KIAN、夏休みを農場で満喫 2017年4月30日


4月3日(月)から4月16日(日)の2週間、ホリーウイーク(4月10日~16日)を含んで農場ですごした。公には、台風被害を受けた農場の修復ということだったが、本音は、パパカーネルがKIANに少しでも長く農場生活を満喫させたいという意向によるものだった。私としては、2週間のブランクは仕事上きついものがあるが、幸い、来客の予定が入っていなかったので決行することにした。しかし、ポケットWifiを持参したものの農場では全く訳にたたず、インターネット無しでは顧客の問い合わせにタイミングよく対応することができず、ストレスがたまる一方だった。また、マニラ帰還後の17日(月)の週は朝から夜半まで多忙による地獄の一週間だった。一方、KIANは、農場のプール、ビーチ、プールリゾート、そして極めつけの誕生会(7歳)で、2週間の農場滞在を満喫してもらった。

4月3日(月)500km、12時間の旅にハイエースで出発、KIAN、従姉妹のアレア、それにヤヤとメイド、ボボイが運手する。持参した携帯のナビとポケットWifiが渋滞をさけるのにおおいに役立った。

中間点のグマカでは海沿いのレストラン・リタで食事をとるのが定番だ。なししろ安くてうまいのでいつでも満員だ

ビコールに入ると道端で野菜やスイカを売っている。同行したヤヤにもと5個も買ったが、重いので誰も家に持って帰らなかった

4月5日(水)一日休んだ後、早速、近場のバカカイビーチへ繰り出した。

 近場と言うことで、サントドミンゴとバカカイが候補に挙がったが、ジェーンとアランはかたくなにサントドミンゴが良いと主張する。私は、サントドミンゴには何度も行っているので、そこにはもはやビーチはないと言っても彼らは聴く耳を持たず、執拗にサントドミンゴを勧める。しかし行ってみれば一目瞭然だった。知りもしないことを強力にすすめる精神構造はなかなか理解できないが、親切心から言っているのであって、決して責めてはいけない。しかし、当方としては、それが本当なのか、こちからでまかせなのか、見極めるテクを身につける必要がある。とにかくフィリピーノは知らない道でも、聞けば教えてくれるというホスピタリティーに富んでいるのだ。

久しぶりのビーチにKIANは大満足。ただしこのビーチはマヨン火山の噴火の影響で砂が黒いのが難点だ

いとこと遠浅のビーチで水遊びを満喫

4月6日(木) 従姉妹の小学校の卒業式で、農場で過ごす。KIANにとっては、従姉妹の卒業式などはどうでもいいことのようだ。

プライベートプールなので、水が汚れないように裸で泳がされている

アレクサとヤナが借り物のガウンで卒業式に出席

4月7日(金) KIANのたっての願いで、再びバカカイ・ビーチへ

いとこのアレクサはKIANの面倒を良く見てくれる

砂はきめが細かくて上質ではある、火山灰なので体にもいいそうだ

4月8日(土) カグラライ島訪問、偶然見つけたマタアス・ビーチは人手が入っていない秘境だ

本当は何度も訪問したことのあるピナミントガン島を目指したのだが、電波が届かないのでナビが使えず、あてずっぽうにビーチを訪問したものだ。とにかくこの辺はいたるところがビーチなのだ。元々、島にはボートで行くつもりだったが、ジェーンがボートは危険だ、いやな予感がするといって許さなかったのだ。

誰もいないビーチは自分のものと思っている

干潮で遠浅すぎて泳げないくらいだ

KIANはもっぱら砂遊びにしゃれ込む

カググライ島の展望台から島々をながめる、どこも手付かずの自然だ

本島側のサントドミンゴとカグラライ島は橋でつながっている

4月9日(日) この日は好天で待望のマヨン火山が初めて顔を見せた。

ママジェーンと飛行機でやってきたクッキーはもっぱら留守番役だ、後ろではダニーが収穫した米を干している

マヨンを背景にクッキーとKIANのツーショット、瓜二つの二人だ

4月9日(日)秘境ベラの滝訪問 皆がすばらしいと薦めるの行くことにしたが出かけていったが、いざ出発すると、誰も道を知らない。実は、誰も行ったことはないのだが、うわさで聞いたことを話していただけだったのだ。このときこそ、持参したナビが役にたった。一方、滝は駐車場から100mくらい下がったところで、帰りは、皆、悲鳴を上げていたが、高低差は残念ながらナビではわからない。

途中の川沿いの道路は決壊してかろうじて通れる状態で冷や汗をかいた

さすがに誰も行ったことのないベラの滝はまさに秘境だった

滝つぼで興じる子供達、流されてしまうのではないかとちょっと気がかりだった

日曜のせいか案外の人出だった

4月10日(月) 快晴でマヨンが美しかったので、KIANの発案でマヨン中腹の展望台に行くことになった

収穫した米の乾燥に余念のないダニー

カラチュチの木を含めてちょっと気取ってみた

マヨン中腹の展望台、後ろに見えるのはタバコ市だ

マヨンを背景にプールとKIAN

4月11日(火) パシオ・デ・サンホセ・プールリゾートに出かける。こぎれいなプールリゾートだが、客はまばらだ。しかし、Wifiが使えることが魅力だった。

アラン叔父さんが皆を背負って泳いでいる。ここはWifiが使えるので私は必死にメールの返事を書いていた

農場で毎日プールで泳いでいても大きなプールはまた格別のようだ

4月13日(木) 。ドス・モンテス・プール・リゾートは前々日のパシオ・デ・サンホセ・プール・リゾートとはうってかわって大勢の人でにぎわっていた。パパ・カーネルも遅ればせながらマニラから到着したが渋滞で24時間くらいかかってしまった。

ここは滑り台が売りでKIANの歓声が聞こえるようだ

従姉妹たちに囲まれてご満悦のKIAN

朝飯抜きでやってきたという従姉妹連中は、到着するやいなやお腹がすいたといい始めた

食事を終えるとさっさと帰り支度をしてしまった従姉妹達に対して、もっと遊びたいとKIANの怒りが爆発した

4月14日(金)キリストの死を悼む日なので、午前中は農場でおとなしくしていた。

生まれて一ヶ月程度の子豚も順調に育っていた

黒豚にも二匹の赤ちゃんが生まれていた

ハンモックで休みながら闘鶏のひよこをおっかなびっくりつかんでみた

小雨が降って見事な虹が出た、虹はなぜ発生するのかと説明しても誰も聞いてくれなかった

4月14日(金)午後からはマニトビ・ーチにでかけた。途中、レガスピ湾を挟んでマヨンをながめる絶景が続いた。帰りに写真を撮ろうと思っていたが、帰りは雲でマヨンは見えなくてシャッターチャンスをのがしてしまった。ダブって撮ったとしても、余計な写真はあとで消せばいいのだから、良いと思った時はつかさずシャッターを切ることが肝心と肝に銘じた。

マニト・ビーチは白砂ですばらしいが道路から遠いこと、それにここからはマヨンは見えないことが難点だ

ここでは井草のような草で作ったほうきが名物で、バギオで売っているやつもここからくるそうだ

タバコ市に戻る頃は、夕方で主要な道路は閉鎖されて農場へ戻ることができなかった。Wifiの使える小ぎれいなホテル・フィーナのレストランで食事をとり、さらに行列見物をすることになった。

ホリーウイークの金曜日はキリストの死を悼む行列が出る。これほどの人がいたのかと思うような人々の行列が延々と続く

日本の夏祭りと一緒で、バランガイ毎の自慢の山車が行く

4月15日(土)KIANの夏休みの農場滞在の最後を飾るKIAN7歳の誕生日は100名を越える招待客を向かえ盛大に行われた。ちなみにフィリピンでは1歳と7歳の誕生日が重要で、1歳の誕生日には150名程度招待客を向かえ、何もわからないKIANはただ目を見張っていたが、あれから6年たってしまったとは感慨が深い。

招待客と一緒に記念写真、KIANは得意満面だ

父方の姻戚と記念写真、一般招待客と違ってなぜか皆太り気味だ

100名を越える招待客の食事の準備に忙しい、メニューは定番のスパゲッティと上海ルンピアだ

アラン叔父さんの新しい奥さん(左端)の家族一同との記念写真

いよいよショータイム、プロの芸人を呼んでショーがはじまった

小雨模様だったがパーティの間は止んでくれた、しかしバックのマヨンが見えないのが残念

ミニヨンの登場に会場が沸いた、ケーキのロウソクを吹き消すのはKIANの何よりの喜びだ姻戚関係の招待客には当然のことながら別途の食事が屋内に用意されている

4月16日(日)いよいよマニラ帰還の日がやってきた。KIANは農場を満喫したのか意外とあっさり帰還に同意した。後で聞いてみると、2~3日したら、また戻って来る気だったらしい。

ホリーウイーク最終日の早朝の教会の前にはキリストの復活を祝う人々でにぎわっていた

まだまだ昼前だというのにレストラン・リタは超満員で、2階席も増設されていた。

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