1月11日は小生の?回目の誕生日だ。この日は友人に誘われてチャイナ・タウンにあるフィリピンで一番古いスペイン/フィリピン レストラン、 Ambos Mundos(アンボス・ムンドス)で昼食をとることにした。そのため12時過ぎ、願い事が何でもかなうといわれるチャイナ・タウンのキアポ教会の前で待ち合わせた。
日曜のミサの時間にぶつかったために、教会の前や横には入りきれない大勢の人々がスピーカーから流れる牧師の祈りに聞き入っていた。キアポ教会と言えば、一昨日のフィエスタでは200万人を超える人々が教会から運び出されたブラック・ナザレの像の行列に殺到したことで話題になったばかり。しかも幸いにも今年は死者がでなかったと関係者は胸をなでおろしていたそうだ。
キアポ教会の周りは野菜や果物、日用品そしてロウソクや怪しげな薬品を売る屋台で一杯だ。さらに教会からPaterno(パテルノ)通りに入るとメガネ、Raon(ラオン)は電気製品など、専門店街が続く。もちろん格安でなんでも揃っている。
キアポ教会からしばらく歩いてTorres(トレス)通りのAmbos Mundosレストランにたどり着いた。入り口には黒豚2頭を置いているのが印象的だったが、創業1888年、120年の歴史をほこるレストランの威厳を感じさせるほどのものではない。前日テレビで紹介されたせいか、店は満員だった。しかし、注文してから1時間近くも待たされ、いささかうんざりした。料理も特に老舗らしさを味わえるものでもなかった。一緒に経営されている1955年創業のWah Sun中国料理店のほうがかえってにぎわっていた。
レストランから程遠くないSta. Cruz(サンタ・クルス)教会はチャイナ・タウンの中心だ。しかしこの地域は地図を見てもチャイナ・タウンとは書いていない。Quiapo(キアポ)、 Binondo(ビノンド)、Devisoria(デビソリア)などの地区を総称してチャイナ・タウンと呼んでいるのだ。
Sta. Cruz教会からBinondo教会にいたるOngpin(オンピン)通りがもっともチャイナ・タウンらしい雰囲気がある。ここには金製品を売る店が固まっており、中国人の金への執着を見ることができる。世界に広がる華僑にとって金こそが共通の貨幣ということなのだろう。
主要な通りにはいかにも中国といった門が建っており、そこが、今でも馬車が日常の足として機能しているチャイナ・タウンであることを如実に示している。かつてはフィリピンの経済の中心であったチャイナ・タウンの誇りだろうか。中国語を使って中国人としてのアイデンティティ-を維持している中国系フィリピン人は100万に入るそうだ。さらにフィリピン人と混血してタガログ語を使い普通のフィリピン人として生活している者が1千万人に達するという。アキノ元大統領の実家であるコファンコ家や経済界を牛耳るヘンリー・シー、ルシオ・タン、ゴーコン・ウエイ、ジョージ・ティ、ユー・チェンコなどのタイパンといわれる人などフィリピンの経済は中国系フィリピン人に握られていると言っても過言ではない。その発祥地がここ、チャイナ・タウンなのだ。
丑年の今年は2週間後の1月26日がチャイニーズ・ニューイアーだ。そのためチャイナ・タウンの道路やお店には正月の飾り物や丑にちなんだ縁起物がたくさん並べられていた。ここは文化的にも全くの中国なのだ。もちろん、たくさんのフィリピン人も往来しているが、それとわかる中国人がそこかしこで中国語を話していた。
日本のお餅に相当するのがTikoy(ティーコイ)という食材を売っていた。正月にこの餅を薄切りにして卵とともにフライパンで炒めて食べるそうだ。日本の焼餅と同様、正月の定番料理だそうだ。
オンピン通りの終点がビノンド教会だ。ここから500mほど北に進むとTutuban(トゥトゥバン)モールを中心としたフィリピン随一の問屋街デビソリアにいたる。
たまたまこの日は満月だったので、我がデジカメで記念に一枚。また、この日はかつての大女優シャーロン・クネタのバースディ・コンサートをテレビ中継していた。43回目の誕生日を迎え、3人の子の母である彼女はかつての面影も無く、かなり太目のおばさんとなっていた。ちなみに彼女の誕生日は1月9日とのこと。