その他


運転手のボボイが辞めてから我が家では車2台に運転手が一人(カーネル)という状態が続いている。私といえば、PRAには歩いて通い、KIANの出迎えにはジープニーを使うという、まさに健康的な生活をしている。たまに客と一緒のときは、サービスカー(白タク)を利用できる。そのため、余分になった三菱ランサーを手放すことにした。 現代風の精悍なマスクが売り 車種;三菱ランサーEX GT-A 2013年型 エンジン;ガソリン 2000cc 型式;セダン スポーツタイプ 5人乗り 走行距離;35,642km 希望売却価格;850,000ペソ               外観もきれいにメンテされている […]

車売りたし 三菱ランサー 2013年型 2016年8月5日


先週の月曜のKIANのドンボスコ入学以来、私の重要な役目は毎日1130amにKIANを出迎えに行くことだ。ママ・ジェーンは妊娠5ヶ月で動きづらい、アテ・キムはジェーンや私のお手伝いで日中はマニラ中を飛び回っている。したがって私にお鉢が回ってきているのだが、朝、6時半の見送りはさすがに勘弁してもらっている(アテ・キムの役割)。朝一の用件が終わるころKIANの出迎えのため、PRAからの帰りしなにドンボスコに寄って連れて帰るという算段だ。さらに火曜と木曜は午後から公文に通っているので、ドンボスコの後サイカでランチをとり、そのまま公文にむかうというスケジュールだ。 農場から送ってきたパッションフルーツとグアバ、売り物はならない庶民のフルーツだ そして、今週の火曜14日に事件は起こった。朝一、タクシーが捕まらずPRAまで歩いた。現在ドライバーがいないので、たまにトライしている運動不足解消の一環だ。特にタクシーを待っている間(30分くらい)にPRAに到着してしまうので一石二鳥となる。さらにPRAの後は銀行に歩いて行き、その後、タクシーでドンボスコに直行した。サイカでKIANと二人きりの食事を摂り(含サンミゲル2本)、そして公文へ。そこそこハードなスケジュールだった。 同じくアヒルの卵、殻は汚いが、これがなんとも美味で毎朝生卵ご飯を楽しんでいる アヒルの卵の黄身、この黄身が見事で、茶色の部分は醤油で、まるで目玉のようだ。 3時ごろ家に戻って横になっていると、しばらくして、どうも腰が痛い。寝返りをしようとすると腰に響く。そして、その夜、ベッドに横たわったまま、体を動かすたびに腰に来るので、いささか憂鬱になった。只、幸いなのはベッドで静かに横たわっている限りは何の痛みも無いことだったが、年を取るといつ何時、こんな事態に陥るかもしれない。そうなると仕事どころではない、いよいよ現役引退、年貢の納め時と覚悟を決めた。そして、今のやりかけの仕事はどうするかなど、いろいろなことが頭をかけめぐった。 未熟のパパイヤ、これが消化や美白効果がすこぶるあり、バナナ、パイナップル、マンゴに続く4番目の南洋果物の王様だ ここ数年、すこぶる健康で、薬をとることも一切無く、持病の糖尿も食事に気をつける(炭水化物をなるべく摂らない)ことで押さえ込んでいる。そんな矢先、身に覚えのない天使のハンマーの一撃を食らってしまったのだ。これはどう見てもぎっくり腰に違いない。20代のころ、建設現場でぎっくり腰をやった経験があるが、そのときは、事務所まで戻るのに往生したものだ。それから数年の間、ガラスの腰をいたわる生活が続いた。そして今回、ベッドで横になっている間にぎっくり腰になるなんて、一体何なんだろう。これも老化現象の一環なのだろうか。パッションフルーツは農場の片隅に勝手に生えている蔓科の果物だが、3個で一ペソと見向きもされないフルーツで外見もいかにもみすぼらしい 翌朝(水曜)、恐る恐る起きてみると、腰が痛くて伸ばせない。痛みを我慢しながらゆっくり伸ばすと、その後は楽になる。しかし、また座って立とうとすると、また腰が伸ばせない。まるでへっぴり腰の老人そのものだ。これでは医者に行くしかないと算段している間に、意外と歩ける、さらに痛みも薄らいできて、症状が改善してきている。ならばしばらく様子を見よう、あえて痛み止めの薬は飲まないで、腰の状況を見守ろうという気になった。 その中身は、カリカリとした種の周りにすっぱいとろみの実がついていて、なんともいえぬ味だが健康によさそうな果物だ そして、木曜、いつものスケジュール(PRAとドンボスコ、サイカそして公文)をこなせる自信もでてきた。さらに金曜そして土曜、若干の腰の痛みも感じるが日常生活には支障がなくなってきている。我ながら驚くべき回復力(自然治癒力)だが、これぞ若さの維持(老化防止)、健康の秘訣だと実感した。高血圧、糖尿病、心臓病、脳溢血、癌を代表とする生活習慣病は自然治癒力(免疫)が不足して発症するというが、この自然治癒力は、唾液がたくさん出る、睡眠を十分とる、水分を十分取る、控えめの食事をとる、汗をたくさんかく、適切な排泄、適度なスポーツ、ストレス解消(運動と瞑想)、セックス等々、体の機能、日常の生活に由来するという。 薬に頼るのはこの自然治癒力を阻害する原因でしかなく、薬無しの生活が一番だと、ある生理学者は説いている。薬は使用を誤ると毒にもなる危険な存在だそう で、肝臓や腎臓などに負担をかけ、自然治癒力を阻害するそうだ。特に、高血圧や糖尿病等で定期的に薬を飲み続けることは、その副作用で自然治癒力を阻害す る元凶だと忠告している。 自然治癒力の維持こそが健康に長生きする秘訣なのだそうで、今後も薬に頼らない生活を続けたいと思う。しかし、いつしか自然治癒力でもってしても回復不能 […]

天使のハンマーの一撃 2016年6月18日



最近は、円が少し戻して(1ドル=110円前後、1万円=4100~4200ペソ)で退職者はほっとしている。しかし、かつては2万ドル=160万円程度で退職ビザが取れていたものが220~240万円、しかも、フィリピンでの生活費が1万円=5500ペソが一時は3600ペソにまで目減りしたのでは、フィリピンに住む意味が大いに薄れてしまっていた。日本の経済や株価への影響は別世界の話として、退職者にとって見れば、民主党政権時代の1ドル=80円が懐かしい。 一方、退職ビザの魅力が減って、申請者が激減している事実は、私、ビザの取得サポートを専門としているものにとっては死活問題だ。今年に入ってからは円の動向に関係のない、欧米人、インド人等の申請者が当社の顧客の3分の一を占めるにいたっているが、絶対数の減少は避けられない。しかも、円安ばかりではなく、ビザの発行期間が4週間近くになっていて、現役のかたがたのビザ取得を不可能にしている。現役の人にとって、せいぜい2週間の休暇をとるのが限度であって、4週間はありえない。したがって昨年は半数近くを占めていた現役の方の申請がほとんどなくなっている。 しかし、なぜか当方は忙しい。それは、ビザの取消、相続、ID更新、預託金の投資転換、不動産手続きなど、かつて退職ビザをお世話した方々のお手伝いが増えているからだ。その上、ビザの取消は、預託金の返却まで3ヶ月程度の時間がかかり、そのフォローアップに追われ、現状でも、約10件の取消申請が進行中だ。中々前に進まない手続きなのだが、常に頭の中は進行中の案件でいっぱいだ。したがって、私の翌日のアクションリストは20件近くにまでなっている。 ピザの宅配についてきたコーラのビンを抱いておどけるKIAN。最近、私が何歳かというKIANの質問に69歳と正直に答えると、それは死ぬ年かと済ました顔で聞いていくる。人によってマチマチで100歳まで生きる人もいると答えると、今度は日本人は100歳で死ぬのかとやり返してくる(どうも人間は一定の年になると寿命を迎えて死ぬと思っているらしい)。ダダが100歳まで生きたら、KIANは36歳になっていると話すと、24歳まででいいという。6歳になってなんとなく知恵がついてきていると思うこのごろだ。 年をとると忘れっぽくなるという、だから、毎日、アクションリストを更新して落ちこぼれの無いようにしているつもりだが、大事なアクションはやはり頭の中にしまっておかなければ適切な対応ができない。客から電話で問い合わせがあってもいちいちパソコンやメモを探していたのでは埒があかない。 PRAに行くたびに重要案件を頭の中で復唱するのだが、5~6件の懸案事項があると、どうしても3~4件しか思い浮かばない。いやもっとあるはずと思い記憶の糸を探ると、別の案件が浮かんでくるが、それで数えなおすとやはり3~4件しか浮かんでこない。前に覚えていたものを忘れてしまっていて、いつまでたっても3~4件しか浮かんでこないのだ。年のせいかなと思うが、仕事上の記憶は、いまだ周りの誰にも負けない自信がある。それは30~40代のころから変わりはないと自分では思っている。 夏休みを利用して田舎から出来ているヤナと遊ぶKIAN。もはや赤ちゃんの面影はない。 昔、人は同時に3つのことしか記憶できないという話を聞いたことがある。脳に刻まれた過去の記憶ではなく、今、動いている記憶であって、時間とともにどんどん消去されていく記憶だ(ワーキングメモリーとでも言うべきで、過去の記憶はハードディスクなどに記録されたストレージだ)。コンピューターのRAM (ランダムアクセスメモリー)のようなものだ。たしかに、3件までなら何度でも繰り返すことも出来るが、5~6件となると、その内の2件が消去、復活を繰り返してきりがない。 そこで、6件のアクションを3つに分類してみた。ビザ申請、相続、その他、の3件、そしてビザ申請はSさんとNさん、相続はKさんとHさん、その他は、TさんとMさん、要は3x2に案件を分類したのだ。そうすれば、まず、3種類の案件を思い起こして、それぞれ、二人の名前と内容を順に思い浮かべることができる。そうしたら、何度繰り返しても正確に6件のアクションを思い起こすことができたのだ。 人のワーキング・メモリーが3個までで、それ以上は消去されるものだと認識しておけば、逆に確実に記憶することができるということを今になって悟った。その証拠に電話番号など0916-543-2812などと、いくつかに区切って唱えると覚えやすい。 我が家恒例の土曜の和食レストランでの食事風景。KIANは好物のエビフライと鶏のから揚げを皿にてんこ盛にしている。 さらに、人ないし動物の五感、特に映像/イメージの記憶容量は文字/数字情報に比べて無限大ともいえる。したがってもろもろの情報を映像と関連付けると飛躍的に大量、短時間で記憶することができる。これは、多くの記憶の達人が実践していることだ。したがって、アクションが必要な事柄を場所のイメージ(PRAとか銀行など)と退職者の顔と関連付けて記憶すると簡単に脳に記録と参照が可能になる。上の例で言えば、退職庁(ビザ申請)、銀行(相続)などのイメージを思い浮かべさらに、それぞれ関係する退職者の顔を思い浮かべるのだ。そうすれば、多くのアクションも難なく記憶しておくことが出来るようだ。

人は同時に3件しか記憶できない(賢い記憶法) 2016年4月18日


2月14日(日)は世界的にバレンタインデイ。日本では女性が目当ての男性にチョコレートを贈って気持ちを伝える、ということになっているが、これはチョコレートメーカーの陰謀だそうで、一般的には男性が女性に愛を示すときであるらしい。最近はお目当てというより義理チョコが優勢のようで、チョコレートメーカーは、狙い通りとほくそ笑んでいるに違いない。 ちなみにフィリピンでは、前日、赤いバラの販売所が街中にあふれ、価格が高騰する。我が家にも毎年、大きな赤いバラの花束が当然のようにどこからともなく現れる。もちろん、カーネルからジェーンへのプレゼントだが、私が目にしたときは一緒の特製ケーキにすでに手がつけられていた。食いしん坊のビアンカかアリアの仕業に違いない。 そして、この日は、札幌からフィリピンを訪問されていた藤田さんと出野さんが家にこられ、自慢のたんたん麺をご馳走してくれた。藤田さんは札幌で税理士の事務所を営んでいて、これから企業のフィリピン進出を支援したいと考えている。そして出野さんは札幌に評判のたんたん麺専門店を3店営んでおり、今回はフィリピンへの進出の可能性を探って、進出ブームとなっているラーメン専門店を下見に食べ歩きしているそうだ。 11時を過ぎて、二つのことに気がついた。まず、ラーメンは湯を大量に使うので、事前にお湯を沸かせて置くこと、さらに、我が家には出来上がったラーメンを入れる大き目のお椀がないことだ。お湯を沸かすおなべについては、幸いちょうどよい深鍋があった。一方、お椀については急遽、ビアンカに、近くのスーパーに買いに行かせた。 そうこうしているうちに皆さんがやってきた。藤田さんと出野さん以外に友達のマユさんが一緒だった。さすが、北海道出身、ジェーンやキムも色は白いほうだが、マユさんの桁違いの色白にびっくり。昼も近いので、挨拶もそこそこに早速持参した材料で、ラーメン店オーナーの自らのたんたん麺作りが始まった。 一方、女性陣は早速、談笑と記念撮影に花を咲かせる。ジェーンにとってみれば、赤いバラの花束は、いわば勲章だから手から離さない。そして、私からは、札幌の名物ラーメンの出張サービスがバレンタインのプレゼントだ。 出来上がったたんたん麺はつゆありとつゆ無しの二種類。カシューナッツが入っていて、ピーナッツバターの味がして家系(いえけい)のラーメンとは一味違う。麺も太めで、普通のラーメンとはちょっと違うが、また、中国料理の麺とも一線を画している。    まずは、ラーメンお宅のKIANに試食してもらったが、親指を上にして「Good」と一言、合格点だという。しかし、ちょっと食べて後は手をつけなかった。実はKIANが食べるラーメンは具も何も入っていない麺だけをお皿にとって食べるので、このような味わいのある本格的なラーメンは食べることができないのだ。5歳にして、状況をとらまえてそれなりのお世辞を言うあたりは、すでにフィリピン人としての処世術をすでに身に着けているようだ。 そしてカーネルやジェーンが味見をしたが、これなら優にフィリピン人の食通に受け入れられるというものだった。このほか、サイドディッシュとして餃子ないしチキンのから揚げがほしいとのコメントがあったが、チキンのから揚げも、ラーメンに負けないおいしいものを提供してほしいところだ。何しろチキンのから揚げはフィリピン人庶民の食文化の最高峰に位置していて、チキンのから揚げさえあれば、フィリピン人は一年中すごせるというものだ。ちなみにジョリビーは、このチキンのから揚げでフィリピンを制覇し、新興のINASALもチキンのバーベキューで一世を風靡した。 ジェーンは知らぬ間に友人とラーメンの食べ歩きをしているようで、事務所/コンド街のマカティ・サルセド・ビレッジのど真ん中にある「MENDOKORO RAMEN BA、麺所ラーメン場」では富裕/中間層のフィリピン人が列を成しているという。彼らにもこのラーメンなら十分やっていけるという評価だが、コメントは「一見して野菜が少なくて健康志向に欠ける印象をもたれるのではないか、そしてラーメンといえば、黄身が生のゆで卵が感激的だ」。これに対し、このたんたん麺はまったく人口調味料を使っていないこと、つゆなしにおいては、塩の使用量が一般の半分以下であるなど、非常の健康的なラーメンであるとのことだった。ゆで卵については考慮の余地はあるとのこと。 たんたん麺を味わい終わったところで、みなで記念撮影。とても貴重なバレンタインパーティだった。それにつけても関心するのがフィリピーノのホスピタリティで、見ず知らずの日本人のたんたん麺の試食の依頼に対して、快く受け入れるばかりか、それを多いに楽しみにして喜んでいるところだ。訪問客の藤田さん、出野さん、そしてマユさんもフィリピン人との出会いを大いに楽しんでくれたものと思う。  

たんたん麺とバレンタインデイ 2016年2月21日



10月1日、今年も4半期目を迎え、半年ぶりに息子が戻ってきた。生活の基盤はフィリピンにおいて、収入の糧は夏場の日本という生活を目論んでいる。そして冬の間は、フィリピンの農場で過ごそうという渡り鳥生活だ。セブパシフィックでやってきたが、なんとプロモで往復9000円という激安チケットを使っている。 ターミナル3はマカティから15分ほどで到着するので、3時45分の到着に対して、3時半にKIANとビアンカをともなって家を出た。クヤ・ケイシ(恵之兄貴)を迎えに行くと言うと、KIANは大喜びで車に飛び乗った。途中、いきなり豪雨で、視界が悪くなり、この調子だと、飛行機が着陸できず、便が大幅に遅れるものと危惧された。 ターミナル3に到着すると、唯一の出迎え客の入り口は、長蛇の列だ。いつもは、がらがらの入り口が、何故こんなに混んでいるのか見当がつかない。ガードに食い下がると、ターミナルの奥が駐車場になっていて、そこにも入り口があるという奥の手を教えてくれた。確かに立派な駐車場ビルがあって、そこで車を降りてエレベーターでLA(1階)に行くと、入り口には出迎え客や到着客は誰もいなかった。まさに奥の手だ。 ここのところ、毎晩、激しい雨が降り、家に戻れないリスクがあり、夕食に出かけることがはばかれる。この日は、午後に強い雨が降った(左)。空港ビルにはまるで蜘蛛のような得体の知れない機械がおいてあった(右)。 飛行機は、すでに着陸していたが、それから約30分、普段、待つことが苦手なKIANもおとなしく、クヤ・ケイシが現れるのをガラス越しに待った。        ビアンカと一緒にしおらしく待ち続けるKIAN(左)と私を見上げるKIAN(右) この間、私は、最近とみに充実しつつあるターミナル3の中を視察した。従来、2行程度だった銀行が5行以上並んでおり、交換レートもそこそこだった、これからは、街の両替屋にいくまでもなくここで必要なペソ(ホテル代やビザの申請料)を両替するのもよいと思われた。 ちなみに、下の掲示板にはドルは46.71ペソで同じ、マニラ新聞に載っている街の両替レート(マニラで一番良いレート)が46.75ペソだから、その差、たったの0.04ペソ、100ドル変えても4ペソの差だ。一方、円は1万円=3800~3870ペソ、両替屋のレートは3885ペソだから、やはり、1万円につきたったの15ペソの差だ。さらにここでは、ドルや円も買うことができるようで、ペソが大量に余ったときに交換するのにも良い(ちなみに1万ペソ以上の現金を持ち出すことは禁止され、見つかると没収される恐れがある)。ちなみに円でドルを買うためには、いったん、円をペソに買えて、再度ペソをドルに換えるという二重の交換手数料を支払う必要がある。           よほど両替が良い稼ぎになるのか、大手銀行が軒を並べてしのぎを削っていた。ほとんどが1ドル=46.71と、同じレートだ。 ガラス越しにクヤ・ケイシを見つけると、なんとKIANが踊り始めた。まさに小躍りして喜ぶというやつで、出口まで20mくらい、踊りながら走ってクヤ・ケイシに飛びついて行った。車に乗った後も、KIANの喜びようは尋常でなく、You are NO. […]

半年ぶりの息子の帰還 2014年10月3日


子供のころ、車(初代トヨタ・コロナ)を父が購入し、家に新車がやってくる日、家の前の道路で心待ちにしていた。やがて、向こうの角から新車が曲がってくるのが見え、一同歓声をあげて新しい家族の一員を迎えたことを、今でも鮮明に覚えている。 KIANも新しい車がやってくるということは十分認識しており、当日は、親子でトヨタの販売店に車を引き取りに行った。うわさは耳にしていたものの、ある日、突然、7月中にトヨタFJクルーザーがデリバーされるとジェーンから聞かされた時はびっくりした。お金の相談は、全く無かったので、彼ら夫婦の勝手だが、どこからそんな金をやりくりしたのか見当が付かない。      車両価格は180万ペソ、優に500万円を超えるので、頭金だけでも100万~150万円はかかっただろう。それに月賦が4~5年間、4~5万ペソをはらい続けなければならない。給与レベルが日本の10分の一といわれるフィリピンでは、まさに家を買うほどの覚悟が必要なのだが、かれらの車に対する執着は並大抵ではない。 頭金の資金調達のためか、翌日、カーネルの友人が訪ねてきて、三菱のモンテーロを引き取っていった。5年乗って、73万ペソで売ったそうだが、新車価格は120万ペソくらいだったと思うので、いい値段だ売れた。翌日、彼らの部屋には無造作に73万ペソの現金が袋に入れておいたあった。 最近、ビザを取りに来る退職者が、はじめてフィリピンを訪問したが、街を走っている車が、きれいで高級なのでびっくりしたと感想をもらいしていた。まるで、どこか、アフリカか中南米の国のようにポンコツ車が排煙を上げて闊歩しているのではないかと思っていたが、BMW、ベンツ、ポルシェ、レクサスなどの高級車がそこかしこにあり、日本よりはるかに高級車が多いと。フィリピンと言えば、スコーター(スラム街)とスモーキーマウンテン、それに睡眠薬強盗と保険金殺人くらいのニュースしかないから、そう思っても無理はないかもしれない。 ちなみにFJクルーザーとは、4輪駆動でエンジンはガソリン4リッター、5速オートマティック、ミリタリー調の本格的SUVで、フィリピンで今、一番人気といえる、急増中の車だ。4ドアだが後ろのドアは外に取っ手はなく、中から開く観音ドアーというユニークなものだ。前のドアが開いていないと開くことができず、後ろのドアが真ん中のポストの役割を果たしており、意外とゆったり乗降ができる。 ちなみに街を走っている車は、三菱モンテーロ、トヨタフォーチュナー、ホンダCRV、それに欧米メーカー(BMW、ボルボ、フォード、クライスラーなど)や韓国(現代や起亜)のSUVないしFamily Carと呼ばれる3列シートの車が、半数を占めていると言っても過言ではない。道路冠水が頻発し、大家族のフィリピン人にとっては、これが重宝なのだ。 カーネルは職業柄か、ミリタリー調の車が好きで、できれば、ハマー、Jeep、ランドローバーあるいはランドクルーザーなどを欲しかったらしい。しかし、これらは一千万円を優に越え、さすがに逆立ちしても手がとどかない。そこで妥協したのがトヨタのFJクルーザーだったようだ。 KIANにとっては、派手な黄色のボディカラーが気に入ったらしい。子供達のアイドル、トランスフォーマーのバンブルビィーをイメージさせるからだとジェーンが説明する。翌日、KIANは、幼稚園にFJクルーザーで通園し、先生や園児に「My New Car」と得意になってお披露目したそうだ。私としては、日本からの退職者を乗せるにはちょっと気が引けるところだが。

新車が家にやってきた 2015年7月18日



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先日、事務所で、双子の片割れアリア(10歳)がKIANをひっぱだいた。勉強しているところを邪魔をされ腹を立てたらしい。KIANはアリアにスパンクされたと、丁度通りかかったアリアの母親(Mae)に訴えた。Maeはけんかしちゃだめよと軽くたしなめただけだったが、アリアは、一言、”I have reason” とつぶやいた。 ちなみにMaeは海外出稼ぎの募集に応募するために、たまたま我が家に逗留しているのだが、元彼のボボイ(ジェーンの弟)は口もきかず、顔も合わせないようにしている。詳しい事情はわからないが、ジェーンはボボイとMaeの間にできた子供を4人とも預かり、双子はマニラ、下の男の子二人は農場に住まわせ面倒を見ている。なんのことはない、ジェーンと私が4人の子供の面倒を見ていることになる。ジェーンの私への言い訳は、双子はKIANの遊び相手になって面倒見てもらえるから、農場にいる二人の男の子は、将来、農場のCare Taker(管理人)として役に立つから、住まわしてやりたいというものだ。 したがって、私のアリアのつぶやきに対する反応は、”You have reason to spank Kian,but you have no […]

マミーの怒りが爆発した2015年6月14日


5月26日はキアンの姉のアテ・キムの19回目の誕生日だった。昨年は、18歳の誕生日(デブー、女としてのデビュー、あるいは成人式)ということもあってルートン・マカオで誕生会を執り行ったが、今回は、家で質素に済ませた。 昨年の18歳の誕生日と、ヤヤの作ったケーキで誕生日の予行演習をするKIANとキム。 この日の夕方、2階のダイニングに見知らぬ若者が座っていた。不審な顔をすると、向こうは親しげに話かけてきた。キムの友人だというが、そのアクセントから韓国人であることがわかった。そういえば、2~3度、家にやってきたことがある、マプア工科大学のキムの友人であることを思い出した。 内輪のささやかな誕生会ながらも意外ともりあがっている 彼は、キムの誕生祝に駆けつけたのだ。特につきあっているわけでもなさそうだが、思い出したようにたずねてくるのだ。キムに気があるのは明らかだが、フィリピーノのアタックに比べて実に遠慮深い。ジェーンも女子を口説こうと思ったら、彼のようにまずは家族と仲良くなるのが、先決だと、まんざらでもないようだ。 恒例のHappy Birthday to youの歌のあとは、KIANはキムと一緒にロウソクを吹き消す キムには、なにやらハングル文字で書かれたケーキ、それに大きな誕生日プレゼントを持って来ていた。そのプレゼントを開けてみると、大きなリモコン式のヘリコプターだった。これは、どう見てもきKIAN用で、まさに、将を射んとせば、馬を射よ、の諺を地で行っている。スペインの文化を引き継ぐフィリピンでは、家の外でギターを奏でたり、まさに女心をくすぐる作戦に出るところだが、中国文化の影響を受ける日本そして韓国は、ちょっと異なるアプローチをとる。 誕生ケーキにはKIANの名前もしっかりと書かれている。ヘリコプターはダイニングテーブルいっぱいの大きなものだ ヘリコプターについては、コンド街の中ではちょっともてあそぶので、広い農場で存分遊んでもらうことにして、KIANには当分お預けとなった。パーティは、夜中まで続いたようだが、翌朝、KIANは彼を探していた。ヘリコプターの効果は絶大だったようだが、キムの心の琴線に響いたかどうかは、定かではない。

アテ・キムの19回目の誕生日 2015年6月7日



年をとると自然に記憶力が落ちて、物忘れが頻発する。その対処法として、普段、持ち歩く現金、ATMカード、パスポート、携帯、カメラなどなど、すべてポシェットに入れて、これ一つさえあれば生活に困らないようにしている。しかも、それぞれの持ち物は入れ場所が決まっていて、どこかへ置き忘れたなどということがおきないシステムを守っている。さらにまた私が使っているポシェットはPACSAFEというブランドで、ファスナーには留め具がついていて他人が簡単に開ける事ができない、すなわち、スリも手が出せないようなっている優れものだ。バンドの止め具にも別途のフックがついていて、例えは止め具がはずれてもも腰から離れないようになっている。だから、ここ数年、物がなくなったり、置き忘れるということは一切ない(ただし充電中の携帯やカメラを置き忘れることはままあるが)。   パパ・カーネルにガンのおもちゃを買ってもらって、ガンマンを気取っているKIANはもう赤ちゃんとはいえない正真正銘のガキだ それが、最近、日本行きのチケットを購入するのにアテ・キムにパスポート番号を聞かれ、ポシェットを開けてパスポートは出そうとしたら、あるべき場所にパスポートがないのだ。周囲は、どこかへ置き忘れたのか、と聞くが、そこに無ければもはや手の届くところにはないということになる。私にとっては、こんなことは10年に一度あるかないかのことなので、パニックに陥ってしまった。パスポート番号は、コピーを持っていたので、事なきを得たが、パスポートがないとなると、チケットの予約をしても、日本に行くこともできない。だから、再発行や、ビザのリ・スタンプなど、ややこしい仕事が待っていると思うと憂鬱になった。 そこで、どこに忘れたのか、必死に記憶を呼び起こした。普段、パスポートを提出するのは大使館、それに銀行だ。早速、大使館と先日訪問したチャイナ・バンクにメールを入れた。しかし、両方とも「ない」とつれない返事が戻って来た。さらに日誌を見ると、先週、メトロバンクからちょっとまとまったお金を下ろしたので、パスポートを窓口に提出したことを思い出した。早速、出かけていって、調べてもらったが、30分探してもでてこない。そのときの担当者に電話で聞いてもらうと、たしかにパスポートは私にもどして、しかも私がポシェットにしまったのを覚えていると、もっともらしいことを言う。仕方がないので、再度探して欲しいと頼んで銀行を出た。 毎晩、私の部屋で時間を過ごすKIANは夜食に味噌汁にご飯、あるいは塩ラーメンなどをたらふく食べる ところで、ちょっと前に、私の日本行きを、ママ・ジェーンがKIANに告げたところ、KIANが涙ぐんで、私のところにとんできた。そして、日本へ行くなとしがみついて、なんと、私に噛みつ付いてきたのだ。顔を起こして噛みつかれないようにしたものの、攻撃は執拗に続けられ、周囲もびっくりした。そして、その後、私の顔を見るたびに、日本へ行くなと説得を試みている。私としては、日本の家族や兄弟の集まりに参加するのだが、周囲も、KIANがかわいそうだから、日本行きをやめるよう説得を始めた。しかし、いったん交わした約束をそう簡単に反故にするわけにもいかない。そこで、日本に行くのはKIANのお土産を買いに行くのだから、と日本に行くことがKIANにもメリットがあるのだと、フィリピン流説得術を使って納得させようと試みていた。 そんな矢先に、パスポートの紛失事件が起こった。ママ・ジェーンがKIANを問い詰めると、KIANは、「ダダ(私)が日本へ行けないようにパスポートを隠した、しかし、隠し場所は教えない」というニュアンスの話をしたそうで、ジェーンはKIANが100%犯人であると確信した。しかし、パスポートは、ポシェットの一番奥にしまってあるし、そう簡単にわかるはずがない、しかも5歳の子供にそんな知恵があろうはずはないと、私は半信半疑だった。きっとKIANは周囲が大騒ぎをするので、大人をからかっているのだろう。しかし、いずれにせよ、知らぬ間にこんな知恵がついたものだとびっくりした。 毎週、月水金は英語の家庭教師、火木は公文、土曜はピアノ、そして日曜は空手とお稽古事に忙しいKIAN、この日は双子の片割れのアレクサに英語のレッスンを受けていた。アレクサはピアノや空手でもKIANのレッスンの相棒で、ベストフレンドだ その後、スマートフォンのスケジュールを見ていたら、一昨日、マカティ・スクエアのWestern Union(銀行口座無しで海外送金ができるジャパ行きさん御用達の送金システム)で退職者からの送金を受け取った記録が載っていた。これに間違いないと、早速、行って聞いてみたら、あっという間に引き出しからパスポートを出してくれた。これで一件落着だが、KIANには内緒にしておいて、パスポートはどこにあるかと聞くと、相変わらず、おもちゃ箱にしまってあるなどと嘘をついている。

パスポートがなくなった 2015年6月6日


この日、日曜日は、マカティにお住まいの退職者のコンドに招待された。午前中は、丁度、柔道教室なので、皆で、お呼ばれした。この日の目玉は、私の農場で取れたお米の試食会だ。退職者によると炊き方を工夫すれば、日本の銘柄米に遜色ないというお墨付きをいただいたのだ。我が家では、おいしく炊くなどというには程遠いので、この試食会となったわけだ。 昼食の後は、屋上のプールで一遊び、アティ・キムとビアンカは、ことのほか、ご機嫌でポーズを取り捲っていた。浮き輪を使ったKIANは深いプールでも臆せず遊んでいた。それにつけてもアティ・キムのジャンプは見事で、彼女の優れたスポーツ神経をうかがわせる。         帰りは6時を回って久しぶりの夕陽がきれいだった。   

シティランドのプールで遊ぶ 2015年4月26日