shiga


英語を話す家庭で生まれた赤ちゃんは3歳位になると流暢に英語を話す。ゼロからスタートしたのに、ほとんどの日本人は中高6年間英語を勉強していても、 とてもかなわない。一方、タガログ語にいたっては2~3才の子供が数ヶ月で覚えるところを、当方は15年以上にフィリピンにいても足元にも及ばない。 (なんとも可愛らしい仕草でミルクを飲むキアンだが、その好奇心は厭きることを知らない) 年を取ればとるほど新しいこと、特に言葉は頭に入りにくいものなのだが、とにかく赤ちゃんそして子供は言語の天才で、すぐに言葉を覚えてしまう。だか ら、彼らに英会話の学び方を教わるのが一番手っ取り早いのではないだろうか。それでは赤ちゃんはどうやって言葉を覚えるのだろう。 生ま れたての赤ちゃんはもちろんどの言葉も知らない。だから最初に話す言葉はバブ・バブやママ・パパで世界共通だ。しかし、この1歳未満の時に赤ちゃんの頭脳 では喋るための準備が目覚しく行なわれているそうだ。赤ちゃんは周囲の言語を聞いて、その言葉を発音するための能力を培い、不必要な能力を削いでいく。例 えば、RとLの発音を日本人は区別できないが、赤ちゃんはそれが出来るのだが、日本語にはその区別が無いので、この時点でRとLを区別する能力を削除して いるのだそうだ。もし、両親が国際結婚のため家庭内で複数の言語が飛び交っているとしたら、両方の言語をネイティブで話す基礎がその時出来るそうだ。だか ら、子供が混乱しないように家庭内では一つの言語に統一しようなどという両親の努力は、子供の能力を削ぐ結果になるだけだ。 そして、1 歳から徐々に単語を発し始め、2~3歳では爆発的に語彙数を増やし、いくつかの単語を連ねた言葉を話し始める。我々が外国で生活するのに必要な会話能力と しては充分なレベルだ。喋ることは食べたり動いたりする人間の基本能力の一つ、だから、脳や器官に異常が無い限り、誰でも能力に関係なく喋ることが出来る ようになる。昔中学や高校で英語が出来た・出来ないなんて関係のないことだ。そもそもアメリカに生まれた赤ちゃんは誰でも英語を話すのだ。 […]

英会話の賢い学び方 2010年11月24日


ロングステイ・フェアとOさんの一周忌も無事に終えて、15日の月曜は3名の方と渋谷で11時、3時そして5時に面会し、さらに17日の水曜日は朝の8 時半に待ち合わせた。渋谷の待ち合わせといえばハチ公前が定番だ。月曜は夕方からは雨模様だったが、ハチ公の前はいつも待ち人で一杯だった。 このハチ公とは今から45年さかのぼった、昭和37年から40年まで毎日のようにお目にかかっていた。それは私が通った高校が青山にあったせいで、神宮 外苑、原宿、新宿そしてこの渋谷あたりが罠張りだったのだ。あれから半世紀近くが経過して、周りのビルや駅は様変わりをしたが、このハチ公だけは昔のまま だ。 ハチ公前に飾られた東横線の電車は当時、渋谷と横浜(桜木町)を結んでおり、朝夕のラッシュはギュウギュウ詰めで有名だった。翌々日、8時半に到着するために横浜からこの東横線に乗ったのだが、その混雑は今でも健在だった。 世田谷の自宅から渋谷へは、大井町線に等々力駅で乗り、自由が丘で東横線に乗り換える方法、後にオリンピック競技上で有名になった駒沢までバスで行き、路 面電車の玉電に載る方法、渋谷まで都バスないし東急バスに乗る方法があったが、好奇心の強い私は毎年通学方法を変えていた。ちなみに渋谷からは地下鉄銀座 線で外苑駅まで行ったが、できることなら、黄色の地下鉄銀座線の車両や緑の玉電の車両もかざってほしいと思う。 忠犬ハチ公の逸話は誰でも知っていると思うが、毎日渋谷で、死んだご主人を待ち続けたという話は、忠誠心の権化のようなものだ。しかし、忠誠心という言葉 でさえ今では死語となってしまった現在、ハチ公の話を思い出しながら、ここで人を待つ若者はいないだろう。

忠犬ハチ公は健在だった 2010年11月21日



横浜駅に寄った折、ペッパー・ランチで食事をとった。日本では有名なファースト・フードらしいが、私には始めての経験だ。ステーキやハンバーグが 1000円以下で食べられる。味もなかなか本格的であるが、食券を買って席につくと数分で料理が出てくるのに驚いた。熱せられた鉄板に乗せられた牛肉をか き混ぜて程よく焼いて食する。なかなかユニークだ。 店は満員でなかなか盛況だ。店のアレンジは牛丼の吉野家と同じで、店員はほとんど移動することなく、料理を運んできてくれる。必ずしもセルフ・サービスではなくて、レストランのカウンターで食事をする雰囲気だ。       フィリピンにも吉野家はあるが、形式はマクロナルド式のカウンターに並んで料理を受け取り、テーブルに運んで食べるセルフサービス方式だ。味も今一で、日本の吉野家とはちょっと違う。  ちなみに、フィリピンではマクロナルド、ジョルビー、KFCがファースト・フードの御三家といえるが、最近は東京東京、テリヤキ・ボーイ、キタロー、来来 軒などの和食のファースト・フードが目立ち始めた。これらはフィリピーノ対象の和食ファースト・フードで少々安めの和食レストランに過ぎず、我々日本人に はちょっといただけない。  値段的には100ペソ~200ペソ(200円~400円)程度、日本との物価差を考えると必ずしも安くない。ペッパーランチは600円~1000円 (300ペソ~500ペソ)程度だから2~3倍だ。一般の物価が5倍、人件費が10倍だから、客さえ来ればかなり儲かる勘定になる。ちなみにマカティ・ス クエア近辺の本格的和食レストランでも200ペソ~400ペソで食べられるが、それと大差のない値でこれだけの料理を出すペッパー・ランチの頑張りは評価できる。 マックなどハンバーガー系のファースト・フードを除くと中華料理のチョーキンが目立つ。しかし、ここの食事はどうしようもなく、絶対に避けたいファースト・フードだ。なにしろまずい。フィリピンの中華料理、おなじみのルートン・マカオやタン・シティは安くておいしいし、価格的にもチョーキンと大差ない が、それでも、チョーキンはいたるところに出店しているファース・トフードの雄だ。中華料理をフィリピーノ風にアレンジしているところが受けているのかも しれない。すなわち野菜がほとんどついていないのだ。 […]

ペッパーランチに感激 2010年11月21日


3番目の不肖息子、介哉(カイヤ)から、「出来ちゃった婚」と聞いて、「今時の若い者が、でかした」と褒めたのが、3年前。そして今、孫娘の結月(ユズキ)は、もう2歳になって、家の中を走り回っていた。      まだ、数度しか会っていないので、私の顔を見ると逃げ出して母親にしがみつく有様だが、なかなか活発な女の子に育っている。その結月が母親のおなかを指して「赤ちゃんがいる」と言ったというのである。それで尿の検査をしてみたら、確かに妊娠していたそうだ。子供にはそれがわかるのだろうか。これまた「今時の若い夫婦が、でかした」と褒めてやりたい。収入が不安定で、結婚ができない、子供も作れない、という若者が多い中で、立て続けに二人目を作るとは、なかなかの気概だ。  さらに、今回、新築の家を訪問した。前回の日本訪問で購入するという話は聞いていたのだが、一戸建て、建坪140m2、4LDKの豪邸だ。それが3500 万円で、35年払い、月々10万円、ボーナス払い無し、という好条件だ。家が随分安くなったものだ。しかも低金利で支払い条件が大変良い。なかなかできる決断ではないが、これまた、チャンスを活かして「でかした」と褒めてやりたい。   中を見せてもらうと、全自動の洗面所や風呂場、玄関の施錠など、我々の世代には想像できない設備だ。居間の吹き抜けや台所の調理台兼カウンターもしゃれている。格安で手に入れた一畳ほどもある大型テレビも映える。この日は介哉の妻(智美さん)の両親も尋ねてこられて、久しぶりの再開を楽しんだ。 ここまでは介哉としては家族孝行だが、それだけではどうにも自分の男としての欲求がおさまらない。そこで妻と喧嘩までして買ったのが、ジャガーだ。これはやりすぎでは無いかと思ったが、「12年落ちの150万円を月賦で買った」と聞いて、その程度の遊び心を持たないと、仕事に精も出まいと納得。しかし、さすがにビンテージ・カーだ。12年たっているのに、内装も外装も古さを感じさせない。これから10年、20年と乗れば乗るほど価値が出てくるのではないか。しかし、日本は車が実に安い。フィリピンだったら4~5倍はするだろう。  

不肖息子・介哉の甲斐性 2010年11月21日



昨年11月に亡くなったOさんの一周忌が、丁度、私が「ロングスティ&移住フェア2010」のために日本に出張している時に執り行われた。あれから1年、早いもので、しかしながらその間、相続手続きは遅々として進まず、今だ、相続が実行されていない。現在までに種々の書類はほぼ準備が出来て、いよいよ相続の支払いが可能となる日が近いのだが、その間、経験した問題点をまとめてみた。  結論的に言うと、銀行としても、フィリピン在住の外国人が遺産を残し、相続者が外国に在住する兄弟あるいはその子供という状況を経験したことがなく、相続手続きに必要な要件をタイミングよく示すことができなかったこと、外国で作成される書類ということで、すべてがフィリピン大使館の認証が必要であることなどのため、このような長期に渡ってしまっているといえる。  フィリピンの銀行に残された遺産を相続する手続きは大まかに言って下記となる。基本的には日本と大差がないが、遺産を残した個人が外国人で、相続人が外国に居住する外国人であるということが、書類の準備を大変難しいものにしている。 1. 遺産分割協議書(Extrajudicial Settlement)と銀行免責保証書(Quit Claim)を法定相続人全員で署名し、公証する 2. 上記に署名したものが法定相続人であるとともに他に相続人がいないことの証明書(出生証明、婚姻証明、死亡証明等)の準備 3.上記協議書を新聞に掲載・公告する(毎週3回) 4. 銀行残高証明に基づき税務署へ相続税を支払う 5. 2年間の相続凍結を免除するための保証会社にボンドを積む 6. 上記書類を銀行等に提出して遺産を引き出す 1.遺産分割協議書と銀行免責保証書の作成  遺産分割協議書(Extrjudicial Settlement)とは相続者全員による遺産分割の合意書で、英文で作成し、公証役場で公証し、法務局、外務省認証班の認証を経て、フィリピン大使館で認証する。ちなみに東京、神奈川の場合は公証役場が法務局と外務省認証班の役割を兼ねていて、公証役場で公証したものを直接フィリピン大使館に持っていくことが出来る。これらは新聞社、税務署、保証会社、銀行に、認証された原紙を提出する必要があるので、それだけの部数を用意しなければならない。さらにフィリピン大使館で認証(Authetication)するためには、公証された協議書の写しと相続人の身分証明書(運転免許証など、写真付のもの)を翻訳して添付する必要がある。  銀行からの引き出しについては基本的に相続人全員(今回は6名)が銀行に出向かなければならず、現実的に不可能に近いので、遺産分割協議書の中で便宜的に相続人の代表者一名が全遺産を受け取るものとした。したがって、実際の分割については別途、相続合意書を日本語で用意して、同時に相続人全員で署名捺印(実印)したものを用意した。 […]

退職者が死んでしまったら(その2)2010年11月20日


新ルールの適用開始が遅れていますが、最新の情報によるとかなり大幅に手が加えられるようです。これは多方面から、色々な提案があるためで、下記の情報は、このような案で検討がなされているというように受け取めてください。ルールが確定次第詳細を報告します。 新しいGMが赴任して4 ヶ月、連日、PRAの幹部とミーティングを精力的にこなしていたが、その成果が出てきている。2011年1月25日、PRAで行なわれたマーケッター対象の説明会によると、下記の規則が決定し、細則を詰めているところだそうだ。 1. 退職ビザ取得に必要な定期預金は35歳以上、一律2万ドルとする 2. 退職ビザ保有者は毎年、500ドルの会費を支払う(配偶者と21歳未満の子供は100ドル、同伴する両親は一人につき500ドル) 3. 定期預金の投資への変換は一切停止する 4. 扶養している両親または配偶者の両親及び21歳未満の子供を同伴できる。ただし、同伴する子供が21歳に到達したら、一人につき会費500 ドルを支払わなければならない。また、子供が35歳に到達した時点では2万ドルの定期預金を行なわなければならない。(同伴者3名以上は一人につき 15000ドルの追加の定期預金が必要であること及び申請時に21歳以上の子供は同伴できないことは従来のルールと同様) なお、上記の規則は新規の申請者に適用され、すでにビザを保有している退職者は従来の規則が適用される。なお、希望する場合は既存の退職ビザ保有者も新規則に乗り換えることができる。新規則は1月28日の役員会の承認を経て2月中にも新ルールの適用が開始される予定。  今まで年齢や申請時期により定期預金の額が異なり、(1)50歳未満でビザを取得した退職者が50歳到達で差額の3万ドルは返還されるのか、(2)かつ て5万ドルでビザを取得した退職者が現状の2万ドルとの差額を引き出すときに支払っている管理料(450ドル)は引き続き支払わなければならないのか (3) 2万ドルてビザを取得したものが年金をもらい始めたら、1万ドルに減額されるのか、など、種々の退職者の疑問や悩みを生じてきた。今回、一律2万ドルとなったことにより、これらの疑問の発生する余地がなくなるものと期待される。  一方、投資については、(1)特定の投資対象にPRAが肩入れすることにより、賄賂でももらっているのではないかと、いらぬ疑いを受けたり、(2)投資により投資金を失い、ビザを維持する基本要件を失う、というような事態も避けることができる。しかし、先代のマネージメントは、この投資金を活用して、多くのデベロッパーに退職者向けの施設を建設することを奨励してきたため、デベロッパーは方針の変更により戸惑っているに違いない。  扶養している両親を同伴できるという規則は大きな改善だ。特に介護が必要なご両親を抱える退職者にとっては、フィリピンでご両親を介護するという理想的な状況を実現できることになる。500ドル/年という費用はかかるものの、日本での介護の費用を考えると大きな障害ではないだろう。このことにより退職ビザがブレークしてフィリピンが退職者が目指すメッカになるかもしれない。 […]

退職ビザ取得要件の変更 2010年11月19日



11月13日、東京ビッグサイトで恒例のロングステイ&移住フェア2010が開催された。私は、ロングステイヤーをサポートするためにロングス テイ財団から公認されている海外サロン(マカティサロン)の代表として招待され、相談コーナーを用意してもらい、フィリピンにロングステイあるいは移住に 興味のある方の相談を行なった。 来場者総数は8350人、10時から5時までの7時間、絶え間なく人が訪れ、昼食も取る暇なく、あっという間に時間が過ぎてしまった。フェアは海外ばかり でなく、国内の地方への退職者の誘致もあって、沖縄など各県の観光関係の役所の人たちが地方の良さをアピールしていた。 オーストラリア、ハワイ、マレーシアなど人気の地域にはさすがに人の集まりが良い。ロングステイ人気ランキング7位のフィリピンもフィリピン観光省を初めとする6つのブースが設けられ、相談者の対応に追われていた。 フィリピン移住のメッカ、フィリピン退職庁は本年度より観光省の配下に入り、フィリピンからの参加が期待された。しかし、諸般の事情より、フィリピンから の参加は見送られたものの、現在広島大学に留学中の元ビザ発行部門の責任者のフィリップさんに、個人の資格で参加してもらった。フィリップさんは日本に留 学している2年間の間に日本の市場を勉強し、フィリピンにいては出来ないマーケッティングを展開したいと希望している。そのために今回のフェアは格好の機 会であり、移住を計画している方々と直接話をすることができて、大変喜んでいた。 この日は、横浜でAPECが開催されており、アキノ大統領が訪日していた。そのため、フィリピン大使館のスタッフは全員、そっちに出向いており、この フェアに参加できたのはフィリピン観光省に勤めている横山さんだけだった。また、退職庁が通産省(DTI)から観光省(DOT)の配下になったため、今 後、退職ビザの案内は横山さんが行なうことになったそうだ。したがって、短期の観光旅行から永住まですべて横山さんが窓口になるとのこと。 観光省のほかには、クラークのフレンドシップ、ナンクル、英会話のEIEN、カビテに退職者施設を運営するMAKISONなど、私にとっておなじみの 方々がブースを出しており、お互いに相談者を紹介しあうなど協調しあっていた。私のところには、例の「金なし、コネなし、フィリピン暮らし」を持って来て […]

ロングステイ&移住フェア2010、開催される 2010年11月19日


 いよいよ8ヶ月目に入ったキアンだが、フィリピーノ流の子育てがどうにも気に障って仕方がない。ヤヤ(子守)にかしずかれて、両親や兄姉の愛情を一身に受けているのは多いに結構なのだが、キアンにとっては多いに不満があるようだ。    赤ちゃんの成長は目を見張るようで、ちょっと前まではミルクを飲んで、寝ているだけだったのに、最近では、何にでも興味を示し、すぐにつかんで口に入れようとする。人が食べているのを見るとよだれを流して食べたがる。それを汚いからと身の回りから遠ざけ、人が食べているところを見せまいとする。   私は、そんな親馬鹿に多いに疑問を呈したい。子供がミルクを飲むことと寝ること以外に興味を持ち始めたということは、人間としての成長を開始した大事な証だ。だから色々なおもちゃを与え、多いに好奇心を満足させ、なめ回させることが大事なのだ。最初はつかんではなめて放り投げることしかしないが、赤ちゃんの脳はフル回転だ。ただベッドの上で静かにしているのではなくて、多いに這い回って、手当たり次第にアタックして、そんな遊びから子供は学び、成長する。机の前で座ってやるのが勉強ではなくて、遊びが子供を成長させる最高の勉強でありトレーニングなのだ。  下の写真はベッドの中で何も与えれずにまるで檻に入れられているKIAN。せめてヨーグルトの容器をなめて好奇心を満たしている。   私の小言により、おもちゃを与えれらたKIANは嬌声を上げて喜んでいた。遊びでも、勉強でも、スポーツでも何でも楽しんでやることが大事で、楽しんでいるうちに自然と能力がついてくる。この時期、何もさせないで、静かにさせておくと、何にも興味を示さず、自ら成長することをしない木偶の棒になってしまう。下の写真のうれしそうな顔が証拠で、この時、KIANは人間として生まれてきた喜びを満喫しているはずだ。  人間として目覚めた赤ちゃんは、この時、何にでもなれる万能細胞で、人間でも、サルでも狼でも、環境に適合して何にでもなれる。だからこの時期、将来、人から尊敬され、人間社会で望まれる人格と能力を兼ね備えた人間になっていくための成長の礎を築いているとも言える。人には生まれつき持っている性格、能力、資質があるというが、私は、どうもこの時期にそれらの資質が形成されるのではないかという気がする。   一方、6ヶ月も過ぎると赤ちゃんは離乳食が必要で、これがミルクだけの食生活から卒業し、必要な栄養を食物から取り、同時にまた胃や腸、体の仕組みを成長させていく原動力になる。だから、赤ちゃんが食べたがるのは本能であって、それに答えて離乳食を与えることが、体の成長に欠かせないのだ。しかし、フィリピンでは2~3歳までほとんどミルクだけで成長し、幼稚園に行っても哺乳瓶を咥えているという。「子供がミルクを欲しがるから与える」というが、これはあきらかに母親の怠慢で、この時期、赤ちゃんが欲するものを無視して、そんな悪しき習慣を子供に押し付けているのだ。キアンが我々の食べるスープを与えられて、いかにそれを喜んでいるか、そして、もっとくれと要求するまなざしを見ていると、「ミルクを欲しがるから与え続けている」という、母親の証言は、母親の都合の良い作り話でしかないと実感する。  

賢い赤ちゃんの育て方 2010年11月1日



今年も街にはクリスマスの飾りがちらほら見られる様になり、いよいよ今年も残すところ2ヶ月となった。そろそろ来年のことが気になる季節だ。ところで2011年度の祝祭日が発表されたので、本年度の残りの祝祭日もあわせて列記した。 2010年 11月1日(月)  All Saints’ Day(万聖節):10月30日(土)から3連休 11月30日(火) Bonifacio Day(ボニファシオ記念日):29日(月)はブリッジ休みとなって4連休になる可能性あり 12月25日(土) Christmas Day(クリスマス):前日の24日(金)のイブから1月2日(日)の正月明けまで実質10連休とする会社ないし個人が多い 12月30日(木) Rizal Day(リザール記念日): 12月31日(金) New Years’ Eve(大晦日): 2011年 […]

2011年のフィリピンの祝日 2010年10月29日


10月14日に解禁されたバランガイの選挙運動から10日後の今日、25日は全国で投票が行なわれている。そのため、フィリピンでは今日は臨時休日となった。   バランガイとはフィリピンの最小行政単位で、東京なら区の中の町、あるいは市の中の町ないし村に相当する。バランガイ議長(キャップテン)一人と議員(カ ウンセラー)7人、さらに15~17歳の未成年者で構成される青年評議会(SK)議長と議員7人が選ばれる。任期は3年、4選は禁止。 バランガイはスペイン統治以前から存在する行政組織で、全国に4万3千のバランガイがあり、区域のインフラ整備、社会福祉、環境・衛生活動、フィエスタ (お祭り)などの娯楽、住民同士のトラブルの仲裁などの役割を持つ、いわば村長さんだ。政府から給与と予算を与えられ、その支出が一存で決めることが出来 て、何かと実入りも良いそうだ。  近所の知り合いや友達、親戚あるいは親兄弟が立候補する選挙とあって、家族ぐるみあるいは友人同士の選挙運動が繰り広げられる。応援する友人のために道端 でダンスの練習に余念の無いハイスクールの生徒や、トライシクルに乗っておそろいのT-シャツを着て行進したり、身近な選挙戦だ。  たまたま選挙直前に訪れたアンヘレスのフィールド・アベニューでは道路を遮断して応援演説会ないしショーが開かれていた。はでな衣装に身を包んだ応援者も控えていたが、あいにくの雨で観客は少なめ、当方も長居はせずに、立ち去った。  ちなみに私の相棒のジェーンのお兄さんが、ビコール地方タバコ市、バランガイ・クボのカウンセラーに立候補した。ジェーンは大分前からポスターなどを用意していたが、選挙直前の21日(木)に息子のキアンを連れて応援に出かけて行った。地元ではかなり知名度の高いジェーンは連日、自宅でパーティを開き、多くの人に食事を振舞って清き一票を依頼した。キアンも笑顔を振りまいて多いに選挙戦に寄与したそうだ。そのため農場の子豚2頭が犠牲となり、レチョンとして振舞われた。スコーターに住んでいる人々は滅多なことではレチョンなどにありつけないので、満面に笑みを浮かべて味わっていたそうだ。ジェーンの応援が あればきっと当選するに違いないと、弟のボボイが話していたが、翌日に知った開票結果によると次点の8位で当選はならなかったとのこと。  首都圏マニラではさほどの盛り上がりは見れないが、地方ではかなりはでな選挙戦が繰り広げられていたようで、私はマニラに残っていたので、その様子を写真で伝えられないのが残念だ。  ところで選挙会場は、5月の全国統一選ほどではないにしても、なかなかの賑わいだった。選挙会場のバランガイの体育館ではまるで繁華街のように人が集まっ ていた。選挙も一種のお祭りにしてしまうフィリピン人のことだから、選挙を楽しんでいるようだ。ちなみに夕べはレストランやサリサリでは酒の販売が禁止されている。酔っ払って興奮して暴力事件が起こるのを未然に防ぐためだそうだ

バランガイ選挙(10月25日)2010年10月25日