KIANは、4歳にして、幼稚園に通う傍ら、英語の家庭教師、公文、ピアノ教室と親馬鹿チャンリンの典型みたいな生活をしている。テレビで漫画ばかり見て時間をつぶすよりも、よほどましだと、私と両親は気にかけない。今度は、毎週、土曜日通っているマカティスクエアの2階に極真空手の道場があるのを発見して、早速、様子を見に行った。
MAKATI SQUARE ARENAという、多分、元ボーリング場だったところに各種格闘技の練習場があった。ボクシング、テコンドウ、キックボクシング、それに極真空手の看板を発見。その時は、ボクシングしかやっていなかったが、パンフレットによると、空手教室の入会金が2000ペソ(ユニフォーム代込み)、月謝が、子供は1000ペソ、大人は1500ペソで、なんとか賄えそうだ。ちなみに、日本人の月謝は、何故か倍だ。
道場があるのは、月水金の5時半からと7時からの2回、日曜が10時半から12時までなので、KIANは毎週、日曜に通わせることにした。とにかく、体を動かすのが大好きなKIANだから、きっと、喜ぶだろう。Kidzooonaで毎回、400ペソ払うより、よほど安上がりだ。
それに、空手や柔道などなら、KIANのメタボ気味の体も締まり、礼儀作法も身につけることができるばかりか、自分が強いという自信がついて、精神的に強い人間になれると思う。正直な話、公文やピアノはKIANに、似合っているとはいい難い。しかし、学校の成績ばかりではなくて、格闘技や音楽を身に着けたいというのは、私の、子供のころからのあこがれでもあった。そんなわけで、私(と両親)の期待を一心に背負って、お父さんの後を継いで、未来のフィリピン国家警察長官の道を歩むのがKIANの人生なのだ。そのころは、私は100歳を越えていて、この目で見ることは不可能だろうが。
日曜に出直して、朝からMakati Squareに行ってみると、あいにく、その日はボクシングのコマーシャルビデオの撮影があって、場所が使えないそうで道場はやっていなかった。しかし、極真館フィリピン支部の滝田さんがおられて、簡単な質疑の後、早速、入門することになった。
その時、同行したアテ・キムの目が輝いており、やはり国家警察の幹部を目指す彼女にとって、日本の格闘技は憧れだった。そこで、迷うことなく、姉弟そろって入門の運びとなった。彼女が一緒に通えば、KIANの面倒が見れるし、励みにもなる。現に、ピアノのレッスンに双子の一人、アレクサが参加したら、大いに盛り上がったそうだ。また、夜と日曜なら彼女にとっても時間的にも都合が良くて、KIANも、きっと姉の熱心に励まされて長続きするだろう。帰り際、滝田さんとアシスタントの人が、一声、「オス」と声を発していたのが、いかにもという感じで、日本の雰囲気を感じた。
次の日曜まで待ちきれず、月曜の夜、食事を早々と済まして、道場に向かった。遅れること、約5分、丁度始まるときで、なんとか、フィリピーノタイムの汚名をかぶらずに済んだ。20人ほどが参加していたが、黒帯もいて、少年あるいは若い女性が、きびきびと動いていた。KIANも早速、溶け込んで周囲の動きにあわせて掛け声をあげる。指導者は一人だが、ベテランがキムやKIANを指導してくれて、新人とベテラン、一緒に練習するあたりは、道場の独特な雰囲気を醸し出している。
一時間も経つと、KIANは疲れてしまった、ドクターストップ、私に抱かれて見物に回る。1時間半の練習は、KIANにとってはきついようで、集中力が全く途切れてしまう。しかし、数週間も通えば、ついていけるようになるだろう。姉のキムの集中力はすごくて、1時間半丸まる必死に先生の動きを真似ていた。このことからも、キムが学校の成績が良いというのはよくわかる。
レッスンが終わると、KIANも戻って、礼儀、そして片付け、これが大事なのだ。片付けの段になると、KIANは大喜びで参加していたが、邪魔をしているだけのようにも見えたが。
家に帰ると、KIANは得意になって、空手のレッスンを皆に話し、ビアンカや双子も、空手を習いたいといい始めた。5人となると、さすがに費用が嵩んで大いに躊躇するところだ。