半年振りの日本で二人目の孫に初顔合わせ 2011年11月28日


   ロングステイフェアに参加するために半年ぶりに日本の土を踏んだ。期待はしていたのだが、今年は柿の当たり年で、裏庭には食べごろの柿が豊作だった。
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この柿を 30個ぐらいフィリピンにお土産に持って帰って来たのだが、周囲のフィリピン人は皆、ありがとうとは言うものの、そのまま冷蔵庫にしまって一向に食べる気配がない。たまたまマニラに来ていたマム・ジェーンのお母さんが大好物といって、ほとんどビコールの田舎に持って帰ってしまったが、フィリピン人特有のお愛想なのかどうか、彼らにとって食べられる代物でないのか、未だに不明だ。りんごやみかん、それにぶどうは中国産のものが大量に出回っているが、柿はほとんどみかけない。それだけ希少価値があると私は勝手に思っているだが。

 ロングステイフェアの翌日の日曜日は孫娘(結月、ユズキ、3歳)の七五三だ。午前中、9時か10時といわれていたのだが、フェアが終わって気が抜けたのか、有明のホテルで8時ごろまで寝て、のんびりと横浜の家路についた。11時ごろ誰もいない家についたとたんに、電話がけたたましくなった。息子(三男坊の介哉、カイヤ)が、かんかんになって、一体何をやっているのか、直ちに着替えて近所の富岡八幡に駆けつけろというのだ。七五三などは三々五々、適当に神社にお参りに行けばいいくらいに思っていたが、そうでもないらしい。

 しかしながら、私は携帯を持っていないし、息子としてはやきもきして苛立ちが頂点に達していたらしい。あわてて、久しぶりの礼服に着替えて八幡様に行ってみると、式は終わって記念撮影の時間となっていた。しかしなんとか記念撮影に間に合って事なきをえた。

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引退して仕事を離れてしまって、日々のんびりしていたら、きっといつもこんな失敗をしでかして、女房や息子にぼけ爺と怒鳴られてばかりいるのだろうと、冷やりとした。この後は恒例の会食だが、嫁(智美さん)のお父さんは忙しくて欠席、近所で和食を楽しんだ。しかし、二人の娘をもうけ、1990年代ものとはいえ高級車のジャガーに乗り、新築の4LDKを手に入れて、好青年振りを発揮している介哉だが、震災のあおりでビジネスが思わしくなく、なかなか厳しいとのことだった。嫁さんは少しやせて和服がはえていた。

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夕食は美味しい寿司が食べたいという私の願いで、近所のジャスコの回転寿司に行った。前はいつも待たされたのに、この日は、数組の客しかおらず、回転台に寿司が並べられず、注文しながら食べるというかえって贅沢をさせてもらった。5人半でしめて12000円は高いか安いか、金銭感覚が狂っている私には判断ができない。しかし、破竹の快進撃だった回転寿司も閑古鳥が鳴いているのは、100円寿司の攻勢に圧倒されているためだそうだ。そういえば高校のころ新宿歌舞伎町で10円寿司というのを食べたことがあるが、時代は繰り返すものなのか。

 寿司屋には江ノ島在住の次男坊の恵之(ケイシ)が駆けつけてくれた。長男(史誠、シセイ)は結婚しているので、唯一の独身だ。フィリピン人と結婚させて私の農場の跡継ぎでもさせようと画策しているのだが、なかなか思うように行かない。最近は土木工事に没頭しているようで、期せずして土木屋である私の後を継ぐことになりそうだ。2級土木施工管理士にもチャレンジしたそうで、なにか土木屋(あるいは土方)としての貫禄が出てきたような気もする。 

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一方、介哉の子煩悩ぶりも半端でない様で結月(ユズキ)との戯れ方も手馴れたものだ。この日、私の自宅の3階の倉庫で介哉が探し物をしていた。折りたたみ式の階段であがるために、子供には少々危険だ。それで、介哉がジッジに抱っこしてもらいなさいと結月に話しかけたら、ついに孫娘のOKが出たのだ。前回の訪問では近づくと逃げていた結月だが、ついに肉親としての私の存在を認めてくれたようだ。お土産に毎回バッグを買ってきてやったのが効を奏したのかもしれない。

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さて今回のブログの主役であるはずの夕芽(ゆめ)ちゃんは、いつも静かで大人しい、4ヶ月の女の子だ。まだちょっと人格が形成されていないようで、寝てばかりいる。次回、帰るときまでには元気な女の子に成長していることだろう、今度はバッグを二つ買うのを忘れない様にしないとまずい。

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