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 6月29日にPRAを訪問した際、明日、6月30日(木)と7月1日(金)はNBIの担当官がPRAで執務せず、NBIクリアランスの受付をしないと、 PRAから告げられた。さらに7月4日以降は不明だという。週末にお二人の退職者が来比される予定なので、途方にくれた。無犯罪証明書を日本のフィリピン大使館で認証してもらってくれば、NBIクリアランスは不要なのだが、これらの方は、それをやっていない。だから、NBIクリアランスがないと退職ビザの申請ができなくなってしまう。 (NBI=National Bureau of Investigation、国家捜査局)  6月30日と1日はシステム変更のため、NBIはすべての機能を停止し、7月4日から再開するということだった。そして、4日(月)、PRAの入り口にはNBIからの通知が張ってあった。 ①受付はメトロマニラのいくつかの市役所と、ロビンソン・モールで行い、本庁では受け付けない ②クリアランスの申請は新規受付に限り、更新は受け付けない ③退職ビザ等を申請する外国人も一般のフィリピン人と同様、これらの場所で列に並んで申請すること ④発行には3週間程度かかる ⑤この措置はシステムの運用が軌道にのるまで継続される(2~3週間?)  7月4日当日、仕方がないのでお二人の退職者を案内して一番近いロビンソン・オティスに行ってみた。そこはまるで人の塊で、列もほとんど進んでおらず、 1時間や2時間並んだからといって埒があきそうにない。今日中に受け付けてもらえば幸いといった感じだった。NBIクリアランスがないと就職も海外出稼ぎもままならないフィリピン人にとっては死活問題だ。こんなとき、彼らは辛抱強く何時間でも列に並んで待っている。他に術がないのだ(他にやることがないこともあるが)。   […]

NBIがシステム変更で大混乱 2011年7月6日


6月24日、台風5号(ファルコン)が通過したにも関わらず、マニラは一日中雨模様だった。メイドに聞いてみると、軽く、「雨季だから」といういなされた。先日までの暑さとは打って変わって、涼しい毎日が続いている。  この日、夕食後、9時からNHK BSで面白い番組をやっているから、見に来ないかと誘いがあった。場所はパサイ・ロードのカラオケ、ラジューラ。かなりの雨なので、車で行くことにした。    案の上、経路のパソンタモは道路冠水していて、タクシーでは難儀するところだった。マニラはなんと言ってもSUVなど背の高い車が必須だ。10~20cm程度の冠水などもろともしないで進むことができる。 NHKの番組は雨でアンテナの調子が悪いのか一向に写らないが、店はいつになく、盛り上がって、ステージでほとんどの客が踊り始める始末だ。昨年は閑古鳥が鳴いて、カラオケのサバイバルの季節だったが、ここのところ客足が戻ってきていたが、この日は大盛況ともいえた。10時過ぎまで頑張ったが、遅くなると帰れない恐れもあるので、早々に引き上げることにした。これから半年間、この道路冠水に悩まされることになるが、この三菱モンテーロさえあれば怖くない。かえって涼しくてすごしやすいくらいだ。

フィリピンに本格的な雨季到来 2011年6月27日



6月22日、1週間ぶりにぶらっとミス・ユニバーサル(MU)を覗きに行った。先週、たまには別の店ということで、退職者の案内でエイシア・エンターテ イメントとかいうロハス・ボリバード沿い、バクララン・チャーチの近くの店に行った。我々二人、女の子を一人ずつ指名して、1時間ほどいただけで4600 ペソも取られてびっくりした。その後、口直しにMUを覗いたが、同じ条件で1350ペソと3分の一にも満たない料金で、再びMUを見直したばっかりだっ た。 ところでこの日、間違いなくハリソン・ロードを走っているはずなのに、いつまでたっても、あの赤いMUの看板が見えてこず、一瞬パニックに陥った。多少 酔っていたせいもあるが、良く知っているところを走っているはずなのに、あるべきものがなくて、自分がどこにいるのか分からなくなってしまったのだ。   目をこらして探し、それがあるべき場所についてみると、1月1日の新年以外は一年中消えることがなかったおなじみのネオンが寂しげに消えていたのだ。さら に近くに寄ってみると、「未成年者(18歳未満)雇用の違反により、永久に閉鎖を命じる」という看板が正面玄関に掲げられていた。退職してフィリピンに 渡って以来、10年近く私を慰め続けてくれたこの店のなきがらに、期せずして対面することになってしまったのだ。 これは一大事と、先日知り合ったばっかりのこの店の女の子に電話をして聞いてみた。彼女によると、昨日、すなわち6月21日がMUの命日だそうだ。彼女 いわく「明日から別の店で働くから遊びに来てね」とMUの閉鎖など全く意に介さない様子で、相変わらずたくましかった。    2ヶ月ほど前に、私のなじみのマネージャーがMUからいなくなっていた。その後、この子をテーブルにリクエストして色々聞いてみると、「未成年者の雇用 ということで手入れがあり、何人かの子が姿を消し、ほとんどのフロアーマネージャーが逮捕されてしまった」のだそうだ。そのうちの何人かの子の名前を聞い […]

また一つマニラ名物の灯が消えた(その5)2011年6月23日


2011年2月28日からANAがマニラー成田間に就航したと聞いて、一度乗って見たいと思っていた。この便(NH950)は朝、9時45分にマニラをたって、午後3時に成田に到着する。ANAは外国航空会社としてはじめてターミナル3を使うのだが、ここはマカティから15分程度ときわめて近いから、9 時45分発という時間は全く苦にならない。マカティを7時半に出ても十分間に合うだろう。ちなみに日本航空のJAL746は9時10分発だが、ターミナル 1を使っており、かなり交通が混雑するので朝の6時ごろには出ないとまずい。一方、デルタ航空のDL172は7時40分発で、5時前に出なければならない。  さらに成田に午後3時に到着するのはありがたい。この時間ならよほど遠くない限り、その日のうちに家にたどり着ける(ちなみに私の家は横浜だが、以前、横須賀に住んでいるころは午後の便に乗ると家にたどり着けないことがままあった)。マニラを午後に出発する便(JL742、 PR432)は、夜の8時ごろに成田に着くのだが、遅れて9時ごろになったりすると、成田に一泊なんてはめになりかねない。  (この日はKIANが空港まで送ってくれたが、私だけを空港に残して家路についたので、再度空港に戻るのだと空港の方角を指差して泣きわめいたそうだ)  一方、成田からマニラに向かうNH949は午後の5時25分に出発する。昼飯を早めに食べて出かければ間に合う時間だ。ちなみに朝の便(JL742と PR431 )は9時半に出るので、最寄の電車の始発に乗っても間に合わない。さらにNH949はマニラに夜の9時5分に到着するので、深夜便というほどでもなくて、 10時前にはマカティに着ける。以上長々と述べたが、要は、私にとってターミナル3を使うことと、理想的な時刻設定をしているのがANAなのだ。 現在、ターミナル3はセブパシフィックが主に国内線用に使っており、国際線用の左半分はほとんど使われていない。完成して5年以上経過しているというのに、この有様だ。構造上欠陥があるとか報道されているが、現にセブパシフィックやANAが使っているのに、なぜほとんどの国際線が老朽化したターミナル1 を使っているのか解せない。何しろターミナル1は、私にいわせれば世界で一番、出迎えが難しい空港だから、早く何とかしてほしいのだ。しかもターミナル3 からはマカティやボニファシオなどの国際都市まで、スカイウエイを経由して10分~20分でいけるから、フィリピンの第一印象も格段に向上するだろう。ターミナル3の前に広がるリゾート・ワールドなどの超近代的施設も国際便が飛ばなければ宝の持ち腐れだ  つい最近まで、建物は立派でも国際空港と言うにはレストランやお店が、いかにも貧弱で地方の国内線空港並だった。しかし、この日はコンビニやレストランも充実して、十分に機能を果たしていた。私にとってはブランドのバッグや宝飾品、高価な酒やタバコは縁がないから、これで十分だ。ちなみにセブン・イレブンでお土産用にフィリピン産のタバコ(マーボロー・ライト・メントールの10本入り)を買ったが街で買うのとほとんど同じ値段だった(10本入りで40円、 20本入りで80円程度だが、私が吸ってみても日本産もアメリカ産もフィリピン産も区別がつかない)。空港では通常ローカルのタバコは倍、輸入タバコは無税でもそのまた倍はするから、大変ありがたい。空港で買い物をするのなら、コンビニに限るといえそうだ。 […]

ANAに初搭乗 2011年6月12日



 先日、ラスベガスで世界戦を制し、フィリピンに凱旋したばかりのパクヤオ選手だが、今、フィリピンで最大の関心事である人口抑制法案に対して、宗教界と ともに下院議員として反対の立場を表明している。これに対し、かつて大統領選にも出馬し(ラモス大統領の対抗馬)、毒舌家で有名なミリアム・サンチャゴ上 院議員が、妻のジンキーがピルを使っていたのを槍玉に挙げて、パクヤオを「偽善者」と決めつけ、口を出すなと決めつけた。   これに対して怒ったのが英雄パクヤオの名実ともに生みの親であるマミー・ジョニシアだ。サンチャゴ女史に対して「マラスワ!」と叫んで、「バストス=下 劣」に似たおかしなタガログ語で応酬したのだ。毒舌家とはいえ、UP出身のエリート弁護士のサンチャゴ女史は「他の対戦相手を探す」と言って攻撃をかわし た。毒舌家が毒舌に負けたと、ジョニシア・ママには巷の拍手が沸き起こった。今、この一方は毒舌家のエリート、一方は巷の英雄の母親とタイプの違う二人が お茶の間の人気者となっている。  しかし、おさまらないのがバクラ(おかま)たちだ。マミー・ジョニシアはついでに、バクラが女性ホルモンを摂取するためにピルを使っているのを「ピルを 使っておっぱいを大きくするのをやめろ」といって馬鹿にしたのだ。今度は「人口抑制法案=ピルの解禁」の批准を目指してバクラがデモ行進をして、巷の喝采 を浴びた。 一方、パクヤオは世界チャンピオンとしての活動に忙しい。この日のオークションでは、今回、パクヤオが使用した黄色いグラブが50万ペソという高値で競い落とされた。ちなみに黄色はアキノ大統領の母親時代からのシンボル・カラーだ。  

世界チャンピオン・パクヤオの場外戦 2011年5月25日


5月19日、パスコのホームページへのアクセスがついに50万回に達した。開設したのが2005年の初頭だから、苦節6年目にしての節目達成だ。当然のこ とながら、100万アクセスの大台を目指すことになるが、今の調子ならあと2年位で達成できるかもしれない。以前から100万アクセスに到達したら引退し ようと思っていたが、ちょっと早すぎるかもしれない。  ち なみに10万アクセスに到達したのが2008年4月でHPの開設から3年かかった。20万が2009年5月で約1年、そして30万が2010年3月で 10ヶ月、40万が2010年11月で8ヶ月、そして50万が2011年5月で6ヶ月と、着実にアクセス回数が伸びている。   2008年からアクセスが急に伸びたのは、ブログの開始によるところが大だと思う。ブログは特にHPの内容に関わりなく、日ごろ経験したことを自由に掲載 できる。しかも写真のアップロードもHPに比べればはるかに簡単だ。ブログに直接アクセスすることもできるが、更新情報をHPのトップに載せているので、 そこから入る方が多く、HPのアクセス数にカウントされるという算段だ。    そもそもこのブログは、オンライン英会 話の事業を開始した折、日本のパートナーにリクエストされたのが始まりだった。そしてその気軽さにはまって、この3年間に400件以上のブログをアップ ロードするにいたった。「金なし...」発刊以降の話題なので、その続編ともいえる。HPは頻繁にアップデートしないと飽きられてしまう。だから月10件 のブログをアップロードすることを私自身のノルマと課している。ブログにアクセスしてもらいながら、肝心の本文も見てもらう、ということで読者とのコミュ […]

パスコホームページが50万回アクセスを達成 2011年5月20日



 5月8日、WBCウエルター級のタイトルマッチがラスベガスで行われた。今回のタイトルマッチの相手は同級3位のシェーン・モズリーで、元世界3階級制覇のつわものだが、39歳という盛りを過ぎたロートルではパクヤオの敵ではなかった。試合は圧倒的な大差の判定でパクヤオが勝利し、フィリピン国民の喝采とアキノ大統領の賛辞を受けた。 試合の生中継はテレビでは行われず、映画館や劇場などで有料で公開され、料金は最低500ペソとフィリピンでは高額だ。パクヤオにはファイトマネーのほかに、この有料放送の割り当ても手にできる。パクヤオのファイトマネーは3000万ドルで、なんと13億ペソ(24億円)という天文学的数字だ。現在、世界でもっとも高額なファイトマネーを稼ぐボクサーだろう。ちなみにフィリピンでももっともお金持ちの下院議員だそうだ(パクヤオは前回の統一選で地元カガヤンデオロから立候補して当選している)。  パクヤオの試合には、いつも5人のチームがフィリピンから同行し、トレーナーやコックなど、皆、パクヤオが貧しい下積み時代からの親友だ。もちろんチームの頭は妻のジンキーだ。彼女は整形を繰り返して今の美貌を手にしたそうで、フィリピーナのご多分にもれず世界チャンピオンのパクヤオを尻に敷いている。これら5人のサポート・チームも、パクヤオのおこぼれで、もはや大金持ちになっているそうだ。  パクヤオを世界の名ボクサーに育て上げたのは彼の母親で、子供のころから、パクヤオが喧嘩に負けてくると、いかに相手を殴り倒すか、母親が実地指導をしたそうだ。現在、母親は70歳を優に超えるそうだが、今でもボクシングのスパーリングと社交ダンスが趣味の活発なおばあさんだそうだ。 ちなみにパクヤオはかつで大変貧しく、10代でマニラに出てきたときはパン屋で働きながら、ボクシングジムに通った。食事は一日一回で、お祭りなどでボクシングの試合をやって稼いだ。パクヤオが世界戦に勝つと、実家や別荘の50人を超えるガードマンやメイドに数千~数万ペソのボーナスを配るそうだが、今回は、さらに自分へのボーナスとして2百万ドル(1億6千万円)の家をアメリカで買った。 上の写真は合後のインタービューに応じるパクヤオ、パンチによるダメージも全くなくて、まるで試合前のようだ。私がテレビを見る限り、一発もパンチを食らっていなかったのではないかと思う。    

英雄パクヤオの勝利 2011年5月10日


4月8日は息子のバケーションンの最終日だ。前々から、フィリピン最後の夜は残ったペソを全部使ってカジノで運試しをすると言っていた。しかし、この日は台風ベベンすなわち台風一号がフィリピンに襲来し、強い風と雨が降っていた。まだまだ夏で雨季の到来も先の話のはずなのにだ。しかしながら、8時ごろにはいったん雨が止んだので、ヘリテージ・ホテルのカジノに出かけていった。途中冠水したパソンタモ通りを通ったが、タクシーの排気口から水が入ってエンジンがかからなくなってしまった。しかし、こういう状況でフィリピーノは全く動じない。近くの若者を呼んでエンジンの押しがけをして事なきを得た。やはり、フィリピンでは車高の高いCRVやモンテーロなどのSUVに限るとつくづく思った。  カジノでは、もっぱらルーレットで遊ぶのだが、この日、息子ははじめから、カラムと呼ばれるたての列と1~12のいずれも3倍の枠に2000ペソずつかけた。それが両方来て一気に8千ペソの儲けになった。しかし、その後は泣かず飛ばずで4000ペソの勝ちを確保して、はやばやにカジノを後にすることにした。帰りがけに、行きつけのミス・ユニバーサルに寄ってみたが、台風のせいか、客足も女の子も少ない。一方、ここのところ飲みなれないビールを飲んだせいで、息子が腹具合がおかしいというので、ここも早々に引き上げることにした。 タクシーで自宅のあるパソンタモ通りに近づくと、またもや道路が冠水している。ちょっと深そうなので、タクシーの運ちゃんはこれ以上進めないから、ここで降りろという。息子といえば腹具合が悪くて真っ青になっている。運ちゃんは、たまたま通りかかったパジャック(サイドカーつき自転車)をとめて、これでこの冠水した道路を行けという。ちょっと写真が暗くて見ずらいが、自転車のタイヤの半分くらいが水につかりながらでも、若者は必死にペダルをこぐ。もともとたいした距離が残っていたわけではないので、10分ほどで自宅の近くまで来た。やはり最後は人間力だ。息子は、自宅のトイレから出てきたら、幸せそうに微笑んでいた。昨年のホリーウイークでルソン島の最北端のパゴツポッドからラワグにバスで戻る折に、息子が腹痛と下痢で死ぬ思いをしたことが思い起こされる。パジャックの運ちゃんには感謝の気持ちをこめて50ペソを支払ってやった。たったの50ペソと思うかもしれないが、彼らにとっては50ペソ(100 円)は大金のはずだ。

今年一番台風ベベンの襲来 2011年5月10日



今日、日本食材店のちょっとストップによってみたら、大量の商品が到着していて、店員が忙しそうに箱から商品を出して棚に並べていた。しばらく入荷がなくて空の棚が目立ったが、棚に並べくれないくらいの商品がダンボールに詰められて通路に並んでいた。日本のニュースでも大量の食糧が被災地に届けられ始めていると報じられていたが、流通が回復しつつあると見え、フィリピンにも日本食品が届いてきている。我々は被災者といういうわけではないが、ちょっと日本の状況を垣間見る思いだった。  日本の知り合いから、日本のスーパーから納豆が姿を消しているとの連絡があり、毎日の食卓に納豆が欠かせない私としては、早速買占めに走った。納豆といえば水戸、水戸といえば茨城だ。茨城産のほうれん草やかき菜、そして牛乳が福島の原発の影響で出荷停止になったあおりなのか、被災地の食料不足で保存食品の納豆に需要が集中したのか、いずれにせよ納豆不足が深刻化したようだ。 歩いて行ける近所にある日本食材店はっちんに行って、4箱75ペソ(150円)の納豆をかごいっぱいに入れてレジに行った。ここで買う納豆は冷凍されているが、冷凍庫の下のほうまで取り出して、ほとんど買占めてしまった。納豆と生卵、漬物にのり、そしてわかめの味噌汁だけで生きている私にとっては死活問題だ。そうしたらレジのお姉さんが変な顔をしてスーパーバイザーとおぼしき先輩を呼んでいる。先輩いわく「納豆は一人1パックしか売れません」と申し訳なさそうに言う。納豆不足のニュースはすでに伝わっているらしい、あるいは日本からの入荷がないのだろう。そこで、「ダラワ ナラン(2個頂戴)」といって何とか2パック買うことが出来た。 これはやばいと、翌日はマカティ・スクエア、リトル東京にある日本食材店、ちょっとストップとYAMAZAKIを覗いて見た。するとなんと、ちょっとストップにはまったく納豆がないのだ。ここは、他店では100ペソ前後するものを80ペソ均一で売っているというありがたい店だ。だから売れ筋の商品はあっという間に姿を消してしまう。ジャパ行きさんの好物、日清のシーフード・カップ・ヌードルも、ここでは80ペソなので(他店では100~110ペソ)、普段豊富に並んでいるはずの棚からまったく姿を消していた。 YAMAZAKIには納豆やカップ・ヌードルもたくさん残っていた。ここでは購入制限をしていなかったので、もてるだけの納豆とカップヌードルを買いもとめた。納豆の商品説明をよく見ると、やっぱり産地は茨城の水戸だった。    ところで、毎日食卓を共ににしているKIANは納豆が大好きだ。まずはじめに海苔をもらってバリバリ食べる。そしてご飯に納豆、さらにワカメの味噌汁、最後はお茶で締める。ただまだ11ヵ月半のKIANはお茶の中に手は突っ込むは、味噌汁のワカメは鷲づかみで、食べるというより遊んでいるといった趣だが。   下の写真は納豆を箸でつまんであげると、それをうれしそうに食べるKIAN。納豆を食べるフィリピン人はめったにいないのだが、先入観や偏見のない赤ちゃんは何でも周囲の人のまねをするので、納豆もおいしく感じるのだろう。しかし、箸に噛み付いて離さないので、納豆というよりも箸で食べさせてもらうのを喜んでいるのかもしれない。   

納豆がなくなった 2011年3月25日


この度、東北関東大震災で被害のあった方々に心からお見舞い申し上げます。また、一刻も早く行方不明の方々の安否が確認されるとともに、早期の復興を心からお祈りいたします。 3月11日、午後からマニラ近郊の遊園地、エンチャンテッド・キングダムに取材に出かけていた。これについては後日報告するが、帰宅すると同時に、「日本の家族は大丈夫か」とジェーンに質問された。一体の何のことかわからないまま、ニュースを見たところ、フィリピンのメディアが日本の惨状の映像を流し続けていた。 このときはまだ、ことの深刻さを把握できず、周囲のフィリピーノに、地震と津波は日本のお家芸で、その辺の防災体制派万全だと、地震や津波の仕組みを得意になって説明していた。番組でもしきりに津波の仕組みや地震被害についてを解説していたが、フィリピンは火山国でありながら、あまり地震がないという国なので、その辺の知識があまりないらしい。さらにフィリピンはとても地盤が強固で、地震が来てもあまりゆれない。ちなみにマニラのビル建設現場で杭を打っているところを見たことがない。杭を打ちたくても打ち込めないくらいの強固な地盤なのだ。    しかし映像を見ていると、どうも尋常な被害ではないので、部屋に行ってNHKワールドを見ることにした。   そこで見たものをいまさら説明する必要もないが、生涯いまだかつて見たことのない大災害だった。ほかのチャンネルを回してみると、各国のニュース番組は皆、この未曾有の災害のニュース一色だった。そこにはBREAKING NEWS(速報)という表題があって、各国のメディアは最重要ニュースとして取り扱っていた。  被害の中心は宮城、岩手、福島の東北地方だが、特に被害のひどかった仙台地区は私が学生時代6年間暮らしたところだ。きっと多くの知り合いが被害にあったのだろうと心が痛む。さらに三陸海岸の中心、宮古は妻の実家のあるところだ。早速妻に電話して様子を聞いたが、東京、神奈川に住む妻や息子は何事もなかったが、宮古に残っている姪との連絡が取れないという。翌日姪も無事であることが確認できたが、宮古も壊滅的被害を受けたそうだ。さらに知り合いのフィリピーノからは、私の家族は無事かとの問い合わせのメールが何通も入った。また、近所のサリサリのお姉さんからも、家族は無事ですかと声をかけられた。  三陸の津波は、その特異な地形から有史以来なんども繰り返して襲ってきた。だから、高い防潮堤も築かれ、津波に対する対応も知り尽くしているはずだった。私が所属した研究室でも津波の研究をしていたくらいだ。それが、ここまでなすすべもなく大被害を受けてしまったということは一体なぜだろう。多分、震央が三陸沖の間近で、地震発生から津波の襲来まで瞬く間で、情報の伝達も対策もかなわかったのだろう。  日本の観測史上最大といわれるマグニチチュード9.0というのはとてつもないものだ。M8ですでに大型地震であるのに、M9というのは聞いたことのない未曾有の大地震だ。マグニチチュードは確か、1あがるとエネルギーは100倍になるはずなので、M9の地震はM8の地震の100個分のエネルギーということになる(兄からの情報ではこれは間違いで、マグニチュードが0.2上がるたびに2倍、すなわちM1の違いで、36倍、M2の違いならば1024倍になるそうだ。だからM7とM9の地震では1000倍の差となり、感覚的には近いものがある).    今回は東北沖だったが、これが関東、中部、近畿、すなわち東海大地震が取りざたされている地域だったどうなるのだろう。東京、横浜、名古屋、大阪などの大都会は壊滅的被害をうけて、日本の政治・経済機能が麻痺してしまうのではないか。今回の地震が、これで終わりではなく、東海大地震の予兆ではないかという気もする。    また、さらに福島原子力発電所の事故が気になる。海外からの情報では炉心溶融を引き起こしているとも言われ、その地域は未来永劫汚染地域としてチェリノブイリのようにゴーストタウンになるという。そうなったら日本に住んでいられなくなってしまうだろう。フィリピンをはじめとする国々は日本からの食料品については放射線の検査を義務付けるとすでに宣言している位だ。    いよいよ、日本の安全神話にもかげりが出てきているようだ。家族にはいざとなったらフィリピンに疎開すれば良いと声をかけているが、普段フィリピン行きを打診しても相手にされない妻も、「それもありか」と思い始めているようだ。 […]

東日本大震災 2011年3月15日