shiga


 一ヶ月ほど農場に滞在した息子がマニラに戻ってきた。二日ほど滞在して日本に帰るとのことだ。ゆくゆくは農場に家を建てて暮らすつもりで、年に4ヶ月くらい日本に出稼ぎに行くという優雅な生活を夢見ているようだ。しかし、一人で特に目的もなしにただいたのでは退屈してしまい、いい加減、農場滞在も飽きがきたようだ。 息子は毎年やってきているので、タバコ市のジェーンの姪や甥とは仲良しで、ハイスクール3人組とマミーそれに5歳のヤナが、息子を見送るのだとバスでマニラにやってきた。すでに、この夏休みをマニラで過ごしている小学生組み3人、それにKIANとキム、それに私と息子を含めて5人の大人が加わって総勢15 人が天天火鍋で食事を取ることになった。  息子が負担したバス代が5人分で6000ペソ、天天での食事は私が負担したが切り詰めて3000ペソ。想定外の出費が続く。6人のマニラ行きは息子が皆に見送って欲しいとリクエストしたと言うことだが、そういわせるように仕向けたに違いない。日本人には500kmの道のりをバスで駆けつけて送迎するという発想はないし、マニラ行きが決まったときの彼らの喜びようは尋常ではなかったらしい。 久しぶりの天天の食事に大いにご機嫌なのがKIANだ。この日は、よほどお腹がすいていたと見えて、食べ物が用意できるのを待ちかねて、ソースをさらについでなめるという芸当までやってのけた。それにイカ・ボールを箸にさしてソースをつけてほおばるという仕草は、とても2歳と2ヶ月の子供とは思えない。 帰りは、15人が一台の三菱モンテーロに乗り込んだ。元々2・3・2の7人乗りだから、後ろの2列は6人づつが二重にになって座っていたことになる。運転手以外は皆、ひざに人を載せていたことになる。 翌日はキムを含めたハイスクール4人組に息子と来比中の客と一緒にタガイタイに出かけた。タアル・ビスタホテルの眺望、マホガニーマーケットの果物や牛肉の屋台を堪能した後は、20軒ほど並ぶトロトロ・レストランの一つで食事だ。  目玉はもちろんタガイタイ名物のブラルー(牛のすね肉のスープ)、それにカルデレータ、イカのアドボなど、どれもおいしいと、好評だった。〆て1500ペソは妥当なところか。 食後に、4個で100ペソのパイナップルを、300ペソで12個を買い求め、この日のおみやげとした。これらはタバコへのお土産として翌日にはなくなってしまったが、もっと買っておけばよかったと後悔しきりだ。その辺においてあるバナナは、一房全体で100ペソもしないだろう。荷台がないので購入は断念した。  マーケットと食事だけではハイスクール組みには物足らない。タアル・ビスタホテルの脇にある乗馬場で、30分250ペソを200ぺそにまけさせて初めての乗馬体験を楽しんでもらった。  同行した日本人(女性は)は乗馬も趣味だそうだが、日本なら半日くらい楽しんで万札は固いと、その安さに驚いていた。当方はちょっと馬に乗せてやっただけで800ペソの出費はかなり痛いのだが。しかし、わざわぜタバコから10時間かけてやってきたハイスクール組みにとって、新学期を控えた夏休みの最後に、この位の楽しみがないと、息子としても友好関係は維持できない。    その後、タガイタイで当社のゲストハウスとしても機能している退職者の家を訪問して、この日の締めとした。左はジェーンがKIANにつくってやった車だ(本ブログとは何の脈絡もないが)。 翌日は、いよいよ息子の日本への出発、全員で見送りだ。空港へは車の定員の関係で子供中心となったが、それでも全部で12名がPAL専用のターミナル2で見送った。  30年以上前に成田空港ができて以来、見送りなどという習慣には無縁となっていたが、車一台に鈴なりに乗り込んで見送ったり出迎えたりするという習慣は、いつまでも続いて欲しいフィリピン名物だ。 […]

息子の帰国の見送りに大騒動 2012年6月5日


  連休を利用して、息子(左)がフィリピンに遊びに来たので、一緒に農場を訪問した。4月に1週間滞在したばっかりなので、一ヶ月ぶり。空港では風邪を押してデビナ(中央)が出迎えてくれた。農場にはマミー(左の写真中央下)やビアンカ(右)をはじめ、旧知の友が息子を大歓迎だ。右の写真の真ん中の4人がハイスクール少女隊だ。 息子が海の家のおまけを大量にもってきてテーブルに広げたところ、ハイスクールの子供達がわれ先に抱え込んで、小さな子には申し訳程度に一つずつ配っていた。日本なら大きい子が公平に配ると思うのだ、ここではどうも力の強い子が優先のようだ。  空気マット式のプールはKIAN専用だそうで、この日は去年私が買った、ビニール製のプールを組み立てて使うことになった。かなり大きいので大量の水を必要とし、マミーは簡単には許可しないので、私の来るのを待って水遊びとなった。 ハイスクールの少女達も大き目のプールにおおはしゃぎだ。ちなみにフィリピンの人は泳ぐときに水着を着けないで、服のまま水に飛び込む。色々考えたが、その理由は、①水着になるのが恥ずかしい②日差しが強いので日に焼けるのをきらう③濡れた服でいても寒くない(日本ならすぐに邪を引いてしまう)、の3つの理由であろうと私なりに結論づけた。 その夜は息子を囲んで早速カラオケ大会。この日初めてあった、ジェーンのいとこの子供のチェムチェム(16歳)は現役の歌手で、お酒もたしなむ、ちょっと悪い子だそうだ。その歌声とジェスチャーはさすがプロ、粗末なオーディオでもしっかりと聞かせてくれた。 その夜はデバインの誘いで、ライブバンドのディスコにハイスクール以上の子達を連れて出かけていった。どうせつまらんところだろうと思っていたのだが、セクシーな4人の歌手が出てきて、中々のものだった。チェムチェムは早速マイクを握ってうたわせてもらっていたが、歌そのものものは舞台のシンガーよりも上だった。 しかし、10人足らずの席につまみが次々と12皿も出てきて、というかデビナが注文して財布が心配になる。さらにドリンク二杯づつで、合計3000ペソ強。たったの6千円と思うかもしれないが、当方としては、とんだ予定外の出費だった。そもそも、デビナが当方には何の相談もしないでバカスカ注文することに少々腹が立った。

農場再訪問 5月 2012年6月4日



今年のホリーウイークはKIANはたっぷり農場の滞在を満喫した。今年は異常に雨が多かったが、4月に入ると晴天が多くなり、KIANにとって絶好の農場日和となった。 久しぶりに会ったいとこ達に囲まれて初めは多少緊張気味のKIAN。 鯉とテラピアの養魚池ではえさやりに、いたく興味を示すKIAN。しかし、豚小屋では豚の存在感にさすがのKIANも押されぎみだ。 あひるや鶏にも興味しんしんだが、レッド・テラピアをはじめてさわってみて、生きた魚にちょっとびっくり。 晴れ間を狙って収穫した米を乾燥させるが、なんでも自分でやって見ないと気がすまないのがKIANだ。 ベランダで、完璧な姿を見せたマヨン火山をバックに記念撮影。 わだちでぬかるんだ道を裸で歩くKIAN。 おまるに座ってウンチをしながら、冷やかすいとこに、口をとがらせてけん制するKIAN。 ゲートの外はちょっと広くなっているので、近所の子供達の溜まり場だ。彼らにしてみると、農場の中はユートピアのように映るだろう。 お猿さんとも久々の面会だ。 KIAN用に買い求めたエアバッグのプール。これなら縁で遊べるのでKIANにとって都合が良い。 KIANはホースを手放さないで、人に水を掛け捲る。 トライシクルの運転席はKIANの大好きな場所だ。気分はトライシクルドライバーだ。 アランおじさんの肩車で農場を散歩。口を固く結んで緊張気味だ。 この日は熱を出して、静かに寝そべる。こんなKIANをみることは滅多にない。 […]

KIANの農場滞在記 2012年6月4日


年末からずーっと雨だったという農場はようやくホリーウイークを向かえ、ようやく晴れ間が出はじめて、みずみずしくまた、売り物のマヨン火山を満喫することができた。以下、農場滞在中のスナップだ。  ベランダの電燈の中に潜んで獲物を狙うヤモリ、子豚もたくさん生まれて大賑わい  マミーのお姉さん一家がテラピア養魚池の脇の農家を改造して住まいとしていた テラピアをご馳走しようと捕まえるダニーと食用の49日呼ばれる鶏、2ヶ月にも満たない生涯だ 、昨年植えつけたパイナップルに実がつき始めた、マスターベッドの脇のランカ(ジャッククフルーツ)の木には20個以上の実がなっていた  お猿さんは相変わらず孤独で、子供と女にはどういうわけか敵愾心を燃やす。私が手をつかんでもなんともないのだが、夕暮れ時のマヨン 闘鶏の卵がたくさん生まれていた。さすがにこれは食べさせてもらえない、闘鶏の卵を温めるメス鶏 アヒルの卵は食用としている、鯉の稚魚も成長して子供ができている、農園の開始以来ひたすら草を食べて生きているだけのジンポ君。 大輪のハイビスカスとオーキッド 鯉にも稚魚が生まれている、 黒いテラピアに混ざってレッド・テラピアの稚魚が泳ぐ 牛も、いつのまにか4頭に増えている。これも農場の飾り物として毎日草を食べるだけだが、いずれレチョンにして食してみよう  多き育ったバナナだが、どういうわけか私が訪問したときは早いか収穫した後で、ほとんどありつけることはない、椰子の実を収穫するダニー 闘鶏は農場の飾り物、しかし、面倒を見ているジェーンのお兄さんはこれで1000ペソ単位の金を儲けることもあるらしい。土地をえさ代を出している当方に配当が支払われることは皆無だ、雲に覆われるマヨン  ゲートから家に向かう道は両側に植えられてならの木のアーチができつつある、築9年目を迎えそろそろ改装が必要となってきているファームハウスだ […]

雨期明けの農場はみずみずしかった 2012年6月4日



  連休を利用して訪れた息子に同行して1ヵ月ぶりに訪問した農場のスナップ。木々の花が咲き、自然の息吹を感じさせた。  タガイタイで買った200本のパイナップルの苗。1~2年後はパイナップルが食べ放題になるだろう。カラチュチの花が満開になった。フィリピンでは香りのあるこの花が一番好きだ  名前を忘れたが幹にとげのある多肉植物の花。これも名前はわからない 大型の観葉植物も芽を出した。ランの花も咲き始めている  小さな実はアボカド、フィリピンではポピュラーな果物だ。一本の木に20個くらいの実をつけた裏庭のランカ(ジャックフルーツ)の木  ビバリーファームのメインストリートはナラのトンネルだ。ナラの木の葉についた大量の毛虫  ジェーンの兄のダシンがくれた小鳥、つがいで5千ペソ位するらしい。家の周りを飛び交う小鳥、ここではいながらにしてバードウオッチングができる マヨンをバックに遊ぶ子供達。夕暮れにたたずむマヨン火山  田んぼの耕作も進んでいた田植えの準備の苗床にも芽が出始めた 1ヶ月の間にかなり成長した小豚たち。 母豚の出産も近い  闘鶏のエキジビション。 闘鶏の練習、一羽が飛び上がって下でうずくまる一羽を攻撃する瞬間  夏を象徴する入道雲、マヨンと比べて3倍、7000メートルくらいの高さに達する。ベランダの柱と梁を額縁に見立てて構図をとってみた […]

雨期明けの農場はみずみずしかった(その2) 2012年6月4日


 従来フィリピンの教育制度は小学校が6年、ハイスクールが4年、そして大学が4年(文系)、5年(工科系)で、合計が日本等の諸外国に比べて2年短かった。したがって、フィリピンンでハイスクールを卒業しても日本の大学進学の資格がないなど海外への大学進学に不都合があった。したがって、外国人の子女の教育はインターナショナル・スクールに進学しなければならず、高額の授業料を支払わなければならないなど、外国人にとってフィリピンに在住する上での頭痛の種だった。  今回の教育制度の改革で、現行の小学校6年とハイスクール4年の終了後シニア・ハイスクール2年を創設し、合計12年間の教育とともに、幼稚園1年を義務教育とし、合計13年間の教育を大学進学前に受けることになる。これらの教育について公立学校では授業料は無料で、幼稚園と小学校は義務教育となる。 本制度は本年度ハイスクールに進学する生徒から適用され、4年後の2016年からシニア・ハイスクールが開始され、2018年から新制度の卒業生(18歳)が出る。  シニア・ハイスクールはすべてのハイスクールに併設されるが、大学進学の学生が2年間いなくなることになり、大学に付属のシニア・ハイスクールを併設することも検討されている。 ちなみに、フィリピンでは18歳未満のアンダーエイジ/マイナーの雇用が禁止されている。これは何も花街の話に限ったことではなく、ウエイトレスなどの一般的な職業にも適用されていて、ハイスクールを卒業しても法的に2年間は働く術がないのだ。しかし、大学に進学できない貧しい家庭の子供達が学校を出ても働くことができず、親のすねかじりを続けるなどということなどは実際にはありえず、何らかの形で働いてはいるのだが、法の庇護下になく、低賃金を余儀なくされるという矛盾を包含している。今回の措置で、これら16歳から~18歳までの青少年が無料で就学する機会が与えられるということは大いに歓迎すべきことだ。

フィリピンの教育制度が国際標準に改革 2012年6月3日



  農場のあるタバコ市は海にも面していて、海水浴場がたくさんある。しかし、マヨン火山の裾野にある関係で砂浜は黒く、必ずしもフィリピン特有の白砂の美しい浜ではない。水も湾内なのであまりきれいではない。 しかし、わざわざ船に乗って島に行くほどのの余裕のない庶民には気楽に行ける格好の遊び場だ。  気管支を患っているのか咳が出るKIANには海水浴は体に良いという医者のアドバイスで、タバコ訪問中は、KIANを毎朝海水浴に連れて行くことになった。 初めての海に、KIANはためらいがちに海水に足を踏み入れた。しかし、それは大好きな水遊びをするところだと認識したKIANは、すぐにうれしそうな顔をして水につかり始めた。  4月といえば、フィリピンは夏の真っ盛り、水温もぬるく、体が縮こまるようなものではない。気持ちよさそうに水につかるKIANだ。  一人で遊び始めたKIANは時たま水に顔をつけて、苦しそうに水を吐く。しかし、そんなことはおかまいなしに楽しんでいる。  砂遊びもKIANは気に入ったようで、砂をつかんでは落としあるいは投げて、砂浜の遊び方も慣れてきている。子供は遊びの達人だ。遠浅の海岸はKIANにぴったりで、あのうれしそうな笑顔が絶えない。  10時過ぎには帰途についたが、それは日中は暑すぎて、KIANにはまだまだきつすぎるという気遣いだ。ちなみにフィリピンでは朝と夕方の日が落ちてからが海水浴の本番で、暑い日中はお休みする。 翌日、2日目、KIANの海水浴再挑戦だ。この日は雲を被ったマヨン火山がバックに望めた。  近くでダンプカーのおもちゃで遊んでいる子供達に混じろうとしているKIANだが、とんだ闖入者を迷惑そうに追い払われてしまった。  しかし、しばらくして子供達がいなくなると、待望のダンプを独り占めして遊び始めたKIAN。こんな図々しさがとりえのKIANは誰とでも友達になれる。  ダンプの砂遊びに満喫したKIANの海水浴の日課も今日はこれで終わりだ。タバコでの海水浴、マニラでは海と言えばバタンガスまで3時間くらい替えて行かなければならないので、KIANの海水浴も当面お預けだ。

KIANの海水浴初体験 2012年6月3日


 とあるフィリピン通の方が、「フィリピンで恋をするならタガログ語を覚えなくちゃ」と語っていた(実はこの方は、タガログ語ばかりか、英語、スペイン語を自在に操り、フィリピンでの恋は数知れぬというる恋と言葉の達人なのだ)。  花街には日本語をしゃべる子がたくさんいるから、日本語で何とかなってしまうだろう。しかし、彼らにしてみれば商売道具の日本語を駆使して客のハート(財布)を捕まえようとしているのだから、「フィリピンで恋をする」、という感じには程遠い。まあ、それはそれでいいのだが、それなら英語では何故だめなのか。  ご承知の通り、フィリピンの公用語は英語だ。公文書はすべて英語で、英語がわからないと会社勤めもできない。しかし、それだけに四角張った言葉であって、恋を語るにはいかがといったところだ。英語は英語なりに甘い言葉もあるのだろうが我々の実力では英語で相手の心を溶かすなんて芸当はできないだろう。仮に、こちらができたとしても相手が緊張して逆にこころを閉ざしてしまうだろう。 この写真はアンヘレスのジェンネシスというクラブのきれいどころ(中でつながっている左隣のクラブかもしれないが)   その点、タガログ語でせまれば、相手は、もともと自分の話し言葉だから、初めから心を開いている。たとえ片言でもタガログで話をしたときのフィリピン人の打ち解けようは英語や日本語とは比較にならない。しかもタガログ語は英語に比べて実にソフトで、フィリピン人を相手に話していて、タガログ語で返されると心がとろける。その点英語は実にぶっきらぼうだ。  たとえば、「ありがとう」は英語には「Thank you」以外の表現がなくて、そこに感情が入り込む余地がない。しかし、フィリピン人は「サラマッポ(Salamat po)」あるいは「サンキューポ、Thank you po」と返してくる。この「ポ」(Po)という言葉は相手を尊敬している場合、あるいは慕っている場合などにつける接尾語で、これがいかにも心地よい。  相手に質問するとき「What do you want?」 「Why you are angry?」などと質問したら、状況にもよるが、これはすでに相手を責めていることになる。特にメールなどではニュアンスが伝わらないので喧嘩しているようにも聞こえる。しかし、これをタガログ語で「アノン グスト モ?(Anong gusto mo?)」「バケット カ ガリット?(Bakit ka galit?)」といっても決して責められているようには聞こえない。フィリピーナをからかって、相手が嫌がっていても、彼らは「フワッグ ポ(Huwag po)」などと、いかにも優しく拒否してくる。  恋人や夫と会話するときは、初めに「マハール コ(Mahal ko、あるいはLove koとも表現する」と呼びかけるが、これを直訳すれば「私の愛しい人」となり、なんとも甘いやり取りだ。そして会話やメールの最後は必ず「I love you」で閉める。この「I love you」は、タガログ語会話でも重要な愛の表現の一つとなっている。ちなみに「マハール モ バ アコ?(Mahal mo ba ako?俺のこと好きか)」などという言葉は口説き最中のカップルには頻発する。これを100回くらい繰り返すと、相手も降参して「マハール キタ(Mahal kita,愛してる)」と言って白旗をあげてくる。これを「Do you love me?」と英語で繰り返していてはいつまでたっても埒があかないだろう。  「美」は「ガンダ(Ganda)」で、「マガンダ カ(Maganda ka)きれいだね」といえば相手はうれしそうに顔を赤らめるだろう。そして「アン ガンダ モ(Ang ganda mo)」といったら最上級のほめ言葉で、「その美しさに恋に落ちてしまった」という意味合いをかねている。   逆に相手を非難する言葉として「バストス カ(Bastos ka、スケベ、下品、野卑)」という言葉があるが、言い方によっては日本語の「イヤーン バカ」なんて感じにもなる。しかし「プタン イナ モ(Putan ina mo)、相手を非難する最強の言葉、元々”お前の母さんバイタ”という意味」などといわれたら、その恋は終わりだ。 この子達はジェーンの姪っ子たちでちゃきちゃきのハイスクールの少女達だ いつも不思議に思うのだが、日本語に「I love you」に相当する言葉がない。「私はあなたを愛しています」なんてのは日本語ではない。強いて言えば「好きだよ」あるいは「好きよ」といったところだろうが実に間接的な表現だ。タガログ語では「マハール キタ(Mahal Kita)」「イニイビ キタ(Iniibi Kita)」「イニイロ キタ(Iniilo kita」「グスト キタ(Gusto kita )」などぴったりの言葉がたくさんある。そのほか、「カイランガン キタ(Kailangan kita,あなたが欲しい」「ダヒール サヨ(Dahil sayo、あなたのせいで)」など恋を語る言葉が豊富にあって、恋の歌の歌詞作りには事欠かないようだ。  さらに英語では男と女の営みに「セックス」とか「Make love」などと実にそっけない表現するが、日本語は「H」、「やる、する」などと間接的表現を用い、他には「性交」など学術的表現しかない。一方タガログ語では、やはり間接的表現をするものの「ソクソク(Soku soku,これは日本語だとフィリピーナは言うが真相は不明」「パクワン(Pakuwang,元々スイカのこと)」「ボムボム(Bom bom)」など面白い表現がたくさんある。直接的には「カンクータン(Kankutan)」と言うがかなり下品な表現らしい。  いずれにせよ、フィリピ-ナとの会話はタガログ語に限る。そうすれば思わぬ恋のチャンスがめぐってくるかもしれない。

恋をするならタガロク語 2012年6月3日



  ここ数ヶ月、新聞やテレビをにぎわせていたコロナ最高裁長官の弾劾裁判に決着がついた。5月29日に行われた上院議員による表決の結果、20対3で長官の有罪が決定した。最高裁長官が上院による弾劾裁判で有罪判決を受け更迭されるという事態は、フィリピン史上初めてのことだ。 コロナ長官はアロヨ前大統領が2年前、任期終了直前に指名したもので、すでに大統領選の当選が確実となっていたアキノ現大統領の非難の中、長官に就任した。  アキノ大統領就任後、アキノ大統領の行政に不利な判決を出し続け、コロナ長官はアキノ大統領の目の上のたんこぶとなっていた。昨年11月にはアロヨ前大統領の出国監視措置を解除する仮処分命令、アキノ大統領の実家のルイシタ農園の農地分配の命令、などなど。 弾劾裁判の判決の決め手は資産報告義務を定めた憲法違反、240万ドルのドル預金と8070万ペソの預金が報告書に記載されていなかった、というものだ。そのほかの罪状は、すでに有罪判決が確定されたので評決はされなかった。  無罪評決を出したのは、憲法専門の弁護士のアロヨ上院議員(アロヨ前大統領とはたまたま名前が同じだけで何の関係もない)、毒舌家で有名な弁護士、ミリアム上院議員、それに親の代からアキノ家と対立してきたマルコス元大統領の息子のボンボン・マルコスだ。賛成した上院議員は憲法上、果たして有罪かどうかというよりも、コロナ長官の個人資産の額や検察側のショッキングな報告に大いに心を動かされたらしい。 巷の意見は二つに分かれている。コロナ長官の無罪を主張するものと、有罪を歓迎するものだが、知識人は無罪に傾いているようだ。知識人は、アキノ大統領が自己の無策を棚に上げて、アロヨ前大統領やコロナ長官を槍玉に挙げて、失政の矛先を変えようとしているに過ぎない、という見方をしている。彼らは、英雄、コーリー・アキノ元大統領の息子というだけで、大統領に当選したアキノ現大統領の手腕を大いに疑問視しているのだ。

コロナ最高裁長官の弾劾裁判 2012年6月2日


 5月29日昼前、ちょっと強い雨が降り、マカティ市は恒例の道路冠水に見舞われた。マカティの比較的低地にあるパソンタモ通りは場所によっては乗用車が通れなくなった。31日の午後はまだ午後の3時だというのに夕暮れ時のように暗くなり、熱帯特有のスコールが襲った。  今年は例年になく涼しい夏が続いて、4月からようやくフィリピンらしい暑さが連日続いたが、5月も末になると雨季が近づいて、この日はいよいよ雨季入りを感じさせるものだった。6月1日の新聞では気象庁が雨季入り宣言をしたそうだが、これからは毎日スコールがあり、パソンタモ通りは冠水を繰り返すことだろう。  何故、こうもたやすくマニラは道路冠水するのか、その辺は3年前の台風オンドイの調査のブログを参照されたい。  さて、一方6月は新学期シーズンだ。2ヶ月以上の夏休みを満喫した子供達はいよいよ学校へ復帰する。6月4日(月)からほとんどの学校が始まるが、子供達は久しぶりに先生や友達に再会して、教室や校庭の掃除をして、初日を終える。  写真下の右端はカーネルの娘、16歳だ。先日、5月26日に誕生日を迎えたばかりだが、いよいよ大学進学で、広告や装飾を行う芸術学部に進学するそうだ。16歳なら日本で言えば高校1年生だが、おませで長身なだけに大学生の貫禄がある。今日(6月1日)は新学期を控えオリエンテーションに出かけて行った。  他の子供達は田舎からKIANの遊び友達としてマニラに来ていたのだが、いよいよ帰郷が近い。今日、おばあさんやお兄さん達がやってきて、新学期前に田舎へつれて帰る。きっとKIANが寂しがることだろう。

フィリピンに雨季到来ー新学期 2012年6月1日