児童養護施設の現実 2009年12月21日


 マニラにある児童養護施設を訪問する機会があった。施設の従業員の大半は女性だが、ここはかなり大きな施設で優に100人を超える孤児達を面倒見ている。昼間はあまり大きい子は見かけなかったので、外の学校に通っているらしい。小さな子は大部屋にいて、いつも静かに寝かされていた。

 私の相棒のフィリピーナがおおぜいの赤ちゃんを見つけて中に入ったところ、初めは物見しりをして様子を見ていたものの、そのうち、そこいら中の赤ん坊がおしっことなどと言い出して収拾がつかなくなってしまった。数少ない職員が世話をしているために一人一人の面倒まではとても見切れないのだろう。だから初めて見かける女性にでさえ甘え始めたのだ。

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 とてもよくしつけられているものとみえ、街角で見かける子供達の泣き声やわめき声などの喧騒は、ここには見られない。みな静かに座っているか、昼寝をしているかで、楽しそうな笑顔もみれない。しかし、この子達皆が好き勝手を始めたら、たしかに収拾がつかなくなるだろう。

CIMG1840s-4 大きな子供達が学校から戻ってくると、施設の入り口の広間ではいつも発表会やダンスの披露が行なわれていた。聴衆の子供達もきちんと座って行儀が良く、とてもフィリピンの子供達とは思えない。フィリピンの学校の授業風景は良く知らないが、まあこんなものなのかも知れない。しかし家に帰ると子供達は家の周りで友達と活発に遊び回っているはずだ。

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 フィリピンの子供はとても大事にされ、甘やかされ、家族の宝物として位置づけられている。家族の愛に育まれてとても思いやりのある優しい子供に育つのだ。だから家族の絆は命よりも大事。そんな家族の愛を知らず、親に甘えることもなしに育つこの子供達は将来どのような大人に成長するのだろうかと案ぜられる。

 しばらく前、孤児の家を経営する日本人退職者と知り合いになり、寄付を募るお手伝いをしたことがある。田んぼの中の粗末なバラックだったが、50人くらいの孤児が楽しそうに暮らしていた。退職者と訪れると「ロラ、ロラ」と皆が駆け寄ってきた。そこには笑顔や愛が溢れていて、いつか自分もこんなボランティアをやってみたいと思ったものだ。

 ところが、日本のNGOからかなり大きな寄付が行なわれることになった途端、協力者のフィリピン人牧師の態度が豹変し、かの退職者は施設に近寄ることさえも出来なくなってしまった。そして牧師は多額の寄付を教会の改装費などにあてるために独り占めしてしまったそうだ。大金がはいるとなると、施設の経営が途端に商業化してしまい、本来の目的は藻屑と化し、単なる金集めの道具となってしまうのだ。

  先日、PRAではクリスマス・パーティの代わりに、政府の老人ホームを訪問してクリスマス・ギフトなどのチャリティ活動を行なった。身寄りがなく介護が必要なお年寄りが収容されているそうで、当日は多忙で出席することは出来なかったが、次の機会には是非出席したいと思っている。フィリピンでは子供と同様、お年寄りも家族の大事な宝物として手厚い保護を受けている。したがって、老人問題は存在しないのだが、中には全く身寄りのないお年寄りもいて、そのような人々が施設に入っているそうだ。

  以前日本で、妻と一緒にいくつかの介護施設を訪問したが、その様子は上記の児童養護施設と一緒だった。そこではお年寄りは何もすることもなく、ただ生きているだけだった。指示されるがままに体操したり、催し物に参加したり、そこにはお年寄りの笑顔はなかった。妻は「こんなところには死んでも入りたくない」といっていた。また、しばらく老人ホームにいた方が「周囲はおかしな人ばかりで、自分もおかしくなってしまいそう」と言って、数ヶ月で出てしまったという話を聞いたこともある。

 日本の介護施設も、身寄りのない老人を介護する慈善施設として発足したのだろうが、現在は完全にビジネスとみなされている。さらに介護保険も発足し最も有望なビジネスとして着目されているが、企業は利潤を追求することが本来であり、慈善事業として発足した介護施設をビジネスの対象とすることには本質的な矛盾が存在するような気がする。だから、「無届老人ホーム」などのようなものが発生してしまうのではないか。

  子供達が親から離れて施設で暮らすことは非常に不自然なのだが、やむを得ない事情があってのことだ。同様にお年寄りだけが集まって介護施設で暮らすのも極めて不自然であり、家族に囲まれて暮らすことがお年寄りにとって最も望ましい姿のはずだ。それを介護保険などを導入しビジネスとして進めていかなければならない日本の現状は何かおかしいと思う。

  ところが、日本の家庭にはお年寄りのいる場所がない。特に認知症となるとその存在が家庭を破壊しかねない。だから、施設へ入れるということになるが、お年寄りにとっては刑務所に入れられるのと一緒だろう。フィリピンのようにお年寄りが孫などの家族に囲まれて幸せに暮らすという構図は日本ではもはやありえないことなのだろうか。

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