農場訪問


アヤ・メデルと言えば、かつて一世を風靡したセクシー女優だ。宿敵、ロザナ・ロシェスと同様、日本で働いていたこともあり、日本人との間にイシという女の子をもうけ、レストランの名前は,自分と子供の名を取って、Ishi・Aya Garden Bistro と名づけている。 彼女が、農場のあるタバコ市に和食レストランを開業しているというので、早速、皆を引き連れて、久々の日本食を食べに行った。         レストランはガーデン・ビストロというだけあって、かなり広めの庭にテーブルがたくさん並んでいた。和食と銘を打っているだけには日本風の絵や飾りがたくさんあったが、そのセンスと言えば、いかにもフィリピン風だ。 有名人の開いた店というもの珍しさもあって、店内はほぼ満員だった(ただし外のガーデンにまで客がいるほどではなかった。こっちは、きっと夜用なのだろう)。ウエイトレスの衣装はこれまた、いかにもフィリピン風着物だ。       日本食に飢えていた息子と私は、早速、日本食を注文しようとした。しかし、マグロもエビもなくて、あるのはサーモンの刺身とカルフォルニア巻きだけ。ちょっと、 がっかりしたが、こんな田舎で本格的な日本料理を注文する人もいないだろう。周りが注文しているのはクリスピーパタなど、まさにフィリピン料理の定番ばかりだった。        アヤ・メデルとジェーンは友人だという。同郷のよしみかと思ったら、Face Bookで知り合ったのだという。アヤは調理師の免許を取って、ここでチーフシェフをしている。単に、オーナーとしてふんぞり返っているのではなくて、厨房で忙しそうに働いていた。こんな根性なら、ここもはやるかもしれない。

往年のセクシー女優 アヤ・メデルの日本レストランで食事2015年2月6日


ターボ(TURBO)とは、最近はやったカタツムリの映画の題名だ。エンジンに巻き込まれたカタツムリのテオ君がレーシングカー並みのスピードで走るようになり、ターボと呼ばれて、レースに勝利するという物語だ。映画では、色々な形をしたカタツムリが登場するが、空想のカタツムリだと思っていた。しかし、彼らが、農場にいたのだ。 はじめは、大きなカタツムリを見つけて家に持ち帰ったが、これは、以前にも見つけたことがある。さらに、他にもいないかと探したら、まさにターボがいたのだ。        大小、合わせて4匹のカタツムリを見つけたが、日本で見るのとは、比較にならないくらい大形で、色や形も多様だ。彼らは、親子であろうか、より集まって、ゆっくりと動き回る。小さい子供は親の背中に乗って、そこには、まさに、ターボの世界があった。もちろん、彼らは、決してターボのようにスピーディに走り回ることはなかったが。

ターボ イン フィリピン 2015年2月6日



いよいよ、恒例の年末パーティの日がやってきた。ジェーンの一家だけで総勢21人、それに使用人とその家族で、40人ぐらいの人数になる。クリスマスパーティをかねているから、ギフトは欠かせない。皆に、複数のギフトを用意するのだから、その数は、200個程度になる。最近は、包装用紙代がもったいないので、マニラ新聞がその名誉に預かっている。   膨大なクリスマスギフトに囲まれて、ご機嫌のKIAN。外では、大工さんの子供達が遠慮深げに中を覗いていた。カメラを向けると、はじめは恥ずかしがっていたが、そのうち、無垢な笑顔を見せてくれた。        若者組みは、それぞれがしなを作ってカメラに収まる。花も恥らう10代の若者だ。 ヤヤドナ(KIANの子守兼メイド)とツーショットにおさまる息子。ヤヤは休み中、ずっとファームハウスにとどまって、メイド役をこなしてくれた。どうも父親のいる家には帰りたくないようで、曰く因縁があるらしい。カーネルも、今回はたっぷりと休んで、娘のキムとKIANに囲まれてご機嫌だ。 いよいよ、恒例の撮影会。それぞれのファミリーがおばあさんを囲んで記念撮影だが、子供達との撮影では、KIANは、真ん中に座って、いかにも、私がボスって感じだ。息子も皆に促されてビアンカとのツーショット。 クリスマスギフトを配るのはKIANの役目だ。私には、T-シャツが用意されていた。 その後は、しばらく時間つぶしをして、12時を待つ。そんな時はカラオケが定番だ。 12時になると、新年の無事を祈って、鍋やフライパンをたたいて家中を歩き回って、悪霊払いをする。   そして、いよいよ新年の食事会だ。6時過ぎには簡単に食事を取ったのだが、彼らの食欲はとどまるところを知らない。 それにしても大量の食料だが、残りは、お土産に持って帰らせるから、わざと大量にあまるように用意してあるのだそうだ。 KIANと言えば、好物のパンシット(焼きそば)をほおばるだけだ。

2014 年末パーティ 2015年2月5日


息子が手塩にかけて育てていた黒豚が脱走した。黒豚の放牧地は金網で囲まれているのだが、黒豚が本気で体当たりすれば、ひとたまりもない。また、豚は地面を掘って、何か食べるものを探す習性があるので、フェンスの下も掘ってしまう。特に餌場の近くのフェンスはかなりへたっていた。 ちなみに黒豚のえさは、ぬかで、農場の米の副産物だ。だから、市販の豚の餌よりもかなり安くすむ。ぬかは、玄米を白米に精米する際に出てくるのだから、栄養豊富なはずだ。でも、それだけでは栄養が偏ってしまいそうだが、それは、放牧の良いところで、雑草や土の中の昆虫を食べたりして、元気に育っている。 そんな訳で、黒豚たちがこぞって塀の外へ逃げ出してしまった。目的は、単にえさ探しだから、畑の隅に行って、一所懸命土堀をしている。 すわ一大事とばかり、農夫のダニーを呼びつけた。いつも餌をやっているダニーの掛け声に黒豚は一斉にかけ散じた。ダニーは準備周到にぬかを持ってきており、黒豚たちはすなおにダニーの後を追って、一件落着となった。 まるで飼い犬のようにダニーの後を追って歩き去る黒豚たちは、とても可愛かった。息子が将来、農場経営の柱にしようと目論んでいるだけに、もしものことがあっては、心配したが、杞憂だった。

黒豚が脱走した 2014年2月5日



KIANのいとこのアレインは14歳、ハイスクールの2年生だ(右下の写真の左から2番目)。この日は、年長組の女の子5人が勢ぞろいして、ファームハウスの石畳で親交を深めていた。一方、年少組は、お猿さんの小屋の前に止めてあったトライシクルで遊んでいた。 その時、アレインが学校のクラブで練習している器械体操、床の演技を披露し始めた。色白で細身のアレインの演技は、なかなか見ものだった。それを見たKIANが、我もと闖入し、演技中のアレインを突き飛ばしたのだ。          そこで、アレインとKIANの競演が始まった。KIANにしてみれば、アレインが遊んでいるように見えたのだろう。KIANも開脚には自身がある。アレインのスタイルを真似るが、アレインの足の長さにはかなわない。今度は、ジャンプだが、私のバカチョン・カメラで見事、空中姿勢を収めることができた。 さらにKIANは何を勘違いしたのか。空手の構えを始めた。これが、後日、空手道場に通わせるきっかけになった。

アレインの器械体操にKIANが挑戦 2014年2月5日


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洞窟探検の後は、まずは、レガスピ市のなじみのアリバーレストランでランチ、そして、その後、ジェーンが将来、展望レストランを計画している土地を尋ねた。 レガスピ市の市庁舎の裏手の丘にあるジェーンの土地は、北にマヨン火山、東にレガスピ市を望む絶景だ。この日、マヨン火山は、雲に隠れて見えなかったが、レガスピ市は、ばっちりだった。そこには、ジェーンのもち物であることを示すたて看板が誇らしげに立っていた。 道路を挟んで反対側に1000m2ほどの、小高い土地があって、そこからは360度の景色を楽しめる。西側は広大な椰子の木林が広がっており、ここで、展望レストランとペンションを建設し、この子達に運営を委ねるという算段だ。未来のオーナーはもちろんKIANだ。幼くして、レストランのオーナーを約束された、KIANは幸せ者だ。 この日は、適度な風も吹いて、将来の夢を描きながら、心地の良いひと時を皆で過ごした。  

レガスピの展望レストラン用地訪問 2015年2月5日



ジェーンの勧めで、今日は、皆で近くの鍾乳洞を探検に行った。2~3度、行ったことはあるのだが、KIANにとっては初体験なのできっと喜ぶだろうという主旨だ。農場から車で一時間くらいのところにあるこの洞窟は、Hoyop-hoyopan Cave と呼ばれ、フィリピンでは、あまりおめにかかれない鍾乳洞だ。しかし、山の中腹にあるためか、水はほとんどなくて、美しいとは、ちょっと言いにくい洞窟だ。 農場に遊びに来ていたカレッジグループを伴い、トライシクルでタバコの街に向かったが、途中、年末のパレードに遭遇。ジェーンの長兄、ダシンの家で、教会に出かけていたジェーン一家を待つ。 カレッジが5人、ハイスクールが一人、それにKIAN、私と息子、それにカーネルとジェーンの総勢11人が7人乗りの三菱モンテールでぎゅうぎゅう詰めでで出かけた。年長組みで車はいっぱいだったので、後、7人の年少組みは、割愛された。1時間くらいで、 ホヨップホヨパンというおかしな名前の洞窟に到着。カーネルとジェーンは、どういうわけか車で待っているというので、子供達を伴って、急坂を登ること、約5分、いよいよ洞窟に到着だ。       ホヨップホヨッパンと風が吹き抜けるというような意味らしいが、暗闇に恐れをなしたKIANは、常に抱っこをねだる。私は、写真撮影に忙しいので、もっぱら息子が抱っこ役だ。 洞窟を突き抜けると反対側の斜面に出る。そこからは、マヨンの絶景が拝めるはずだったが、今日は雲って見えなかった。さらに、ちょっと上にある入り口から再び洞窟に入ると、天井にはこうもりがいて、KIANはものめずらしそうに懐中電灯をあてている。 大きな手のように見える鍾乳石には頭をつけて挨拶するKIAN。           洞窟を出ると、おきまりのお土産屋だ。記帳をしてから、皆、キーホルダーなど他愛のないものを買い求めていた。

洞窟探検 2015年2月3日


翌日、一日違いで農場を訪問する息子を出迎えにレガスピ空港に皆で出かけた。しかし、息子からの連絡によると、空港は大混乱で、出発予定になってもチェックインもできず、この日の内に出発できるかどうかも知れず、ただ、ひたすら空港で待っているだけとのこと。それでも、レガスピに遊びに行けると期待している子供達の手前、出迎えを中止するわけにも行かず、とりあえず、大勢で出かけて行った。 二日目の農場といえば、雨がちで、気温も25度を下回り23.5度、寒いというのが実感だった。マヨン火山の中腹にはかすかながら滝が見えた。 カーネルとキムは、あらかじめ送っておいたマウンテンバイクで早朝からサイクリングとしゃれこんだものの、2時間後、帰宅した時、カーネルはへとへとになっていた。一方、18歳の娘のキムはけろりとしていた。      息子が気を入れて作った黒豚の放牧場にも子豚が生まれて11頭にに増え、息子を出迎える準備も整っていた。 定員が7人の三菱モンテーロに子供3人を含めて8人が乗り込み、息子が乗るスペースがなくなっていた。レガスピに到着すると、まずは、おなじみのアリバー・レストランで食事。その後、ガイサノ・モールのゲームセンターで一遊びして時間をつぶした。      息子から、予定の次の便に乗れることになったと聞いて、空港へ向かう。しかし、出発が遅れ、時間がありそうなのでレゴのおもちゃを買って、レストランで組み立てて時間をつぶす。   息子が乗った便がいよいよ到着間近となって、待ち合わせ場所に急ぐ。ティーンエイジャーはいつでもどこでも楽しい。 いよいよ、息子が到着した。息子を見ると、KIANは「クヤ ケイシー」と大声をあげて歓迎。皆で、まずは記念撮影だ。天気男と自称する息子が現れると、まさに虹がでて、息子を歓迎した。 農場に到着すると、恒例のカラオケだ。子供達に人気のクヤ・ケイシを迎えて、皆、楽しそうだ。 後日談だが、この日のセブパシフィックの混乱は尋常ではなくて、人災天災が重なって、怒号が飛び交う状態だったそうだ。チェックインシステムがダウンし、係員の無断欠勤、などなど、カウンターは、ほとんど機能しなかったらしい。そのため、当局は、セブパシフィックに厳重に注意し、罰金刑を課したそうだ。

息子の出迎えも大仕事 2015年2月3日



2014~2015年の年末年始は、土日と祝日が重ならず、実に効率よく配置され、超ド急の大型連休となった。12月20日(土)から帰省ラッシュが始まり、23日(火)あるいは24日(水、クリスマスイブ、祝日)あたりがピークとなり、25日(木、クリスマス、祝日)には、マニラは空になる。 そんな訳で、チケットが安くなり始める25日(木)にビコールへとびだった。車で移動したキム、ヤヤ、双子、ボボイらは、前日の早朝に出発し、無事にダシン(ジェーンの兄)の誕生日(奇しくも24日のクリスマスイブが誕生日)に間に合った。 余裕を見て3時間前に空港に到着するよう、出発したが、スカイウエイに車の影は見えない。しかし、空港は、いつもよりは、かなり混雑していたが、混乱というほどではなくて、粛々と順番を待った。私の荷物だけをチェックインする予定だったが、係りの人が、携帯でチェックインをしていて、荷物さえ預けなければ、そのまま、出発ターミナルに行けるということで、大分時間を節約できた。   空港へ向かうスカイウエイはがらがらだった。まだまだ眠いKIANはカーネルに抱かれてご機嫌。 空港の混在はかなりのものだったが、まだまだ尋常の範囲だった。 この日は、幸い、マヨンが顔を見せていた。半年ぶりのKIANは、大分慣れたせいか、さほど興奮した様子は見せなかった。 年に数回、訪れるビコールだが、マヨンの勇姿を眺めると、故郷に戻ってきた気分になる 空港には前日先行したモンテーロに乗って子供達が迎えに来ていた。KIANの宿敵、いとこのジェルミーは、この年、半分ぐらいをマニラで過ごしていたので、久々の再会というほどのものではなく、感慨も半分だったようだ。 出迎えは、皆でやってくるのがフィリピン風、車に乗り切れないほどの人数だった。途中、バイクの衝突事故に遭遇 一休みして、早速、KIAN憧れの農場を散策、KIANは家畜に餌をやるのが大好きだ。まずは南のライスフィールドに向かう。 テラピアの養殖池ではえさやり、母豚は、いつもちょっと苦手のKIAN ハンモックで一休みして、農場の入り口近くの鶏ファームに向かう子供達。 大型のカビアは先の台風で全滅してしまったが、今は、ネイティブチッキンという普通の鶏を飼っている。バナナ園も、実りが近い 家の近くにはお猿さんを飼っている。残念ながらメスは死んでしまったようで、今は、一匹だけだ。このサルは、女の子と子供を見ると敵愾心をむき出しにする。私が、手を出したり、手をつかんでも全く無視しているのだが、原因は不明だ。 […]

2014~2015、年末年始の農場訪問 2015年2月3日


ちょっと古い話題になるが、相棒のジェーンが結婚式の祝いに知人からマヨン火山とレガスピ市を眺望できる高台の土地を譲り受けた。その土地の視察に、一家そろって出かけていった。前面、東側にレガスピ市全貌、北はマヨン火山の雄姿、西は、延々と広がるココナツ林、まさに八方が絶景に囲まれる。 場所は、レガスピー空港から、車で10分足らず、レガスピ市役所の裏手を5分ほど登ったところにある。一方、マヨン火山からは20kmくらい離れているので、噴火の影響を直接受けることはない。逆に、噴火のときは、さぞかし勇壮な景色が堪能できるのではないかと、期待される。まさに現在(2014年9月27日)、マヨン火山の噴火警報が出ているが、この付近のリゾートには外国人観光客が殺到しているに違いない。参考ブログ「すわ、マヨン火山が噴火した? 2013年5月11日」参照。 土地は、斜面のままで造成されていないが、後々、手を入れて、退職者の方の住宅の建設や、展望レストラン/バーを開きたいと、ジェーンは、夢見る。特に夜景は見事で、街の恋人たちの絶好のたまり場になるのではないかと期待している。 この日は快晴に恵まれ、レガスピ市、そしてマヨンが一望に見渡せた。マヨンの反対側にある農場は、マヨンの裾野にあるために、裾野が海までつながっているマヨンの、こんな姿は拝めない。   裏手は、延々と続く樹海、これもまた絶景だ。その樹海を背景にして、ジェーンとKIANがポーズをとる 至近距離に、かなり大型の展望レストランがオープンしていた。そこで早速の撮影会が行われた。このリゾートはオーナーの信仰のため、アルコール類は一切出さないそうだ。これだけの施設を整えながら、アルコールがないなんて、せいぜい子供達の遊び場くらいにしかならないだろう。そこで、ほくそ笑んだのがジェーンだ。将来、開こうと思っている恋人たちのたまり場の競合相手となりえないからだ。 夜が暮れるのを待って、再び、現場を訪れた。写真ではなかなか表現できないが、レガスピ市の夜景は、ムード満点だった。 この日、農場のあるタバコ市は、丁度、フィエスタ(お祭り)で、交通を遮断してパレードが行われていた。しばし、動きが取れなかったが、これ幸いとシャッターを押し続けた。左の写真の中央はおかま、しっかりとパレードの先頭を務めていた。 フィリピン女性は、プールや海で泳ぐ時、T-シャツを着たまま泳いで、肌を見せることを嫌うが、こんなパレードとなると大胆に肌を露出することをも厭わない。

マヨン火山とレガスピ市の眺望 2014年9月27日