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ホリーウイーク7日目、4月18日(金)はキリストが処刑された日で、ホリーウイークの佳境、街には帰郷した人々が行列をなし、嗜好をこらした神輿が出る。 パパカーネルの友人が農場を訪ねてきた。養魚場ではアヒルが器用に水中交尾をしていた ママ・ジェーンと縄跳びで遊ぶKIAN、それに久しぶりに四角い口をして泣き叫ぶKIAN この日はマヨンが美しい姿を見せた。カーネルの友人も来ているので、養魚場のテラピアを収穫して振舞った。その大きさにまさに舌を巻くKIAN 料理前のテラピアを見つめるKIAN。庭には、マニラから持ってきたテントを張ったが、すでにこのテントはKIANによって破壊されている テントの前でポーズを取る、キム、ママジェーン、ビアンカ、それにKIAN バーベキューに果敢に挑戦するKIAN、炭火焼のテラピアも食べごろだ。 キムが食べているのは、キャッサバで作ったお餅、とてもおいしい            マヨンをバックに2枚。合成写真みたいだと感心する彼らに、こんな写真を撮るためには、①強制フラッシュにして、②シャッターを半押しして、背景に絞りとピントを合わせ、③ シャッターを半押ししたまま、カメラをを移動して中心に人物をいれて、 ④そしてシャッターを押す、というテクニックをしたり顔に教えてやった 夕方になると、街に人が繰り出す。タバコの中心街は足の踏み場もないほど人があふれるので、近所のバランガイでお茶を濁した。農場のゲートの前には十字架が飾ってあり、KIANも手を合わす   KIANは珍しそうに行列や神輿を眺めている

ホリーウイークの農場訪問 7日目 2014年5月16日


ホリーウイークの農場訪問、6日目(4月17日(木))は祝日で、マニラから帰郷した人々で人口は数倍に膨れあがり、街は人でごった返す。以下、この日の農場のスナップ写真だ。 この日は、マヨンが頭を出していた。右は完成したアンパラヤ(苦瓜)の棚 アンパラヤの苗も順調に育っている。右はオクラの苗。いずれも南国の野菜なのでよく育つ 家庭菜園には、さらにカボチャとスイカの苗が育っている。3ヵ月後には大きな実をつけているはずだが、そのころに農園を訪問する予定はないので、ありつけるかどうかは、定かではない KIANの日課はテラピアのえさやり、右の写真は新しく農場にやってきた子犬を囲む子供たち。しかし、狂犬病の予防注射をやっていないので、速やかに実施するようきつく申し渡した 黒豚の放牧場の境界に石を並べて、黒豚の逃亡を防ぐ作業を行う息子。しかし、数日後早速、一匹の黒豚が隣地に逃げ出してしまい、息子は、ブロック塀を建設することに決めた         広々とした放牧場で草をついばむ黒豚。黒豚は鼻で土を掘り起こして地面を耕してくれるので、その後にカモテ(サツマイモ)などを植えれば、黒豚の食料になり、餌の自給自足が成り立たせることをもくろんでいる 農園の入り口の右一帯は野菜畑となっているが、パイナップルのほか、唐辛子、トマトなどが育っている 名前はわからないが、ちょっと変わった観葉植物とブーゲンビリア          これはサボテンの一種、右は蘭の花だ  息子に飛行機をやってもらってご機嫌のKIANと、私のベッドを占領する子供たち

ホリーウイークの農場訪問 6日目 2014年5月16日



ホリーウイークの農場訪問、4月16日(水)5日目はナガ・シティ(農場から約100km、2時間の道のり)のバシリカ教会を訪問した。 途中私のひざの上に座って窓から顔を出して山の空気を味わうKIAN。峠を越えるとマヨン火山の裾野が見渡せる雄大な景色を一望できる 農場と反対側のマヨンの眺望(もっともどこから見ても山の形は同じだが)。マニラからレガスピ(500km)の国鉄は、現在、ナガまで開通し、この辺は、2006年の台風レミンで鉄橋が破壊されて以来、不通となっている レガスピからマニラに向かう国道はナラの木のトンネルが続く。ホリーウイークの行列が始まっていた バシリカ教会は、この辺ではご利益のある教会として有名で、ジェーンはここで祈った結果、KIANを授かったそうで、毎年お参りを欠かさないそうだ          祭壇の裏に回ると、Our Lady of Penafranciaの本尊(右)に触ることができる 丸い穴から手を入れて 本尊に触れるママ・ジェーンとKIAN。KIANも一丁前にお祈りをしている  いとこのヤナのお祈りを邪魔するKIAN。そして、皆で記念撮影 新しい教会なので、雰囲気に欠けるが、なかなか立派ね教会だ。明日の木曜と金曜は祝日で、教会は人で溢れるそうだ 昼もとっくに回って教会の近くのレストランで食事 ここはカンビン(ヤギ)の料理が名物だ  帰路、ナラの木は、花盛り、一方、マヨンは惜しげなく、その雄姿を見せてくれた  峠の高地は野菜やスイカ、そして果物の栽培が盛ん、大量のスイカを買い求めた […]

ホリーウイークの農場訪問 5日目 2014年5月15日


ホリーウイークの農場訪問、4日目のスナップ写真(2014年4月15日) 今日はママ・ジェーンとキムを伴って農場を散歩した   養鶏場はKIANのお気に入り、ひよこを抱いてうれしそうだ ひよこを抱く母鳥と馬と牛の放牧場を訪問 ファームハウスの前は400坪ほどの家庭菜園があり、オクラとペッチャイ(青梗菜のような野菜)を植えている 南国特有のカラチュチとブーゲンビリアの花も満開だ

ホリーウイークの農場訪問 4日目 2014年5月15日



ホリーウイークの農場訪問、3日目のスナップ写真(2014年4月14日)         熱帯の森林の花蘭、は木々に寄生して花を咲かせる ハンモックは格好の子供たちの遊び場だ 闘鶏の実演にKIANは大喜び この日は、子供たちを連れてジョルビーで食事。大きな店は客でいっぱいだ。マニラでは過剰気味のジョルビーも地方では子供たちの社交場としてにぎわっている チキンとスパゲッティの簡単な食事でも子供たちは大満足だ 雨降りでパジャック(三輪時電車)に乗って、ダシンおじさんの家に向かうKIAN。初体験に緊張気味だ。ダシンおじさんのサリサリは、ノーマおばさんの運営で、なかなか繁盛している ダシンおじさんの家はぬいぐるみがいっぱい、アイスクリームをおばさんに食べさせてもらってご機嫌のKIAN 毎日雨なので持参したテントを家の中で張って遊ぶKIAN。この直後、KIANはテントの上にジャンプしてテントの骨をつぶしてしまった

ホリーウイークの農場訪問 3日目 2014年5月12日


ホリーウイークの農場訪問2日目のスナップ写真だ(2014年4月13日)。          農場の入り口の左に地鶏の飼育場がある。そこでえさをやるのが日課のKIAN 昨日、買い求めたメス豚もすでに放牧場になれて、合計5頭の黒豚が元気に過ごしている。ボスはやはり、昨年、買ったオスの黒豚で、餌場をいつも独り占めしている。右手前のメスの子豚はお腹が膨らんでいて、どうも妊娠しているらしい。豚の赤ちゃんの誕生も間近い          ファームハウスの周りもみずみずしい。大型のシダの芽や、蘭の花がきれいに咲いている 可憐に咲いている白い花、そしてアボガドの実もついている 前回の訪問の時はランカの大きな実がたくさんあったが、今は小さめの実しかなっていない。サルの夫婦はいつも寄り添っているが、えさをやるとオス(右)がメスのえさを奪い、やさしさのかけらもない 風邪を引いて具合の悪いKIAN、ちょっと具合が良くなると早速おどけてみせる 養魚場はアヒルの遊び場でもある。テラピアにえさをやると競ってぱくついている。3つある池の一番上流は鯉の池だ40cmぐらいに育った3色の錦鯉が悠々と泳いでいる          KIANも母豚に大分慣れてきたようだ。カンコンをぱくつく豚に一人で近づくことができるようになった 豚小屋を出ると雨模様になっており、早速雨に打たれながらポーズをとるKIANとキム カメラの前でおかしなポーズを取ることをWacky(ワッキー)と呼ぶ。ワッキーを競い合う二人   […]

ホリーウイークの農場訪問、二日目 2014年5月11日



ホリーウイーク(4月14日~20日)を利用して丸々一週間をタバコの農場で過ごした。まずは初日のスナップだ(2014年4月12日)。 4月12日(土)農場滞在初日、正月以来の農場訪問に胸を躍らせるKIAN 息子とタバコにビールを買出しに行くビアンカ。KIANの安全のためにビンビールが禁止されているが、近所のサリサリでは缶ビールは売っていないので、タバコ市街までいかなけらばいけない。 早速、前の日に車で、一足先にやってきている姉のキムと農場散策。養魚場で魚にえさをやるKIAN。ひよこもたくさん生まれている。 母豚に恐れをなすKIAN。カラバオの子供も大分風格が出ている。 ファームハウスの近くでは闘鶏を飼っている。マヨン火山は雲に覆われているが頂上がかすかにうかがえる。 黒豚の放牧場の前にしつらえたハンモックは、息子の休憩用だが、KIANは見逃さない。正月に買った3匹の子豚も大分育っている。 家畜にえさをやるのが大好きなKIANは黒豚も見逃さない。ちなみに黒豚のえさは米ぬかだ。 昨年買った地鶏が相変わらず20羽程度で一向に増えない。そこで激を飛ばしたところ、20羽程度の雛がかえっており、有精卵もたくさんあって、抱卵を待っている。。   雛を大事そうに抱えるKIAN。養豚場の近くに一つホメロがなっていた。 キムとKIANがハンモックをゆらして遊んでいる。 夕方になるとマヨンが顔を見せていた。       昨年つがいで飼った黒豚のメスがのどに釘を引っ掛けて死んでしまったために、この日、黒豚のメスを8000ペソで買い求めた。養豚場にはなすと、早速、オスが寄ってきて、挨拶代わりの交尾。さすが畜生のやることは早い。これで、黒豚の赤ちゃんの誕生が期待できる。

ホリーウイークの農場訪問、初日 2014年5月11日


フィリピンは今、夏休みの真っ最中だ。そのため、ホリーウイーク(4月第3週)があけてから、我が家には田舎からたくさんの子供たちが遊びに来ていている。  彼らを楽しませるために、日曜日に、海に連れて行く計画を練っていたが、どこも費用がかかりすぎて、躊躇していた。そこで、手ごろな近場として、タガイタイという案が持ち上がった。しかし、タガイタイは、何度も行っており、あまり評判がよくない。しかし、先日行ったとき、建設中の観覧車を見かけたので、遊園地が開園しているに違いないということで、そこへ行くことになった。前日、翌朝10時きっかりに出かけると宣言した。 SM Prime Holdingsが経営する遊園地SKYRANCHのシンボルの展覧車と、同じくSMの大型コンドミニアムプロジェクトーWIND。両方ともタガイタイのイメージを台無しにする代物だ 翌朝になると、ジェーンがモール・オブ・エイシアに出かけると言っており、予定が変更になったと子供たちがうわさをしている。モール・オブ・エイシアなどはあえて日曜に出かけていくこともないし、ジェーンに確認すると、KIANがそう言い出しているという。KIANに問いただすと、どうも本当らしい。それでは、一人でパパ・ママと行っておいでと突き放すと、今度は一緒に行くと私に抱きついてきた。ジェーンは、KIANに裏切られたとふてくされ、結局、カーネルと二人だけでサンタロサのアウトレットに買い物行ったようだ。そんなこともあって出発は10時半にずれ込んだ。 タガイタイは、SLEXを南に向かい、サンタロサの出口を右に折れて、サンタロサの新興市街地をすぎて上っていく。途中、KIANがキャンディを模した店を見つけ、そこに入りたいとダダをこね始めた。最近、希望が通らないと大泣きして周囲を困らせるKIANだが、このときも泣き止まず、私が子守をするはめになった。サンタロサを過ぎて名物のゆでとうもろこしを買ったときも泣き止まなかった。    車の中で泣き喚くKIAN、姉のキムと、いとこのバレリー、それにトウモロコシやさんの子供たち。KIANの恵まれた環境とは大違いだ。 タガイタイに到着したら、もはや食事の時間。タガイタイの市街地を過ぎて、しばらく行くと、左に湖の見えるちょっと安めのレストランが並んでいる。まずは、そこで腹ごしらえだ。今日の参加者は、私と息子とKIANを除くとすべて女性。キムとビアンカと新しいメイドのドナは17~19歳の娘盛り、そのほかの女の子4人は8~11歳の小学生、総勢10人がモンテーロで出かけた。普段飲ませない、シェークやハロハロもご馳走して全部で2000ペソ(200ペソ/人)はリーゾナブルだ。 レストランは地元の観光客用でちょっとみすぼらしいが、景色は抜群だ。この景色にようやくKIANの機嫌も直った この後、普段お邪魔するタアルビスタホテルの展望台、マホガニーマーケットなどは、割愛して遊園地にまっしぐらだ。遊園地はタアルビスタホテルの隣で、もともと乗馬上の会ったところだ。入場料は大人も子供も一人100ペソ、全部で1000ペソもリーゾナブル。しかし、乗り物代は、別途中でチケットを買わなければならない。ほとんどの乗り物が50ペソだが、チケットを買うのに少々時間がかかった。 夏休み中の日曜だというのにさほどの混みようではなくて、そこそこの時間で乗り物を楽しむことができた。KIANのような子供でも楽しめる乗り物が多く、KIAN絶好調といったところだ。ただ、この日はタガイタイにしては異常な暑さで、われわれ大人たちは少々疲れ気味だ。乗り物代は全部で1000ペソ程度、半分はKIANが消費した。 展覧車の他はゴンドラが人気。場内を走る電車も人が並んでいた。メイドのドナはこんなときでもメイドのユニフォームでやってきている ジェットコースターはジェットと呼ぶには少々お粗末だが、KIANはそこそこスリルを味わったようで、2回も乗ってしまった 姉のキムと電車に乗って遊園地周りとしゃれ込むKIANと車を追いかけるいとこたち 遊園地の中央にはイベント会場があり、なにやら催している。その向うにも施設があり、その途中タガイタイの絶景を味わうことができる […]

タガイタイSKYRANCH訪問 2014年5月11日



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1990年ごろ、脳内革命という本がベストセラーになった。内容は、何かうれしいことがあると、脳からドーパミンという物質が出て、快感を感じ、それがやる気を引き起こすというものだった。それから、ドーパミンという言葉が一般に使われるようになった。その話を医者の兄にしたら、医学会ではそんなことは常識であって、あえて本に取り上げるほどのものでもないということだった。しかし、脳から発生する物質がやる気の基になるとは、素人の私にとっては大変新鮮なものだった。 4歳になるというのにKIANは相変わらず、歯磨きが苦手だ それから、20年以上経過して、NHKで、脳の仕組みに関する最近の研究成果について興味ある番組をやっていた。3回連続で、iPS細胞でノーベル賞を受賞した中山教授を招いて脳の仕組みを解説していた。第一回は脳の成長の仕組み、2回目は愛情の仕組み、そして3回目は老化の仕組みだ。 Vの字がKIANの最近のポーズだ 人間の脳は4歳くらいまでにその発達を止める。そうしないと、膨張し続けた脳は、アルツハイマーのような症状を示し、逆に萎縮してしまうそうだ。そして、その後は、脳の性能アップを図る段階で、小学生のころに、音楽を習わせると、五感がフルに働いて、脳はその回転を早め、いわゆる頭の良い子供になるそうだ。私は、KIANにテレビやTVゲームばかりではなくて、碁や将棋などのゲームをやらせたいと思っているが、音楽と同じような効果を発揮すると思う。 音楽は、楽譜を見て、手で楽器を奏で、耳で聞いて判断し、そして楽器の演奏を調整する。五感を瞬時に働かせ目的を達成するという、成長する脳に対して最適な刺激を与えることができる。物理的には脳の情報伝達細胞が情報の伝達を高速化し、要は頭の回転を早めることが実証されているそうだ。ゲームにしても、ゲームをしている間は、脳はフル回転で、じっと見つめているだけのテレビとは大違いだ。 ニューヨークのスラムの9歳の子供たちに音楽を教えたところ、ほとんど大学進学する子がいない地域で、音楽を教わった90%以上の子供たちが大学に進学するという事実に全米が注目しているという。 旧正月の飾りを前にポーズを取るKIAN 4歳ごろまでに脳の器(うつわ)が出来上がった子供は、その後、ゲームや音楽などの訓練で脳の性能を高め、そして、その後は高性能の器に知識を詰め込んでいく長い学校生活となる。だから、小学校を低学年までの間に器となる脳の容量と性能を確保しておかなければ、その後の人生に期待はできない。 この時期(幼稚園~小学校低学年)に、子供はよく遊びよく寝て脳の器を育て、ゲームや音楽などを楽しむことによって脳の性能を高めることが必要で、机に座って、ひたすらABCを唱えたり、123と数えたりするだけの詰め込み教育は全く意味をもたない。 KIANが、パパ・カーネルの実家においてあったキー・ボード(電子ピアノないしオルガン)にいたく興味を示した、という話を聞いて、早速、ヤマハ楽器の販売店(ブエンジアと通りとN・ガルシア通りの角のユーパンコ・ビル)にキー・ボードを探しに行ったら、1万~2万ペソで手に入ることを知った。この程度ならば何とかなると、近々購入することに決定したが、ママ・ジェーンに話によると、キャッシュ・アンド・キャリーには、カシオの製品が7千ペソ程度で買えるそうだ。いずれ購入したら、このブログで報告したい。 息子の帰国はピザで歓迎するのが最近のしきたりだ。KIANは親指を立ててポーズをを取る 第二話は、男女の愛や家族を思いやる愛情の仕組みだ。 恋人同士がキスをしたりしているとき、脳下垂体からオキシトシンというホルモンが発生する。さらに子供を生んだ母親には大量のオキシトシンが発生して、生まれた子供に深い愛情を感じることが実験で確かめられている。人は、このいわば愛情ホルモンが出ると、恋人や子供に愛を感じるのであって、要は、恋人を愛したり、わが子を愛するのは子孫繁栄のために脳細胞が発する愛情ホルモンによる指令なのだ。この仕組みが欠落すると、引きこもりなどの発達障害を引き起こして、他人との交わりをもてなくなる。無縁社会を構成する人たちもこの愛情ホルモンが欠如しているのではないか。 引きこもりの人にオキシトシンを注射すると、目に見える改善が見られ、社会生活を送ることができるようになるそうだ。ちなみ、マウスに注射すると、オスとメスが寄り添って、愛着行動を起こすという実験がある。そうなると、ほれた女に、いかに愛情ホルモンを発生させるかが、恋の成就の秘訣ということになるが、それは、やはり、贈り物と、おいしいものを食べさせることに尽きるのではないか。しかし、この愛情ホルモンを放出させるほれ薬ができたら、世紀の発明としてブレイクするに違いない。 […]

脳内革命、第2弾 2014年5月10日


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(2015年2月13日追記) 送金手続きを行うBOCの担当者が交代して、新規の方の送金手続きを行おうとしたら、BOCから待ったがかかった。その原因は、なんと、PRAの移動許可証に示されたPRAの口座番号と送金依頼票に示された口座番号とに食い違いがあったのだ。送金票の口座番号は、PRAからの指示書に基づいている。 早速、PRAに問い合わせてみると、PRAの移動許可証の口座番号が間違っていたのだ。PRAは、当方が用意した送金依頼票が正しくて、預金は、ちゃんとDBPに送られているので問題はないという。しかし、銀行としては、そのままでは、もはや、送金の実行はできないという(7名分)。さらに、調べてみると、過去に送金した分も食い違いがあり、BOCもそれに気がつかずに送金を実行していたことが判明した(15名分)。 BOCは、PRAと協議して、なんらかの訂正の文書をPRAから発行してもらって、移動許可証はそのままで、従来ならびに今後の送金が可能であるように処置するとのこと。そうであれば、再度移動許可証を退職者に署名してもらうというような面倒なことをしてもらわなくて済むので、ほっとした。しかし、それでなくても遅れに遅れてやきもきしているのに、とんだ人騒がせな話だ。 一方、昨年の10月以降に銀行移動を申請した方の移動許可証の発行が、4ヶ月が経過したのに、相変わらず無しのつぶてだ(10名分)。これらの方は、昨年、GMに直訴した時点では、まだ、申請が行われていなかった。そのため、当方の度重なる催促に関わらず、PRAの内部では、特別なアクションが取られていない模様だ。 一方、すでに、送金を実行したにも関わらず、預金の証明書が発行されていない方が、18名にもなる。一番早い人で、12月19日の送金だから2ヶ月近い。ただ、証明書を発行するだけのことに何故、こんなに時間がかかるのか、全く、理解できない。 これらことについても、再度、「伝家の宝刀=GM直訴」を使う時が来たようだ。 (2015年1月31日追記) GMへの直訴により、そのときまでに提出した銀行移動の申請は、すべて、移動許可証が発行され、逐次、処理を進めている。しかし、BOCからDBPへの送金を終えた後、預金証明の入手に正月を挟んで1ヶ月以上経過している。しかし、預金の移動が終わっているので、一安心だ。さらに10月以降に申請した10人の退職者の移動許可証の発行がまだで、引き続き催促しているが、なかなか発行されない。 一方、BOCの定期預金が共同名義だった場合、どういう取り扱いになるのか、PRAの回答が錯綜していた。そのため、DBPの預け入れは単独にすべきか、あるいは連名にすべきか、あるいは、その手続きはどうなるのかなど、適切なアドバイスができなかった。しかし、今回、実例が出て、PRAの財務とBOCと話をした結果、明らかになった。 要は、BOCの定期預金が共同名義(ORアカウント)だった場合、DBPのPRA口座への預金でも継続することができる。その場合、どちらか一方の手続きで引き出すことができるのだ。しかも、一方が亡くなったとしても、預金は、他の一方に自動的に継続され、相続などの面倒な手続きも不要だ。もし、希望するならば、共同でなくて単独名義とすることもできて、BOCからの送金票にその旨を連絡事項として記入するだけでOKとのこと。 (2014年11月25日追記) 前回の銀行移動許可証の発行から2ヶ月近く、一向に新たな許可証が発行される気配がない。退職者からの問い合わせもたくさん寄せられてくる。PRAの担当者も、GM(General Manager)が承認してくれないの一点張りで、埒があかない。これでも年も越せないと、GMに直訴状を書いた。もちろん、申請中の退職者のリストを添付して、許可証の発行状況を伝えた。 出張から帰ったばかりのGMは、早速、私を部屋に招きいれ、珍しく、言い訳と愚痴を並べ始めた。レビューあるいは承認すべき書類が山積して、どうしようもないというのだ。いずれにせよ、善処を約束してくれた。その直後、彼の秘書が私の提出してリストと格闘して、一人一人の申請書類の状況把握に躍起だった。 翌日、朝一、PRAに出向くと、秘書が声を張り上げて私を呼んだ。早速、許可証の束を手にしていたのだ。中には、関係ない日本人の書類も混ざっていたが、残り33通の内、9通の許可証を手に入れることができた。秘書と担当者にはGMからはっぱがかかっているので、今後は、スムーズに、ことが運ぶと期待される。 […]

Bank of Commerce(BOC)がPRAの認定から外れました2014年5月7日(2015年2月13日改定)