哉だが、震災のあおりでビジネスが思わしくなく、なかなか厳しいとのことだった。嫁さんは少しやせて和服がはえていた。 夕食は美味しい寿司が食べたいという私の願いで、近所のジャスコの回転寿司に行った。前はいつも待たされたのに、この日は、数組の客しかおらず、回転台に寿司が並べられず、注文しながら食べるというかえって贅沢をさせてもらった。5人半でしめて12000円は高いか安いか、金銭感覚が狂っている私には判断ができない。しかし、破竹の快進撃だった回転寿司も閑古鳥が鳴いているのは、100円寿司の攻勢に圧倒されているためだそうだ。そういえば高校のころ新宿歌舞伎町で10円寿司というのを食べたことがあるが、時代は繰り返すものなのか。  寿司屋には江ノ島在住の次男坊の恵之(ケイシ)が駆けつけてくれた。長男(史誠、シセイ)は結婚しているので、唯一の独身だ。フィリピン人と結婚させて私の農場の跡継ぎでもさせようと画策しているのだが、なかなか思うように行かない。最近は土木工事に没頭しているようで、期せずして土木屋である私の後を継ぐことになりそうだ。2級土木施工管理士にもチャレンジしたそうで、なにか土木屋(あるいは土方)としての貫禄が出てきたような気もする。  一方、介哉の子煩悩ぶりも半端でない様で結月(ユズキ)との戯れ方も手馴れたものだ。この日、私の自宅の3階の倉庫で介哉が探し物をしていた。折りたたみ式の階段であがるために、子供には少々危険だ。それで、介哉がジッジに抱っこしてもらいなさいと結月に話しかけたら、ついに孫娘のOKが出たのだ。前回の訪問では近づくと逃げていた結月だが、ついに肉親としての私の存在を認めてくれたようだ。お土産に毎回バッグを買ってきてやったのが効を奏したのかもしれない。 さて今回のブログの主役であるはずの夕芽(ゆめ)ちゃんは、いつも静かで大人しい、4ヶ月の女の子だ。まだちょっと人格が形成されていないようで、寝てばかりいる。次回、帰るときまでには元気な女の子に成長していることだろう、今度はバッグを二つ買うのを忘れない様にしないとまずい。      

半年振りの日本で二人目の孫に初顔合わせ 2011年11月28日