美人の定義とは何か 2010年12月20日


フィリピンは混血国家だ。だから、西洋系やら、東洋系、インド系、さらに原住民系まで、各種各様の顔をしている。だからほとんどの日本人男性の好みのタイプの女性が存在する。また文化風習も、古来マレーと中国、そして近代ではスペインとアメリカの影響を強く受け、独特な文化を形成している。しかし、フィリピーノとしてはそれら世界の文化が一つに融合しているのだ。だからフィリピーノの行動や発想を単純なものさしで計ることはできない。

CIMG2980s-1(キャンパスを歩いている学生を見ても同じ人種とはとても信じがたい)

CIMG0328s-1 CIMG0012s-1

(セブパシフィックのスチュワーデスは美人が多い)

日本の航空業界で、かつてスチュワーデスは女性のあこがれの職業だった。しかし今はなり手がいないのか、ほとんどの新人は外国人だ。しかしフィリピンでは未だに憧れの的だ。だから飛行機に乗る時は美人のスチュアーデスに出会うのが楽しみとなっている。

CIMG0272s-1(バギオの観光地ではお土産の他に売り子をからかうのも楽しい)

アメリカ・スタイルの遊び場のゴーゴー・クラブに行ってみると、何で、と思うような女性がたくさん踊っている。また、白人が連れて歩いている女性を見ると、どうもいただけないごめん相が多い。クラブのダンサーに聞いてみても、白人の好みは理解に苦しむと言っている。ちょっと可愛らしいダンサーに聞いてみると、白人には見向きもされないという。どうも白人は我々東洋人とは異なった美的感覚を持っているようだ。

CIMG0851s-1 CIMG1662bs-1

(グリーンヒルの装飾品売り場の売り子。モスリムが多いが顔つきは色々だ)

自分の目で見ると美人かそうでないかは、一瞬の内に判断できる。ところが、何故美人なのかと問われてみても説明ができない。とにかく美人は美人なのだ。学生時代にダンスパーティに参加していて、壁にいる美人を誘いたいから、友達に、一緒にいるもう一人の女を誘って、美人を一人きりにしてくれと頼んだ。そうすると件の友達はさっさと美人を連れて行ってしまった。どうもその友達と私では美人の判断基準が違うようだった。

CIMG9855s-1 CIMG8113s-1

(レセプションはどこでも可愛い子を置いている)

 そうなるとどうも美人の絶対基準は無いのではないかと思えてくる。要は自分好みかどうかであって、誰が見ても美人という絶対的なものはないのではないか。フォトジェニックという言葉があるが、写真写りの良い女性と悪い女性がいる。あるいは若い女性は一般的に写真写りが良い。実物よりはるかに可愛く写ることがよくあるが、一方ちょっとした加減で正視に耐えない場合もある。要は美人かどうか、好みかどうかなどというものは大変主観的なもので、ちょっとした加減で大きく変わるものなのだ。

CIMG1613s-1CIMG6597s-1

(クラークにあるカフェと近所のレストランののウエイトレス)

しかしながら、良くもてる子とそうでない子がいるから、より多くの人に好まれる顔というのがあるのだろう。またブスだけど好みだ、という場合がある。だから好み=美人というわけでもなく、より多くの人から好まれる人が美人なのだと言えそうだ。すなわち、好みとはピラミッドの斜面の一方向のようなもので、上に行くほど狭くなる。そして裾野は広い。山の高さを美人度とすると、頂上にあたる女性は超美人で万人の好みだが、程度が下がって裾野に近い子は反対側の斜面が好みの人にとってはとんでもない、ということになる。だからいつの世でも美人は、美人投票で決定し、一定の規格を満たしているから美人であると判定するという話は聞いたことがない。それではどんな顔がより多くの人に好まれるのかということになるが、それは美人が好まれる、としか言いようが無い。

CIMG2211s-1(マカティのカラオケには時たまオヤッと思う可愛い子がいる)

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *