農場訪問


5月7日、E-メールで、旧友からマヨン火山噴火の一報が入った。しかし、我が家の誰に聞いても何も知らない。さらに、妻や友人から電話やE-メールの問い合わせが相次いだ。死者も出て、周辺の住民は避難を始めているというので、農場は無事かと心配していた。しかしながら、マヨン火山の麓の農場から遊びに来ているマミーや子供達をはじめ、誰もが話題にすることがなかった。  ようやく、翌日のマニラ新聞で、噴火の全容を知ることができた。確かにいつもに比べて大きな噴煙はあったものの、噴火と呼べるほどのものではなく、マグマの噴出もなく、警戒レベルは「0」のままということだった。死者は登山中のドイツ人等で、火口付近を登山中に振動で渓谷に落下して死亡したもの。たしかに我が家で話題にするほどのこともない日常茶飯事の噴火だったのだ。  最近日本では富士山の噴火が話題となり、地震や噴火のニュースに敏感になっているので、メディアも大きく取り上げたことが、原因のようだ。確かに、マヨン火山は、活発に噴火を繰り返す活火山で、下の写真2枚は、2006年8月に飛行機から撮影したもの。巨大な噴煙と溶岩が流れ出ている様子が見て取れる。 さらに、2009年12月末、噴火警報「3」が発令され、大噴火の予想ないし期待が高まった。夜の空にはマヨンの噴火口が赤く染まり、煮え立つマグマを農場からも垣間見ることができた。 農場とマヨン火山を挟んで反対側にあるレガスピ市の展望台(ラニョンヒル)にはテレビの取材陣が24時間待機し、噴火の瞬間を待ち続けた。このとき、レガスピ市のホテルは、世紀の噴火の瞬間を見物しようとする外国人でどこも超満員だったそうだ。 ラニョンヒル展望台からは、溶岩の流れ出す様子が目の当たりに見えて、裾野の木々が燃えて煙を上げていた。 年が明けて正月、マヨンの噴火警報は「1」に下げられ、山から農場の近くの小学校に避難していた人々が、山に戻って行った。これで噴火騒動も一件落着、外国人にとっては徒労な旅となった。 2007年12月、韓国KBSの取材陣とともに農場を訪問したおり、帰りの飛行機からマヨン火山の噴火口を間近に望むことができた。見ての通り火口はレガスピ市側を向いており、反対の農場のある方向に溶岩が流れ出すことはない。そして火口からはいくつもの溶岩の流れが観測され、その活動の活発さを物語っている。 この斜面に不安定に堆積している溶岩が、大雨で一気に麓に流れ大きな災害を引き起こしたのが、2006年12月の超大型台風レミンだった。写真は土石流に埋もれた家から生き埋めになった人を助けようとしている現場を見学する人々だ。  一方、マヨン火山の北に位置する農場から眺めたマヨンは、噴煙はたなびいているものの、斜面は木々で覆われ、長いこと溶岩の流れがなかったことが見て取れる。レガスピ側からの猛々しい姿に比べて、女性的な姿といえる。もともとマヨンとは女性の名前にちなんでつけられた名前だそうだ。  怖いのは噴火の時の火山灰ではなくて、あとから台風による大雨の影響で発生する土石流だ。農場付近の地元の人々も生れてこの方、この付近はマヨンの被害にあったことはないそうで、相当な噴火のない限り、農場は安泰といえるだろう。だから、私の生きている限りは大丈夫だろうと勝手に思いこんでいる。 2013年3月、ホリーウイークの帰郷の際に農場から撮影したマヨン火山。マヨン火山の絶景は農場にとって不可欠な風景となっている。

すわ、マヨン火山が噴火した? 2013年5月11日


   いよいよホリーウイークがやってきた。今年は3月31日のKIANの誕生日を含む、3月25日の週が、それに当たる。そのため、ちょっと長めの休暇を取って、23日(土)早々と農場にやってきた。  今回の農場訪問には、山本及布子(のぶこ)さんがバギオから駆けつけて参加した。のぶ子さんにとっては、初めてのフィリピン田舎暮らしの体験だ。ちなみに、のぶ子さんは、話題の人、山本太郎さんのお母さんだ。日本の放射能汚染を恐れ、フィリピンに先月より滞在している。縁があって、マニラの家にも一週間ほど居候して、フィリピンの家庭の雰囲気を味わってもらった。 3歳を間近にしてKIANも空港の様子に慣れてきた。レガスピ空港では、幸い、マヨン火山が姿を見せ、歓迎してくれた。のぶ子さんを交え、皆で記念撮影。飛行機が2時間ほど遅れ、のぶ子さんは疲れ気味だったが、KIANは絶好調だ。残りの家族、ボボイ、ヤヤ、キム、アレアなどは別途、車で12時間の道のりを農場にむかって走っているころだ。 農場に到着すると、KIANは早速、従兄弟達に囲まれ、ゲームに励む。正月以来の出会いだが、何のわだかまりもなく、交わっている。 食事を前に、皆で記念撮影。久しぶりの再会に皆、嬉しそうだ。 キッチンでホットドッグを食べるKIAN、ここでのごちそうは、ホットドッグとチキンのから揚げ。お世辞にも健康に良いとは言えないが、子供達の大好物だ。 翌、24日(日)、好天気に恵まれ、マヨン火山が、その姿を惜しみなく見せてくれた。のぶ子さんも、その雄大な景色を間近に眺めながら、ベランダで食事を摂るのが、実に贅沢と感激していた。 マヨン火山がこんな姿を見せてくれるのは、そうざらにあることではないので、KIANを手すりに座らせて記念写真を一枚。 農場では、稲の刈り入れの真っ最中。刈り入れた穂を脱穀機にかけて、もみをとる。そして、これを一日乾かせて、倉庫にしまう。そして、必要な都度、精米所に持って行って、食べるのだが、まさに自給自足の世界だ。後ろに広がるのが、我が農場の水田だ。刈り入れた後の水田を恐る恐る歩くKIAN。足にからむ稲が邪魔で歩きにくいのだろう。 水田から、眺めたマヨン火山。高くたなびく煙が、活火山であることを如実に示している。 のぶ子さんを農場に案内したら、母豚が、12匹の赤ちゃんを産んでいた。生まれてまだ一週間程度だそうだが、農場には命の営みがある。のぶ子さんは、可愛いを連発していたが、この子たちも半年後には人間の口に入るために生まれてきたのだ。 農場の外れでは、稲刈りの真っ最中だ。ここでは、もはや日本では見られない、人力による、田植えや稲刈りが行われている。中央及び左奥では牛が残った稲を一所懸命食べているが、農場の牛も一頭が4頭に増えている。彼らは餌がいらないのでありがたい。 家のすぐ近くでは闘鶏を10羽ほど飼っている。夜が明けるころ、大きな鳴き声を上げるが、いかにも農場の雰囲気があって、嬉しい。闘鶏に近寄って、捕まえようとするKIAN。闘鶏も捕まるまいと逃げるので、そう簡単にはいかないが、こんな時、KIANが、へっぴり腰になるのは本能だろうか。 期待の星の黒豚もかなり育って、放牧場を走り回っている。彼らも早く成長して子供を作ってほしいと思う。地鶏のカビールも大分大きくなっている。餌をやると、黒豚も飛んできて、一緒に食べている。なかなか相性は良いようだ。カビールはいち早く卵を産むようになっている。KIANはいつも餌をやるのが大好きだ。 […]

2013年ホリーウイークの農場訪問初日 2013年3月28日



農場滞在二日目は待望のマヨン展望台にのぶ子さんを案内した。もちろんKIANと3人娘が同行した。のぶ子さんはいち早く農場を発見。中央付近のココナッツ林が禿げたあたりなのだが写真では識別できない。 ここで、物品を売っている人は街からやってきていて、ママ・ジェーンの知り合いがたくさんいる。その子供たちと記念撮影だ。 そのあと、タバコ市の北のTIWI町にある、有名なハロハロ専門店でハロハロを食す。ちなみにTIWIには大きな地熱発電があり、地元の人々の電気量は無料だ。 この日、KIANの試練が始まった。ビタミン剤を飲むのが嫌で、必死に口を閉じて抵抗するKIAN。よほど薬の味が嫌いと見え、泣きながら水をがぶがぶ飲んでいる。 試練は、これだけでは終わらない。次は歯磨きだ。これにもKIANは必死に抵抗する。おかげでKIANは虫歯もなく、綺麗な歯をしているが、そもそもKIANは甘いお菓子をまったく口にしない。 この日は、ほとんど終日マヨン火山の雄姿を眺めることができたが、山をバックに、のぶ子さんの記念の一枚だ。 この時、山の上には箒で掃いたような珍しい雲が広がっていた。

2013年ホリーウイークの農場訪問2日目 2013年3月28日


  農場滞在、3日目、朝一番で、キャッサバの収穫を行った。キャッサバは、ニューギニアなどの山地では主食として食べられている、いもの一種だ。どんな場所でもできるが、いものは毒があり、すって粉にして水にさらさないと食べられない。粘り気があって甘い餅菓子の原料になる。 本島とカグラライ島の間は海峡になっていて、いつも波がなく、ウインドサーフィンにぴったりだと思う。300mほどの橋は確かに立派に出来上がっていた。途中、カグラライ島と次のバタン島の間は小島が散在して美しい景色を作っている。普段ここは船で通過するので、このような美しい景観をなしているとは想像しなかった。 MISIBISIリゾートに到着すると、予約がしていないからと、門前払いになってしまった。しかも一日滞在して食事つきで一人4000ペソだという。子供も入れて12人で行ったから、合計48000ペソという、巨額だ。バカにするにもはなはだしいと、2度と来るかと捨て台詞を残して帰った。帰り道、サントドミンゴのパラメーラリゾートで食事。ここでは12人で食べて合計1300ペソ。これがフィリピンの値段なのだ。 MISIBISIリゾートの実りなき往復で疲れてしまったのぶ子さんも夕方、涼しくなると、元気を取り戻し、近所に買いものに子供達を連れてでかけた。 最近、この辺のサリサリも充実してきて、新鮮な魚や肉それに野菜も買える。普段の生活には十分だ。 帰り道、KIANはキムにいつも抱かれて、手抜きならず脚抜きをする。サリサリでのぶ子さんが皆にアイスクリームをふるまう。帰り道、全員で記念撮影。 そのあと、庭で子供達のお遊びが始まった。手をつないで回ったり、リンボーダンスなどたわいもない遊びに普段大人数で遊んだことのないKIANは大喜びだ。しかしリンボウダンスなのに手の下をこぐってしまうKIAN。 やっとリンボーダンスが何かわかったようだが、今度はまたの下をくぐる。 マヨン火山を背景に遊びに興じる子供達は、絵になる。最後はママに馬乗りになってはしゃいでいた。

2013年ホーリーウイークの農場訪問3日目 2013年3月28日



  KIANの誕生日は3月31日の年度末だが、諸般の事情から3日早めて、今日、28日の執り行われた。早朝から、3人のマミーの友達と、ビアンカ、アライサ、バネッサなどのハイスクール組がいそいそと料理にいそしんでいた。  大量の料理を前に満足げのKIANだが、それにもまして5個も並んだ誕生ケーキにご満悦だ。何故5個もあるかというと、それだけ招待客が多いので、そのくらいないと甘党のゲストに満足してもらえないからだ。 三歳の合図に料理を目の前に指を三本かがげるKIAN。指を2本掲げるのはやさしいが、3本はかなり難しく、緊張気味のKIAN。KIANが好きなスパイダーマンとスーパーマンの飾りのケーキが用意されている。  近所のスコーターから招待されて子供達に囲まれて、大物の雰囲気を醸し出している。いよいよパーティも間近だ。 5つのケーキのろうそくに火をつけたが、なかなか消せず、ママが手伝う。 甘いものが嫌いなKIANは腹違いの姉のキムにケーキを食べさせる。のぶ子ママも加わって、いよいよ食事の時間だ。 KIANは自分が主役であることを認識していて、皆に料理を食べさせようとしている。  スーパーマンの人形に手をかけるKIAN。食事そのものは、あまり興味がなさそうなKIAN。フィリピーのはパーティをことのほか楽しむ。 ママ・ジェーンの親友は、すでに男の子を4人もうけているが、初めて会ってもみんな友達だ。 ハイスクール3人組と親友のソールと記念写真をとるママ・ジェーン。最後は、親友のソールとツーショット。ちなみにソールは法科出身でパスコの法律顧問だ。 従兄弟のプロ歌手、16歳のチェムチェムも加わって、パーティは佳境を迎える。 KIANも負けずに大声を上げるが、歌というには今一だ。 翌日、ビコールの代名詞のカグサワ・ルーイン(スペイン時代の教会跡)に出かけて観光気分を味わった。

KIAN、3歳の誕生日パーティ 2013年3月28日


  正月を終えてマニラにもどると、多忙な日が続いてブログの更新がほとんどできなかった。ホリーウイークで農場に滞在しているが、ポケットWIFIでは日によってインターネットが使えたり使えなかったりだが、今日はたたみかけてブログの更新に心がけている。今回紹介するのは正月の写真で、大分古い話題になってしまうが、眺めてみると捨てがたい写真が多いので、掲載することにした。  黒豚と地鶏の放牧場が完成し、いよいよ本格的に黒豚2匹とカビールという地鶏20羽を放した。 地鶏のカビールに餌をやるKIAN。このカビールという品種は、大きいもので5kgにも育ち、さぞ食いでがあると思う。普通の食肉用の鶏は、フィリピンのような暖かい気候でも、24時間電燈で温めてやらないと死んでしまうという。その代わり「45Days」と呼ばれる品種はその名の通り、45日で出荷できるそうだ。フィリピンで国内線に乗ると、大きな養鶏場が山の中に広がっているが、それは、まさに鶏肉や卵の工場であり、もはや自然の食品とは言えない。 勇敢にもカビールを捕まえたKIAN。この地鶏の卵は、小さめで売りものにならないが、その黄身は濃い黄色で、割っても簡単に崩れず、味もまさに絶品だ。これを食べたら、マーケットで売っている卵など食する気にもなれない。 黒豚の登場で、養豚は放牧養豚にシフトされつつあるが、一頭残った母豚に、その巨大さに恐れをなすKIAN。 鯉とテラピアの養殖池のほとりでハンモックに座ってくつろぐKIAN。 件のはえたたきで従兄弟たちを追いかけまわすKIAN。 KIANにスカートをはかせたら、すっかり女の子の気分になっているKIAN。いとこの女の子よりもよほど女らしいしぐさだ。 正月は、フィリピンは普通乾期で、天気が続くのだが、ビコール地方は、逆に雨が多く、この日も、しとしとと一日中雨が続いた。 レガスピにはLCCとガイサノという二つのモール/デパートがあるが、KIANはガイサノのゲームセンターが大好きだ。日本から来た中古のゲーム機遊ぶKIAN。 KIANの4カ月後に生まれた従兄弟のジェルミーも同じ2歳。かつては圧倒的にKIANが有利だったが、ジェルミーも負けずににらみ返す。しかし、皿に盛られた料理の量からもKIANの有利はゆるがない。 マニラへの帰還間近になって、ようやくマヨン火山が全貌を現せた。これが当分の見納めだ。

子供達は農場で元気いっぱい(その5)2013年3月27日



 正月を迎え、天気は、相変わらず、ぐずついてマヨン火山は姿を現さない。反対に農園の植物は、天の恵みを受けてみずみずしい。里芋の一種(ガビ)のおおきな葉は傘にはいいかもしれないが、芋は食べられないらしい。 先日、発見した貝のように模様が美しいカタツムリが、2匹、仲良く木に止まっていた。 先日、放牧したカビアーは雨が強くなると、しっかりとり小屋で雨宿りをしている。 今朝がた、未明、ダニーが黒豚2匹を放牧場に放した。2匹の子豚を意を得たりとばかりに、走り回っている。人の足ではとても追いつけない。望遠レンズで、なんとか姿をとらえることができるが、なかなか警戒心が強く、人を寄せ付けない。まさに野生だ。   金網越しに一所懸命土掘りをしているところをとらえたが、この直後、遠くへ逃げ去った。  たった2匹の子豚では、里芋の葉に隠れるといるのか、いないのかわからない。カビアーとも喧嘩もせず、うまく共存していけそうだ。 家に戻ってきて、ランカの実をむこうと、上を見上げると、大きな蜂の巣を見つけた。スズメバチの巣らしい。こんな近くにスズメバチはちょっとヤバいと思うが、皆、どうってことはなさそうだ。  毎週のように、大きなランカの実が収穫できる。一個当たり、10kgはあるので、皆で食べても一週間はもつ。 種の周りの黄色いところを食べるのだが、その外はべたべたしていて、気持ちが悪い。手に付いた、べたべたは油でなければ取れない。  オクラは旬を過ぎてしまっているが、大きくなりすぎたオクラの実に昆虫がたかっていた。日本で見たこともない、蛍のような形をした昆虫だ。交尾のまっただ中で、邪魔はしないようにした。

正月の農場の風景2013年1月2日


 あけましておめでとうございます、今年も宜しくお願いします。  ビコール地方、タバコ市の農園からの挨拶しています。今回は、昨夜、あるいは今朝のパーティの様子を紹介します。  マム・ジェーンの率いるゴメス・ファミリーは、大晦日に一同が農園に集まって、クリスマスと新年を迎えるパーティを開くのが恒例だ。クリスマスツリーの周りにはマニラ新聞で包んだ大量のギフトが部屋いっぱいに置かれている。 食べ物をいっぱい用意された。甘いスパゲッティ・ミートソースはパーティには欠かせないメニューだ。それに豚肉のアドボ、パンシットカントン、チーズ巻きのから揚げ、などなど、私には、ちょっと手をつけることができないものばかりだ。 食事は、新年を迎えてから頂くそうで、夕飯はパンシット・ビーフンで軽く済ませ、9時過ぎから、写真撮影が始まった。マミーを囲んで、ジェーンのそれぞれの兄弟の子供達、兄弟夫婦と子供達(4組中、2組は別れてしまっているが)、ジェーン兄弟とマミーなどなどあらゆる組合せの写真を撮影する。幸い、今回は、ジェーンがiフォン4を買ったので、私はカメラマン役から解放された。 子供達が全員集合、ジェーンの従姉もの子供も合わせて、25人程度の子供たちが集まっていた(下の写真は左が入りきれずに欠けている)。 最後は、全員集合、料理の手伝いに駆け付けたマミーの友人などを含めると、全部でざっと40人程度がパーティに参加した。 お年頃のお姉さんたち。太めのデバインは21歳だが、他は、皆、花もほころぶ16~7歳のティーンエイジャーだ。 記念撮影が終わると、いよいよパーティの始まりだ。すっかり寝込んでいたKIANは起こされて、ご機嫌斜めだ。 初めのゲームはじゃんけんぽいのようなもので二つのグループに分かれて拳のかわりに体で表現して勝負する。 このころは、KIANも目が覚めて、それなりにゲームに参加している。 次が新聞紙を半折にしていって、その中に二人で立つもの。新聞紙が小さくなってくると、片方がもう片方を抱き上げたりすることになる。男女がペアになると、なかなかスリリングで、パーティには欠かせないゲームだ。 パーティ・ゲームが一段落すると、いよいよ、ギフトの配布だ。200~300個もあるであろうギフトを一つ一つ名前を呼んで渡すのだから、これだけで、1時間以上かかってしまう。初めにKIANから一言あいさつ。何を言っていたのか聞き取れなかったが、ママの言うことを繰り返していたのだろう。 ギフトを渡すのはKIANの役割だ。ママ・ジェーンは将来KIANがゴメス・ファミリーを統率して行けるように、今から、皆にKIANへの忠誠心を植えつけているような気がしないでもない 子供たちにとっては、この時が一番楽しい時だ。大人たちには生活がかかっており、大きなプラスティック・バッグに子供たちがもらったギフトを次々に放り込んでいる。 […]

年末パーティ2012年 2013年1月1日



  師走の31日、ちょっと晴れ間が出たので、KIANを農場に連れて行った。この日、姉のキムはパパ・ーネルとレガスピ市に出かけたので、従兄弟のチャールズがお供した。  テラピアと鯉の餌やりはKIANのお好みだ。餌を放りこむと魚が群がってくる様子が楽しいようだ。途中で見つけた竹の棒で、池の水と遊び始めたKIAN。こうなると簡単ことではやめない。なにしろ水遊びが大好きなKIANだ、 久しぶりにマミーにたらいで水を浴びさせてもらう。KIANがマイ・プールと叫んで、上機嫌だ。一番下の動画では、泳ぐ真似をしている。 今度は、子供たちとファームハウスの前の道路で追っかけごっこをして遊ぶKIAN。農園の道路は野芝(カラバオ・グラス)だから、転んでもふわふわしていて痛くない。車は全く通らない広々とした空間なのだ安心して子供を遊ばせることができる。KIANはいつも皆の中心だ。一方、画面後方のタムタムはいつも仲間外れだ。同じマコリットな(しつこい)子供でも、何かが違う。 KIANの一番の相手はジェーンの次兄、アランの子供のアーランだ(10歳、4年生)。なかなか利発な子で、色白美人3姉妹とあわせて、親のアランは「嫁選びは下手だが、子作りはうまい」と自慢している。しかし、子作りのあと、子供達の面倒を見ないのでは、どうしようもないが。転げても痛くはないし、汚れないので、KIANにはもってこいだ。  この日久しぶりに訪問してくれたのが、ジェーンの従姉の子供クレヨ(17歳)だ。本来ならば大学に行ける年だが、2年ほど休学していたので、まだ、ハイスクールの2年生だ。彼女の姉が、例の関取り、デバインだ。お父さんは、デバインとは別のインド人で、無責任な母親のおかげで、親戚の家を転々としながら、ここまで育って来た。ビアンカと同じく、一所懸命になって台所を手伝う、とてもいい子だが、いろいろ苦労してきたのだろうと思う。何を思ったか、ジェーンは、突如、彼女を農園に住まわせて、面倒をみると言いだした。しかし、その後、彼女には養子縁組の話があって、遅すぎたと話していた。 年末のパーティ間近とあって、続々と子供たちが集まって来る。プロ歌手のチェムチェムもやってきて、KIANと遊んでいる。 パパ・カーネルは姉のキムと出かけているので、チャムチャムが携帯でのおもちゃでパパを呼びなさいと、KIANをせかしている。KIANは人にいじめられたり、からかわれたりすると、怒って「ポリスを呼ぶ」と叫ぶ。そして携帯でパパ・カーネルを呼び出すしぐさをするのだ。たまにパパに叱られると、「ポリスを呼ぶ」とKIANが叫ぶが、パパの答えは、「俺がポリスだ」だ。

子供達は農場で元気いっぱい(その4)2013年1月1日


農場にはジェーンの甥と姪、それに自分の子供、総勢14人全員が勢ぞろいしているので、家の中は子供たちでいっぱいだ。フィリピンで、庶民の住宅地を覗いてみると、巷に子供があふれかえっている。まさにそんな状況がファームハウスでおきている。   お姉さんたちは、クリスマスのギフトの梱包に余念がない。バリクバヤンボックス程度の大きな段ボール2個分の衣類や靴、雑貨などを包むのは、なんと新聞紙、マニラ新聞だ。昨年より、経費節減のため、クリスマス用の包装紙の使用は中止した。ギフトは一人10個以上、これで1年分の衣類などが賄われるらしい。   ジェーンは、9月ごろから、休みごとに中華街のデビソリアに行って、クリスマスの買い物していた。そして、それを皆に配るクリスマスパーティがいよいよ間近に迫っているのだ。ちなみに、ファームでは12月31日に年末年始のパーティを兼ねてクリスマスパーティを開くのが恒例だ。 ケーブル・テレビではディズニーの漫画が24時間流れているので、子供達は、いつも夢中で見ている。もちろん字幕はないが、子供達は、生のアメリカ英語を理解しているようだ。KIANは多少理解している程度だろうが、5~6歳になるころには完全に理解できるようになってしまうのだろう。日本でもアメリカ映画の字幕の使用を法律で禁止したら、かなり英会話学習の意欲の向上と実践に役に立つのではないかと思う。 ヤヤがいないので、KIANの子守はもっぱら姉のキムの役割だ。食事中、何か歯に挟まってしまったようで、大きな口をあけて、姉に取ってほしいとせがむKIAN。 忠犬アイスがテーブルの下で、鼻をKIANに押しつけて、ソーセージをくれるようおねだりをしている。それが嫌で、大声をあげて泣き叫ぶKIAN。 男の子と小さな子供はギフト包みには関係ない。マスター・ベッド・ルームのベランダを占領して、遊びまわる。手すりに座って皆でポーズ。 KIANが糸トンボを見つけて、飛んできて、私に見せてくれた。農場には、ホタルなど忘れかけていた自然が生きている。 誰かがUNOというカード・ゲームを見つけ出して、私に使い方を聞いてきた。昔、私が日本から持ってきたやつだと思うが、使い方がわからないで、ほっておいたらしい。それがもともと息子の持ち物だと分かり、早速、息子に教わりながら、ゲームが始まった。トランプの大富豪のような遊びらしいが、それぞれの子供達のスマートさがわかるという。 小学校1年生、7歳のタムタムとヤナはゲームのやり方を理解できず、除外、泣きながら、仲間外れとなる。なにしろ、一回のゲームに1ペソかかっているので、皆必死だ。2年生のアレクサとアレアの双子は、なんとか合格、4年生のバレリーとアーランがなかなかの腕前らしい。左から、アレア、アレクサ、バレリー、アーラン、タムタム、ヤナの小学生6人組。右端のヤナはかなりの美形に写っている。ジェーンの次兄のアランの子供は概して色白の美形だ。 はとこのプロ歌手のチェムチェムとの初対面、手をおでこにあてて、正式な挨拶をするKIAN。 ジェーンの次兄の4人目の子供、上の3兄弟とは腹違いのヤナは、幼稚園から飛び級で小学校2年生に入学した才女だ。ただ、お母さんを癌で亡くし、お父さんは他の女と同棲したりして、子供の面倒をろくすっぽ見ないので、ここ数年、農場に預けられている。私の前ではいつも静かで、物悲しさを漂わせているが、息子の報告で、普段は活発で、やんちゃでマコリット(しつっこい)な、当たり前の子供であることが暴露された。 おでかけから帰ってきたKIANのやったことは、他の子供が使っていた絵本を取り上げて、その上に乗っかってダンスをすることだった。なんとも行儀が悪いが、KIANのやることはなんでも許される。ビアンカがキッチンで働いているとき、誰かが、後ろからぶったので、ビアンカは血相を変えて、タムタムっとどなった。振り返って見ると、それがKIANだったので、思わず笑顔に変わった。KIANがやることはなんでも可愛いと、許されるのだ。 再び、UNOゲームを楽しむ子供達。お金をかけるのは教育上、よろしくないと、マム・ジェーンのコメントが入ったので、今度は1ペソ足らずのスナック菓子を景品とした。一回のゲームに勝つとスナック菓子をもらえる。そうすると、皆、もらう度に食べてしまうそうだ。日本の子供だったら、ため込んで、後でゆっくり賞味すると思うのだが、フィリピンの子供は、そんなケチなことはしないで、さっさと消費してしまう。宵越しの金はもたないという、気風の良さを、子供の内から発揮する。やはり、冬がない熱帯に生まれると、冬に備えて食料を貯め込むという、生活の知恵、あるいは習慣とは無縁なのだろう。 普段は、キッチンが皆の食事どころだ。ダイニングのテーブルで食事を取ることは、われわれとマム・ジェーンがいる時かパーティの時ぐらいなものだ。 […]

子供達は農場で元気いっぱい(その3)2012年12月30日