9月7日から約1週間、静岡大学国際関係学部4年太田さんがフィリピンに滞在し、日本人退職者の現況を調査していった。卒論のテーマにするそうで、この後、マレーシア、タイを回って日本へ帰る予定だそうだ。8日(木)と9日(金)はスービックのポコアポコを紹介し、そこで何組かのご夫婦と面会してもらった。そして、10日(土)、12日(月)と13日(火)の3日間はマニラあるいはタガイタイにお住まいの退職者の面会に同行。14日(水)はクラークからコタキナバルへ向かったが、その日はアンヘレスのフレンドシップ・クラブに立ち寄ってもらった。
10日(土)はラスピニャス、パラニャケのイリジウム、そしてタガイタイを回った。皆さん、美人女子大生の訪問とあって、ついつい話が長くなり、昼食もとる時間がなくなってしまった。そこで、退職者のお一人にいただいたスナックやタガイタイに行く途中で買ったゆでとうもろこしで、すきっ腹をいやした。イリジウムでばったりあったOさんは、彼女に対して、「やけに日本語がうまいけれど、いつ日本人と結婚したの」と質問してきた。彼女は生粋の日本人なのに、はなからフィリピーナと思い込んでいるようだった。日本語で話しかけて、太田という名刺を渡しているのにだ。
実は彼女は2年前、UP(University of the Philippine)に8ヶ月間留学しており、英語はペラペラ、タガログ語もいけるという才女だ。だから、顔つきも留学以来フィリピン人ぽくなってしまったのだそうだ。フィリピンにいたころは、さぞかし男子学生にもてたであろうということは想像に難くない。
タガイタイのKさん宅では、今日の予定の最後とあって、ゆっくりしているうちに、ついには酒盛りが始まってしまった。彼女は中々の酒豪で、夕飯でもサンミゲル・ピルセン 3本は軽くいける。Kさんのお宅は退職者を連れて、よくお邪魔するのだが、普段は長くて1時間くらい滞在するだけだ。この日は、美人女子大生の訪問に、Kさんもことのほかご機嫌で、夕方6時半まで、4時間以上ももお邪魔してしまった。
この時、Kさんから、自宅の空いている部屋をタガイタイ生活の体験ステイに利用してもらっても良いという提案があった。閑静な住宅街にあるとても素敵なお家だが、送迎や案内、食事の用意もしてもらえるそう。宿泊費も実費程度に抑えたいとのことなので、いずれ詳細に紹介する予定だ。
太田さんは、まだフィリピンでカラオケに行ったことがないというので、リトル東京の老舗カラオケ「夢の中へ」へタガイタイから直行した。そこでは私の友人の30代のIさんが待っていたが、食事は、隣の「関取」から取り寄せてここですませた。そしてタガイタイでの酒盛りに続いて2次会がはじまってしまったのだ。この日は一日中、車で走り回ってたので、私は10時前に早々と引き上げたが、彼女は、このあと別途の3次会に出席した模様だ。
12日(月)は、まずPRAに案内した後、マカティにお住まいの退職者、そしてフィリピン訪問中の退職者予備軍(退職ビザは取得済み)に面会してもらった。私がPRAで働いていたころ、写真のロエルは机を並べて執務した間柄だが、退職者の統計資料などE-メールで提供してもらえることになった。
そのあと、マカティにお住まいの退職者(2名)の住まいを訪問して、話を伺ったが、サルセドにお住まいの退職者には、マカティを巡回する電動ジープが無料で、大変便利であるという情報をもらった。マカティ市の市営で、マカティを自動車の排気ガスによる空気汚染から少しでも守ろうとする政策のようだ。いずれ試してブログに載せたいと思う。
そのあとお会いした方は、まだ現役で、フィリピン永住の準備をしている方だが、お一人は高校の先生、お一人は大学の教授で、社会的にステータスのあるお方だ。最近はこのように社会的ステータスがあって、十分にロングステイ先を研究してフィリピンを選ばれた方々が増え、フィリピンも見直されてきたことを痛感する。この教授は国際経済の専門家で、中国やベトナムはお金のために投資を歓迎し、韓国は面子、日本は建前、そしてフィリピンは「愛」だと、話され、思わず拍手を送った。現役教授と現役学生の対決は、彼女は「講義を聴いているようでした」というコメントから、軍配は教授に上がった模様だ。
13日(火)はパラニャケにお住まいの退職者を訪問した後、岸田さん(タガイタイのアモーレノ里の関係者)のアレンジでサンタロサにお住まいの退職者とレストラン「竜馬」で面会した。サンタロサにお住まいの退職者の方々は定期的に会合や食事会をもって交友しており、楽しく生活しているようだ。ちなみに岸田さんはフィリピン人の旦那さんとの間に4人の子供をもうけ、その子育てと、退職者関連のビジネスに力をいれる肝っ玉母さんで、私との交流が長い。
今回、10名以上の退職者と面会し、傍らで話を聞いていたが、皆さんの生活費は概ね一月10万円程度(住宅費を含む場合と含まない場合、単身かご夫婦の場合をとりまぜて)で、日本人として十分な生活を維持できているそうだ。また、今後、永住してフィリピンに骨をうずめるか、あるいは体が弱くなったら日本にもどるのか、将来計画は二つに分かれた。
永住すると確信を持って宣言する方は、フィリピンに友あるいは家族といえるフィリピン人がいる場合。そうでない方は、フィリピン人とは距離をおいて付き合っている方々だ。私としてはフィリピンに住むなら、家族と呼べるフィリピン人を持つことがフィリピン生活をエンジョイする秘訣だと思う。そうすれば、老後の介護だのという問題は心配する必要がない。また、例え、将来日本に帰る計画を持っている方々も、もし安心して老後を任せられる介護施設ができたら、ここにいても良いとも仰っていた。将来体が弱くなって日本に帰ったとして、満足な介護や療養が国の保護で受けることができるかどうか、疑わしいと思うのだが。
最後にマニラ新聞の事務所を訪問して橋本さんに面会した。太田さんが静岡大学に在学中と聞いて、橋本さんはT教授のことを話しはじめ、二人ともT教授の教え子と知って、一気に二人の距離が縮まった。橋本さんは大阪外語の出身だそうだが、両校ともフィリピン研究に力を入れていることで有名だそうで、その辺の世界は狭いようだ。
太田さんは、日本の就活(就職活動)に愛想をつかして、フィリピンかどこか外国で就職を考えているそうだ。橋本さんがマニラ新聞で働きませんか、あるいはUHI(全身はJALパック)などでも日本人を採用しており、日本では中々把握できない就職情報がたくさんある、と話をした。もちろん給与は日本の半分程度だが、フィリピンではそれで十分生活していける。太田さんは、その話を聞いて、その場で「フィリピンで就活することを決心をしました」と、なかなか気風の良いところを見せた。
たしかに英語が流暢でタガログ語もできて、しかも美人とあらば、パスコでも採用したいくらいだ。彼女によると、日本の就活は、そろいの黒のスーツを着て、茶髪はご法度、髪は後ろに結って、などなどまるで金太郎飴のように振舞わなければ面接もしてもらえない、なんてナンセンスだという。まあ、大会社の人事がやることはそんなものくらいなのだろう。そんなことでは優秀な人材はどんどん海外にでてしまい、会社には決められたことしかできない連中に占められてしまうだろうに。