前回の創立記念日と同じ、PICC(Philippine International Convention Center)で行われた恒例のクリスマスパーティは、大きな会場と豊富な料理で、PRAとしては、それなりのものだったが、退職者のテーブルは空きが目立った。いつまでたってもお知らせが無いのでやきもきしていたが、ほんの10日前に招待状を入手し、マニラ首都圏在住の退職者に声をかけたのだが、多くの人が予定が詰まっていて不参加の連絡があった。しかし、参加の連絡あった3家族はいずれもお子さん連れで、当方のテーブルだけは華やいだ雰囲気だったが、PRAの案内係には、子連れの日本人は、私のテーブルに案内してほしいという、わかりやすい指示を発することが出来た。我が家としては、ママ・ジェーンが子育ての疲れか、欠席、パパ・カーネルも忙しくて、アティ・キムとKIANを同行することにした。数時間前からそわそわしていたKIANは決して彼を置いていくことがないようにと、私に何度も念を押していた。KIANはパーティが大好きなのだ。
PRAの受付嬢は、皆KIANの友達で、笑顔で彼を迎えている
ゲストの参加表に名前をすらすらと書いたが、サインについては、まだ持っていないとしっかりと応えていた
プロの歌手が客がそろうまでの一時間ほどプロ歌手のステージが続いた。後ろの看板のYuletideとはクリスマスシーズンという意味だ
食事は、到着から2時間も待たされしまったが、それまでアイスクリームが食べ放題とあってKIANはごきげんだった
自撮りでアティ・キムとKIANのツーショット
PRAの看板娘のジュラルディンさんとのショット。KIANはアイスクリームを手放さない
予定より一時間遅れで、いよいよ式が始まったが、まずは国家斉唱だ
私にとってこの日は特別な意味があった。それはまだ面会していないPRAのトップであるGMに自己紹介をすることだった。名前は、Atty. Bienvenido Ko Chy という入管出身の弁護士だが、その名前が読めなかった。チと読むらしいが、あきらかに中国系のフィリピン人だ。なんとなく、からおけが大好きな日本の田舎のおっちゃん風で、近寄りやすいという印象を持ったが、KIAN曰く、ドテルテみたいだ。ちなみに彼はドテルテ大統領のロースクール(法科)の同級生で、私にとってPRAのGMとつながりを持つことは退職者のサービスを行う上で大変重要なことなので、意味のあるパーティとなった。
PRA GM、 Atty. Bienvenido Ko Chyの挨拶。PRAの活動成果や世界各国の言語でのあいさつなど、親しみを感じる挨拶だった
GMの挨拶に耳を傾けるPRAの職員と観客
アティ・キムとGMのツーショットの撮影に成功
到着から2時間、7時ごろになってようやく食事の時間になった。KIANは好物を自分で取ってきて上手に食べている。家ではいつも手づかみで食べているのだが
ふと気がついたら、GMが歌っている、歌詞も見ないで、見事なものだ、しかも5~6曲、立て続けに歌っていた
GMの熱唱に、PRAのきれいどころが応援に舞台に上がってきた
KIANもステージに上がって踊るように促したが、さすがに恥ずかしそうだった
恒例の福祉施設の子供達による合唱
パンパンガ(アンヘルス)からは若い退職者が奥さんと子供を連れてやってきていた
施設の子供達のダンスの披露
アティ・キムとKIANが二人でダンス、アティ・キムは初めて踊るKIANに才能を見たと話していた
さらにKIANはソロダンスを披露、私が見たこともない振り付けだったが、きっと学校で教わっているのだろう
この日は、カーネルもジェーンも参加しないので、問題は足だった。車はあるが運転する人がいない。私も免許は持っているが、高齢者ドライバーということでママ・ジェーンから禁止令が出ている。行きは30分待って、さらに、近所のタクシードライバーの食事どころまで歩いて、なんとかなった。タクシーを待っている間、KIANは不安になって、何度も歩いて行こうと提案していた。KIANはパーティの会場はPRAの事務所だと思っていたらしい。
問題は帰りで、埋立地にあるコンベンションセンターに流しのタクシーがくるはずもない。そこで思いついたのが、行きに乗ったタクシーに迎えに来させることだった。これは見事に成功したが、行きは150ペソ、帰りは400ペソも取られてしまった。ちなみにUberは600ペソにまで値を上げていたそうだ。しかし、クリスマスシーズンの渋滞のさなかに、家からわざわざ迎えに来てもらうことを考えたら安いものだ。12月のクリスマスシーズンの金曜日、しかも給料日の翌日とあって、街にはタクシーを止めようとする人があふれていた。