旅行


年末のコロナをめぐる動きはめまぐるしいものがあった。12月17日には、「その日以降に出国した9Gビザ(就労ビザ)保持者は、再入国が許される」という通達が発令された。すでに入国が許可されていたSIRV(投資家ビザ)、47a2(Pezaビザ)、9d(業務査証)等の業務関係のビザの総仕上げといったものだったが、「その日以降に出国したものに限る」という、なんとも解せない条件付で、現在、9gビザで再入国を心待ちにしている外国人にはなんとも不公平な決定だった。しかし、次はSRRVそして9a(ツーリストビザ)の番だと、いよいよ外国人の入国禁止措置が解除されるときが近いと期待させるものだった。 フィリピンの感染者数は全国で1000人/日を割り始めて、徐々に収束の兆しを見せているものの、ヨーロッパをはじめとする世界の感染者は第一波をはるかに上回る感染者数となっており、再封鎖という処置をとり始めている。日本の感染者数もうなぎのぼりで、至近では、ついに6000人を超え、フィリピンの6倍という数値になった。そのため、再度、緊急事態宣言が発出される見込みとなっている。 そんな状況で、9gビザ保持者の入国緩和措置から2週間もたたない12月29日には、日本、アメリカを含む主要な国々(20カ国、その後28カ国に増加)発/経由の一切の外国人の入国を禁止するという、一気に最悪の封鎖ともいえる規制が発令された。これは、イギリスに端を発するコロナウイルスの変異株の発生に対する水際対策だが、日本でも、ほぼ同様の規制が実施されている。さらに同日、首都圏の現状の規制(GCQ)を1月31日まで継続するという決定がなされ、ついに2年越しの自宅軟禁となってしまった。いつまでコロナと付き合わなければならないのか、気が重くなるが、ワクチンの接種も始まっているので、早期に、コロナを封じ込めるところまで到って欲しいものだ。 そんなおり、24日(木)のクリスマスイブから27日(日)までパパ・カーネルの休みが取れるので、一同タガイタイに疎開することになった。誰もいなくなったマニラの家に私一人がすごすことも出来ないので、車の中だけに留まって外に出ないという条件で同行させてもらうことになった。私にとってみれば、タガイタイに行っても、違いは、せいぜいビリッジの中の散歩ができるだけで、テレビもパソコンもないので、時間をもてあまして、やることはキアンとのトランプ遊びしかなく、気は進まないが、しぶしぶと言ったところではある。タガイタイ訪問がようやく実現した 2020年11月23日 クリスマスイブは、キアン念願のバーベキューで、急遽出署していたパパ・カーネルも戻って来て、それなりのクリスマスイブとなった。問題は、クリスマスのあと、正月明けまでタガイタイに滞在するとママ・ジェーンが言い始めたことだ。クリスマスの4連休のあと、28(月)、29日(火)の2日間を挟んで30日(水)から翌年の3日(日)で5連休となる。役所は、ほとんどの職員がクリスマスの4連休と年末年始の5連休をつなげて11連休をとってしまうので、機能していない。したがって、あえてマニラに戻る必要性はないと言う訳だ。 当方としては、携帯で最小限のコミュニケーションを取れるものの、やりかけの仕事もあって、そう簡単に「はい」と言うわけにはいかない。しかし、時節柄、急ぎの仕事もさほどなくて、調整可能と踏んだ。しかし、さらに一週間タガイタイに滞在するとしてもどうやってすごすのかが問題だ。一方、知らぬ間に小さなテレビを持ってきてあったので、インターネットTVの機器をマニラから持ってきて、日本のテレビを見れるようにするという条件で、OKとした。インターネットTVを設置しました 2020年11月2日 どうやってインターネットTVの機器を持ってくるかが問題で、同行したボボイ(ママ・ジェーンの弟)に運転してもらって、マニラに取りに行くことを考えていた。しかし、それに対してはジェーンからコメントが入った。年末年始はパパ・カーネルは多忙なため不在だ、そして、私がボボイと車を使って半日留守にしたら、車も男手も無しで、女・子供だけでは、不安だというのだ。一方、パパ・カーネルはマニラの首都圏警察署にいるので、彼ないし彼のボディガードが機器を取りに行ってくれるということで落着した。 また、新年早々のイベントである、1月4日(月)に到着予定のボルテスVの受取に立ち会えない恐れもあるので、対面のメイドさんにも受け取りを依頼した。3日間の滞在が10日を越えるとなると、何かと段取りが大変なのだ。ボルテスV(ファイブ)の話題 2020年11月28日 子供達の日々の楽しみは、マニラでは出来なかった散歩だ。天気が良いと、さすがに暑いので、早朝か日が陰る夕方が絶好だ。曇り空ならいつでもいいのだが、涼しいを通り越して寒いと感じることさえある。因みにエアコンはマスターベッドルームにあるだけだが、夜間、エアコンが欲しいと感じたことはない。ただし、なんとなく湿っぽさを感じることが多い。 散歩の楽しみは、意匠をこった豪邸や塀際の花々を眺めることだ。このビレッジには有名人も多く別荘を持っているそうで、目を見張るような豪邸が建ち並んでいる。夜になるとクリスマス・イルミネーションが美しいだろうが、子連れで夜遊びは憚れるところだ。 因みにビリッジは、丘陵地帯にあるので、坂が多い。キアンの体重は50kgに達してしまっているので、帰りに急坂に通りかかると、ぜいぜいと息を切らし始め、音を上げて、後ろから押してくれとせがむ。私としても、一昨年の肺炎での入院以来、激しい運動が苦手になっており、さらにここ9ヶ月を超える自宅軟禁で体がなまっており、ほんの30分程度の散歩でも息があがるという、ていたらく。お互い様なので、私はキアンに手を引いてくれとせがむ。 無事にインタネットTVの機器を手に入れて、日本のTV(NHK、BS、民放)が現在と過去の番組が見放題となり、これで時間がつぶせると喜んだ。しかし、それを邪魔する敵が現れた。うまく映らないのでキアンの助けを頼んだのが間違いで、キアンは、機器の使い方をいろいろトライしてユーチューブを見つけだして、チャンネル権を奪われてしまったのだ。 そして、さらに現れた敵がクッキーだ。客が来るからということで、ゲスト・ルームを追われて、地下にある部屋(斜面に建てられているので地下といっても前面にはパイナップル畑が広がっている)に移ったのだが、そこにGlobe […]

クリスマス、年末年始は、タガイタイに疎開2021年1月7日


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ここの所、観光地への訪問に関するコロナ規制が大分緩和されて来ているが、私のタガイタイ訪問は、お預けとなっていた。毎週、土日は一歳のココとヤヤ、それに私が家で留守番をして、キアンとクッキーはパパ・カーネルとママ・ジェーンの4人でタガイタイのマンション(キアンの呼び方で、豪邸を意味する)に泊りがけで出かけるのが日課になっていた。カーネルとしては、毎週、たった一日だけ家族と過ごせる時間を水入らずで楽しみたいということなのだろう。 そして21日の土曜日がやってくると、キアンから「小言を言わないという条件でタガイタイに招待する」とママ・ジェーンの伝言を持ってきた。無条件での招待ではないので、「キアンが一緒に来て欲しいと望むならば、行ってもいいよ」と返事をした。例え行ったとしても、往復は車に軟禁で、終日、家に閉じこもっていなければならないのであれば、テレビもない状況では、退屈してたまらず、ちょっと乗り気になれない。 しかし、9ヶ月ぶりのタガイタイ・マンションがどうなっているかは興味があった。それにマカティの家にいたとしてもテレビを見ることくらいしかやることがないので、同じことだ(ただし、大相撲の千秋楽を見れないのはちょっと残念ではある)。しかし、新しく来たヤヤもいれて、二人のヤヤと一歳のココが同行すると聞いて、彼らが行ってしまうと家には私しか残らず、食事にも事欠くので、私一人を残すわけにもいかず、条件付招待となったものと悟った。 夜の8時過ぎに出たので、到着は11時近かったが、途中、SLEX(South Luzon Expressway)のスカイウエイ延伸工事の橋桁落下事故で、反対車線は延々と渋滞が続いていた。帰りのことが心配になったが、幸い杞憂で翌日の帰還はスムーズだった。ちなみにこの落下事故でスカイウエイ延伸工事の年内完成が来年にずれ込んでしまうとのこと。 タガイタイに到着してただちに寝たかったのだが、なぜか、同行した二人のメード(ヤヤ)による、片付けが始まって、ベッドにたどりつけない。家の中は、住居のセットアップの品物が、所狭しとおいてあって、私が小言を言わないという条件が飲み込めた。おまけに部屋数は4つあるものの、合計で二つしかベッドがない。要は同行した8人が寝るだけのベッドが整っていないだ。 結局、ベッド台とマットレスを別にして、私は、床に置いたマットレスでキアンと寝ることになった。この年で、床に寝るのは立ち上がるのにかなり苦労するが一晩なら我慢できる。要するに、他人を招待するような準備は、全く整っていないというのが、ここ2ヶ月、私が近寄れなかった理由だったのだ。しかし、ベランダへの戸を開けて寝ると、網戸を通して涼しい風が入ってきて、まさに高地のタガイタイの真髄を感じることができた。 朝食は、パンにミルクのみ、普段の自己流精進料理はない、これは折込済みなのだが、つい、昔に戻って、三切れの食パンとコップ3杯の牛乳を摂ってしまって、昼まで消化できず、胃がもたれてしまった。普段の食事との違いに胃がびっくりしてしまったらしい。 それで、キアンとクッキーを連れて、散歩にでかけたが、別荘地帯なので、すれ違う人もほとんどおらず、ビレッジ内ならばマスクをつけずに歩き回ることができる。しかし、タガイタイの山地を造成したものなので、ところによっては歩くことも容易でないほどの急坂で、息が切れた。30分ほどして戻ってきた時は、かなりの疲労を感じた。8ヶ月も外に出ないで自宅軟禁の状態だったのだから、無理もないことだ。 ママ・ジェーンがランチの材料を調達に行くというので、車の中で待つという条件付で同行した。タガイタイ・ランチ遊園地やマホガニー・マーケットなどの観光スポットを観察することはできなかったが、日曜のせいで、道路はかなりの交通量で、不滅のリゾート・タガイタイの雰囲気があった。 真昼間に外を歩くのは、暑くてちょっと憚れるが、朝夕は涼しくて、これでレストランや遊園地、それに豊富な果物で有名なマーケットを訪れることができるとしたら、マニラから2時間ほどで訪れることが出来るタガイタイは、まさに別荘として、週末を過ごすには理想的だ。 夕方になって事件が起きた。クッキーが手を敷地への入り口の鉄製のドアに挟んでしまったのだ。これは痛いとは思うが、よほど強くドアを締めたのか、いつまでたっても泣き止まない。手を動かすことが出来るので、骨折ないし骨にひびが入っているほどではなさそうだ。泣き声にパパ・カーネルが心配して、慎重に手の様子を調べたが、かなり時間をかけていたが、そこで、お咎めがキアンに落とされた。そばにいて妹にこんな怪我をさせるのはけしからん、ということらしい。 私や二人のヤヤもそばにいたので、責任を感じるが、ママ・ジェーンも加わって、叱責が続く。痛みがとれてきたクッキーはけろっとしているのだが、両親の叱責を受け続けたキアンは、涙をためて、口答えもできず、神妙にしている。責任を一心に背負っているキアンに同情するしかないのだが、どうもクッキーが「キアンのせいで...」とキアンを陥れたらしい。 そんなこともあって、8時過ぎ、ようやく帰宅の途についたが、車は3列席で、前にパパ・カーネルとママ・ジェーン、中列に私とキアンとクッキー、後ろに、ヤヤ二人とココ。私とキアンの間にクッキーが座って、さっさとキアンの膝枕で寝入ってしまった。キアンとしてはうっとうしくて仕方がないのだが、この状況で文句を言うわけにはいかない。 […]

タガイタイ訪問がようやく実現した 2020年11月23日



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いよいよ帰国の時がやってきた。しわすの12月29日(土)と30日(日)とあって、どこもかしこも人でいっぱいだった。千歳のホテルから空港まではほんの一駅程度で空港の中までJRが乗り入れているので、朝はゆっくりでかけた。しかし、空港内の混在は半端ではなかった。 千歳空港付近はうっすらと雪に覆われていた。空から見る雪景色は初めてのような気がする。 着陸ちかくになって、一瞬何故、窓からスカイツリーが見えるのか不思議に思ったが、しばらく考えてわかったのは成田ではなくて羽田に下りようとしていたからなのだ。 モノレールから山手線に乗り換えて、上野で降りて京成上野駅前のホテルに向った。どうやって行ったらいいのかわからないでうろうろしていると西郷さんの銅像にぶつかった。まさに大河ドラマの主人公がそこにいたのだ。 ホテルで一息してお目当てのアメヤ横丁に向ったのだが、そこには予想外あるいは想定された光景が広がっていた。しばらく進むと、人ごみが激しくて前にも後ろにも進めなくなってしまったのだ。クッキーを連れたカーネルとジェーンを見失ってしまって、入り口まで戻ってようやく見つけた。アメヤ横丁と秋葉原は断念して、のぶ子さんとの会食に向かうことにした。 ホテルニューオータニの久兵衛といえば泣く子も黙る老舗寿司屋だ。のぶ子さんが、そこへ招待すると何年も前からの約束だった。しかし、黙っていないのがキアンだ。なんとキアンは日本食と聞いて、エビフライを注文したのだ。これには板前さんも面食らって、生きた海老を焼いて出してくれたのだが、キアンには物足りないようだった。 ホテルに戻ると、カーネル夫妻は、これからお土産を買いに行く、近くにドンキホーテを見つけたと張り切っている。足手まといの二人の子供は私に預けて、出かけて行ったのだ、翌朝聞いてみると帰宅は12時を回っていたそうだ。せっかく2個のトランクを札幌に置き去りにしてきたのに、新たにトランク2個分のお土産をゲットしてきたのだ。 翌朝、京成電鉄の始発にのって成田へ向い、9時過ぎのJALでマニラへ。師走とあってまさにラッシュアワーの最中の帰還だった。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その8千歳ー東京ーマニラ)2019年2月25日


定山渓の帰り、千歳に向う前に藻岩山ロープウエイに向ったが、札幌観光の締めにふさわしい体験だった。藻岩山は札幌市のはずれに位置する山だが、ここから眺める札幌の夜景は函館の夜景にも引けを取らないものだそうだ。しかし、雪山ということで昼間でもすばらしかった そもそもロープウエイに乗ること自体がはじめての経験なのだが、遊園地でジェットコースターなどに乗りなれているキアンにはさほど特別のことではないようだ。 定山渓は雪景色を眺めるだけだったが、その雪山にたった気分はまた異なるものがあるだろう。 藻岩山の頂上には縁結びの鐘があってこの下で愛を誓って鐘を鳴らすと、その愛は永遠になるそうだ。 中腹の横はゆるやかな傾斜があって、雪すべりを楽しむキアンとFacebook用のポーズをとるママ・ジェーンの対比がおもしろい。 札幌の街を眼下に一望する景色は雄大の一言。 ここをクリックして拡大写真を見て欲しい。 ここをクリックして拡大写真を見て欲しい。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その7藻岩山ロープウエイ)2019年2月25日



札幌からバスで小一時間の定山渓温泉は、札幌郊外の温泉リゾートだ。専用のバスで向かうキアンは毎日の未体験ゾーンの探訪に疲れ気味だ。 山あいの定山渓は、札幌とは打って変わってまさに雪の世界だ。外に歩いている人はおらず、バスはここが「定山渓グランドホテル瑞苑」だと下ろしてもらったものの、ホテルの位置がわからない。ガソリンスタンドに人に聞いたら、目の前のだという。なにもかも白一色でまさにホワイトアウトだった。 チェックインを終えると、早速腹ごしらえ、朝夕はビュッフェスタイルの食べ放題なのでレストランはない。唯一営業しているのが「こばら亭」という小腹がすいたときにどうぞというもので、意外とラーメンがうまかった。 ひとしきりして、いよいよFace Book用の撮影開始だ。今回の旅行のまさにクライマックスだ。 定山渓を散歩しようと計画して地図まで用意していたのだが、この雪の中をあることは自殺行為なので、もっぱら屋内ですごし、6時ごろ、いよいよ目玉の夕食バイキングに臨んだ。昼間は客は、まばらだったが、夕方になってバイキングェ目当ての客が大量に到着したようで、広大な食堂は満員だった。 夕食の後は、いよいよ未体験ゾーンの温泉だ。特にプールのように大きい露天風呂は圧巻だった。降りしきる雪の中、熱めのお湯に使って顔は氷点下というにキアンは大はしゃぎだった。しかし浴場は撮影禁止なのが残念だった。 翌日は夜の間に降った雪のせいで外の景色はまさに水墨画の世界だ。したがって子供達は屋内の大きなロビーで戯れるしかない。 ロビーには赤いピアノが置いてあって、キアンが自慢のピアノ演奏をしていると姉妹が寄ってきた。週末を親子で過ごしに来たそうだが、札幌から小一時間でこんなところに来れるなんて、うらやましい限りだ。 団子3兄弟とはよく言ったのもので、7才、9才、11才の仲の良い兄弟でほのぼのとした仲の良い兄弟で、是非フィリピンで再会したいものだ。 子供達には言葉の壁は無い。時たま「これは英語でなんて言うの」聞いてくるがそれだけで十分会話になっているようだ。 そして夜になって待望の食事とお風呂、この二つの行動だけで十分夜がすごせる、テレビを見る暇などないが、もっともキアンの見れるテレビはない。 翌朝、定山渓を後にして札幌に帰還。団子3兄弟ともお別れだ。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その6、定山渓で温泉三昧)2019年2月17日)


札幌二日目は苫小牧にアイスホッケーと介護施設の見学にでかけた。アイスホッケーは学生選手権が開催されるというので是非というお勧めだった。介護施設はオーナーがフィリピンから介護士を呼び寄せたいということで顔合わせといったところだ。苫小牧は千歳の少し先の港町だが、40年位前、苫東の石油備蓄基地の計画で、室蘭と並んで名前だけは馴染みのあるところだ。この辺は雪が少なくて工業地帯や空港も出来ているとのことだが、先日、千歳空港が大雪で閉鎖されたとのニュースが流れていた。そんなことになっていたら、年内にフィリピンにもどれないところだった。 アイスホッケーとはなにかも知らないキアンは、そのぶつかり合いで選手がフェンスに激突してくるのを喜んでいた。しかし、トーナメントの緒戦ということで、優勝候補の明治大学と九州の大学の試合で、30対0というような一方的な試合で、ちょっと興味を失しなってしまった。後で聞くとやはり明治大学が優勝したそうだ。 その後、いかにも港町の水産物の販売所とめし屋といったところで食事を取った。店の雰囲気は築地などの場外市場といった感じでムードがある。さらに野菜類もスーパーに比べて大雑把な感じがして好ましい。旅行をするとかならず、市場と称するところを覗いてみるのだが、そこにはまさに市場の雰囲気があった。 市場に混ざってレストラン、というよりも飯屋がある。いくら丼やうに丼、ホッき丼など、北海道らしい庶民の食事が取れる。問題は、キアンのお好みのエビフライが無かったことだ。しかし、店の人がとなりに聞いてくれて何とかしのぐことができたが、メニューの交換もするというのはいかにも庶民的だ。 次に向かったのが苫小牧郊外のウトナイ湖、白鳥の渡ってくるということで有名な湖だそうだ。しかしながら湖畔には一羽の鳥もいなくて、案内してくれた方も一体どうなっているのかと首をかしげたいた

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その5苫小牧観光)2019年2月10日



翌24日、ホテルはビュッフェ(バイキング)スタイルの朝食付きで、和食、洋食が食べ放題ということで、キアンの目が輝いた。最近のNHKの番組によると、バイキングにすると人件費が半分程度で済んで、しかも土日、休日のピーク時でも同じスタッフでこなせるため、返って原価が安上がりで済むという。その分、材料費にお金をかけるとアラカルト(メニュー)の倍くらいの料理が食べられて、大いに客が喜び、バイキング目当てに客がやってくるという好循環で、ほとんどのホテルはバイキングになっているという。ただ朝食なのであまり量は食べられないのが残念だったが、カーネル夫妻は至極ご満悦のようだった。キアンも食べ放題の味付け海苔が気に入って少々失敬して部屋に持って返っていたようだ。 外へ出てみると夕べの雪で、雪をかぶった車で出迎えてくれた。車に雪というのもキアンにとっては初体験の光景で、早速雪をかき集めて雪合戦を始めていた。 今日の予定は円山動物園、大倉山ジャンプ場、札幌ビール園など札幌市内の見所を回る予定だ。札幌市の繁華街は雪かきや融雪が行き届いていて路面に雪はないが、気温はマイナス2度といてつく寒さだ。もっとも最近のニュースでは前代未聞の寒波がやってきて、北海道中がマイナス20~30度、札幌も昼間でもマイナス10度と、とんでもない寒さとなっていて、この程度でラッキーだったのかもしれない。 円山動物園は丘の中腹ということで繁華街とはうって変わって一面の銀世界だった。動物たちはガラス張りの部屋の中で暖房を享受していて心地良さそうだったがカーネル一行は、その寒さと雪に返って興奮気味だった。 動物園から大倉山ジャンプ競技場に向う道は、雪が車で踏み固められたアイスバーンになっていた。へたにブレーキを踏むとすべってしまうので、雪国ならでの運転テクニックが必要とのことだ。いつも零度以下なので、雪や氷が融けることが無いので、全てが白くて大変美しい。住宅も心なしかしゃれていて北海道は豊かという印象をもった。もちろん昨年の地震の跡形などは全くない。 大倉山ジャンプ競技場はちょっと奥まったところにあるので外気温はマイナス4.2度、さすがキアンも震え上がっていた。 今日の目玉は北海道名物のジンギスカン料理、サッポロビール園は博物館というよりはジンギスカン料理目当ての客でにぎわっていた。しかもこの日はクリスマスイブとあっていやがうえにもムードは盛り上がった。 本日のとりは札幌テレビ塔。大通り公園のクリスマスのイルミネーションを期待したのだが、案外地味でマカティのアヤラトライアングルの方が印象が強い。もっとも先の地震のため、自粛したのかもしれないが。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その4札幌市内観光)2019年2月10日


東京(駅)見物を終えていよいよ本命の札幌に向う。羽田空港から千歳空港への空の旅は私にとっても初めてのような気がする。学生時代の旅行あるいは出張で北海道や九州、あるいは四国にも足は延ばしたことはあるものの、当時は夜行列車が主体だったような気がする。なにしろ40~50年も前のことなのですっかり忘れてしまった。 瞬く間に千歳空港に到着して期待に胸を膨らませる彼らは、荷物を待っている間、まずは北海道到着の証拠をFace Bookに載せるため、写真撮影だ。 千歳から札幌まで電車で約40分、札幌到着でまずはFace Book用の写真撮影。ママ・ジェーンに仕込まれて久しいキアンは素直にポーズを取っているが、まだまだ赤ん坊気分のクッキーは知らん顔だ。一方、カーネルは荷物と格闘中で姿が見えない。 札幌在住の知り合いの方の出迎えでホットする一行。特に一人増えると運び手が荷物の数と一致するので大いに助かる。このときばかりはキアンも一丁前だ。 駅からさほど遠くないホテルモントレエーデルホフ札幌という長ったらしい名前のホテルに泊まった。普通に歩けば駅から10分もかからないはずなのだが、いてつく寒さの夜の札幌で一人あたり20kgの荷物での移動は苦行に近いものがあった。それでも無事にチェックインを終えて、いよいよ札幌の夜の探索だ。と言っても子連れで長旅で、すすき野というわけにもいかず、駅の近くのラーメン共和国に連れて行ってもらった。 どこも行列ができていたが、やっと待望のラーメンにありついてご満悦のキアンとクッキーだ。 ホテルに帰る道すがら降り出した雪を両手を広げて喜ぶキアン。雪降りに遭遇するなんてもちろん生涯初めての経験だ。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その3札幌到着)2019年2月10日



早朝、成田空港から成田エクスプレスで東京に到着して、まず探したのは大量の荷物を預けるところだ。ロッカーのありかを聞いて行ってみても、全て使用済みのランプがついている。さらに地下にいくとびっくりするほど量のロッカー地帯を発見した。奥のほうにはまだ空きが大分あったので、ややこしい操作で戸惑ったが、 係の人に教わりながら なんとか三つの大型ロッカーに荷物をおさめることができた。これで身軽になっていよいよ東京見物だ。 東京駅と皇居か、あるいは原宿と明治神宮かと決めていなかったのだが、この日は日曜なのに人が多い、さらに日の丸が掲揚されている。しばらく考えてみて気がついたのが、今日は天皇誕生日だったのだ。恥ずかしながらこのことを失念していた。 これは、皇居に入ることが出来る滅多に無いチャンスで、原宿/明治神宮の線は消えた。カーネル一家も天皇を拝めるということは大変な名誉だろう。私自身も始めての経験になる。 東京駅の写真撮影が一段落して皇居の方向に進むと、大勢の人が行列をなしていたが、どうやらが天皇の参詣のために皇居に向う人の列のようだ。沢山の警官も交通整理に余念がない。 しばらく進んで小雨が降り始めたが、列は一向に進まない。このままでは札幌行きの便に間に合わないと察して行列を離脱することにして、丸の内をぶらぶらして東京駅に戻った。 東京駅のロッカー地帯に行って、再び大量の荷物を引き取って、これから山手線で浜松町、そして東京モノレールで羽田に向った。ロッカーはすでに使用済みで多くの人が列をなしていた。昼から東京見物の予定だったとしたらどうしようもないところだった。 大量の荷物を格闘しながら電車の乗り換えは容易ではない。最近でこそエレベーターやエスカレーターのない駅はないが、それがなかったらとっくにギブアップだった。クッキーも疲れてしっかりとお荷物となっている。 カーネル念願の東京見物も東京駅と皇居前で終わってしまったが、帰りの上野、秋葉原、アメヤ横丁などの下町見物に期待して欲しいところだ。

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その2東京見物)2019年1月20日


昨年7月(2018年)、札幌から来客を迎え、皆でドーシットホテルで食事を取った際、客から札幌の話を聞いて、にわかに札幌旅行の話が持ち上がった。フィリピン航空の札幌直行便の運航開始、さらには北海道地震がらみの復興割りなどのニュースもはっぱをかけた。せっかく行くのだから一週間くらいは滞在したい、北海道といえば雪、大通り公園の雪祭りも欠かせない、などと話は盛り上がった。カーネルもまだ見ぬ雪景色に思いを馳せた。 まずは、いつ行くのかが問題だが、カーネルはクリスマスあたりしか休暇を取ることができない。キアンの学校もクリスマス前から休みになる。そうなると12月23日の週しかないことになるが、 年末年始は航空券が高いので悩ましいところだ。 札幌直行便はまだないので、韓国あるいは東京経由とするかだが、結論としてはカーネルは日本に行ったことがないというので、東京経由、しかも行きと帰りに一泊して半日程度の東京観光を含めることにした。どこかの国の空港で数時間の乗り換え時間を過ごすよりもその方が私にとっても楽だろうという目論見だった。したがって、往復に4日かけて、札幌滞在はネット5日、合計9日、22日(土)出発、30日(日)帰還の日程を組んだ。 早速航空券を当たってみると、EXPEDIAのサイトで、マニラー成田/羽田ー札幌の往復で一番安いのが一人6万円足らず、5人で28万円程度と、年末にしては意外にもまともな値段だった。しかもLCCではなくてJALという豪華版だ。 東京見物は、成田と羽田を移動する際の空き時間を利用するので、行きは山手線一周と東京駅/皇居、あるいは原宿/明治神宮、帰りは秋葉原/アメヤ横丁を候補とした。行きも帰りも日曜でしかもアメ横見物はみそかとあって、大混雑が予想され、2歳のクッキー連れでいかがなものかと危惧された。一方、最終日の夜には、ジェーンの念願の”のぶ子さんとの会食”が実現できることになりそうだ。翌朝はスカイライナーの一番列車で成田に向かうので上野駅前のホテルに泊まることにしたが、年末のせいか安ホテルが一泊一室28000円もした。予算は10,000円なので大幅な超過だ。 札幌見物は件の客のアドバイスで、札幌に3泊(円山動物園、大倉山ジャンプ競技場、サッポロビール園、もいわ山ロープウエイ、小樽または苫小牧日帰り)、そして定山渓温泉に2泊して、最終日は翌朝、朝の便なので千歳に泊まることにした。宿の予算は朝食付きであらかた一泊一万円の予算に収まった。 東京は自分の生まれ故郷なのであらかた見当はつくものの、札幌は出張で2~3度行っただけで、観光地など、どこに行ったらいいのか、見当もつかない。私の役割は案内役だから、知らないでは済まされないので、インターネットを駆使して観光案内や地図を集め、一冊のファイルにまでなってしまった。 しかし、いざ旅行が始まると、飛行機の予約表と東京ー成田間の時刻表(行きは成田エクスプレス、帰りは京成スカイライナー)それにホテルの予約票以外は一切見ることは無かった。それでも旅行というものは事前の準備が楽しいもので、始まったら、必死でスケジュールをこなし、あっという間に終わってしまうものだ。しかし、旅行というものはチケットと宿さえ用意しておけば、後は、ぶっつけ本番で何とかなるものだとこの年になって悟った。 大量の荷物とクッキーというお荷物を抱えての日本旅行はさぞかし辛いだろう、とクッキーのヤヤ(子守)の同行を提案したのが10月だった。それから1ヶ月ほどして、にわかに現実味を帯びて、まずはヤヤのパスポートを手配することになった。しかし、身分証明書等の書類入手に手間取って、12月に入ってもパスポート発行の目処がたたず、ヤヤの同行の中止宣言をした。 しかし、12月の半ば、出発まで一週間を残すという段階で、パスポートが発行されてしまったのだ。ヤヤにとっては一生にあるかないかのチャンスで、彼女の期待が半端でないことはひしひしと感じる。そこでママ・ジェーンから、日本行きのビザは2~3日でなんとかするから緊急にチケットを手配せよとの号令がかかった。 早速、EXPEDIAのサイトにアクセスしてチケットを探してみたが、同じ日にJALでマニラー札幌を往復する便はあるものの、便が違う。クッキーのお守りをするのに同じ日といえども便が違うのでは意味がない。そこで行き帰りの便を個別に当たってみたが、ジェーン一家が予約した便はすべて満席で、ギブアップ。ママ・ジェーンもヤヤに対して、いい訳ができたので一件落着だ。 12月に入って荷物の準備にいそしんでいるジェーンに忠告をした。荷物は最小限にして、大型トランク一個、その他一人につき一つの手荷物とすること。成田ー羽田ー札幌ー羽田ー成田の移動にあたってクッキーを荷物とみなすと、大型の荷物は一個が限界で、指の痛みの持病をもつ私を期待してはならないと。 ジェーンはその指示に大いに反発して大型とランク3個が限界と耳を貸さない。ベッドの上に山のように積まれた衣類を全部持っていく気だ。どっかの有名女優でもあるまいに、毎日服を替えるつもりでいるらしい。それには防寒具まで含まれるからたまったものではない。 前日荷物の重さを調べてみると、それぞれ、20、25、30kgで、調べてみると国際線が25kg、国内線が20kgが限度だ。それぞれを20kgに押さえるように指示したら、量は減らさず、はみ出た分を別のカバンにいれて持っていくことにしたので、総数で10個を越える荷物になってしまった。 […]

カーネル一家念願の札幌旅行に同行(その1出発)2019年1月20日