無事に目的を達してジェーン一家をフィリピンに送り返した後は、いよいよ、5年半の私の家族に対する不義理を果たす番だ。一昨年の次兄の葬式にはパンデミックにも関わらず、長兄からは何が何でも出席するようにとの命が下った。しかし、国家が国を超えての移動を制限している限り、私がどんなにわめいたとしてもどうにもなるものでもない。詳細は控えるが、私は日本人だから、日本には何とか戻れるだろう、しかし、フィリピンはの再入国は、パンデミックが明けるまで、例え、SRRVを持っていたとしても不可能だ。さらに昨年の一周忌にも参加できなかった。
ここに来て、私が一時帰国すると聞いて、長兄の喜びようは想像できる。早速、恒例の兄弟会を開催するというので、妻と二人で出かけて行った。横浜の反対側の千葉の安孫子からタクシーで、かれこれ7年ぶりの訪問だ。残念ながら姉と、三兄は都合で出席できず、長兄夫婦、故次兄の嫁、それに4男の私たち夫婦のみの出席だった。高級な寿司に舌鼓を打って、長兄の昔話に花が咲いたのだが、突如妻が、もう我慢できないとテーブルに臥せってしまった。滅多にない外出と会談に疲れて具合を悪くしてしまったのだ。救急車を呼ぼうとしたが、家に帰りたいという。それで、タクシーを呼んで、横浜まで2時間、42000円を使って戻った。
その夜は、引き続き、私の子供とその家族全員集合の家族会を予定していたのだ。家に戻って血圧を測ると200を超え危険領域だ。近くに住んでいる三男と嫁の計らいで、救急車を呼んで病院へ搬送した。三男の嫁が同行したため、家族会は妻と三男の嫁抜きで行うことなった。まさに10年に一度あるかないかの機会なので妻も強く、開催を望んでいた。
場所はイトーヨーカドーのガストでこじんまりとしたものだ。二人、抜けてしまったが、初めての3人の息子とその嫁、それに孫が4人、集まった一生の記念だ。因みにGUSTはタガログ語ではグストと読み、”好む”という意味だ。
4人の孫に囲まれてはにかむ私。連日の歩きで足の指を痛めて恥ずかしながらサンダル履きだ。
一族のホープ、やんちゃもののケイラ、2歳とは思えない大食いだ。
ロボットが調理済みの料理を運んでくるのは、人件費の削減というよりも客の目を引く見世物なのだろう。
夜になって、妻が病院から戻ってきたが、点滴やらで血圧も下がって、もう安心ということだ。翌日はけろっとしていたが、予定した次兄の墓参りは中止して、私だけ、たまたま休みが取れた三男に送ってもらって養鶏場で働いている次男の家を訪問することになった。
高速を抜けて、すれ違いもできないような山道を数十分進むと、突如として養鶏場が現れる、一回に10万羽の鶏を飼育して出荷するという広大な養鶏場、写真のような小屋が14棟あるそうだ。来る日も来る日も鶏の世話、近くに設けられた山の中の宿舎もそれなりで、幼子を抱えた家族が生活できるのだろうかと不安がよぎる。
最近引っ越したという元教員宿舎は3DKの立派の家で、内部は新築同様に整備されていた。これで家賃、月々15000円は格安だ。しかも学校は目と鼻の先だ。これなら子供達も喜ぶはずで、フィリピン人妻も一生、住んでもいいと言っているそうだ。
近所には立派な寺があるが、きっと、ここに流れてきた落ち武者達が建てたものに違いない。
10分ほどで街に出るが、そこには大きな病院やスーパー、念願の回転寿司もあって、生活するには十分なインフラがそろっている。
道の駅と称する地元でとれた生鮮食品を売っている。特に特大のシイタケはうまそうで、フィリピンに持って行きたいくらいだった。
庭で野菜を栽培するのはお手の物だ。
裏の田んぼを借りて米の栽培もやりたいところだ。
たったの300万円で売りに出ているボロ屋、建坪、223平米、土地が771平米で、かなり手を入れないと住めないだろうが、2世帯住宅にして、引退したら息子夫婦と妻と一緒に住みたいと思った。100坪以上ある裏庭はもちろん野菜畑で自給自足だ。息子はフランス風の外観にして、2階をペンションにしたいと試案しているそうだ。
養鶏場に向かったときは道が違っていたそうで、帰りはきれいな舗装道路で郵便局もあり、街まで10分と、田舎好きの私には理想的な環境だ。
いよいよリオの下校の時間だ。全校生徒が19人、リオ達の小学一年生はたったの3人、いじめなどほど遠い理想的な教育環境だ。そのため、リオは貴重なお客さんとして学校からもてなされているそうだ。
歩いて数分で家に到着だ。
帰ってきて早速宿題に励むリオをおじさんが教えている。畳の部屋にちゃぶ台で、自分の子供のころを思い出す。