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 6月6日のマニラ新聞によると日比国際結婚の2007年の実績は9379件、離婚数は4737件となっている。これは中国に次ぐ2番目の件数だが、 2005年に始まったジャパユキさんへのビザの発給制限により出会いのチャンスが減ったせいか、減少傾向にあるという。一方、離婚数は2桁台の伸びで増加に歯止めがかからない。1992年~2007年の日比の結婚総数は122,252件、離婚総数は42,607件、3組に一組が離婚したことになる(もっとも日本人同士の離婚も同じような数値だそうではあるが)。しかし、結婚から離婚に至る時間差を考慮すると、半数近くが離婚しているとも読める。ちなみに日比夫婦の子供の総数は75,317人に上るそうだ。    フィリピン人妻をもつ日本人と話す機会が多いが、色々苦労しているようだ。書籍「奥様はフィリピーナ」においてもいみじくも「1年に365回の離婚の危機を乗り越えて、二十年近い月日が経ってしまった」とのことである。夫婦の仲というものは他人が見るほど単純ではないだろうが、果たして日比国際結婚というのはそもそも成り立つものなのだろうか。 今藤 元著、彩図社刊   前のブログ「フィリピンは男性天国?それとも女性天国?」でも紹介したとおり、フィリピンではかかあ殿下が普通だ。そして、昨今は様変わりしているとはいえ、日本は亭主関白が美徳とされている。特にフィリピーナと結婚するのは熟年男性が多いから、ねっからの亭主関白とチャキチャキのかかあ殿下が一緒に暮らすことになる。日本の亭主は妻のことを重宝なメイド兼ヤヤ、さらには秘書兼運転手くらいに思っているから、そんな調子でフィリピン妻を扱ったら、大変な剣幕でやられるのは目に見えている。しかも人前でしかりつけたりしたら、たとえ彼女に落ち度があったとしても、数日間は口も聞いてもらえないだろう。一方、亭主の行動を常に監視し、なんでもないことにやたらとやきもちを焼くフィリピン妻にはうんざりする。さらに、逆に、妻に対してやきもちを焼かないと「愛していないの」と食い下がられる。こんな調子では1年に365回、喧嘩するのもうなずける。  亭主関白はあごで妻を使う。一方フィリピン女性は亭主をあごで使う。二人して相手にあごをしゃくりあう。この勝負どっちが勝つのか、あごの長さで夫婦関係が決まるのだろうか。フィリピンに住んでいるのであれば、両者があごをしゃくる方向をメイドに向ければ良い。それですべて解決だ。しかし、メイドを雇うことなど夢の夢の日本ではどうしたらいいのだろう。仲良くやっていきたかったら、フィリピン女性と結婚したのだから、日本人男性も覚悟を決めて、先進国の男性並みに家事の半分ぐらいは担当する心意気が必要だ。相手だってほとんどやったこともない料理を作って亭主に食べさせるのだから、当然だろう。  まがりなりにも文化慣習の全く違う世界で育った男女が一緒になるのだから、恋愛感情だけではすぐに行き詰ってしまう。自分の主張だけを繰り返していたのではいつまでたっても喧嘩が絶えないから、お互いが50%づつ歩み寄って、落としどころを見つけることが肝要だろう。「添い遂げる」というのは、日本流に考えれば、妻が旦那に添う、というニュアンスがある。しかし、フィリピンでは逆に男性が女性に添ってくるものなのだ。だから、日比国際結婚では両方が相手に添うように努力して丁度良いのだろう。   フィリピーナは底抜けに明るいが、心の底はデリケートで複雑、我々の理解の外だ  数値の上では日本男性とフィリピン女性の結婚が98%と圧倒しているが、私の周囲にフィリピン人と結婚した日本女性も数名いる。亭主をたてて影にまわる日本女性と、妻をたてて影に回るフィリイン男性が一緒になったら、料理をしても荷物を持つのも「アコ・ナラン、アコ・ナラン(私にまかせて)」と、実に仲むつまじい夫婦となること請け合いだ。フィリピン男性にとって見れば、妻が料理をして食べさせてくれるだけで感激ものなのだ。これでは夫婦がぶつかりようがない。  フィリピンでは男性もやきもちを焼く。妻が一人で出かけると、男が一緒ではないかと、やたらとチェックのメールが入る。果ては一緒にいる友人の女性に証人として電話に出てもらったりするはめになる。フィリピン人なら、なんて愛されているのだろうと、まんざらでもないのだが、日本女性の反応はいかがなものか。まあ、男勝りで、男を征服するという意識が強い女性はフィリピン男性と結婚すると良いかもしれない。最近は肉食女性と草食男性なんて言葉もあるから、日本も大分国際的になってきたのかもしれないが。   男にとって、世界で一番の幸せは、イギリスの車に乗って、アメリカの家に住み、フランスのリゾートに住んで、中国料理を食べそして日本の女と結婚する、ことだという話を聞いたことがある。世界では日本の女と結婚するのはステータスとも言われている。まさに日本女性はブランドなのだ。一方、日本男性の評価はあまり聞こえてこない。所詮世界では2流なのだろう。そのくせ、亭主関白などと威張り散らしてみても、それは日本だから通じるのであって、フィリピーナは屁とも思わない。フィリピーナはなんといっても強くて逞しい国際人なのだ。

日比国際結婚は是か非か 2009年6月13日


   日本から見ればフィリピンは間違いなく男性天国と見られているだろう。日本のフィリピン・パブと同じシステムのカラオケ・パブないしクラブがマニラだけで100件はあるだろうが、そこではうら若いフィリピーナが夜な夜な日本人男性を癒している。一方、ショー・クラブやゴーゴー・クラブでは水着姿のダンサーやモデルが舞台で腰をひねらせ、客の指名を待っている。中には目を覆うような過激なショーを見せるところもある。カラオケを除くこれらのクラブは原則、連れ出しが可能だ。さらに、フィリピン庶民の遊びどころであるビア・ハウスは全国いたるところ無数にある。観光客相手には手っ取り早い置屋も健在だ。どうみてもフィリピンは男性天国のようで、それを目指して訪れる観光客も少なくない。  マカティの老舗カラオケパブとアンヘレスのゴーゴークラブ。  ところがフィリピンに長く住んでいる日本人は、「フィリピンはまさに女性天国だ」という人が大多数だ。企業の駐在員の奥様方はメイド、ドライバー、ヤヤ(子守)などにかしずかれ、会社支給の豪邸に住み、趣味やショッピングに明け暮れている。これをあこがれの「駐在員妻」と言うそうだが、そんな夢の生活を数年間過ごして日本へ帰ると、カルチャーショックで、日本の生活になじめないという。日本で奥様は、メイド、子守、秘書、ドライバー、果ては旦那のご機嫌取りのホステス役まで、全部一人でこなさなければならないのだ。  フィリピン人の場合も、お金持ちの奥様や旦那が高給取りの奥様は、まさに駐在人妻と同様あるいはそれ以上の優雅な生活をしている。それでいてさらに、妻は家庭のボス、常に旦那を尻に敷いているのだ。亭主関白という言葉のタガロク語は知らないが、旦那を尻に敷くのをフィリピンでは「アンダー・ザ・サヤ(ペチコートの中)」と表現する。レディファーストなんていうのは当たり前、しかもフィリピンにおいては女性の方がはるかに地位が高いから、男女平等というような言葉は意味をなさないのだ。  それに甘んじているフィリピン男性はどうなのだろう。フィリピン男性の優しさは我々にとっては驚愕に値するほどだ。男性は女性をあらゆる手立てで口説き落とし、さらに愛する女性に尽くして幸せにすることが無常の喜びだそうだ(最近では孕まして逃げてしまう男性も多いようだが)。ちなみにバレンタイン・デイには妻や恋人に赤いバラをプレゼントして愛の証を立てるのは男性、さらに料理は男の仕事だ(だから、ほとんどのフィリピン女性は料理ができない!)。   バレンタインには赤い花束を女性に贈る  しかしフィリピンにはその日の糧にも困る人々が多数を占める。そんな時、旦那の尻をたたいて働かせ、あるいはシングルマザーとして逞しく子供を育てるのが女性だ。困難に直面して女性は実に逞しく、頼りになる。だから一家の大黒柱なのだ。会社でも幹部は女性が多い。銀行の支店長などはほとんど女性だ。カラオケやナイトクラブで働く女性も、たいてい一家を背負って立っている。18や19才の娘が病気の父親や、弟や妹の学費を稼ぐために体を売るという覚悟は並大抵のものではなかろうと頭が下がる。     こんな女性の社会進出を助けているのがメイドとヤヤの存在だ。高校(日本の中学に相当し、4年制)卒、あるいはそれさえももろくに出ていないとまともな就職口はない。そんな娘達が月々数千円~1万円で雇えるのだ。だから、共稼ぎやシングルマザーだとしても、子育てや家の仕事は全く問題ない。特に介護が必要な両親を抱えていたとしても、苦にならないのだ。 かいがいしく盛り付けをするフィリピーノ(左写真の奥)、子供にヤヤはつきものだ(右写真の右の女性)。  さて本題に入るが、こんな男女関係のフィリピン人カップルの男性が浮気したらどうなるのだろう。日本なら妻が旦那を責めて、離婚などややこしいことになる。あるいは利口な妻はことを荒立てぬよう知らぬ振りをする。フィリピン女性は、常日頃から旦那あるいは彼氏の浮気を徹底的に監視する。そして尻尾をつかんだら、ただちに浮気相手の女を攻撃するのだ。時には取っ組み合いの喧嘩までやる。男性は喧嘩の成り行きを見守るばかりだが、たいていは妻や元々の彼女が勝利する。旦那は妻に「2度と浮気はしません、愛しているのはお前だけだ」と侘びを入れて、一件落着する。しかし1週間もすれば新しい浮気相手の物色を始めるのだ。  一方、妻あるいは彼女の浮気はどうなるのだろう。もし自分の妻あるいは彼女が浮気したとしたら、男性は「糞を頭に載せている」と評され、恥ずかしくて外を歩けないほどのものなのだ。だから旦那は浮気した妻を徹底的に責める。このときだけは男性が手荒いことをすることも容認されるようだ。女性の方は、なんとふしだらな女だと社会的にも制裁を受ける。ちなみに「姦通罪」という罪も存在するが、これは女が浮気したときにだけ適用され、男の浮気には適用されないそうだ。  以上の通り、カップルの相手が浮気した場合、責められるのは常に女性なのだ。その理由は「浮気するのは男の性(サガ)、だから理性ある女性は、口説かれても拒否するのが当たり前で、妻子ある男性を愛してしまい、浮気を許したのは女性側の落ち度なのだ。」という、なんとも男性に都合のよいものだ。  果たしてフィリピンは日本人男性にとって天国なのだろうか。あるいは地獄なのだろうか。一方、女性にとっては、フィリピンはどうみても天国のような気がする。

フィリピンは男性天国?それとも女性天国?2009年6月11日



 先日書いたセックス・ビデオ・スキャンダルの事件は、その後ますます激しく巷の話題を独占し、一種の社会現象と化している。芸能人のスキャンダルなどを専門に取り上げるSNN(Showbiz News Ngayon)というニュース番組がある。司会はかの元大統領、Cory Aquinoの娘のKris Aquino(下写真右)。週一回の番組だったが人気上々で、今では毎日放映している。その番組に毎日のようにこの「セックス・ビデオ・スキャンダル」が取り上げられているのだ。  先日第2回目の聴聞会が上院で開催された。必死に息子の無実を訴える母親(写真下左)と神妙に聞き入る話題の張本人のHyden Jr. Kho(写真下右)、二人ともここまで話題が大きくなると、神の裁きに頼るしかない。    Hayden Jr.に、セクシーコメディアンであるRuffa Mae(写真下右)を寝取られた男優も登場したが、彼女自身は沈黙を守っている。ビデオに登場した他の女優あるいは女性達も恥ずかしさに耐えて沈黙を守っているが、Katrina Halili(後述)だけが訴訟を起こし、いきまいている。人々は、そんな彼女をレベルの低い女だからと白い目で見ているが。  一方、第3者であるはずの有名人も話題に登場している。Hayden Jr. […]

セクシュアルビデオで話題騒然(その2)2009年6月10日


   6月に入ってマニラは連日雨模様だ。ほとんど1日中曇り空で、小雨、時には強い雨が降る。傘を持たずに出ると必ず雨宿りのはめに陥る。この季節はタクシーが人気で、空のタクシーをつかまえることは至難のわざだ。 雨にむせぶマニラの遠景  雨季の後半の10月~11月は台風シーズンでもあり、強い雨が降るとマニラの道路はいたるところで冠水する。こんなときに威力を発揮するのがジープニーと SUV(Sport Utility Vehicle)だ。普段はでくの坊のSUVも一般乗用車が立ち往生する中を得意げに水しぶきを上げて通り去る。 セダンはちょっとした冠水でもすぐに音を上げる  フィリピンでは形だけSUVとした東南アジア仕様の車が存在する。4WDの本格的SUVを買えない庶民はこのアジア版SUV(A-SUV)を買う。トヨタのタマラオFX、いすゞのクロスウインド、三菱のアドベンチャーなどは三菱の伝説的人気車種であるパジェロを模して作られたA-SUVだ。かつて選挙の時、候補者達はパジェロに乗って田舎道を走り回り、有権者に投票を訴えた。そのため、パジェロの名はフィリピン全土に知れ渡り、憧れの車となったのだ。 車高が高イスズ(クロスウインド)はほとんどの冠水道路を平気で走れる  現在ではトヨタ、日産、ホンダ、マツダ、いすゞ、それにアメリカやヨーロッパのSUVがマニラの街を走り回り、パジェロが特別目立つ存在ではなくなったが、かつては贋物が出るほどの人気だった。その名は「パレホ」、タガログ語で「同じ」という意味だ。PAJEROのJとRを入れ替えて、PAREJO(パレジョではなくフィリピンではパレホと読む)となる。パジェロとは似ても似つかない代物だったそうだが、そのネーミングのセンスのよさに脱帽だ。

マニラは本格的な雨季に突入 2009年6月6日



 今フィリピンで最も話題となっているのは、医者で俳優というエリート、Hayden Jr. が自分で写したガールフレンドとの営みの現場ビデオがインターネットで出回ってしまった、ということだ。しかも、相手は有名な5人の女優を含む50名の女性との現場で、日記のように自分の性行為を写すのが彼の趣味だったそうだ。   事の起こりは自分のガールフレンドを寝取られて腹を立てた同僚の医者が彼のコレクションのビデオを盗み出して、ユーチューブに公開してしまったのだ。ビデオは瞬く間に広まり、、ダウンロードして配るものやら、DVDに焼いて売りさばくものやらが続出した。ちなみに取り締まりに当たった国家警察(PNP) の本部(キャンプ・クラミ)には、一部屋いっぱいに押収したDVDやUSBが積みあがって処分に困っているという。ユーチューブにアクセスすれば今でも見れるそうだが、まがい物が出回っているので見つかるかどうか保証の限りではない。     彼はUST(University of Sant Thomas)というアジア最古といわれる名門大学を卒業し、Mr.USTだったそうだ。ハンサムで医者という彼は、ベロというクリニックに就職した。ベロはビューティ・クリニック・チェーンとして大成功を収めて、オーナーのVicki Beloは億万長者だ。そのBeloの目に留まってBeloのボーイフレンドとなった彼は瞬く間に出世して、ベロの幹部となった。ハンサムで若くて金のある男をほっておくわけがない。女優を初めとする多くの女性との交流があったとしても不思議ではない。テレビ局はパリに滞在するBeloを追いかけて取材した。このような時、Beloは臆する風もなく堂々と取材に応じていたが、それがフィリピン流だ。  本人が故意にやったのではないのだから、世間から責められることはないはずだが、うらやみややっかみもあってか、かしましい女性陣の追及が手厳しい。聴聞会に出席したある中年の男性は、ビデオに出ていた女性が自分の娘に似ていたというので、Hayden Jr. […]

セクシュアルビデオで話題騒然 2009年5月30日


 日本で開催されるフィリピンセミナーに参加するために、久々に日本に行って来た。昨年の9月以来なので、8ヶ月ぶりとなる。また、昨年7月に生まれた孫の成長を見るのも楽しみだった。今回は日記風に綴ってみた。 5月16日(土)出発 退職ビザ保持者はターミナル1では右端の特別レーンで出国手続きが出来る。そこにはACR(外国人登録証、現在はIC化されている)保持者の出国手続きの窓口があり、現在ではわざわざ入管に出向いて、再入国許可証を取るというような煩わしさはなくなっている。退職者ビザはそのような手続きは不要なので、そのまま出国手続きのゲートに進めばよい。  成田の入国審査場では例のインフルエンザ騒ぎで、係官が物々しくマスクをして審査をしていた。幸いフィリピンはインフルエンザにも見向きもされないようで、この時点で発症者は0、問題なく審査を通過できた。 5月18日(月)フィリピンセミナー参加  地下鉄御成門が一体どこにあるのか、鉄道マップでやっと探り当てたが、東京近郊の鉄道網は、もはや4次元の世界と思えるほど複雑だ。LRT1、LRT2そしてMRTしか知らないマニラっ子は一体どんな印象を持つことだろう。大阪や岐阜から来ていた私の知り合いは電車に乗る前、携帯を使って順路を調べていた。それがなかったら動きがとれないとのこと。   電車の案内が液晶パネルに示され、次の駅や時間が示されて、とても便利になっている。これもまた、フィリピン人が見たらびっくるすることだろう。なにかやたらと文化水準の違いを見せ付けられるよう気がした。   フィリピンセミナーが開催されるアセアンセンターに早くつきすぎてしまい、昼食を食べた後、タバコを買おうとした。以前、成人であることを証明するカードがないと買えなかったので、タバコを自販機に詰めているおじさんに聞いてみた。そしたら、この機械はカメラで買う人の顔を認識して年齢を判断するとのこと。確かにカードでは借りて使えば誰でも買えてしまう。この私が未成年に見えるはずがないと、早速試してみたら、まさかのNG。そうしたらおじさんが直接売ってくれたが、やはり対面で買うのが一番良い。  セミナーのあとはフィリピン移住に興味を持っている方々と品川で食事をした。  5月19日(火)息子夫婦と食事  昼間はフィリピンの仕事でお付き合いのある会社を訪問し、昼食をともにした。  夜は息子夫婦と嫁さんの両親と居酒屋で食事をした。向こうのご両親とはお宮参り以来の3回目の食事会だ。京浜急行、能見台駅の近くの居酒屋、メニューを見ると何もかもおいしそうだ。結局端から二皿ずつ頼むことにした。それにしても大きな居酒屋なのに客は二組だけ、これでやっていけるのか心配になってくる。日本はやはり不況なのかと感じた。  居酒屋の帰りは歩いて富岡駅、そして金沢シーサイド・タウンに戻ってきた、実を言うと、相手の両親、私、そして息子夫婦と、皆この団地に住んでいるのだ。途中、国道沿いに地蔵を見つけて、孫の健やかな成長を祈った。 5月20日(水)姉宅と息子宅訪問 […]

久しぶりに日本の土を踏みました 2009年5月25日



  5月18日に開催されたロングステイ財団とフィリピン観光省共催のフィリピンセミナーに参加するため日本に出張した。はじめは気楽なつもりで参加を申し込んだところ、ロングステイ財団にしっかり抑えられて、講演「フィリピンの退職者査証について」、相談コーナー、パネルディスカッションのパネラー、そして番外のロングステイアドバイザーを対象とした勉強会と、ほとんど息の継ぐ間もないほどのスケジュールとなってしまった。 ロングステイ財団事務局長、根崎さんの挨拶 フィリピンでロングステイヤーを対象としてビジネスを展開する賛助会員の出展準備、右の写真は介護施設アモーレの里を経営する岸田さんと賛助会員の古堅(フルゲン)さん(左) 賛助会員でアンヘレスにペンション「フレンドシップクラブ」を経営する根本さん  退職ビザの概要はどこのHPでも見れるが、いざ実際にビザを申請しようとすると、色々判らないことが出てくる。今回の講演及び勉強会ではそのような部分にスポットを当てて解説したが、以下にその原稿を公開する。 フィリピンセミナー 退職ビザ手続きに関するFAQ 2009年5月18日 志賀和民 1.無犯罪証明書の取得について  現在、無犯罪証明書については従来のNBIクリアランスだけでの申請認められておらず、日本の県警で取得する必要があります。県警に申請するとき、パスポート、住民票、戸籍謄本のほかに、無犯罪証明書の使用目的を示す証拠として、記入済みの退職ビザ申請用紙の提出が求められます。  さらに、本来、この無犯罪証明書を外務省、フィリピン大使館に持っていって認証してもらわなければなりません。しかし、この認証は大変な手間を必要とするために、PRAは、後付で提出するという約束(Affidavit of Undertaking)とNBIクリアランス及び無犯罪証明書(未認証)の提出でビザを発行しています。これはPRAが入管の要求に対して行っている苦肉の策といえます。なお、無犯罪証明書は開封すると無効になるので気をつけてください。  交通違反や軽微な事件等で警察に厄介になったことがあったとしても、送検されない限り、無犯罪証明書への記載はされないそうです。また、長期間経過した軽微な事件も時効で記載されないそうです。もしそのような身に憶えのある方は、申請時に県警に問い合わせてみてください。 […]

ロングステイ財団主催のフィリピンセミナーに参加2009年5月24日


  比日経済連携協定(EPA)に基づき5月10日、273人のフィリピン人看護士/介護士が日本へ向った。このことが大きな話題になったのが2004年で、それから5年を経てようやく実現したことになる。500人の枠に対して、かなり下回る人数しか送り出すことが出来なかったのは、募集や受け入れのアレンジが国の機関が直接行なっていることによるものと考えられる。   一方、半年の語学研修を経て、働きながら勉強し日本語で看護士/介護福祉士の資格を3/4年以内に取らなければならず、チャンスは一回限りで、受験に失敗すると帰国しなければならない。3~4年の勉強で日本語の国家試験に受かるはずもないから、結局この制度も研修と称する人材派遣に過ぎないといえる。それにしては給与が手取りで1000ドル程度というのは低すぎる。彼らは 2000~4000ドル程度の収入を他の先進国では手にすることができるという。しかも、受け入れ事業所にとって、日本人を雇うよりはるかな大きな負担がかかるというが、このお金は一体どこへ行ってしまうのだろうか。  それでも、フィリピン人看護士、介護士が日本へ行くことになったのは夢の実現への第一歩だ。ジャパユキさんにとって代わって、花街でない介護という人間性が問われる現場でフィリピン人が日本のお年寄りを面倒見る。そこで真のフィリピン人の姿を見ることができるだろう。そうしたら、現状の制度がいかに無意味で現実離れしているかが議論され、フィリピン人看護士/介護士の受け入れに大きな進展が見られるのではないかと期待される。  さらにまた、今まで「危険、汚い、金なし」の3 Kの代表と思われていたフィリピンだが、日本にいる日本人がフィリピン人の温かい心に触れることにより、それがまったくの偏見によるものだということが認識され、退職者がなだれをうってフィリピンにやってくるのではないかと夢は広がる。

フィリピン人介護士、看護士が日本へ出発 2009年5月14日



 フィリピンの英雄マニー・パクヤオは5月3日、IBOジュニアウエルター級タイトルマッチでハットン(英国)を2ラウンドKOし、ついに5階級制覇という偉業を成し遂げた。この国民的英雄の人気にあやかろうと、アロヨ大統領は彼が帰国する5月8日を英雄の凱旋を祝う国民の日と定めると宣言した。その他、次期大統領選に立候補を目論んでいる上院議員がこぞって、パクヤオの偉業をたたえる声明を発表した。さらに下院議長を初めとする50名以上の下院議員がラスベガスの試合を見るために渡米したそうで、これら議員による浪費を非難する声も上がっている。 PALの飛行機で配られた新聞から マカティの街角で見かけた看板  一方、パクヤオはこの国民的人気を背景に政界入りをねらっているそうだ。しかし、所詮ボクサーが政界に入ったとしても業績を残せるはずもなく、パクヤオの政界入りがその偉業を台無しにする事を危惧する声が大きい。一方で、世界中の注目となっている新型インフルエンザだが、ラスベガスは流行地域のカルフォルニアに近いということで、帰国遅延の要請がWHOからあった。パクヤオは予定通り帰国を強行したが、それはアロヨ大統領が定めた国民の日に帰国できないとあらば、大統領の顔に泥を塗ることになるということを配慮したものと考えられる。それにつけてもフィリピンではこの英雄の一挙一動に注目が集まっている。

マニー・パクヤオの5階級制覇 2009年5月14日


 セブパシフィックの格安運賃の戦略で飛躍的に乗客が増加したレガスピ空港には、従来一日一便だったのが、セブパシフィックが2便、PALが2便、さらに Zest Airなどが飛んでいる。セブパシフィックはバス便と変わらない格安のチケットを発行し、従来バスで移動していた人たちに飛行機で移動する味を覚えせて、後戻りできなくさせてしまったようだ。空港にはセブパシフィックとPAL、両社の飛行機が同時にとまるなど、従来ではありえなかった光景を見ることができる。   チェックインカウンターにはPAL、CEBU PACIFIC、さらにZest Airという新規参入の航空会社のカウンターがあり、閑散としたローカル空港だったものが、最近は周辺に新しいレストランやおみやげ物屋ができて活気が出てきている。    空港前の広場の右奥に、Gallerias De Legaspiという民芸品の店がオープンした。主にアバカ(マニラ麻)で作ったハンドバッグを置いているが、モダンでしゃれたデザインで、値段がせいぜい500円~1000円と格安だ。日本にも輸出しているという。

3社が乗り入れるレガスピ空港 2009年5月14日