フィ リピンにやってきて、まず目に付くのがジープニーと呼ばれる公共交通手段だ。全国津々浦々、毎日たくさんの人々をのせて走り回っているのが、このジープ ニーだ。ジープニーとはもともと戦後アメリカ製のジープを払い下げ、公共の輸送手段に使ったのが始まりで、唯一の純粋国産車で、全国で10万台といわれる数のジープニーが日夜、乗客を乗せて走り回っている。エンジンはほとんどが中古のいすゞ製のジーゼルエンジンで、大気汚染の元凶ともなっている。
街を我が物顔に走るRoad of Kingこそジープニー
ジープニーは路線が決まっていて、一日中、同じ路線を走っている。料金は4kmまで一律で、4kmを越えると1kmにつき1ペソ加算される。 特に特定の駅はなく、どこでも止まって客が乗り降りできる。これがまた渋滞の元凶であり、どこにでも突然止まるジープニーにドライバーはいらだる。 たとえぶつかったとしても、あのステンレスあるいはブリキ製の頑強なジープニーはびくともしない。壊れるのはこちらだから、ただひたすら、Road of Kingといわれるジープニーに道を譲るのみなのだ。
Kingの風格にふさわしいこの面構え
ジー プニーは路線マップもなにもないわけですから、このジープニーが一体どこへ行くのか、車のフロントガラスに書かれた行き先の地名から判断するしかない。街の地名を熟知していないと、たとえ乗り込んだとしても意図したところに行くかどうか神頼みだ。マニラでジープニーを乗りこなせたら、もはや本当の フィリピン人だ。
芸術的ともいえる色彩感覚(バクラランにて)
美女と野獣?(ステンレス製のボディはめずらしい)
私も10年 以上フィリピンにいて、やっと二つの路線、パソンタモ通りの自宅とマカティスクエア(日本食やカラオケがたくさんある)の間の路線、および事務所の近くの カラヤアン通りを、やはりレストランや遊び場がたくさんあるマカティアベニューまでを結ぶ路線を乗りこなせるようになった。たった7ペソでしかもほとんど待たずに乗れるジープニーは大変重宝な乗り物なのだ。
マーケットマーケットのジープニーステーション、行き先別に整然と客待ちをしている
さ て、料金の渡し方だが、これが感心するのだ。ジープニーは運転手だけのワンマンカーだが、後ろのほうに乗った乗客は、バヤッド・ポといって、料金を乗 客から乗客へと手渡す。そして、お釣りがある場合はやはり手渡しで戻ってくる。これでお金を払った客と払わない客をどうやって見分けるのかと、不思 議に思うのだが、無賃乗車などは皆無だそうだ。
この派手派手がジープニーのジープニーたるゆえん
降 りるときは目的地が近づいたら、パラと言って止めてもらうか、その言葉を忘れたら天井をこつこつとたたけばとめてくれる。ただ、速やかに降りないとまだ 足が地面に着く前に動き始めてしまうので、転ばないように、気をつけなければならない。一度、パラという言葉を忘れてしまい、天井をたたこうとしたら、 天井が柔らかくなっていて、音が出ない。それであせって、Stopと叫んだら、誰かがパラといってジープニーを止めてくれた。フィリピン人はそんな時とても親切なのだ。
早朝はジプニーが列を成すパソンタモ通り
通勤時間はもっぱらジープニーが車道を独占する
フィリピーノに通勤距離を聞くと、ジープニーの乗り換え数(1 ride あるいは2 rides等) で答えることがよくある。通勤時間が結局乗り換え数で決まるということなのだろう。もしかしたら通勤費のことを言っているのかもしれない。簡単に行け ることを、ジープニーに一回乗るだけ、といった表現をする。いかにジープニーがフィリピーノの間で頼りにされているかを示すものだろう。
まるで今にも話し出しそうな親しみにある顔だ
フィリピンのアメ横、デビソリアを走っているのはジープニーだけだ
ジー プニーが混んでいるときは、これでもかこれでもかと詰め込んで座るので、となりの女性とも密着するくらいだ。場合によっては恋人 をひざにのせて詰めているカップルも見かける。そんな時フィリピン人は大変協力的で、公共道徳にたけた人たちだと思うのだ。可愛い女の子と乗り合わせ て、思わず目が合ってしまったとき、ニコッと微笑むと向こうも微笑を返してくれる。とてもよい気分だ。でもそれで相手に気があるのだなどと決して思っ てはいけない。単なるお愛想なのだ。
ギュウギュウ詰めの客席
乗り切れない乗客は外にぶるさらる、彼らはさすがに無賃乗車なのか(タバコ市にて)?