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最近NHKで「無縁社会」という造語の番組をシリーズでやっている。日本では、家族を持たず社会とも絶縁し、孤独にくらす人々が急増しているのだそうだ。一方、昨年無縁死した人は全国で3万に上るという。一人住まいの家で死後数ヶ月たって発見された老人のケースも放映されていた。刑務所で暮らす60歳以上のお年よりは受刑者全体の10%をこえ、刑期を満了して出所しても行き場のないお年よりは無銭飲食などの罪を繰り返し、また刑務所に戻ってくるそうだ。その割合は出所したお年寄りの70%以上に上るそうで、身寄りのないお年寄りを拒否しないで受け入れる場所は刑務所だけだという。また2030年には生涯独身で過ごす人が男で3人に一人、女で4人に一人になると言われているそうだが、そうなると全国で3000万人以上の人が孤独で暮らしていることになる。そんな社会を人間の社会と呼べるのだろうか。  孤独で暮らす人々はそれぞれ事情はあるのだろうが、根本的な原因は何なのだろう。核家族、少子化、老人介護、そして無縁社会。そこにはなにか一連の流れがあるような気がする。大家族制度が崩壊し、核家族化し、その核家族を形成できなかった人々は行き場がなく、一人で暮らすしか術がなくなってしまったのだ。家族というものが老人や子供を守ってきたのが、核家族化により、老人の行き場がなくなり、子供も育てることが出来なくなってしまった。そして、その核家族を形成できない人々は家族からはじき出されて孤独に暮らす。なんともはや弱いものにとっては暮らしにくい社会だ。 そんな無縁社会と全く無縁なのがフィリピンだ。フィリピンには家族と無縁な人などいない。お互いに頼りあい、助け合って、時には傷つけあって生きている。だから弱い人ほど家族に守られて幸せに暮らしている。その大家族を背負って立つブレッド・ウイナー(大黒柱)には大変な負担で、そのために若いみそらで花街で働く女性も多い。しかし彼女達はその責任を背負って逞しく生きている。経済的に苦しいので家族から無縁になろうなどという不届きな考えは決しておこさない。家族と共にあるのが生きている証なのだ。そして家族が一同に集まる食事時は家族が家族であることを噛みしめる至福の一時だ。これを、無縁社会に対して家族社会と名づけられるのではないだろうか。  出口のない日本の惨状をもたらした核家族に対して、フィリピンの大家族が真っ向から対立するのが、熟年日本人男性と若いフィリピーナの結婚だ。熟年諸氏は若いフィリピーナと結婚して二人だけの甘いスイートホームを夢想する。一方フィリピーナはブレッド・ウイナーとなるお金持ちの日本人と結婚して、家族に富をもたらし、女王様として家族一同から敬われる生活を夢想する。  お見合いの席では張本人のフィリピーナよりもその家族の方が結婚に熱心で、熟年諸氏にはなんとも解せないところがある。実際フィリピーナと結婚した熟年諸氏の多くは家族一同が暮らせる大きな家を建てさせられ、それもすぐに妻の家族に占領されて、おまけに親兄弟さら嫁や甥姪の食料まで面倒見なければならないというはめに陥っている。そんなことをしていては、なけなしの退職金もすぐに底をついてしまうので、離婚してしまったという話もよく聞く。  そもそも家族が結婚に熱心なのはきっと、日本人亭主を食い物にする気に違いないと、見合いに臨んだ熟年諸氏は警戒する。そして、住まいは二人だけで、家族は入れない、家族の支援は月々1万ペソまで、などという条件交渉が始まる。熟年諸氏は日本を破滅の道に導こうとしている核家族なるものをフィリピーナに押し付けようとしているのだ。   フィリピン人と結婚してフィリピンに住むとしたら、この大家族という概念を理解し受け入れるのでなければ決して結婚生活は成功しないだろう。日本の社会を破滅させつつある核家族などという概念を持ち込んで、百万年の歴史のある人類の宝であり、そしてフィリピン人の生きる術である家族というものをないがしろにしてフィリピンで生きて行けるはずがない。もちろん期待に胸を含ませる家族に対しては自分が出来る範囲のことをすればよいのであって、分不相応な待遇を提供する必要はない。要は妻と同等に誠意と愛を持って対応すればいいのだ。そうすることにより家族の一員として迎え入れられ、家族の長老として、この先数十年の老後の生活はばら色となるだろう。フィリピンで結婚する場合、それは、すなわち家族と結婚することなのだ。  

無縁社会と家族社会 2010年2月3日


最近ビジネス街に急ピッチで展開しているのがパンケーキ・ハウスだ。初めはパンケーキ(ホットケーキ)を食べさせる店かと思っていたが、中に入ってメニューを見てみると、ハンバーガー、サンドイッチ、スパゲッティ、ステーキ、サラダ、スープ、デザートなど、他の料理も色々楽しめるようだ。そもそもの発祥はパンケーキだったのだが、チェーン展開しているうちに顧客のニーズに会うようメニューを増やして行ったのだろう。顧客の中心はビジネス街のOLで、ちょっとしゃれた店で昼食をとりたい若者達が中心だ。一食は200~300ペソ程度で済むように値段設定がされており、中流サラリーマンをターゲットにしている。ジョルビーやマクドナルドが子供や庶民の憧れであるのに対して、あくまでも味にうるさくておしゃれを好む一クラス上の客層を狙っているようだ。  パンケーキ・ハウスは赤を基調とした室内装飾がされており、オレンジやピンク系の壁と前衛的な絵画など、なかなかモダンなインテリアだ。この室内装飾のデザインと施工を一手に引き受けているのが、私の古い友人の女性建築家ジーナ・ティンソン(Gina B. Tingson)だ。20年前に会ったときは学校を出たばっかりの美人建築家で、建築屋の兄に言わせると、建築のことなどほとんど知らない弁護士の父を持つお嬢さんだった。それから20年、経験を積んで、パンケーキ・ハウスの仕事を一手に引き受けるほどに成長したのだ。ここ数年、新規開店が相次いでいるのでなかなか忙しいそうだ。 右の女性がパンケーキハウスの建築家  基本的に料理のジャンルはジョルビーやマクドナルド一緒だが、パン・ケーキ以外でも高級感を出して、なかなかおいしそうだ。この日食べたのはクラブ・サンドイッチとロースト・ビーフだが、ローストビーフはウエルダンで固すぎた。フィリピンでステーキを注文すると、ウエルダンもミディアムレアもほとんど同じウエルダンなのだが、ローストビーフのウエルダンはちょっといただけない。 メニューについては撮影禁止。パンケーキの写真を撮っただけで、その外の料理のメニューは残念ながら撮影出来なかった。人がせっかくブログで宣伝をしてやろうというのに、気の利かないウエイトレスだ。しかし、パンケーキだけで4ページのメニューとはさすがパンケーキ・ハウスだ。(画面をクリックして拡大して見てください)

パンケーキ・ハウス 2010年2月2日



PARK SQUARE-1はマカティ・コマーシャルセンターの駐車場ビルなのだが、SMマカティ/グロリエッタとパサイロードの間、ドーシットホテルの北西(エドサ通りと反対側)にある。ここには他所ではなかなかお目にかかることの出来ない専門店が並ぶ。コンピューター、スポーツ用品、楽器、オーディオ、電化製品など、ウインドーを見ているだけでもあきない。製品は輸入高級品が多く、良いものが欲しかったら、是非ここを覗いて見て欲しい。 中央の広場の屋台では双眼鏡、ナイフなど有名ブランドの格安コピー商品が並んでいる。私もここで双眼鏡、アーミーナイフ、ドライバーなど、かつてあこがれながらも手が出なかった商品を買い求めた。True Valueという店はいわゆるDIYで色々な家庭での必需品を売っている。  コンピューターショップが圧倒的だが、かなり大きめの店も多い。品数も豊富で、以前、積算の仕事をやっていたとき、いつもここで各種周辺機器を買い求めた。値段的には小さな店の方が安いようだ。   スポーツ用品も本格的なものが揃う。もちろん値段も日本と変わらない。Colemanなどキャンプ用品のなじみのブランド店もある。 フィリピン人の音楽のセンスはなかなかのものがあるが、バンドの楽器も豊富だ。楽器類は、私にはちょっと無用の世界だが、このほかにもゴルフ道具やマリンスポーツ、さらには銃器を売る店までがある。 (なお、2013年現在、パークスクエアは取り壊され、営業は行われていない)

パークスクエアの専門店街 2010年2月2日


ジョルビーやマクドナルドがハンバーガーでフィリピンのファーストフード業界を引っ張っているが、Shakey’sやPizza Hutなどのピザ屋がちょっと上級のファーストフードとして街のいたるところに看板を出している。誕生日にはブローアウトと言って本人が周囲の人間に振舞うのがフィリピン式だが、職場で一番受けるのがこのピザだ。だから、ピザは店で食べるというより、デリバリー(配達)が勝負だ。ちなみにピザのことをフィリピンではピッチャと発音するが、このほうが本物の発音かもしれない。  Shakey’sやPizza Hutが店の数では圧倒しているが、少し高級感を出して上を行くのがYellow Cabだ。店で食べても入れ物は紙製の配達用で手抜きではないかと思うが、それが受けているようだ。看板も配達用のバイクもフィリピン人の好きな黄色に統一されている。黄色は故元大統領コーリー・アキノのシンボルカラーでもあった。  ピザそのものもおいしいが、最近のヘルシーブームか、アルファルファなどの生野菜をピザに巻き込んで食するのは大変結構だ。また、単なるトマトソースのスパゲッティかと思ったら、生のトマトそのものから作ったソースのスパゲッティで、甘くなく大変おいしい。あの、ジョルビーの甘いスパゲッティを好むフィリピンとは思えないインターナショナルな味を提供している。値段は他に比べて、2~3割高いようだ。ちなみに3人で食べて1500ペソ程度になった。 Pizza Hut(ピッチャハット)やShakey’sもなかなかはやっている。土曜のためかグロリエッタの2階のShakey’sでは席がなくてあきらめ、パーク・スクエアのPizza Hutに行ったが、そこでも少々席待ちをさせられたほどだ。 ピッチャハットでも野菜を具にしたピザなど充分健康志向が感じさせられる。ファーストフードの御三家、ジョルビー、チョーキン、マクドナルドについては決して足を踏み入れる気にはならないが、ピザの方はなかなかのもので、日本人も多いに楽しめるはずだ。ちなみにここでは3人で食べて1000ペソで済んだ。 これらのピザ屋の他にもGreenwichやDominos Pizzaなどがチェーン展開しているが、グロリエッタのシャングリラホテルに面したところにあるCalifornia Pizzaの味は格別だという噂だ。  ピザは配達が勝負だから、77-777(Shakey’s)、911-1111(Pizza Hut)などのユニークな番号を設定し、本部にかかった注文は一番近い支店から配達をするようになっている。だから、「注文から30分以内の配達」などを標榜し、「遅れたら料金は要らない」という、日本でもはやった奴をやっている。     […]

フィリピーノはピザが大好き 2010年1月31日



フィリピンにしばらく住んでいると野菜不足に陥る。フィリピン料理の野菜料理といえば、チョップソイ(野菜炒め)かピナクベット(牛肉と苦瓜の煮込み)くらいしかないし、サラダなどは滅多にお目にかからない。毎日和食レストランで食べるのも金がかかるし、そこでありがたいのが、中華シャブシャブの天天々火鍋だ(中国風にチアンチアンと呼ぶ)。マカティのパサイロードとマカティアベニューの交差点のすぐそば、ニューワールドホテル(ルネッサンスホテル)の裏手にある。 クリアスープとスパイシーと、2種類のスープがあって、生の具材を注文して煮て食べる。日本のようにセットになっているのではなく、それぞれ単体の具材を一皿ごとに注文する。 具材の種類は豊富で100種類くらいはある。一皿100~150ペソ程度。一人につき二皿注文すると丁度良い。それに飲み物で、一人せいぜい 300~400ペソ程度であがる。写真にあるように、肉類、シーフード、野菜、それに烏賊ボールや豆腐などの加工食品など、自分で好きなものだけ注文できるのがうれしい。 ここの売りはたれだ。天天独特のたれが人気に秘密で、それにさらにニンニクや唐辛子をいれて自分好みに調整できる。子エビは生きていて、これをゆでて食べる。まず初めに煮立ったお湯をお玉でお椀にいれて死なせてから鍋に入れる。そうしないと、鍋の中で暴れまわって、大変なことになってしまうのだ。仕上げはご飯と生卵を取っておじやを作る。ネギの刻みを載せて、たれをちょっとかけて食べるととてもおいしい。  この店の2階はほとんど日本人の客だが、企業の駐在員が圧倒的に多い。私も駐在員のころは客が来るたびに案内した。客は100%満足するし、当方としては安いのでありがたい。ここで食べたらパサイロード沿いに建ち並ぶカラオケに行くのがいつものパターンだった。退職後フィリピンに戻ってからも、たびたびお忍びで出かけていった。しかし、しょっちゅう知り合いに会ってしまい、お忍びどころではなかった。今でも退職者を食事に案内するときの第一候補と決めており、月に2~3回は訪れている。私にとってマカティで食べるなら、天天火鍋、新宿ラーメン、ルートンマカオ、瀬里奈/MARUCHAN、お好み焼きの神楽が5本の指といった所だろうか。

台湾料理「天天火鍋」は野菜が一杯 2010年1月30日


 1989年来の古いフィリピン人の友人に会うために、マカティ、グリーンベルトのイタリアネスで朝食を取った。イタリアネスはグリーンベルト2、パセオデロハス通りに近い端にあるが、なかなかの人気イタリア料理店だ。この人と会うときはいつもここと決まっている。それは屋外の席でタバコが吸えるからだ。彼は葉巻をいつも手から離さない。グリーンベルトといえばマカティのど真ん中にありながら、ゆったりとくつろげてすばらしいところなのだが、すべてが高級でお値段が少々高く、つい足が遠のいてしまう。  グリーンベルト3の池がある付近がグリーンベルトの中心だが、イタリアネスはそこからマカティアベニューとは反対側、西へ250mほど行ったところにあり、パセオデロハス沿いにあるマクドナルドのすぐ裏だ。  様々な嗜好を凝らしたお店が並ぶレストラン街を抜け、その終点がイタリアネスだ。朝の10時だというのにそこそこの客がいる。イタアリネスはほとんどの有名モールに出店しているが、その人気の秘密は、注文した料理についてくるホームメイドのおいしいパンが食べ放題のためだ。このブログの第一回目、イメルダ・マルコスと遭遇したのもモール・オブ・エイシアのイタリアネスだった。  私の20年来の知己は、最近大手会計会社の社長を引退し、悠々自適の生活をしているらしい。私より10歳年下だが、私が生涯で尊敬する5人の中の一人とも言える人物だ。1990年代の駐在員時代、毎週一回、ありとあらゆることの相談に乗って貰っていた知恵袋そして百科事典だ。どんなことでも的確なアドバイスを瞬時にくれる、なんとも頼もしい天才といえる人物で、もともと会計士(CPA)だから、会社の経理や運営については誰よりも詳しい。これからも本当に困ったときは相談に乗ってもらうつもりだが、フィリピンにおける生涯の師と仰いでいる人だ。 イタリアネスの食事は朝食でも300~400ペソで、庶民には少々きつい価格だが、いかにも食欲をそそる。たまのデートで振舞うのは良いが毎日というわけにはいかないだろう。 夕食のメニューも食欲をそそる料理が並んでいる。しかし、値段はいずれも一皿400ペソ以上で、ちょっと食欲を減退させる。  

イタリヤネス-グリーンベルト 2010年1月28日



人体生理学を研究している教授が、今、マニラで一番おいしいと称する焼き肉店に連れて行ってもらった。場所はマカティスクエア、クリークサイドの焼き肉「牛門」の下、「牛門」の姉妹店らしい。席は6つほどしかない小さな店で、帰るころには席待ちをしている人たちが大勢いた。休日のせいか家族連れがほとんどだが、事務所が休みの土日に混んでいるという事は人気店の証拠だ。  料理は特に変ったものがあるわけではないが、定番のロースが特においしいという。値段的には普通、飲み物も入れて一人頭1000ペソ程度は覚悟しておいたほうがよさそうだ。(メニューは画面をクリックして拡大してみてください)  

焼き肉「龍苑」の紹介 2010年1月27日


マカティのジュピター通りの中ほどにある中華料理店「ルートンマカオ」は昼時は12時を回るといつも満員の盛況だ。本格的な中華料理店だがとにかく、おいしくて安くて、量が多いという、3拍子揃ったお店だ。 相棒のジェーンは退職者のアシストをしてPRA、銀行、クリニックと回って昼時となると、決まってルートンマカオで退職者と一緒に昼食をとる。100%の日本人が100%満足するお店だ。特に支払いのときになるとその安さに感激する。料理は一皿200~300ペソで、この日、3人で5皿とって、飲み物を入れて1500ペソ足らず、大分余してしまったので、たとえ5人で食べても同じようなものだ。 まず初めに必ず注文するのがほうれんそうのスープ、これをおいしいといわない人はいない。それにウベ芋のコロッケ。これは私好みなだけで、好ききらいがあるようだ。  シーフードバスケットは野菜とシーフードの炒め物、入れ物まで食べることが出来る。シーフードの固焼きそばはルートンマカオの名物だ。 この日のメインディッシュはパタ・ティム。豚のすね肉をトロトロになるまで煮込んで、中華パンと一緒に食べる。見た目よりもあっさりした味で、北京ダックやふかひれスープと肩を並べるといっても過言ではない中華料理の華だ。 パタティムにあわせる中華パンはそれだけでもとてもおいしい。デザートは白ゴマをまぶしたアン入り饅頭だ。 料理の種類は豊富で、高級中華料理店とそん色ない。また、飲茶もあり、横浜中華街と比べて、満足度は10倍くらいだ。マカティ・アベニューにお出での際は是非試してほしい。(画面をクリックして、拡大してみてください)

中華料理店、ルートンマカオの紹介 2010年1月26日



児童養護施設でボランティアをしていて先日亡くなった退職者の影響で、養護施設にいたく興味を抱くようになった。英語ではOrpharnage(孤児院)というそうだが、フィリピンでは避妊が宗教上嫌われ、堕胎は法律で禁止されているから、いやでも望まれない子供がたくさん生まれてくる。大概の場合は家族が、神が授けてくれた天使として育てるのだけれど、売春婦と不特定の客の間に生まれた子供など、親が面倒見ることがままならないケースも多い。そのような子供やストリートチルドレンを預かって育てるのがOrphanageだ。 Tuloy Sa Don Bosco(ドンボスコに来たれ)はアラバンにある、7ヘクタール(7万平米)もの敷地を持つ大きな施設だ。野菜畑や養魚池を持ち、子供達が自然の恵みを得て、伸び伸びと暮らしていると聞かされ、私がタバコの農場に作ろうと心に描き始めた養護施設にイメージが似ているので早速見学に行くことにした。ちなみにドンボスコは有名な牧師で、有名な教会や学校の名前になっている。  中に入ると立派な建物が並び、高級住宅街のようだ。しかし、子供達の姿が全然見えない。それは、日曜の午前中なので、皆教会に行っているためだそうだが、何かフィリピン独特の喧騒とは無縁の世界だ。  そこで教会に行ってみると、養護施設の教会というよりも高級住宅街にある由緒ある教会といった面持ちだ。中世の教会の雰囲気を出すためにレンガを使い、建築的にもすばらしい。中に入ってみると数十人の子供達が大人に混じって牧師の話を聞いていた。入り口には誇らしげに教会建設のために寄付した人たちの名前を刻んだ碑がかざってある。その中にはアヤラ・アラバンビ・レッジに住むフィリピンNO1財閥の総帥、ゾベル・デ・アヤラの名前もあった。 ミサの間、周囲を見学してみた。体育館は大学並みの立派なものだ。サッカー場まである。体育館の通りにはロータリークラブが職業訓練の施設として30万ドルの寄付を行なったという碑があった。 野菜畑もきれいに手入れがされている。しかし、これだけの施設にいる子供達に食べさせるにはいかにも貧弱だ。きっと職業訓練の一環なのだろう。 教会の外にいた人に聞いてみたら、現在施設には50人足らずの子供しかおらず、二つの宿舎はスポンサーがいないので空っぽだという。現在二つのスポンサー(マクドナルドとカルテックス)の寄付で9歳から18歳の子供達が50人ほど暮らしているそうだ。平日は外の子供が勉強や職業訓練に通ってくるそうで、赤ん坊や幼児は対象としていないそうだ。宿舎にはマクドナルドのシンボルマークが飾られている。  教会のミサが終わって子供達が出てきた。こんな施設で生活しているなんて、どこかのエリートの集団かなにかと勘違いしてしまいそうだ。これほど立派な宿舎、教会、教室、体育館を建設したのだから、きっと相当な額の寄付があったのだろう。しかし、それが子供達のために役立っているのだろうか。寄付を集めることが目的となり、何か肝心なことを忘れているのではないか。平日に来れば印象は違うのかもしれないが、いずれにせよ、私が描いている農場の養護施設とは程遠いので、さっさと退散することにした。  外に出てみると、目の前で闘鶏をやっていた。公式のものではないらしいが、そこにはフィリピンらしい活気と喧騒があり、なぜかほっとした。

Tuloy Sa Don Bosco児童養護施設の見学 2010年1月24日


アヤラ・アラバン・ビレッジといえば、フィリピン有数の高級ビレッジとして有名だ。マニラから南に約20kmほどSLEX高速道を下り、アラバン出口あるいはフィルインベスト・コーポレートシティ出口を出て右に進み、2kmほど先の左側一帯がこのビレッジだ。ここはモンティンルパ・シティの一部で、日本の戦犯を収容していたことで有名な刑務所がある所だ。「モンティンルパの夜は更けて」という歌を通じて、団塊の世代以前の方々には懐かしい地名だ。 飛行機からアヤラアラバンビレッジを望む。写真の手前のビル群がフィルインベスト・コーポレートシティ。その向こうゴルフ場を中心に広がっているのがアヤラアラバン・ビレッジだ。(写真の画面をクリックして拡大してみてください)  アヤラ・アラバン・ビレッジの面積は1000ヘクタールを超え、中に18ホールのゴルフ場さらにはラサール大学の付属校などまでがある。駐在員の時代、都合2年ほどこのビレッジに住んで、ここのゴルフ場の会員になっていた。名門ゴルフ場のクラブハウスはいかにも重厚で、お金持ち気分をいやが上にも味わされたものだ。 この日は、EIEN英会話学校の体験宿泊のご夫婦を案内して、フィリピンでの住居、医療の現状を把握するという目的だった。そして初めに向かったのがフィリピン最高級クラスの住居が数千軒建ち並ぶこのビレッジだった。  このビレッジにお住まいの日本人退職者を訪問するというのが、入り口で入門許可をもらうための算段だ。そのため、退職者のかたには、ゲートのセキュリティガードから家の固定電話に電話が入るから、口裏を合わせてほしいと、連絡を入れてあった。しかしながら、急の用事で家を空にすることになってしまって、対応できないというのだ。それでも一か八か、運転手に住所を名前を教えて、入門許可をもらうように指示をした。結果として入門できたのだが、車の中が皆日本人だと言うので敵も油断したようだ。ちなみに、このようなビレッジは入門管理が大変厳重で、容易に中に入ることが出来ないのだ。 ビレッジの中に入って、日本人ご夫婦、そしてEIENのスタッフは、こんなところがフィリピンにあるのかとびっくりしていた。一軒一軒の家も超豪邸といえる立派さだが、それが行けども行けども無数といえるくらい並んでいるのだ。その中でも特に豪邸というので、下の写真の家に行ったが、塀の外からなので残念ながらよい写真が取れなかった。しかし、玄関にはフルサイズのベンツが2台置かれ、想像しがたい贅沢な暮らしをしているのがうかがわれた。 下の写真はここにお住まいの退職者の家だ。家賃は10万ペソ/月。2階にはバストイレ付の大きなベッドルームが4部屋ある豪邸だ。庭にプールがあるのは当然のことだ。  ちょっと古い写真だが、ここにはこんな豪邸はざらにある。そものそも高級ビレッジの原理は簡単で、1区画が1000平米以上に造成して、それを分割することを禁止するのだ。そうすると土地だけでも、現状で10~20百万ペソ、すなわち、2千~4千万円となり、並みの金持ちでは家を建てることができない。1000ヘクタール(1ヘクタールは1万平米)のビレッジにその50%が宅地として、500ヘクタール。それを1000平米で割ると、5000区画、すなわちこんな豪邸が5000軒ある勘定になる。 この周辺はマニラのベッドタウンとして戦後開発され、高級住宅街として多くの日本人を始めとする外国人が暮らしている。アヤラアラバン・ビレッジとアラバン・ザポテ・ロードを挟んだ反対側一帯はBFホームズという広大なビレッジ群だ。その住民を目当てにフェスティバル・モールやタウン・センターなどの高級な買い物、食事どころがある。さらにちょっと先へ行くと巨大なSMサウス・モールもある。 さらにSLEX高速道路に近いところには最新鋭のエイシアン・ホスピタルがあり、ここには生活インフラのすべてが揃っている。退職者がマニラに暮らすとしたら、一押しのエリアだ。 アヤラアラバン・ビレッジに隣接するフィルインベスト・コーポレートシティはマカティ、オルティガスに次ぐ副都心として開発されたが、バブルがはじけた 1990年代の終わり、10棟弱の高層ビルが建設された以降手がつかず、最近ようやく建設の槌音が聞こえ始めた。しかし、マカティの隣のフォートボニファシオグローバルシティはここ10年、目覚しい発展を遂げているために、第4~5番目の副都心に地位を落としているようだ。左写真がマドリガル・ビジネスパークを中心に上方左にアヤラアラバンビレッジ、下方にBFホームズのビレッジ群jを望む。左の赤い屋根がタウンセンター・ショッピングモール。右の写真はフィルインベスト・コーポレートシティ。画面の左にフェスティバル・モールが見える。(写真画面をクリックして拡大して見てください)

フィリピンの高級ビレッジ「アヤラアラバン」2010年1月24日