本名Kimbery May Yang、ジェーンの旦那の娘が今回の主役だ。私の著書「金無し、コネ無し、フィリピン暮らし」の最終ページを飾ったことで、一躍有名になった(?)彼女 に私が始めて出会ったのが2006年6月、まだ10歳(小学5年生)になったばっかりの子供だった。父親のカーネル・ヤンは長いことシングル・ファーザー で、KIMは母方の実家に預けられている。実家はバギオの東方ヌエバ・ビスカヤにあるが、年末休みと夏休み(3月~5月)には片道7時間かけてとんぼ返り で迎えに行くのが父親の役目だ。
2007年11月、All Saint Days(万聖節)の休みでタバコへ行った時、11歳(小学6年生)になっていたKIMはとても可愛くなって女っぽさが出ていた。
右端の背の高い若い男は私の息子のKCで、このころ年に3~4回、フィリピンに遊びに来ていた。
2007年のクリスマスはカーネルのお母さんもタバコの農場に招待して、盛大にパーティを催した。ちなみにカーネルの実家はレガスピでタバコから車で30分くらいの近場にある。
2008年5月の夏休み、12歳のKIMは、休みが明けるといよいよハイスクール1年生になる。ハイスクールからはマニラで父親と一緒にクラスはずだったが、願書の提出が遅れ、さらに4年間田舎に住むことになってしまった。
12歳になったKIMは身長も母親代わりのジェーンとほとんど同じになっている。父親は背の高い家系なので、どこまで背が伸びるのか楽しみだ。
そしてこれが問題の写真だ。パソンタモ沿いのオリエンタル・ガーデンというコンドミニアムのプールサイドで取ったものだ。フィリピンの人はこんな子供でも、カメラを構えるとポーズをとることを忘れない。
このときはたっぷりマニラに滞在したので、マニラホテル、シーサイド・マーケット・レストラン、知り合いのバプティスマル(洗礼式)など出かける機会が多かった。
2008年12月、クリスマス休暇でマニラに訪れたKIMの背はすでにジェーンを追い越して、160cmに迫る勢いだった。
2009年5月、13歳の夏休み、いよいよハイスクール2年生だ。このころ開始したサロンで働くマッサージ嬢兼メイドのタンとデバイン(いずれも21歳)の二人のお姉さんと一緒に食事を取ることが多かった。
リトル東京のお好み焼きの神楽の前でポーズをとる3人。
2009年12月、レガスピ、この時、KIMの幼稚園時代の写真を発見し、ユニークなかわいらしさにびっくり。
2010年6月、14歳、いよいよハイスクール3年生に進学する。この時、アンへレスでゴルフ場を運営するカーネルの友人の招待で新車の三菱モンテールで出かけた。この時KIANは2ヶ月ではじめての遠出だった。
2010年10月、KIANのバプチスマル(洗礼式)にヌエバ・ビスカヤかけつけた。この洗礼式にはタバコからも一族郎党が駆けつけた。
2010年12月、クリスマスをタバコですごす。長いこと親からも離れて一人で育ったKIMにとって、念願の兄弟誕生は格別なものがあるのだろう。
グレーの袖なしを着ているいとこのバネッサは同じ年だが、身長差は20cm近い。まるで大人と子供だ。
2011年1月、一家水入らずでタガイタイを訪問。このあと、田舎に帰るとき、弟の参加で本当の家族となった皆と分かれなければならないので、さめざめと泣いたそうだ。
2011年、5月夏休みをマニラですごす。この時15歳の誕生日を向かえ、6月からはいよいよハイスクール4年生だ。そして1年後には16歳で大学入学と なるのだが、ちなみに薬学科志望だそうだ。志望校は、あの名門UP(University of the Philippines)だそうで、成績は父親似か、かなり良いらしい。KIANは相変わらず若い女の子が苦手のようで、実の姉に抱かれても笑顔がない。