Daily Archives: July 17, 2007


1992年、ツーリストベルトと呼ばれ、毎夜多くの観光客を集めていたマニラの夜の顔マルセーロ・デルピラール通りに衝撃が走った。当時市長であったアルフレド・リムがすべてのゴーゴークラブなどのいかがわしい場所を閉鎖すると宣言したのだ。そんなうわさを聞いてたずねてみると、確かに、今までネオンを瞬かしていた、別称、猫、星、泡、花などのゴーゴークラブの入り口には10cm角の角材で等身大のXマークがつけられ封鎖されていた。どうせ、政治家の点数稼ぎで、せいぜい賄賂がほしくてやっただけだろうと大方の人がたかをくくっていた。しかしながら、いつまでその封印は解かれず、お店のほうはあきらめて、パサイ、マカティ、あるいはアンヘレスへとちりぢりになり、あのツーリストベルトは姿を消してしまったのだ。 たとえ、店を封鎖したところで、売春をしなければ生きていけないような人々がいる限り、売春は決して根絶できない。あるいは、売春といえでも生きるためのぎりぎりの選択であり、彼らの生きる権利を奪い去るものである、等々喧々諤々の意見を交わしたものだが、我々同士でそんなことを言ってみてもはじまらない。それから15年、人々に忘れ去られたデルピラール通りは夜もひっそり見る影もない。一方、同じエルミタ地区のアドリアチコ通り、マビニ通りなどは、健全(?)な発展をとげ、多くのレストラン、カラオケ、ショーハウスがオープンし、かつてのツーリストベルトの面影を漂わせている。 アドリアチコのオープンレストランには観光客が一杯 ところが、2005年、そのデルピラールの一角にLAカフェなるものが出現しただ。単なるカフェでコーヒーやビールを可愛らしいウエイトレスが運んでくれるところだ。ところがいつしか男女の出会いの場として、口コミでうわさが広がり、多くの観光客が集まるようになり、店は拡張に拡張を続け、通常の大型レストランの4~5つ分の規模にまでになった。中はいつも外人観光客で一杯だ。そして、その観光客のお相手になろうというフリーの売春婦が大量に集まってくるのだ。彼女たちは男性客の声がかかるまでひたすら待ち続け、声がかかると早速交渉が開始される。店が管理しているわけではないので、支払ったお金が全部彼女たちのものになる。そのためかなりの割安で遊べるそうだ(1000~1500ペソ)。 LAカフェの入り口 ところが、男と女の交わる場所にはどういうわけかママさんたるものが出現し、客に、いい子がいるよと盛んに薦めてくる。なんだか普通のゴーゴークラブと似たような状況になってきている。当然のことながらママさんは女の子の実入りをピンはねするのだろう。しかし入り口近くのフロアーは立錐の余地もないほどに混みあって、今やマニラで一番熱いスポットになっていることは間違いない。ちなみにここは24時間営業だ。   LAカフェの内部 マニラ市長から上院議員に出世したアルフレド・リムが何故か、さきごろ行われた統一選挙で、マニラ市長に返り咲いてしまった。そのため、LAカフェをひいきにしている日本人は、あの1992年の悪夢が再現されるのではないかと、夜も眠れずにいるそうだ。そして、その後、その悪夢が実現することになったのだ。しかし、幸い、名前を変えてすぐに復活した。 LAカフェは昼も夜も24時間営業

雑記帳 デルピラールの復活


ジョリビーといえば、蜂を模した人形で子供たちに絶大な人気をほこるファーストフードチェーンだ。1990年初頭から全国展開をはかり、マクドナルドを凌駕し、ファーストフード業界No.1の地位を誇っている。業務形態とメニューはマクドナルドと全く同じだが、味付けや品揃えをフィリピン人向けにアレンジして、人気を確保している。しかし、それよりも子供向けにテレビ宣伝を展開し、泣く子も、ジョルビーに行こうといえば黙るようにまで、子供の心をつかむことで成功した。 ジョリビーの外観 ジョルビーの看板人形は子供の心をつかんでいる 1990年当時は勃興期で、目ざといフィリピン人はジョリビーの株式に投資することを勧めていた。当時はジョリビーのほうがテナント募集に熱心で、100万ペソ(当時400万円)もあれば出店できるということで、出店を勧誘していた。それが現在は出店のためのロイヤリティだけで25百万ペソ(約6千万円)と跳ね上がっている。ハンバーガーを売っていかに、それだけの投資を回収するのか疑問だが、街のそこかしこに出店されたジョリビーの勢いはとどまるところを知らない。 ジョリビーの内部 ハンバーガーが主体なのですが、フィリピン人の食生活にあわせ、朝食はご飯にロンガニサ(ソーセージのようなもの)、あるいはチキンのから揚げなどが100ペソ近くして、決して安いものではない。一般のフィリピーノ・ファーストフードであれば、50ペソ位で食べられる。味も決して良くない。しかも野菜が全くついておらず、われわれ日本人には、とてもいただけない食事だ。高くて、まずくて、健康に良くない、それがジョリビーの食事だ。それでもどこも満員で、超人気だ。それは、子供達にとってジョリビーで食事することが無常の喜びであるからなのだ。 ジョリビーのカウンター テレビ宣伝にあれだけ金をかけ、ロイヤリティだけで25百万もするのですから、高いのも当たり前だ。しかし、子供たちの要求に親は答えなければならない。無理しても、ジョリビーに行って、まずい食事を取ることになる。私はジョルビーそして中華系ファーストフードのチョーキン、外資系のマクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどがフィリピンの食文化を破壊している、と思う。フィリピンにはもっと安くておいしいものが沢山あるのに、地方の街に行っても、ジョルビーにむらがる人たちを見ていて、残念でならない。そんな、自分も地方に行くとつい、名の知れたジョリビーで食事してしまう。メニューと味がどこでも同じであることに、なぜかつい安心感を持ってしまうのだ。 ローカル系ファーストフードの雄、チョーキン

雑記帳 ジョリビーはフィリピンの誇り



フィリピン国家警察、通称PNP(Philippine National Police)は、正義の味方というより、悪の味方あるいはPNPそのものが犯罪組織という印象が持たれている。最近起きた日本人の射殺事件でも警官そのものが容疑者として捕らえられ、その証言者までが殺されるという事件がおきた。日本ではあたりまえの交通マナーにしたがって運転していても、なにかとイチャモンをつけて捕まえようとする。もちろん狙いは500ペソ程度の賄賂だ(フィリピン人なら100ペソ程度が相場のようだが)。一体、フィリピンにおいて警察は庶民の味方なのだろうあるいは敵なのか。 PNPの総本山、キャンプクラミの入り口、内部は広大な街のようになっている かつて私は、公然と警察は庶民の敵と言ってきた。ところが最近、PNPのCIDG(Criminal Investigation and Detective Group、警視庁捜査一課のようなもの)の若手エリート刑事に出会って、考え方を一変させた。かれはPNPアカデミー(警察大学大学院)を卒業した後、PNPに入りダバオ警察署長を経て、現在CIDGのSuperintendent (大佐級、カーネル)で、数年の内にはゼネラル(将校)にならんかという人物だ。正義感にあふれ、うそと賄賂が大嫌い、そのため、この地位にありながら、車も家も持っていないという、正義派熱血漢だ。しかしながら、フィリピン人特有のやさしさは並大抵のものではない。 キャンプクラミに入り口近くにある本庁建物 ヘッドクオーターという文字が誇らしげに掲げられている この人とは、ある退職者が被った被害の届け出をCIDGに出したのがきっかけに知り合ったのだが、現在では家族的付き合いをして、私をダダ(おやじさん)と呼んで親しくしてくれている。冒頭のような警察官の不祥事を耳にすると、この人は悔しさに歯を噛み締めている。いつか、この人が全国12万人の警察官の頂点であるPNP長官になって、警官の規律を正し、フィリピンが世界一安全な国と胸を張って言えるようにしてほしいと思っている。 キャンプクラミの中は普通の街並み ところでPNPのランクはSPO1、SPO2、SPO3、SPO4、ルーテナント、キャップテン、メジャー、カーネル、ゼネラルというようになっており、ルーテナント以上はオフィサーでPNPアカデミーの卒業生でなければならない。SPO1から4までは1990年以前は大学を出る必要はなかったが、それ以降はすべて大学卒で占められているそうだ。只のビールの飲みすぎで大きなお腹をした警察官を街でよく見かけるが、この人たちは90年以前採用の警察官が大半を占めているようだ。PNPアカデミーはかつて大学院で、大学を卒業した後、難関を突破したエリートが学ぶ警察幹部の養成学校だったが、現在は普通の4年生の大学になっている。ただし、学生である間も給与がもらえるので、年間300人の枠への入学は至難の技とのことだ。 大きな都市の警察署長はメジャーないし、カーネルで、ゼネラルになると、フィリピンにある17の地方(Region)の警察長官になれる。その中の一人がPNP全体の長官になるわけだ。ちなみにPRA(退職庁)元会長のゼネラル・アグリパイは数代前のPNP長官だ。やはりPNP長官ともなると威厳に満ち溢れているが、その気さくさや決断力はさすがと思う。またそれよりも彼の前では、今まで生意気そうに振舞っていたフィリピーノが直立不動になってしまうのが、おかしくてならない。 […]

雑記帳 フィリピン国家警察は庶民の味方か


お祭りも結婚式もレチョンがなければ始まらないとまで言われるフィリピンフードの王様、レチョンとは子豚の丸焼きだ。炭火の炎熱でゆっくり焼き上げて作るレチョンは皮がぱりぱりして、これをレバーで作ったソースをつけて食べると、フィリピーノはお祝いの気分に浸ることができるのだ。一般の庶民にとって年に数回しか味わうことのできないレチョンは、フィエスタ(お祭り)には欠かせません。そのためフィエスタが近づくと、それぞれの家は手塩にかけて育てた生後3~4ヶ月の子豚をきれいに洗い内臓を取って、レチョン専門の業者に依頼して、レチョンを作る。これにパンシット・カントン(フィリピン風焼きそば)とビールあるいはタンドール(ローカル・ブランディー)があればフィエスタの準備は終わりだ。そして不特定多数の来客に備えるのだ。 あわれな子豚と思うなかれ ところで丸焼きにされる子豚はたまらないが、これも定め、どうあがいたところで、食べられるために生まれてきたのだから、仕方がない。私もビコールの田舎で豚を飼っており、とても可愛らしいのだが、必要以上に親しくならないように心がけている。なぜかというと、数ヵ月後には、胃袋に収める運命にあるのだから、情が移ってはいけないと思うのだ。 つぶらな瞳で可愛い子豚なのだが   フィエスタならいざ知らず、農場を訪ねてきた友人や家族を歓待するために、一匹の豚をレチョンにするわけに行かない。子豚といえども20kg~30kgは優にある。一人200g食べても、100人分以上になってしう。先日、息子が訪問した折、豚の頭だけをレチョンにするというのだ。はじめはクリスピー・パタ(豚足のから揚げ)を期待していたのだが、豚の頭のレチョンはレチョンの中のレチョンだというので、しぶしぶ承知した。なにか残り物を食べさせられるような気がしたのだが。さて、はじめに手をつけるのがほほの肉、真っ白で脂肪の固まりかと思いきや、なにかあっさりしたゼリー状で、そのおいしさにびっくり。後で知ったことだが、焼肉牛門ではこれを豚のトロとしてメニューに載せていた。日本ではとてもお目にかかれないが、きっと養豚業者がその家族だけで内緒で食べてしまい、市場には出回っていないのだろう。 なんとも言えない表情の息子 豚の頭のレチョンは飛び切りのご馳走   マニラ、パラニャケのロハスボリバード沿い、バクラランの近くに有名なレチョン専門店がある。カマヤンなどでも生まれたての子豚を丸焼きにするところを見せて、客寄せにしているが、是非試してみてほしい。ただし、おいしいからと言って食べ過ぎないようにすること。かなり高カロリーだと思う。 バクラランのレチョン専門店 レチョンの店頭販売

雑記帳 お祭りにはレチョンが欠かせない



私は歯が具合悪いといえば、いつも小林歯科医の面倒になる。フィリピンの歯医者については偏見を持っていて、怖くて診てもらう気になれないのだ。フィリピンに来た当初、前歯2本を入れ歯にしているGRO(カラオケのホステスさん)によく遭遇した。そのため、フィリピンでは歯を良く磨かないのだろうか、だから前歯が入れ歯にしてしまっている若い子が多いのかだろうか、と不思議に思っていた。しかしながら、色々聞いてみるとファッションであって、子供のころ健康な歯を抜いて入れ歯にするのがはやったのだというのだ。わけのわからぬ子供が考えそうなことだが、それを、はいそうですかと言って、その子の将来も考えずに健康な歯を抜いてしまうなんて、歯医者の風上にも置いておけない。というわけで、私はフィリピンの歯医者が嫌いなのだ。 小林歯科と歯科技工学校の正面 さらに、ドライバーに歯がまばらなものがいた。わけを聞くと歯が痛いから抜いてしまったというのだ。痛いと抜いてしまうのがもっとも簡単な治療だというのだ。ちなみに医療保険も、歯の治療は抜歯しか認められていないそうだ。虫歯ができたからといって、神経を抜いて治療して詰め物をするとか、かぶせるなんてことはまれのようだ。抜くことしか脳のないような歯医者に行けるものかというのが正直な心境だ。そうなると、小林歯科しか頼るところはないことになる。 小林歯科医 小林さんのいいところは通う回数が少なくて、一辺に日本の1か月分くらいの治療をやってくれることだ。忙しいビジネスマンには大助かりだ。だから、どんな治療でも2~3回通えば終わってしまう。私が1990年にかなり大規模な治療をやって貰った時、夕方5時から夜11時まで、6時間も私一人につきっきりでやってもらえた。その治療以来、17年たった今でも、何の不具合もない。保険もきくし(ただし、いったん立替払いをして、後日、自分で日本の役所に求償手続きをする必要がある)、歯の治療はフィリピンに限るというのが、私の印象だ。たとえ、日本から飛行機でやって来たとしても安くつくと思う。 小林先生(クリニックにて) マガリヤネスビリッジのMaga Center 4階にクリニックはあるが、TATAIという歯科技工士学校も併設していて、治療の傍ら、技工士の育成に励んでいる。そもそも小林先生は歯科技工士と歯医者の両方の免許をもっていて、自分の患者の治療、歯型取り、製作、取り付け、とすべてを一人でこなし、世界でもなかなかいない人だそうだ。また、奥さんも歯医者さんで小林先生のよきパートナーとして公私に小林先生をサポートしている。 歯科技工のトレーニングを受ける生徒 歯科技工の講義を受ける生徒 私が、初めてお世話になったころは、奥さんは毎年のように妊娠していて、立て続けに5人のお子さんを作っていた。それが、18年たった今、皆、日本語、英語、タガログ語の三ヶ国語を母国語のように操る立派な国際人に育ち、上の二人は歯医者をつぐそうで、さらにお孫さんまでできている。 小林さんの長男も歯科医兼技工士として働いている なお、小林先生は歯医者として活躍するともに、フィリピンに在住する日本人の古株的存在としてゴルフの会など色々活躍している。電話:02-854-3800、携帯:0919-430-9932

雑記帳 いつも頼りになるのが小林歯科