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大分前、NHKで、「男は視覚で恋をする、女は理性で恋をする」というテーマの番組をやっていた。男女の恋愛を学術的な観点に立って解析したものだ。  この恋愛の原理は、その後、私が、男女の問題を考える上での基本となっている。欧米や日本では、男女の関係は、人工的な文明(?)が大分入り込んで、ややこしいものになっているが、フィリピンでは、神の教えを忠実に守っているので、この恋愛の原理が適用できて、わかりやすい。  フィリピンでの恋愛の一般原則は、ブログ「フィリピン流恋の手ほどき(その2)」で取り上げたが、今回はより、具体的な問題に論及する。  マム・ジェーンの姪子たちは、16~17歳と、胸も膨らみ、お尻も、もっこりし始めて、いよいよ、男の視覚を刺激するお年頃になってきた。18歳未満のマイナーとのセックスは、それが合意のうえでも、いたした男は罪になる。ということは、それだけ、この年ごろの女性は、男に狙い撃ちにされ、社会は、それを法律で取り締まってでも阻止しなければならないという訳だ。  マム・ジェーンの度重なる注意にも関わらず、姪子たちは、皆、ボーイフレンドができていた。そもそも、あの携帯電話というやつが、男の恋のアタックを容易にする。執拗なテキスト(メール)に、女は身も心もとろける。このころの、さかりがついたばかりのメス達(失礼)は、まだ理性というものがない。男の甘い言葉に、メスとしての生殖本能を呼び起こされ、彼女たちは、これが純粋な「愛の世界」だと勘違いして燃え上がる。彼女たちは携帯を一時も離さず、彼からの甘い言葉を待ち続ける。といっても、「I love you」とか、「Mahal Kita」とか、「I miss you」などの単純な言葉を並びたてているだけなのだが。その点、カーネルが、娘のキム(17歳)には携帯を持たせたないという強硬手段に出ているが、さすが警察のやることは違う。 そんな男の甘い言葉にほだされて男の求めに応じ、なけなしの処女を提供してしまう少女が多い。高々16~7歳のハイスクールの男子生徒に扶養能力があるはずもなく、女が妊娠すると、男は逃げて、女は、出産そして花街への転落というお決まりのコースをたどる(フィリピンで、避妊は宗教上嫌われ、堕胎は法律で許されないため、セックス=妊娠=出産となる)。  そして、女は、花街で、スケベ親父の相手をしながら、はじめて、「恋は、理性でしなければならない」と悟るのだが、すでに時遅しだ。こんな年齢の恋は単なる「青春の甘酸っぱい一ページ」で終わるのが一番いいのだ。へたに成就すると一生涯、悔やんでも悔やみきれないことになる。  マム・ジェーンは姪子達にボーイフレンドがいることを悟り、再び訓話を施す。「もし、男に処女をささげたのであれば、その男の元に行け。学校の費用や生活の面倒はもはや見ないから、勝手に生きていけ。それがいやならボーイフレンドとは即刻別れろ」と。マム・ジェーンに見放されたら、甲斐性のない両親では大学進学は夢の夢だ。そうしたら、自分の未来がないことぐらいは彼女たちにも理解できる。大学1年のバネサ(写真、左、17歳)は早速、ボーイフレンドと別れることを決意したそうだが、果たして本当に別れるのだろうか。  たとえ、ボーイフレンドの元に走ったとしても、フィリピンでは、男に甲斐性がなくて、女が一家の生計を支えていかなければならないことが多い。教育がなければ、メイドあるいはデパートの売り子くらいしか働く先がなくて、一家で食っていける収入は得られない。そうなると、女が稼げるのは花街くらいになってくるが、それでもそこそこのご面相が必要条件となり容易なことではない。  娘の母親たちは、恋に落ちた娘の行く末を十分承知しているから、理性をもつように導こうとする。しかし、母親とボーイフレンドのはざまに立った娘は、えてして、黙っていればわからないと、突っ走ってしまう。ところが、そのうち、出っ張ったお腹を隠すことができなくなり、すべてがあとの祭りとなる。 […]

フィリピン流恋のてほどき(その3, 女は理性で恋をする)2013年1月3日


 正月を迎え、天気は、相変わらず、ぐずついてマヨン火山は姿を現さない。反対に農園の植物は、天の恵みを受けてみずみずしい。里芋の一種(ガビ)のおおきな葉は傘にはいいかもしれないが、芋は食べられないらしい。 先日、発見した貝のように模様が美しいカタツムリが、2匹、仲良く木に止まっていた。 先日、放牧したカビアーは雨が強くなると、しっかりとり小屋で雨宿りをしている。 今朝がた、未明、ダニーが黒豚2匹を放牧場に放した。2匹の子豚を意を得たりとばかりに、走り回っている。人の足ではとても追いつけない。望遠レンズで、なんとか姿をとらえることができるが、なかなか警戒心が強く、人を寄せ付けない。まさに野生だ。   金網越しに一所懸命土掘りをしているところをとらえたが、この直後、遠くへ逃げ去った。  たった2匹の子豚では、里芋の葉に隠れるといるのか、いないのかわからない。カビアーとも喧嘩もせず、うまく共存していけそうだ。 家に戻ってきて、ランカの実をむこうと、上を見上げると、大きな蜂の巣を見つけた。スズメバチの巣らしい。こんな近くにスズメバチはちょっとヤバいと思うが、皆、どうってことはなさそうだ。  毎週のように、大きなランカの実が収穫できる。一個当たり、10kgはあるので、皆で食べても一週間はもつ。 種の周りの黄色いところを食べるのだが、その外はべたべたしていて、気持ちが悪い。手に付いた、べたべたは油でなければ取れない。  オクラは旬を過ぎてしまっているが、大きくなりすぎたオクラの実に昆虫がたかっていた。日本で見たこともない、蛍のような形をした昆虫だ。交尾のまっただ中で、邪魔はしないようにした。

正月の農場の風景2013年1月2日



 あけましておめでとうございます、今年も宜しくお願いします。  ビコール地方、タバコ市の農園からの挨拶しています。今回は、昨夜、あるいは今朝のパーティの様子を紹介します。  マム・ジェーンの率いるゴメス・ファミリーは、大晦日に一同が農園に集まって、クリスマスと新年を迎えるパーティを開くのが恒例だ。クリスマスツリーの周りにはマニラ新聞で包んだ大量のギフトが部屋いっぱいに置かれている。 食べ物をいっぱい用意された。甘いスパゲッティ・ミートソースはパーティには欠かせないメニューだ。それに豚肉のアドボ、パンシットカントン、チーズ巻きのから揚げ、などなど、私には、ちょっと手をつけることができないものばかりだ。 食事は、新年を迎えてから頂くそうで、夕飯はパンシット・ビーフンで軽く済ませ、9時過ぎから、写真撮影が始まった。マミーを囲んで、ジェーンのそれぞれの兄弟の子供達、兄弟夫婦と子供達(4組中、2組は別れてしまっているが)、ジェーン兄弟とマミーなどなどあらゆる組合せの写真を撮影する。幸い、今回は、ジェーンがiフォン4を買ったので、私はカメラマン役から解放された。 子供達が全員集合、ジェーンの従姉もの子供も合わせて、25人程度の子供たちが集まっていた(下の写真は左が入りきれずに欠けている)。 最後は、全員集合、料理の手伝いに駆け付けたマミーの友人などを含めると、全部でざっと40人程度がパーティに参加した。 お年頃のお姉さんたち。太めのデバインは21歳だが、他は、皆、花もほころぶ16~7歳のティーンエイジャーだ。 記念撮影が終わると、いよいよパーティの始まりだ。すっかり寝込んでいたKIANは起こされて、ご機嫌斜めだ。 初めのゲームはじゃんけんぽいのようなもので二つのグループに分かれて拳のかわりに体で表現して勝負する。 このころは、KIANも目が覚めて、それなりにゲームに参加している。 次が新聞紙を半折にしていって、その中に二人で立つもの。新聞紙が小さくなってくると、片方がもう片方を抱き上げたりすることになる。男女がペアになると、なかなかスリリングで、パーティには欠かせないゲームだ。 パーティ・ゲームが一段落すると、いよいよ、ギフトの配布だ。200~300個もあるであろうギフトを一つ一つ名前を呼んで渡すのだから、これだけで、1時間以上かかってしまう。初めにKIANから一言あいさつ。何を言っていたのか聞き取れなかったが、ママの言うことを繰り返していたのだろう。 ギフトを渡すのはKIANの役割だ。ママ・ジェーンは将来KIANがゴメス・ファミリーを統率して行けるように、今から、皆にKIANへの忠誠心を植えつけているような気がしないでもない 子供たちにとっては、この時が一番楽しい時だ。大人たちには生活がかかっており、大きなプラスティック・バッグに子供たちがもらったギフトを次々に放り込んでいる。 […]

年末パーティ2012年 2013年1月1日


  師走の31日、ちょっと晴れ間が出たので、KIANを農場に連れて行った。この日、姉のキムはパパ・ーネルとレガスピ市に出かけたので、従兄弟のチャールズがお供した。  テラピアと鯉の餌やりはKIANのお好みだ。餌を放りこむと魚が群がってくる様子が楽しいようだ。途中で見つけた竹の棒で、池の水と遊び始めたKIAN。こうなると簡単ことではやめない。なにしろ水遊びが大好きなKIANだ、 久しぶりにマミーにたらいで水を浴びさせてもらう。KIANがマイ・プールと叫んで、上機嫌だ。一番下の動画では、泳ぐ真似をしている。 今度は、子供たちとファームハウスの前の道路で追っかけごっこをして遊ぶKIAN。農園の道路は野芝(カラバオ・グラス)だから、転んでもふわふわしていて痛くない。車は全く通らない広々とした空間なのだ安心して子供を遊ばせることができる。KIANはいつも皆の中心だ。一方、画面後方のタムタムはいつも仲間外れだ。同じマコリットな(しつこい)子供でも、何かが違う。 KIANの一番の相手はジェーンの次兄、アランの子供のアーランだ(10歳、4年生)。なかなか利発な子で、色白美人3姉妹とあわせて、親のアランは「嫁選びは下手だが、子作りはうまい」と自慢している。しかし、子作りのあと、子供達の面倒を見ないのでは、どうしようもないが。転げても痛くはないし、汚れないので、KIANにはもってこいだ。  この日久しぶりに訪問してくれたのが、ジェーンの従姉の子供クレヨ(17歳)だ。本来ならば大学に行ける年だが、2年ほど休学していたので、まだ、ハイスクールの2年生だ。彼女の姉が、例の関取り、デバインだ。お父さんは、デバインとは別のインド人で、無責任な母親のおかげで、親戚の家を転々としながら、ここまで育って来た。ビアンカと同じく、一所懸命になって台所を手伝う、とてもいい子だが、いろいろ苦労してきたのだろうと思う。何を思ったか、ジェーンは、突如、彼女を農園に住まわせて、面倒をみると言いだした。しかし、その後、彼女には養子縁組の話があって、遅すぎたと話していた。 年末のパーティ間近とあって、続々と子供たちが集まって来る。プロ歌手のチェムチェムもやってきて、KIANと遊んでいる。 パパ・カーネルは姉のキムと出かけているので、チャムチャムが携帯でのおもちゃでパパを呼びなさいと、KIANをせかしている。KIANは人にいじめられたり、からかわれたりすると、怒って「ポリスを呼ぶ」と叫ぶ。そして携帯でパパ・カーネルを呼び出すしぐさをするのだ。たまにパパに叱られると、「ポリスを呼ぶ」とKIANが叫ぶが、パパの答えは、「俺がポリスだ」だ。

子供達は農場で元気いっぱい(その4)2013年1月1日



農場にはジェーンの甥と姪、それに自分の子供、総勢14人全員が勢ぞろいしているので、家の中は子供たちでいっぱいだ。フィリピンで、庶民の住宅地を覗いてみると、巷に子供があふれかえっている。まさにそんな状況がファームハウスでおきている。   お姉さんたちは、クリスマスのギフトの梱包に余念がない。バリクバヤンボックス程度の大きな段ボール2個分の衣類や靴、雑貨などを包むのは、なんと新聞紙、マニラ新聞だ。昨年より、経費節減のため、クリスマス用の包装紙の使用は中止した。ギフトは一人10個以上、これで1年分の衣類などが賄われるらしい。   ジェーンは、9月ごろから、休みごとに中華街のデビソリアに行って、クリスマスの買い物していた。そして、それを皆に配るクリスマスパーティがいよいよ間近に迫っているのだ。ちなみに、ファームでは12月31日に年末年始のパーティを兼ねてクリスマスパーティを開くのが恒例だ。 ケーブル・テレビではディズニーの漫画が24時間流れているので、子供達は、いつも夢中で見ている。もちろん字幕はないが、子供達は、生のアメリカ英語を理解しているようだ。KIANは多少理解している程度だろうが、5~6歳になるころには完全に理解できるようになってしまうのだろう。日本でもアメリカ映画の字幕の使用を法律で禁止したら、かなり英会話学習の意欲の向上と実践に役に立つのではないかと思う。 ヤヤがいないので、KIANの子守はもっぱら姉のキムの役割だ。食事中、何か歯に挟まってしまったようで、大きな口をあけて、姉に取ってほしいとせがむKIAN。 忠犬アイスがテーブルの下で、鼻をKIANに押しつけて、ソーセージをくれるようおねだりをしている。それが嫌で、大声をあげて泣き叫ぶKIAN。 男の子と小さな子供はギフト包みには関係ない。マスター・ベッド・ルームのベランダを占領して、遊びまわる。手すりに座って皆でポーズ。 KIANが糸トンボを見つけて、飛んできて、私に見せてくれた。農場には、ホタルなど忘れかけていた自然が生きている。 誰かがUNOというカード・ゲームを見つけ出して、私に使い方を聞いてきた。昔、私が日本から持ってきたやつだと思うが、使い方がわからないで、ほっておいたらしい。それがもともと息子の持ち物だと分かり、早速、息子に教わりながら、ゲームが始まった。トランプの大富豪のような遊びらしいが、それぞれの子供達のスマートさがわかるという。 小学校1年生、7歳のタムタムとヤナはゲームのやり方を理解できず、除外、泣きながら、仲間外れとなる。なにしろ、一回のゲームに1ペソかかっているので、皆必死だ。2年生のアレクサとアレアの双子は、なんとか合格、4年生のバレリーとアーランがなかなかの腕前らしい。左から、アレア、アレクサ、バレリー、アーラン、タムタム、ヤナの小学生6人組。右端のヤナはかなりの美形に写っている。ジェーンの次兄のアランの子供は概して色白の美形だ。 はとこのプロ歌手のチェムチェムとの初対面、手をおでこにあてて、正式な挨拶をするKIAN。 ジェーンの次兄の4人目の子供、上の3兄弟とは腹違いのヤナは、幼稚園から飛び級で小学校2年生に入学した才女だ。ただ、お母さんを癌で亡くし、お父さんは他の女と同棲したりして、子供の面倒をろくすっぽ見ないので、ここ数年、農場に預けられている。私の前ではいつも静かで、物悲しさを漂わせているが、息子の報告で、普段は活発で、やんちゃでマコリット(しつっこい)な、当たり前の子供であることが暴露された。 おでかけから帰ってきたKIANのやったことは、他の子供が使っていた絵本を取り上げて、その上に乗っかってダンスをすることだった。なんとも行儀が悪いが、KIANのやることはなんでも許される。ビアンカがキッチンで働いているとき、誰かが、後ろからぶったので、ビアンカは血相を変えて、タムタムっとどなった。振り返って見ると、それがKIANだったので、思わず笑顔に変わった。KIANがやることはなんでも可愛いと、許されるのだ。 再び、UNOゲームを楽しむ子供達。お金をかけるのは教育上、よろしくないと、マム・ジェーンのコメントが入ったので、今度は1ペソ足らずのスナック菓子を景品とした。一回のゲームに勝つとスナック菓子をもらえる。そうすると、皆、もらう度に食べてしまうそうだ。日本の子供だったら、ため込んで、後でゆっくり賞味すると思うのだが、フィリピンの子供は、そんなケチなことはしないで、さっさと消費してしまう。宵越しの金はもたないという、気風の良さを、子供の内から発揮する。やはり、冬がない熱帯に生まれると、冬に備えて食料を貯め込むという、生活の知恵、あるいは習慣とは無縁なのだろう。 普段は、キッチンが皆の食事どころだ。ダイニングのテーブルで食事を取ることは、われわれとマム・ジェーンがいる時かパーティの時ぐらいなものだ。 […]

子供達は農場で元気いっぱい(その3)2012年12月30日


フィリピンに持って行った方がよいもの、と聞かれると、私は常々、「耳かきとハエたたき、それに枕」と答える。それに愛用のノートパソコンも必要だ。耳かきと枕は自分専用のものを大事に使えば10年は持つ。しかし、ハエたたきは消耗品なので、そうはいかない。   フィリピンや日本の100円ショップで売っているプラスティック製のものは、数日も使えば、ぼろぼろになってしまう。なんといっても昔ながらの鉄網製のものでなければだめだ。日本の家の近所に昔ながらの金もの屋さんがあって、そこにおいて鉄網製のハエたたきがおいてあった。だいたい、毎年、夏と冬に一回ずつくらい日本に帰るので、夏に帰った時は、このハエたたきを大量に仕入れる。お店にあるだけ買い占めてしまうのだが、せいぜい5本程度しか置いていない。一本200円程度だったが、100円ショップのプラスティック製にものに比べて、100倍近く長持ちするから、少しも高くない。しかし、最近、その店でもなくなってしまったのだ。  マニラにいる限りは、ハエもほとんどいないので気にならないが、農場は、やはりそこそこのハエがいる。蚊がほとんどいないのは幸いなのだが、このハエ一匹で、食卓が台無しになる。以前から、ハエが多いのは周辺を不潔にして、ごみがあるからだと、五月蝿く(うるさく)言い続けてきた。でも多少のハエは、こまめに退治するしかない。 ここ、一年ほど鉄網製のハエたたきを買ってきていないので、農場にまともなハエたたきが無くなってしまった(上の写真は長兄ダシンの家で、未使用のものを見つけて、もってきてくれたもの)。そこで、今回は農場に半月も滞在するので、とても我慢できまいと、マニラで躍起になって、ハエたたきを探しまわった。  マニラの家で使っていたのが下の写真のハエたたきで、柄はプラスティックだが鉄製の網を使っている。これはフィリピンの100円ショップチェーンの日本城で買ったものだそうだ。しかし、網のふちが少々切れていたので、新しいものを数本買おうと思った。  日本城(Japanese Home Center)とサイゼン(日本の100円ショップ、ダイソーの子会社)を当たったが、両方ともなかった。さらに、たまたま家の修理に来ていた職人(ウベット)に手作りで作らせようとしたが、時間切れとなってしまった。  ジェーンの弟のボボイに聞いてみると、農場のあるタバコ市にいくらでも売っていると自信を持って言い切る。それに最後の望みをかけて、壊れかけのハエたたき一本を抱えて飛行機に乗った。案の定、件のハエたたきは数日で実用に耐えるものではなくなった。  そこで、今度はタバコのファーム・ハウスで窓に昆虫よけの鉄網を窓にはっていたウベットに修理を依頼した。新しい鉄網を張り、その周りをエポキシで固め、大分頑丈そうな出来栄えに満足。これなら、1年くらい持ちそうだ。今度、同じものを日本城で見つけたら、まず、周囲をエポキシで固めて丈夫なハエたたきを作って農場に供給しようと決意した。 ボボイによると、タバコにいくらでも売っているはずの鉄製のハエたたきだが、到着早々長兄ダシンの奥さんのノーマに聞いたら、そのなものはタバコ市にはないという。後から、ボボイに念を押すと、「プラスティック製のものはいくらでもある」という。そんなものは初めから問題にしていない。彼にしてみれば、ハエがいるのは当たり前の話で、ハエ、一匹に大騒ぎする方がどうかしていると思っているのだろう。だからマニラでは、その場しのぎのいい加減なことを言ったに違いない。  ところで、何故、ハエたたきは網でなければならないのだろう。プラスティック製にしても、網の部分がプラスティックだから、壊れやすいだけで、構造的には同じだ。もし、プラスティックか何かの薄い板だったら、そう簡単には壊れないのではないだろうか。  それは違う。もし、ただの板で、ハエをたたいたら、うちわの原理で、風が発生する。その風がハエを押し出してしまい、ハエをたたくことはできない。風は通すが、ハエはしっかりキャッチする、すなわち、テニスなどのラケットのように、ハエたたきは網製でなければならないのだ。

執念のハエたたき 2012年12月30日



まるで、雨季まっただ中の農場は、連日、一日中で、時折晴れ間がさす程度だ。20日の訪問以来、、まだ一度もマヨン火山の姿を拝めることができていない。28日はちょっと晴れ間が出て、完全ではないが、マヨンを眺めることができた。 マヨン火山の中腹に生えている、玄関前の庭に植えたシダの木は、屋根に届くほどの大きさに育っている。やはり日影が好みと見えて、表の庭に植えたのとは、段違いだ。  マニラで買ったパパイヤの種をまいたら、実をつけるまで成長した。地元の大型のパパイヤと違って、小粒で丸く、とてもおいしいそうだ。残念ながら、私はまだ食する機会がないが。 裏庭には知らぬ間にカカオ(チョコレートの原料)の木が育って、実をつけるまで成長している。 先日買い求めた地鶏のカビアーは養鶏場を元気に走り回っている。もうすぐここに黒豚を放す予定だが、一緒に仲良くやってくれるだろうかと、気にかかる。 どこからか捕まえてきた野生のアヒル。すなわち鴨。アヒルに比べて大分小さい。 黒豚の飼育が本格的になったら、一般の食用豚の飼育は中止しようと考えている。人工飼料だけしか食べず、野外に出して雨にあてると死んでしまうというのでは、大規模な養鶏場で大量生産される45日と何の変りもない。 一方、黒豚は、自然飼育が可能で、餌も広範囲なものを食べるそうで、農場の期待の星だ。最初は、2頭のつがいだけだが、早くたくさん子供を作って、カビアーと一緒に放牧場を埋め尽くしてほしいと思っている。 農場には3頭の牛がいる。毎日草を食べているだけだが、それなりに農場の草取りには寄与している。黒い牛は、一番若い牛で、まだ角が生えていない。 農場でいち早く実をつけ始めたランカ(ジャックフルーツ)。栽培はとても簡単で、大きいものは子供の体重ほどもある実をつける。未熟の実は野菜としても活用され、利用価値の高い果物だ。写真のもので直径40cmほどもある。 10年ほど前に100本ほど植えたココナッツは、成長してたわわに実をつけている。ココナッツは捨てるものがないというほど、有用な植物で、南の民は、コメとココナッツで数万年の年月を生きてきたのだと思う。コメの作れないところは、フィリピン中がココナッツ・ファームとなっている。 農場には、闘鶏が10羽ほどいるが、その戦いの本能はすさまじく、フィリピン最大の娯楽=賭け、の対象となっている。田舎ではどの家の庭でも闘鶏を飼っていて、休みごとに殿方の慰みとなっている。テキサスと呼ばれる輸入品種はつがいで一万ペソもするそうだ。その勇壮な姿は、威厳さえ感じるが、さらに闘鶏の顔を拡大してみると、その精悍な顔つきに驚く。真っ赤な顔に大きなとさか。われわれ哺乳類にはあり得ない顔つきだ。鳥は、恐竜を祖先とするといわれているが、さすがに、かつて地球を席巻しただけのことはある。 最後に登場したのが、馬のジンポだ。農場の開設以来いるから、10年近くになる。これが、最近脱走して、息子が丹精込めて作っていたパパイヤの木を根こそぎ食ってしまった。息子は激怒して、こんな役立たずの馬は売ってしまえと息巻く。ジェーンに相談したら、10年間もの間、農場の草を食べて、すなわち草取りをして、農場の美観の維持にに貢献してきた。というわけで、ジンポは命拾いをして、相変わらず草むしりに精を出すことになった。

師走の農場風景 2012年12月29日


今日は、パパとママが弟のボボイとその子供達を連れて出かけた。KIANをおいて出かけるということは、なにか重要な用事があるらしい。おいてきぼりを食ったKIANは、私に抱かれながら足をばたばたやって、泣き叫ぶ。私が事前に農場に連れて行って、知らぬ間に出かけようという作戦だったが、タイミングが悪く、車が出て行くのをKIANに見つかってしまったのだ。 無理やり農場に連れて行こうとしたら、ダニーがココナッツの実(ブコ)をとっているところに遭遇した。KIANは機嫌をなおして、ブコの収穫を物珍しそうに見つめる。早速、割ってココナツジュースを味わって、中の柔らかい果肉を賞味した。KIANが手をつけることはなかったが、このブコ・ジュースはほのかな甘みがあって、なかなかの美味だ。クリスマスの準備のためにダニーはマム・ジェーンから60個のブコを農場から調達するように指示されたそうだ。このブコの果肉を削り取って、スイーツを作るのが、クリスマスの恒例なのだ。 テラピアと鯉の養漁場で餌やりをして、次は養豚場。タロー(番犬)がいるので、KIANは中に入るのをためらっていたが、私が抱きかかえて中に入った。姉のキムは初めて養豚場を訪れたようで、KIANよりも、ものめずらしそうに眺めていた。  汚れた長靴を洗うようキムに要求するKIAN。きれい好きなKIANだが、それよりも水遊びが大好きなのだ。長靴の中にまでいっぱいに水を入れて遊んでいた。昼寝中の母豚とツーショット。しかし、この後、決して近づこうとはしなかった。さすがのKIANも自分の体重の10倍もあろう大きな豚に恐れをなしているようだ。         雨が降り始めると、両手を広げ、大きく口をあけて雨を飲みこもうとするKIAN。自然の恵みを一身に受けようとしているかのようだ。養豚場からの帰り道、歩くのが疲れたのか、キムに抱かれてツーショット。 養漁場の脇には従来のバハイ・クボ(農家の家)を改築して、マミー(ジェーンの母親)の姉さんが住んでいる。雨が強くなったのでダニーも雨宿りをしていた。おばあさんが呼び寄せると「アヤオ-いや」とはっきりと拒否反応を示した。KIANはおばあさんがあまり好きでないようだ。 そこで再び、強い雨が降り始めたが、KIANはうれしそうに外に飛び出る。養魚池の水面でわかるようにかなり強い雨だが、KIANはものともしない。   さすがのキムも疲れ果てて、KIANをおろそうとすると、いやいやをして抵抗するKIAN。ハウスに戻ると、ママがいないのを思い出して、泣きそうになるKIAN。 しかし、そんな時のとっておきの手が水浴びだ。雨にぬれた後は、どういうわけか水浴びをしなければならないようだが、KIANはママのことを忘れて大はしゃぎだ。

KIANの農場散策 2012年12月29日



今年は雨が多く、今までに見たこともない大きなカタツムリが農場のいたるところでみられる。ここの住民にしてみれば、特に目新しいものではないそうだが、私にとっては初めて見る巨大なカタツムリだ。KIANの手と比べてわかるように直径7cmほどで、このタイプのカタツムリは食用になるそうだ。たぶん、フランス料理-エスカルゴの材料だろう。タガログ語で「スソ」というそうだ。 ちょっと長めで、海によくいる巻貝の格好をしたのがいたが、模様もきれいで、これがカタツムリの一種とは信じがたいほどだ。所詮、海にいる貝も、これらのカタツムリも同じ仲間なのだろうから、海には直径が数十センチの大きさのものもいるし、こんなカタツムリが地上にいても不思議ではない。しかし、殻を形作るための、これだけのカルシームを、地上で草を食べるだけで摂取することができるのだろうか。中から顔を出すと、それはしっかりとカタツムリだ。ベランダで飼おうと、アロエの鉢に置いたのだが、翌日にはいなくなっていた。アロエは口に合わないようだ。 前から存在を知っていたのが、このカタツムリで、一番ポピュラーなやつだ。観葉植物の植え込みから5~6匹も見つかった。 このカタツムリが、玄関の前庭に植わっているサボテンの木を台無しにした。せっかく丹精込めて育ててきたサボテンの木に、5~6匹固まって、サボテンの幹を食い荒らしていたのだ。         サボテンの幹の傷を見て、何か病気にかかったのかといぶかったが、それがカタツムリの食事の跡とすぐにわかった。このままほっておいたら、サボテンは消滅するところだった。ビアンカの協力で、全てのカタツムリを除去して、別の場所に移した。しかし、サボテンがここまで痛んでいたのを、誰も気がつかないというのもふに落ちない。ちなみに息子はサボテンの存在にも気がつかなかったらしい。 こんな巨大なカタツムリをマニラで見ることはあり得ないが、自然の山の中(ジャングル)ならばいくらでもいるのだろう。戦争中フィリピンのジャングルをさまよい続けた日本兵が食料にしたと、容易に想像できる。なにしろフランス料理の材料になるくらいだから、きっとおいしいに違いない。さらに水田や池の中にはタニシがたくさんいるが、これは、フィリピン料理-クホール・サ・ガタ(タニシのココナツミルク煮)として一般に食べられている。

巨大カタツムリ発見 2012年12月28日


   ビコール地方は、年末年始のころは、まだ雨季で雨が多い。それが、この地方が緑豊かな理由なのだが、時折の晴間にはママ・ジェーンとジョギングで体重調整を図るKIAN。ママ・ジェーンは毎日、ジムに通っているが、農場にいると運動不足になる。早朝のヨガ教室で教わったママ・ジェーンのポーズにKIANがじゃれる。 最近は女性の間でもボクシングが盛んだが、やはりジムでトレーニングをしていると見えて、ママ・ジェーンのボクシングスタイルはどうに入っている。KIANは従兄弟たちを良く殴るが、どうもママが教えているらしい。農場には牛が3頭いるが、KIANが「モー」と声をかけても素知らぬ顔だ。 普段は家事で忙しいビアンカも25日のクリスマスは、リラックスして、他の子供たちとX‐BOXのダンスゲームを楽しんでいる。 KIANの姉のキムはキャノンの大きなカメラでKIANの写真を撮る。仕事でまだマニラにいるパパ・カーネルの指示で撮っているに違いない。普段見掛けないおおきなカメラに興味津々のKIAN。 カメラのフードを取り外して、カメラに見立てるKIAN。KIANにとっては何もかもがものめずらしい。今度は従姉のバネサがカメラを構える。KIANは写真を撮られるのが大好きだ。 ママ・ジェーンのスマートフォンを借りてゲームに夢中のKIAN。彼はすでにゲームのやり方を覚えて楽しんでおり、ママ・ジェーンによると相当な腕前だそうだ。ハイスクールのいとこ同士は、狭いメイド部屋にこもってテレビに見入る。狭いところで、寄り添っているのが大好きだ。 クリスマスの夜は、全員が集まってカラオケとダンス大会。この日訪れたプロ歌手のチェムチェム(ジェーンの従姉の子供、17歳)の歌声に合わせて、KIANがダンスを披露して、観客の大喝さいをあびる。インターネットが遅くて動画がアップロードできないので、モーションプリントをアップロードした。以前、紹介したが、チェムチェムは職業柄、この年で酒は行けるし、なかなかの悪だそうだ。 養鶏場の様子を見にKIANを連れていったら、強い雨が降って来た、KIANは大喜びで雨の中をはしゃぎまわる。KIANにとってはなんでもが楽しいようだ。 クリスマスイブに街に見物にでかけてみた。市庁舎の脇に道路には20軒近い花火屋が店を出していた。KIANが喜ぶと思い、大晦日用の花火を買い求めた。 市庁舎前の広場には電飾が全面的に施され、大勢の市民が憩っていた。 この時とばかりに小銭をせがむ子供達には、少々、うんざり。恒例のトライシクルの電飾は今年も健在だ。

子供達は農場で元気いっぱい(その2)2012年12月27日