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 従来フィリピンの教育制度は小学校が6年、ハイスクールが4年、そして大学が4年(文系)、5年(工科系)で、合計が日本等の諸外国に比べて2年短かった。したがって、フィリピンンでハイスクールを卒業しても日本の大学進学の資格がないなど海外への大学進学に不都合があった。したがって、外国人の子女の教育はインターナショナル・スクールに進学しなければならず、高額の授業料を支払わなければならないなど、外国人にとってフィリピンに在住する上での頭痛の種だった。  今回の教育制度の改革で、現行の小学校6年とハイスクール4年の終了後シニア・ハイスクール2年を創設し、合計12年間の教育とともに、幼稚園1年を義務教育とし、合計13年間の教育を大学進学前に受けることになる。これらの教育について公立学校では授業料は無料で、幼稚園と小学校は義務教育となる。 本制度は本年度ハイスクールに進学する生徒から適用され、4年後の2016年からシニア・ハイスクールが開始され、2018年から新制度の卒業生(18歳)が出る。  シニア・ハイスクールはすべてのハイスクールに併設されるが、大学進学の学生が2年間いなくなることになり、大学に付属のシニア・ハイスクールを併設することも検討されている。 ちなみに、フィリピンでは18歳未満のアンダーエイジ/マイナーの雇用が禁止されている。これは何も花街の話に限ったことではなく、ウエイトレスなどの一般的な職業にも適用されていて、ハイスクールを卒業しても法的に2年間は働く術がないのだ。しかし、大学に進学できない貧しい家庭の子供達が学校を出ても働くことができず、親のすねかじりを続けるなどということなどは実際にはありえず、何らかの形で働いてはいるのだが、法の庇護下になく、低賃金を余儀なくされるという矛盾を包含している。今回の措置で、これら16歳から~18歳までの青少年が無料で就学する機会が与えられるということは大いに歓迎すべきことだ。

フィリピンの教育制度が国際標準に改革 2012年6月3日


  ここ数ヶ月、新聞やテレビをにぎわせていたコロナ最高裁長官の弾劾裁判に決着がついた。5月29日に行われた上院議員による表決の結果、20対3で長官の有罪が決定した。最高裁長官が上院による弾劾裁判で有罪判決を受け更迭されるという事態は、フィリピン史上初めてのことだ。 コロナ長官はアロヨ前大統領が2年前、任期終了直前に指名したもので、すでに大統領選の当選が確実となっていたアキノ現大統領の非難の中、長官に就任した。  アキノ大統領就任後、アキノ大統領の行政に不利な判決を出し続け、コロナ長官はアキノ大統領の目の上のたんこぶとなっていた。昨年11月にはアロヨ前大統領の出国監視措置を解除する仮処分命令、アキノ大統領の実家のルイシタ農園の農地分配の命令、などなど。 弾劾裁判の判決の決め手は資産報告義務を定めた憲法違反、240万ドルのドル預金と8070万ペソの預金が報告書に記載されていなかった、というものだ。そのほかの罪状は、すでに有罪判決が確定されたので評決はされなかった。  無罪評決を出したのは、憲法専門の弁護士のアロヨ上院議員(アロヨ前大統領とはたまたま名前が同じだけで何の関係もない)、毒舌家で有名な弁護士、ミリアム上院議員、それに親の代からアキノ家と対立してきたマルコス元大統領の息子のボンボン・マルコスだ。賛成した上院議員は憲法上、果たして有罪かどうかというよりも、コロナ長官の個人資産の額や検察側のショッキングな報告に大いに心を動かされたらしい。 巷の意見は二つに分かれている。コロナ長官の無罪を主張するものと、有罪を歓迎するものだが、知識人は無罪に傾いているようだ。知識人は、アキノ大統領が自己の無策を棚に上げて、アロヨ前大統領やコロナ長官を槍玉に挙げて、失政の矛先を変えようとしているに過ぎない、という見方をしている。彼らは、英雄、コーリー・アキノ元大統領の息子というだけで、大統領に当選したアキノ現大統領の手腕を大いに疑問視しているのだ。

コロナ最高裁長官の弾劾裁判 2012年6月2日



 5月29日昼前、ちょっと強い雨が降り、マカティ市は恒例の道路冠水に見舞われた。マカティの比較的低地にあるパソンタモ通りは場所によっては乗用車が通れなくなった。31日の午後はまだ午後の3時だというのに夕暮れ時のように暗くなり、熱帯特有のスコールが襲った。  今年は例年になく涼しい夏が続いて、4月からようやくフィリピンらしい暑さが連日続いたが、5月も末になると雨季が近づいて、この日はいよいよ雨季入りを感じさせるものだった。6月1日の新聞では気象庁が雨季入り宣言をしたそうだが、これからは毎日スコールがあり、パソンタモ通りは冠水を繰り返すことだろう。  何故、こうもたやすくマニラは道路冠水するのか、その辺は3年前の台風オンドイの調査のブログを参照されたい。  さて、一方6月は新学期シーズンだ。2ヶ月以上の夏休みを満喫した子供達はいよいよ学校へ復帰する。6月4日(月)からほとんどの学校が始まるが、子供達は久しぶりに先生や友達に再会して、教室や校庭の掃除をして、初日を終える。  写真下の右端はカーネルの娘、16歳だ。先日、5月26日に誕生日を迎えたばかりだが、いよいよ大学進学で、広告や装飾を行う芸術学部に進学するそうだ。16歳なら日本で言えば高校1年生だが、おませで長身なだけに大学生の貫禄がある。今日(6月1日)は新学期を控えオリエンテーションに出かけて行った。  他の子供達は田舎からKIANの遊び友達としてマニラに来ていたのだが、いよいよ帰郷が近い。今日、おばあさんやお兄さん達がやってきて、新学期前に田舎へつれて帰る。きっとKIANが寂しがることだろう。

フィリピンに雨季到来ー新学期 2012年6月1日


 私の事務所のあるサンアントニオ・ビレッジを横切るチノロセス(通称パソンタモ)通りのブエンディ通りからカマゴン通りまで、4つの交差点がある(Malugay、Yakal、Bagtikan、Estrella)。しかし、そこには信号機がついておらず、ラッシュ時には交通警官が交通整理を行うのが習慣だった。そして先日、ついに信号機が設置されたのだ。通りの名前も明記されてとてもわかりやすい。これで事務所への道もわかりやすくなるだろう。  マカティ市の中心はさておいてマニラには信号が実に少ないと、はじめてフィリピンを訪れた方が感想を漏らす。フィリピンでは、人が通りを渡ろうとしても車は停まらないから、混んだ道ではいつまでたっても通りを渡れないとこぼす。特に車の多いパソンタモ通りのマカティスクエア(リトル東京界隈)では、通りを渡ることができず、向かいのスーパーで買い物をすることをギブアップされた方もいた。  私の農場のあるタバコ市には信号機が一個もない。レガスピ市にあっても2個だけだ。まあ、田舎は車も少ないのでどうってことはないが、車の多いマニラでは死活問題だ。  時々、ラッシュでもないのに、やけに道が混んでいるときがある。交差点まで来ると、信号機を止めて交通警官が交通整理をしている。それで納得、交通警官が交通整理をしているから混んでいたのだ、余計な事をするものだと。彼らに言わせれば混んでいるから交通整理をマニュアルでやっていたのだと主張するだろうが、私にはそうは見えない。  パスコの事務所に来るときは上の写真の信号機があるパソンタモ(チノロセス)とバグチカンの交差点を目指すと判りやすい。徒歩の場合は、ここで車を降りて左に曲がるとパームタワーのコンドミニアムに面したセントポール通りに出る、そこを右に曲がるとすぐにパームタワー・コンドの前に出る。車だと一本先のエステレリアを左に曲がって、さらに一本目の角を左に折れて回り込む必要がある。  信号機がついたとなると、もはや交通警官は不要になる。彼らはTraffic Enforcerと呼ばれ、国家警察の組織とは関係なく、市役所に雇われているが(だから市ごとに制服の色が違う)、交通違反を取り締まる権限も持っている。この交通違反の取締りが、実際は彼らの小遣い稼ぎの場となっているのだ。  なんだかわけのわからない理由で彼らは車を停めてイチャモンをつける。特に外国人が運転しているとターゲットになる。例えば、左折をしようとして対向車がなくなるのを待ち、信号が変わる瞬間に道を横切る。そうすると件の交通警官がタイミングよく現れて、信号違反だから免許証を見せろとなる。日本ではこれは交通ルールの常識で、問題ない、と主張しても、ここはフィリピンだなどと意味のない議論がはじまる。結局500ペソほど渡して無罪放免となるのだが、なんとも癪に障る(フィリピン人ドライバーなら100ペソ程度が相場)。もちろん、彼らはそういう微妙な場所に張ってかもを待っているのだ。 信号機がついて、彼らが職を失う羽目になったら、それは大いに結構なことだ。もっと生産的な職業について欲しい。しかし、信号機がついて交通整理をやらなくも良くなって、彼らに交通取り締まりに専念されたとしたら、これはやばい。街の角々に張ってかもを待ち、しょっちゅう車を停めていたら、それこそ渋滞の元凶となってしまうだろう。

パソンタモ通りに待望の信号機がついた 2012年3月18日



  乾季のはずなのにやたらと雨や曇り空が多かった1月と2月だったが、ここのところ、ちょっと今までとは違う強烈な日差しで、日中外に出るのをためらうほどだ。気象庁は連日34度を越える暑さに、3月1日からドライシーズンあるいは夏に突入したと発表した。日本ではまだまだ寒さが厳しいと、日本から訪れたゲストが口々にフィリピンの日差しを喜ばれている。  ご承知の通り、フィリピンは乾季と雨季の2シーズンで、11月ごろから5月まで乾季、6月から10月が雨季とされる。しかし、10月から12月は台風が多く、今年は1月と2月も雨が多かったので、この 3月から5月が本当のドライシーズンと言うことになる。もうすぐ学校は夏休みに入るが、6月はじめの新学期を迎えるまで観光地、特にビーチリゾートは人であふれる。 このため、KIANはほとんど裸で一日を過ごす。2月24日はママの誕生日だが、まるで自分の誕生日と勘違いしており、手で音頭をとり「Happy Birthday to You」を皆で合唱することを要求する。そして、私の誕生日と同様ケーキに刺されたろうそくの火を一所懸命吹き消している。 水遊びが大好きなKIANは、プール遊びが解禁されて、午前中、プールに水をためて遊ぶのが日課になった。元々フィリピンは一年中夏のようなもので、何も3 月まで待つ必要はないし、普段から水でシャワーを浴びているのに、やはり水遊びは夏のシーズンに限ってやるものらしい。

フィリピンは夏本番 2012年3月4日


2月16日、乾季の真っ只中の大雨だった。午後から客とPRAへ向かうと、あたりは夕方のように暗くなり、強い雨が降ってきた。2時間ほどで雨は小ぶりになったものの、パソンタモは20cmほど冠水して、車は恐る恐ると走っていた。たしかに6月~11月の雨季には日常茶飯事の光景だが、乾季の12~5月はめったに見られない光景だ。今日に限らず、今年は乾季にしては雨が多く、どう考えても異常気象としか考えようがない。 ユーロ圏のギリシャ支援の紆余曲折、イタリアのオリンピック開催立候補の辞退、日本の休眠口座の没収(活用)やマイナンバーによる所得や資産の管理、アメリカの中国への接近と軍事拠点の中国包囲網構想、などなど、今まで耳にしたことのなかったニュースが連日報道されている。あきらかに大きな歴史の変化あるいはうねりの兆候だろう。それと、この異常気象がどのように関わってくるのか定かではないが、3.11のような自然災害が人類の歴史を変える力を持っている事は明らかだ。  こんな世界の動きにかまわず、ここマニラではコンドミニアム建設の槌音が絶えない。高層コンドミニアム建設の波は、マカティの中心街から一歩外れたブエンディア通りの外側に広がり、SMやアルファ・ランドなどの巨大なコンドミニアム群とショッピングセンターが出現しようとしている。マカティ市街地の拡大、オルテガスやボニファシオ・グローバルシティなどの副都心の発展など、メトロ・マニラ首都圏は膨張の一途をたどっている。  自然と共生してきた数千年前までの人類は、3.11あるいはそれ以上の自然の力に柔軟に対応できたであろう。しかし、このような巨大な構造物を作り上げてしまったら、近い将来、3.11をはるかに上回る地球規模の洪水や地震(ないし地殻変動)で、そこには、巨大な廃墟が残るだけだろう。人々はなけなしの財産をはたいて、まるで猿の惑星に出てくる廃墟作りに邁進しているとしか私には思えない。

フィリピンも異常気象(その2)2012年2月17日



 ここ3日ほど、朝から晩まで、しとしと雨が降り続いている。フィリピンを訪問された退職者は「この雨季はいつ終わるのですか」と質問される。そもそもフィリピンは11月から乾季で、12月ともなれば、ほとんど雨は降らない。1月と2月はさわやかな天気が続き、3月から熱くなって夏休みシーズン、そして学校が始まる6月から雨季に突入する。それなのに、このごろは台風が来ているわけでもないのに、毎日毎日雨なのだ。フィリピンの雨は熱帯特有のざっと降ってすぐに止んでしまうスコールが中心だが、まるで日本の梅雨のように一日中しつこく降り続いている。 乾季にしとしと雨は、植物にとっては恵みの雨だ。  この雨で直接被害を受けているのが、街やリゾートでアイスクリームやタバコを売り歩いているベンダーだ。25度くらいになるとフィリピンの人は寒く感じて、アイスクリームなどには手を出さないし、タバコはぬれてしまう。だから、この人たちは、クリスマスが近いというにほとんど収入がなくて、クリスマスに欠かせないフィエスタ・ハムの代わりにひもの一枚でクリスマスを祝うことになりそうだ。雨が頼りのお百姓さんや植物は返って喜んでいるかもしれないが、天気が頼りの建設労働者もたまったものではないだろう。 こんな異常気象をもたらしているのは、今まさに、南アフリカで京都議定書の改訂のために議論されている地球温暖化に他ならない。先進国であろうが後進国であろうが、排出される二酸化炭素にかわりはなく、議論をしている間にも地球温暖化は着々と進行し、世界の気候を変えている。世界各地を襲っている旱魃や洪水により、その日暮らしの貧しい人たちがまず被害を受けるのだ。しかし、この長雨には放射能が含まれている可能性はないとうことだけでも幸いではある。また、どういうわけか知らないが、私の農場のあるアルバイ地方では地球温暖化対策として竹を盛んに植えているそうだ。 フィリピンでは人差し指を上に向けて、「バハラカ」(勝手にしろ)と言って人を忠告をする。ヤンチャなKIANはいつも回りに「バハラカ」と注意されているので、その仕草をまねる。KIANは議定書をめぐって無用な議論を繰り返す政治家達に忠告しているのかもしれない。   原発事故で世界的に有名になったフクシマだが、ここから排出された放射能が大気に乗って拡散し、雨で地上に舞い降り、福島ばかりではなく、千葉や東京も汚染されているらしい。こんな状況では福島から遠くに住んでいたからといって安心はできず、特にお子さんを育てる親の不安は大きい。放射能に汚染された地域の不動産も暴落し、買い手がつかないそうだ。  さらに、日本の経済危機の到来がささやかれて久しいが、まさに大地震の再来や放射能汚染という三重苦をかかえた日本を脱出するという動きが加速されているようだ。最近、退職ビザを申請する方の目だった特長は女性が多いということだ。さらに皆さん現役で、子育て中のお母さんもいる。まさに若い女性が立ち上がって日本を見捨てる時代に突入しつつあると実感する。  現在私が、退職ビザをお世話している方の半分が女性ないし奥さんだ。従来のように旦那さんが前面に出るのはなく、奥さん主導でことが進められている。かつては、フィリピンといえば、女性はそっぽを向いてしまうのが普通だった。しかし、この方々は冷静な目でフィリピンを見直して永住先にと選択したのだ。いざと言うときに強いのが女性、特に母親なのだ。マーケットのねらい目は女性というが、フィリピン・ブランドも日本女性に評価されつつあるようだ。

フィリピンも異常気象 2011年12月9日


2011年11月19日、アロヨ元大統領が選挙法違反の罪で病院内で逮捕された。 アロヨは、その数日前から脊髄の病気を理由に海外への脱出を試みていたが、最高裁の出国監視の差止め命令に逆らって入管が出国を阻止し、この日の逮捕にいたった。罪状は2007年に行われた上院議員での選挙妨害ということだが、アロヨは在職時代から2006年の大統領選挙そのものの不正、エストラーダ前大統領の恩赦、幾多の賄賂等で在職時代から何度か政権崩壊の危機を迎え、なんとか乗り越えてきた。 アキノ現大統領はアロヨの不正を暴くことを公約に大統領選を戦ったが、アロヨによる妨害で、1年半を経てようやくこの日の逮捕にこぎつけた。特に最高裁の長官および15人の裁判官のうち12人までが、アロヨ政権による任命で、アロヨ側に加担していることが、ことの進展を妨害してきた。  1998年からアロヨは副大統領の座にあったが、2001年、エストラーダ前大統領を不正蓄財の罪で追い落とし(エドサ革命2)自らが政権の座についた。そして2006年の選挙では人気男優のフェルナンド・ポーに僅差で勝利し、9年の長きに及ぶ政権の座を維持した。この選挙についても不正が行われたとの告発がなされ、追訴される可能性も大きい。  エストラーダ前大統領、そしてアロヨ元大統領かつ現役の下院議員の2代続いた大統領の逮捕とあって新聞やテレビは連日、その報道に終始した。しかし、巷の反応は冷静で、来るべくして来た、といった感じで、他の国のようにアロヨを指示する一派と、アキノを支持する一派の戦いなどという構図はフィリピンでは成立しない。選挙で新しい大統領が選ばれて、彼が元大統領を法に則って告訴するというきわめて民主的かつ平和的にことが進められている。  ところで、先ごろ世界経済フォーラムが発表した135カ国の「男女格差報告書」によると、フィリピンは堂々8位にランクされ、東南アジアにおいては断トツだった。ちなみに日本は98位、トップは北欧諸国が占めている。先のアキノ前大統領、アロヨ大統領をはじめ、上院議員でもサンチャゴやレガルダなどの男勝りの議員が活躍している。巷でも銀行の支店長などはほとんど女性だ。フィリピンでは男女格差というのは女性が上位であることに対して使うこともあるくらいだ。  だから、たとえ女性の大統領といえども、不正選挙や汚職など、男性の政権トップと同等あるいはそれ以上にやってのけるらしい。

アロヨ元大統領の逮捕 2011年11月28日



待ちに待ったMU(Miss universal)が8月19日(金)、ついに復活した。例のASIANでその情報を得て、早速覗いてみたが、Miss Universalの大きなネオンは撤去されてはいたが、確かにオープンしている。入り口で見慣れたガードマンにカメラを預け、中に入ると初日だというのにかなり客が入っている。馴染みのマネージャーはいないが、見慣れたウエイトレスが親しげに微笑んでいる。皆、MUの復活を喜んでいるようだ。   ママさんに聞いて見ると、値段体系はかつてのMUとほぼ同じ(エントランス110ペソ、ビール95ペソ、レディズ・ドリンク500ペソ、お持ち帰りが 6000ペソ)だが、開店記念の3日間限定特別サービスがあるという。今日(金)から日曜日まで、エントランス無料、ビール3本まで無料、レディズ・ドリンク一杯無料、ただし、「オール・ザ・ウエイ(ヌード・ダンス)」、「お持ち帰り」、「VIPルームの使用」、はすべて無し。きわめて健康的な無料のショー・クラブだ。そのせいか、客はほとんど、あまり見かけることのないフィリピン人で占められている。  新しいMUの名称はMUカンポスらしいがあまり定かではない。新しいオーナーの名前はカンポスだそうだ。女の子と言えば、やはり見慣れない子が多い。しかし、控え室にはMUのベテランの KC(ケーシー)が初日からASIANから戻って来ていた。ベテランだけにMUには捨てきれないロイヤルティ(忠誠心)があるようだ。特別割引が終わり、「オール・ザ・ウエイ」や「お持ち帰り」が復活したら、前にいた女の子や助平でお金のある日本人や韓国人の客もも戻ってくることだろう。  私としてはせっかく開発したASIANも捨てがたいし、10年来の馴染みのMUも捨てがたく、悩ましいところだ。  

速報!MUが復活、今がチャンス 2011年8月20日


         なんといっても、フィリピンでは今、庶民の生活を脅かしているのが、ガソリンの高騰だ。2008年6月15日に原油相場の高騰でガソリンが高騰したことは、このブログで紹介した。現在、ペソが高めに推移しているせいもあって(1ドル=43ペソ)、当時の最高値の水準に達しているのだ。ちなみ、円換算ではリッター、100円~110円程度となり、物価水準が5倍違うフィリピンではこの値段がどんなに高値なのか想像がつくだろう。  今年、タクシーの初乗りが30ペソから40ペソの上がり、当初タクシードライバーはホクホクで、恒例の値段交渉も乗車拒否も姿を消した。しかし、それは束の間の出来事で、再び、メーターの2倍~3倍を平気で吹っかけてくるドライバーが多くなった。中には何も言わないでメーターを倒して走り始めるドライバーもいるが、つい、20~30ペソを上乗せして払いたくなってしまう。慢性的な渋滞もあいまって、まっとうな料金ではほとんど稼ぎがないのだ。  税金の関係で、フィリピンで組み立てられた車は、日本より、若干高めだ。ちなみに私の相棒の旦那が乗っている三菱モンテーロは140万ペソ、260万円位する。一番安い、タクシーに使われるトヨタ・ビオス(カローラの下のクラス)あたりでも140万円前後だ。この金額となるとフィリピンでは郊外で戸建の家が買える金額だ。フィリピン人にとって車を買うことは家を買うのと同等の覚悟が必要で、イメージ的には1000~2000万円の買い物をしている感じだ。  しかし、マニラを走っていると実に車が多い。しかも往年のジープタイプの車は姿を消して、モンテーロなどの車高の高い車が半数程度だ。これは雨季になるとマニラのいたるところで道路冠水するせいだが、下の写真では前に3台のモンテーロが固まって走っていた。自分も入れると4台になる。ちなみにモンテーロは、今フィリピンでは、ホンダCRVやトヨタ・フォーチュナを抜いて、もっとも人気のある車だ。  ガソリンの次あるいはそれ以上に庶民の生活を脅かしているのが米だ。私が初めてフィリピンに足を踏み入れた1989 年には、米1kgが7~9ペソだった。それが、げんざい、35~40ペソ(70~80円)もするのだ。この20年で実に5倍となった。従来物価の10倍原則(ペソの価格をそのまま10倍して、円に読み替えると、日本の相場観で判断できる)は米と給与には当てはまらなかった。なぜなら通常の物価差は5倍だが、米と給与は10倍の差があったのだ。しかし、現在、米の物価差は5倍程度に縮まってきている。一方、大学新卒の給与は1万ペソ+(2万円~)程度だから、やはり10倍近い差はあるだろうか。フィリピンでは3度の食事に米は欠かせないから、この米の高騰は庶民の腹を直撃していると思う。しかし、マニラ周辺でも広大な穀倉地帯が広がっているのに、なぜいまだに米を外国から輸入しなければならないのか理解できない。 最近、私の懐を直撃しているのが、ミス・ユニバーサルの閉鎖だ。他のクラブは何しろ高い、内容も今一、今二だ。MU にとって代わる一押しの遊び場を見つけることが未だにできていない。MUに働いてた子の誘いで、バクララン・チャーチのすぐ近く、ロハスブルーバード沿いのASIAN ENTERTAINMENTを覗いて見た。そうしたら小一時間いて、ビール2杯に女の子を1時間呼んで、1500ペソも取られてしまった。その内訳はこうだ。()内はミス・ユニバーサルの値段。                Asia   MU      ディスカウント後 エントランス        350ペソ(100ペソ)    なし ビール一杯         135ペソ(59ペソ)x2   100ペソx2 レディズドリンク      775ペソ(460ペソ)    600ペソ  合計           1395ペソ(678ペソ)    800 […]

フィリピンでは、今これが高い 2011年7月18日