KIANのしつけ、共依存症と家族の絆 2017年5月1日 1


7歳を迎えたKIANは、幼児の域も脱し、もはや子供であり、甘やかしてばかりはいられない。特にクッキーの誕生でクヤ(お兄さん)として、他人を思いやり、責任を自覚して、わがままをコントロールできなければならない。これは当然のことであろうが、ここのところ、マミー(ママ・ジェーン)のKIANへの風当たりが強い。時には、私が甘やかすから、いつまでたってもKIANは無責任で、親の言うことも聞かず、反抗的であると、私が攻撃の矢面に立たされる。

一方、KIANの私への思いは、なみなみならぬものを感じるのだが、私を甘く見て、私の言いつけや小言には一向に耳を貸さない。しかし、マミーの声がかかると一目散で飛んでいって、やけにしおらしくて、素直な態度を示す。私には、良い子を演じているように見えるが、これが、果たしてKIANの本心なのか、7歳にして身につけた処世術なのか、KIAN自身もわかっていないのではないか。

KIANもいよいよ7歳の誕生日を迎え、クヤと呼ばれるようになった

外で、食事をするとき、私がビールを注文すると、KIANは、「今日は許す」と、耳打ちする。先日、息子の日本からのお土産の缶ビールを家で飲んでいたら、すかさず、マミーがKIANに小言を言ったらしい。KIANは私に何気なく近づいて、缶ビールを盗んで逃げて、誇らしげに台所にいるマミーに持って行き、マミーの歓心をかった。そのあと、一階の事務所に行こうとしたら、KIANが一緒に下りるというので、私が、「You are my enemy(お前は敵だ)」と言ったら、KIANの顔が凍りついた。マミーの歓心を買うための行動が、思わぬ結果を招いたことに気がついたのだ。そして彼のとった行動が、私の太ももに抱きつくことだったのだ。口に出すと台所のマミーの耳に入って、ややこしいことになるし、彼としてはその場をおさめるのに100点満点の行動をとったのだ。

マミーは一家の司令塔として、すべてを自分の思い通りにしようとする。さしあたりの目標がKIANを意のままにすることだ。一方、KIANは私を頼りにしてか、なかなか意のままに行動しないと苦言を呈する(田舎のおばあさんの話によると、KIANの態度はマミーの子供の頃と瓜二つだそうで、血は争えないということなのだが)。そのため、KIANは、日に一度くらいはマミーの罵声を浴びて、私に助けてくれと涙目をむけるのだが、私には一体なんで怒られているか、理解に苦しむような些細なことで怒られているのだ。たとえば、3回呼ばれて現れないと、それだけで罵声を浴びせられる。始から「KIAN Come here」と罵声で呼ぶこともしばしばだ。だから、KIANが私の部屋にいてもマミーの呼び声がしないか、KIANはいつもそわそわしている。

クッキーも6ヶ月、笑ったり話に反応したりかわいらしくなってきた

KIAN はピアノや公文のレッスンのための私との外出は喜んで行く。家を出れば、彼は自由で、おまけにアイスクリームを買ってもらえるからだ。家に帰ると即座に「マミーはいるか」と私に聞く。いない場合は、うれしそうに「Good」と言って、リラックスする。マミーさえいなければ、家でも彼は自由だ。パソコンや私のタブレットで好きなだけゲームを楽しめるし、彼をとがめたり、叱ったりする人間はいない。ヤヤや従姉妹のアレクサは「マミーが言った」と言って、シャワーを浴びるようなどと言いつけたりするが、その時だけは素直に従っているようだ。だからマミーとの外出を拒否することもママあり、このことがマミーの印象を悪くしているようだ。

相変わらず偏食の著しいKIANは気に入らない食べ物は食べない。また、お腹がすいていないと、当たり前だがやはいり食べない。そんな時、マミーは強制的に食べさせようとする。そこでKIANが編み出した作戦は、私やアレクサに残りを食べさせることだ。食べるということは人間の本能だから、それを強制してさおさすることはできないはずだ。ほっておいても食べたければ食べるし、お腹が一杯ということは脳が食べるなと言う指令を出しているのだから自分の意思ではどうにもならない。偏食も時間をかけて矯正していくしかない。だから、マミーがKIANを泣かせること(いじめと私に映る)に耐えられない私は、血糖値が上がることを気にしながら残りをたいらげてやる。

私と外出してセブンイレブンでアイスクリームを食べるのがKIANの至福のときだ。永久歯の前歯も、もう一本生えてきた

KIANの大好物はアイスクリームだ。100ペソ、あるいは200ペソもする大型のカップ入りのアイスクリームを買ってやると誰にも分けないで、一人で平らげてしまう。さすがの私も食べすぎを心配していたのだが、マミーから幼児糖尿病の恐れがあると。禁止令が出て、一回につき、コーン入りの小さいもの一個と言う指示が出た。これだけは道理で、太り気味のKIANの健康が気にかかっていた私は、幸いとばかり、小さめのアイスクリーム、一回一個に限定して買い与えるようにしたが、KIANは、2本とか3本とか要求するが、私はかたくなに一本をとおしている。

リエンポは豚の腹肉を皮付きで炭火で焼いたものだが、これが案外美味で、トロトロの定番、KIANの大好物だ。先日、マミーがリエンポを自分で料理してくれたが、これが格別で、超がつく美味だった。KIANも大きな声で「PERFECT=完璧」と称えた。もちろん、マミーはご機嫌で、私に、リエンポ・カットという生の肉をピアノのレッスンの帰りに買ってくるように依頼した。土曜のレッスンの帰り、朝食を食べないKIANはお腹がすいてたまらないというので、マカティ・スクエアのアンドックスで、バーベキューとリエンポを買うことになった。しかし、私は、マミーの依頼を思い出して生のリエンポ・カットを買うことにした。KIANにその旨を伝えると、マミーの作ったリエンポはおいしくないからアンドックスで買って欲しいと言う。果たして、KIANは嘘つきなのだろうか、その場の状況次第で、その場しのぎのいい訳/お世辞=嘘、を言うフィリピーノの得意技をしっかり身につけているようだ。

クッキーの農場でのデビュー、従姉妹達に大歓迎されている

KIANの苦手は公文だ。フィリピーノの計算能力の低さだけは我慢がならない私が発案して、KIANが公文通い始めて2年半になる。最近では3桁の足し算までこなし、現在、二桁の引き算に挑戦している。しかし、毎日10ページの宿題が苦手で、毎回、いやがって騒動を引き起こす。下手をすると周囲のフィリピーノに匹敵するような計算力を身につけつつあるので、マミーはひたすらKIANに公文、公文と念仏のように唱えるだけで、中はみないし、やらないと怒鳴るだけだ。それで私が指導することになるのだが、私は私で、事細かに教えようとするので、KIANはうっとうしがって宿題を私から隠す。それでも長い目で見れば、立派に計算をこなしてくれるだろうと、公文の帰りはかかさずアイスクリームをKIANのご褒美として買ってやって、だましだまし続けさせている。

フィリピーナの赤ちゃんを可愛がる様は格別だ

KIANがピアノを習い始めて2年とちょっと、週一回のレッスンでは、上達は望めない。それでも最近は楽譜を見ながら曲を弾けるようになって来た。近々リサイタルがあるので、週2回に増やして欲しい、しかも、演奏予定の3曲を家で練習させて欲しいとのリクエストが先生からあった。そこで、その3曲の譜面をコピーして、KIANに渡したら、家で自らピアノを弾き始めたのだ。その上達振りに目を丸くしたパパ・カーネルが驚いて拍手をすると、KIANは大乗りで従姉妹のアレクサに弾きかたを教えはじめた。いわゆる、やる気が出てきたのだ。これぞ、然り、と喜んで、「強制するのではなくて、自らやることが大事なんだ、そのように方向付けるのが親の役割だ」とマミーを諭したが、聞いてる様子はなかった。ちなみにカーネルの甥の一人はピアノが上手で、日本の東大に相当するUP(University of Philippine、フィリピン大学) の医学部に進んでいるそうだが、音楽は頭の回転を早め、能力を劇的に高めるということは実証済みなのだ。だから、早く、KIANがピアノに興味を持って練習に励み、同時に、脳の性能を飛躍的に向上させて欲しいと願い、レッスンに付き添っている。

リゾートへ遊びに行ったら、食事は欠かせない。到着したら、まずは食事の準備が私の役割だ

夏休みの水泳教室は、KIANにとっては水遊びの延長で、楽しくて仕方が無いらしい。これは、毎日ちゃんと通わせさえすれば、何の心配もいらない。夏休みを終わる頃にはしっかりと泳ぎを身につけてくれるだろう。これだけはKIANのニーズと当方の思惑(健康な体に健康な心と頭脳が宿る)と一致したようで、マミーの小言も聞こえない。もっとも、KIANが水泳教室に行くころは(朝の7時)彼女はしっかりと眠りについたままではあるが。

最近のKIANとマミーの確執を長々と述べてきたが、こんな話を息子にしたら、一言「ジェーンは共依存症じゃないの」と言い放った。早速、共依存症とは何なのか、インターネットで検索してみた。いわく「共依存症とは依存症の裏返し、依存される側が、その依存する者(介護老人、発達障害の子供、薬物依存症患者など)の世話や面倒に生きがいを感じて、それに依存し、さらには依存者を自分の思い通りに行動するよう強制し、挙句の果てには虐待にいたることもあり、思うように行かないと怒りあるいは失望し、精神的安定を失う症状。親子の関係にあっても、親が子供を自分の意のままに行動するよう強制し、挙句の果てに虐待にいたり、一方、子供は自主性を失い、親の操り人形のようになってしまう、という悲劇的状況」とあった。

ジェーンはわが子、そして甥っ子、姪っ子に囲まれて幸せそうだが、

マミーとKIANの関係を見ていると、まさにその通りで、このままでは、KIANの将来はない、せっかく大いなる資質を持っているKIANが自分では何もできない木偶の坊になってしまうのではないかと、愕然とした。確かにマミー=ジェーンの甥っ子、姪っ子たちは、ジェーンの前ではいい子ぶっているが、ジェーンが見ていないところでは好き勝手に行動している。これは、彼らの親が逃げ場になっているからいいのだが、逃げ場のないKIANはその人格が破壊されてしまうのではないか。ちなみにジェーンの兄弟たちは、ジェーンの言うことに決して、口を挟まず、唯諾々と従っている。ジェーンの言うことを素直に聞かないで異を唱えるのは、周囲には私くらいしかいないだろう。昨年のビアンカ(捨て子)の出奔、今度はアティ・キム(異母姉)の出奔といい、逃げ場のない彼らは外界に生きる世界を求めた。そうなると、KIANにとっては私が唯一の逃げ場なのだと、義務感に燃えてきたりした。

しかし、フィリピン社会全般に目を向けてみると一家の大黒柱となっている女性は、すべからく、このような傾向を持っており、特にジェーンだけが特別ではないような気もする。一家を背負ったフィリピン女性は亭主や兄弟、子供、甥姪を下僕のように扱っている。まさに依存者と共依存者の関係のようだ。日本では、親は子供の独立性を尊重し、子供からの依存を断ち切ろうとする。子供は、親からの独立を志向し、いつまでも親に依存することを嫌う、一方、親からの依存も断ち切る。要は、家族の絆が失われ、弱いもの=依存者が生きていけない世の中になってきている。

KIANの誕生会に駆けつけた父方の姻戚、心から甥っ子の誕生日を祝ってくれている

フィリピンでは依存と共依存の関係、すなわち家族の絆が強固に維持されて、共依存者は依存者(家族)を最後まで面倒を見る。したがって、お年よりは依存者として幸せな生涯を送ることが出来るし、職を失い、生きる術を失った者も、親、兄弟、あるいは子供などの家族に救われて、それなりに幸せを満喫している。そこまで考えると、ジェーン(マミー)とKIANの確執は、家族の絆の構築の過程なのではないかという気がしてきた。親子、恋人、夫婦の強い絆を共依存症として片付けてしまうような日本の文化で生きてきた私は、彼らの文化を一歩離れて見守っているのが賢明なようだ。しかし、日本人がフィリピン人の妻を娶って共に家庭を築いていくとなると、そのへんの調整、融和は並大抵のものではないだろう。セックスをすれば、子供は簡単にできるが、家族の構築という問題は、二つの国の文化のぶつかり合いとなり、交わることのない永遠の平行線に違いない。


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One thought on “KIANのしつけ、共依存症と家族の絆 2017年5月1日

  • イマイ

    田舎の子供は、良く働きますね。(日本は車社会で、甘やかされるが・・・)
    男の子は農作業・家畜の世話、女の子は子守り・水汲み・炊事・薪集めなど。
    ガキ大将を中心に、元気いっぱい走り回っている!
    それが社会性を育てているし、体力も付いてい肥満とは無縁です。