Yearly Archives: 2018


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いよいよ12月に突入し、街は俄然、にぎわしくなっている。デパートは買い物客でごった返し、道路は車で埋まっている。こんな時は家でじっとしているのが一番なのだが、どうしても外出せざるをえないのがクリスマス・パーティだ。 PRAとしてもこの行事は、GMの晴れ舞台なので欠かすことができない。今年もいつものPhilippine International Convention Center(PICC)で、12月14日(金)午後6時から開催されるとの通知が今日、パーティの一週間前にやっと手に入れることができた。 我が家としてはジェーン一家総出で参加することなるが、2歳を迎えたクッキーのはしゃぎようが今から目に浮かぶ。キアンとしても若い退職者のお子さんたちに会うのが楽しみだ。 一歳を迎えたばかりのクッキーはよちよち歩きで舞台に立った。 昨年の300~400名規模のパーティはなかなか豪勢だった 先日行なわれたマーケッター感謝パーティで舞台に上がって踊る2歳のクッキー 昨年のパーティの様子は下記のブログ参照。 PRAクリスマスパーティ開催 2017年12月16日  

2018年PRAクリスマスパーティへの招待2018年12月7日


肺炎を患って入院して以来半年を経過して、体力もおおかた元へ戻った。そして、去年古希を迎えた今、いつまでも現役でいたいという願いをかなえるために良いものを選んで口にするうちにたどりついた自己流精進料理を紹介したい。 毎朝の食事は体に良いものを求めている間にかなりボリュームのあるものになってしまった 上段左から順に 1.味噌汁:発酵食品の味噌は日本食材の傑作で欠かすわけにはいかない。味噌はなるべく高い本物志向のものを買うようにしている。具はわかめと椎茸で日本食材店で乾燥したものを買いだめしているが、椎茸やわかめが癌予防になるのではないかと期待している。 2.ご飯:ライスは極めて少量で生卵と納豆をかけて食べるが、卵は日本食材店で通常の倍の値段のものを買っている。フィリピン人は卵は生で食べないので、スーパーで売っているものは衛生管理が行き届いていない恐れがある。出来れば自家製の地鶏の卵を食べたいが、それは引退して農場で暮らすようになってからの楽しみにとってある。卵は完全食品の優れものだが、一昔前はコレステロールが多いから一日一個までなどという濡れ衣を着せられていた。ライスは生卵と納豆を食べるためのおかずのような位置づけだ。 3.ダランダン生ジュース:一年中飲めるわけではないが、すっぱいみかんの原種ようなダランダンはフィリピン産で農薬の心配もない。認知症予防に効果があるのではないかと期待して飲んでいる。 みかんの原種のようなダランダンはフィリピン産。そのまま食べるには今一だが、ジュースはすっぱみがあっておいしい 4.豆乳:しばらく忘れかけていたがふと思いついて飲み始めた。ローカル製もあるが甘みや味がついていて飲む気になれず、わざわざ日本製を買っている。いずれは大豆を買ってきて自家製の豆乳を飲もうと思っているが、農場では残念ながら大豆ができない。豆乳を飲み始めてから便通が劇的に改善して、毎朝、欠かさず大量の便が出るようになった。三食欠かさず飲んでいたら、少し腹が出てきたので朝食に限って飲むようにした。 5.日本茶:水代わりにいつも飲んでいるのが日本茶だ。テーブルにはポットにいれていつでも飲めるようにしている。 外で食事を取る時は、定食を取って、数人分の野菜や味噌汁、漬物を一手に引き受ける 下段左から順に 6.粉末ウコン:知り合いから自家製のウコンをいただいて小さじ一杯程度飲んでいるが、今のところこれといった効果は出ていない。個人差があるようで、息子は数日で劇的な効果が出たが、末期癌まで治してしまうというので根気よく飲み続けている。 農場で育ち始めた春ウコンと紫ウコン、約400坪の家庭菜園はウコンで埋め尽くすつもりだ 7.漬物:梅干とたくあん、それに最近はキムチも加えた。日本食の原点の発酵食品で胃腸を整えるという算段だが、梅干とたくあんは日本食材店でも欠かせない人気商品のようだ。梅干のすっぱさに顔をしかめるたびにクエン酸の効果を実感する。 8.納豆:いわずもがなの日本食の傑作だ。納豆の効果を記述すると1ページにもなってしまうが、日本食びいきのフィリピン人も納豆だけは手が出ない。納豆が大好きだったキアンも最近は手が出なくなった。問題は、日本食材店でよく品切れを起こすことだが、それだけ納豆は日本人の食卓には欠かせないということだ。 […]

自己流精進料理(朝食)の紹介 2018年9月2日



しばらくブログを休んでいる間に、退職ビザの発行が遅れに遅れ、2ヶ月近くかかるというていたらくだった。申請時にいつ発行されるかとPRAに聞くと20ー30営業日(4週~6週)と答えるが、それもうつろに響いた。要は時間無制限の完全な退職者でなければ申請できない状況になっていた。そのせいか、PRAで日本人を見かけることは、めったになくて、日本人申請者は激減している。実際問題、当社のとり扱い日本人は年初からたったの6人で、2010~2014年は40~50人で推移していたものが2015年から減り始め、半減、半減を繰り返している。 その原因は、 1.円安:一時1ドル80円が、現在の110円となると、2万ドルの預託金は160万円から220万円に跳ね上がって、40%近く増加してしまった 2.物価差:フィリピン経済は順調で、毎年6%程度の経済成長と供に物価の上昇に見舞われている。これが10年も続けば物価は1.8倍になる。一方、日本の物価はあいかわらず平坦で、これに円安110/80を掛け合わせると、なんと円換算のフィリピンの物価は3.3倍に跳ね上がって、10年前に5倍の物価差と言われていたものがせいぜい1.5倍にしかならない。これでは年金暮らしの退職者にとってわざわざフィリピンくんだりまで来て暮らすメリットがなくなってしまう。ただし唯一の救いは人件費は相変わらず業種によるが5分の一から10分の一を維持していることで日本の人手不足を考えると天国の様ではある。 3.発行期間:私がPRAで働いていた2004~2006年には5営業日で発行するとPRAは豪語していた。それが、2週間になって、しばらくして3週間、ここいらあたりが現役組の滞在の限度だった。それが昨年あたりから4週間(1ヶ月)の大台をこえて一気に2ヶ月という声を聞くようになり、現役組の申請者は途絶えた。発効日が日単位が週単位になってついには月単位で数えなければならなくなってしまったのだ。 円安と物価差はいくらあがいても致し方ないのだが、何故ビザ発行にこんなに時間がかかるようになったのかとPRAスタッフに聞くと、申請者が増えているのにスタッフの数は同じで書類がたまる一方、さらに入管は書類の審査を厳密にして、一体いつ書類が入管から戻ってくるかブラックボックスだと、わけのわからぬ言い訳をする。私に言わせれば、余計なルールを作って担当者の負担を増やしているだけで、要は顧客=退職者の視点に立った改善の姿勢がないからだ、といいたいのだが、そんな声はまるで、猫に小判、馬の耳に念仏だ。民間会社だったら競合相手に負けてとっくに倒産しているはずなのだが、それが親方日の丸で相変わらず中国人や韓国人、それにインド人で繁盛している。 しかし、当社のような日本人相手のマーケッターにとっては死活問題で、そのせいか、相変わらずPRAに出入りしている日本人は私くらいのもので、他社のSRRV部門は開店休業のようだ。ちなみに、本年度の当社のビザの取り扱い合計は現在、13名、そのうち欧米人が7人で逆転しており、発行待ちも日本人一名にたいして欧米人が4名だ。なぜ欧米人が最近になって急増したのかはわからないが、欧米人の退職者にそのことを聞くと、英語版HPを運営している相棒のジェーンはこの世界では、良い仕事をするマーケッターとして欧米で名が轟いているそうだ。そのせいか毎日のように問い合わせが来る。 7月10日(火)はパスコにとって記念すべき一日となった。その日は、どういうわけか3人の欧米人が同時に申請の手続きをしにやってきたのだ。オーストラリア人、カナダ人、それにイギリス人で3人は異郷で故郷の友に再会したように話が弾んでいた。それもそのはずでカナダ人もオーストラリア人もイギリスからの移民で、まさにグレート・ブリティン(大英帝国)を髣髴させる状況だったのだ。 3人の大英帝国人のビザ発行の予定としては1ヶ月強と見込んだのだが、3週目に状況をヒアリングしてみるとすでに最終段階のビザの貼り付けを終えてサイン待ちだという。結果として3.5週で発行の運びとなったのだが、意外な早さに地方でスタンバイしていた彼らがやってくるのに一週間待つ羽目になった。ここ10年以上、遅れる一方だったビザ発行が予測より1週間も早くなったことを称賛しようとPRAスタッフに話をしたら、「入管のお偉いさんが雨で外出できず、部屋に閉じ込められていたので早くサインがもらえただけ、たまたまよ、当てにしないほうがいいわよ」という冷めた返事だった。

退職ビザ(SRRV)の発行が早まっています 2018年8月17日


ママ・ジェーンが外出していると、もっぱら私の部屋で時間を過ごすキアンだが、最近テレビでアニメをやっているのをみていて、一つ目のキャラが出ていた。しばらく、見つめているうちに疑問がわいてきた。「なぜ人間はあるいは動物は目が二つあるのか、何故一つや三つではいけないのか」しばらく考えて一つではだめで二つなければならないのかわかった。三つではいけないのかは答えがでなかったが、早速キアンに同じ質問をしてみた。 久しぶりに一家で外出してご機嫌のクッキー、カメラを向けるとお決まりのすまし顔をして首を傾げる、ママ・ジェーンと一緒の髪飾りがユニークだ キアンは、なるほどという顔をして、早速回答して来た。「一つだと、それがだめになると目が見えなくなるが、二つあればもう一つの目で見ることができる」まあまあの回答だが正解ではない。しかし、質問の意図を解釈してそれなりの回答を出したことについて評価できる。これはきっと幼稚園のときに大量に買い与えた百科事典を日ごろ読んでいるせいに違いない。 大きく口を開けるのもクッキーの決まり顔だ それで片目をつぶらして、私の指を顔の前に立てて、つかんでみろと指示をした。キアンはつかむことができない。今度は、両目を開けてつかんでみろといったら、こともなくつかむことができた。要は目が二つあることで物体の距離ないし位置を把握できる、すなわち立体視ができるのだ。それだけでは一つ目小僧がいない説明にはならない。立体視が出来ないと何故この世に存在できないのか。答えは簡単で獲物を捕まえることができなくて飢えて死んでしまうので、目が二つある動物だけが生き延びているのだ。だから魚から昆虫まで世の中の動物といえるものはすべからく二つ目なのだ。 指付がかわいらしいが、なにか指すときに人差し指を使うのは本能のようだ しかし、ここで収穫だったのはキアンはもはや幼児ではなくて立派な少年に成長していることだった。先日、ヤヤが血相を変えて、タガログ語で私とキアンに何か訴えていた。誰か外にいて車がどうのこうのと言っているので来て欲しいという。そこで二人で降りていったらセキュリティガードがタガログ語で黄色いFJクルーザーが違法に駐車してどうのこうのと言っている。するとキアンが英語で、「その車のプレート番号は何だ」、ガードが番号を答えると、「それは車の前後についているのか、この家のFJクルーザーはまだプレート番号がないからそれは違う、誰か他所のものだ」と、堂々とよどみなく対応した。ヤヤと私は顔を見合わせて感心した。まさに大人顔負けの少年だ。この話をママ・ジェーンに話をしたら喜んで飛び上がらんばかりで、キアンも得意満面でその場の会話を早口で繰り返していた。 泣いたり笑ったりする表情は万国共通だがこれも本能なのだろう、しかし動物は何故泣き笑いしないのだろうか そして数日後、車の中で現在私のドライバーをやっているアランおじさんに同じ質問をした。しかし、彼からは何の答えも返ってこなかった。それでさらに矢継ぎ早に質問をしてみた。動物は何故耳が二つあるのか、何故水面は水平なのか、何故海には満潮と干潮があるのか、何故海には波があるのか、などなど、全く答えは返ってこなかった。ハイスクールで教わらなかったのかと問い詰めたが、学校では先生の話は全くうわの空で聞いていなかったというのが答えだった。フィリピーノは計算に弱いのは定評があるが、理科や社会も弱いようだ。しかし、子作りだけは上手で3人の妻との間で6人の子供をもうけているのがしゃくにさわる。キアンは子作りはそこそこでも算数や理科に強い大人に育って欲しいと願う。ところで三つ目人間が存在しないのは未来が見えるので、皆失望して自殺してしまったのではないだろうか。 昨日、NHKの「ダーウィンが来た」という番組で六つの目をもつ世界一美しい蜘蛛(孔雀蜘蛛)が登場していた。この六つ目のおかげで視界が360度あるというのだが、六つの目で360度の物体の形や遠近を把握するという、脳の機能はいかほどのものなのか想像がつかない。しかもからだそのものの大きさが4mm程度というのだから脳の分子数は知れたものだろう。二つの目でさえややこしいのに世の中には想像を絶する世界があるものだ。ちなみにこの蜘蛛の美しさはメスを獲得するためのもので、求愛に失敗するとメスに食われてしまうのだそうだ。

動物は何故目が二つあるのか 2018年8月5日



年を取るとちょっとしたものにけつまずいて転びやすくなる。入り口の段差はもとより、道路のでこぼこ、数ミリのタイルの段差にけつまずいて転びそうになり、そのたびにヒヤッとする。これほどまでかと自分でも思うくらい大げさに体を投げ出して転んでしまう。これがもう少し齢を重ねると足や腰の骨を折って寝たきりになってしまうだろう。そうなると人生はお終いで自分も周囲にも不甲斐ない長々とした介護生活が待っている。クッキーを見ているとしょっちゅうすっころんでいるが、七転び八起きですぐに立ち上がって走り回っている姿がうらやましい。したがって年を取って一番の大敵は癌や糖尿病よりも転倒だと思う。 家で履いているサンダルはひょっとすると手のひらを下に折り曲げるように底の先が丸まってしまい、平らな場所でもつまずいて転びそうになる。はだしになった方が安心なのだが、スリッパをはかないとひっぱだかれるのが我が家の掟だ(キアンはスリッパをはかないで家の中を歩くとよくひっぱだかれていた)。私にとっては階段の途中ですっころんだりしたら骨折というリスクがあり、再起不能に陥ること間違いないが、それでも掟は破れない。 日本のデパートで買ったスリッパ、底が固くてちょっとやそっとで折れそうにないので気に入った  そんな矢先、先日(5月)に兄弟会に出席するために日本に行った際、孫娘の七五三の撮影会でデパートの中をうろうろしていて目に付いたのがこのサンダルだ。2000円程度してサンダルとしては高額だったが、その硬さが気に入った。底の周囲はそりあがっていて頑丈になっており、手で曲げることはできない。店においてあるサンダルといえば、そんな形が主流だったが、健康というか事故防止のために早速一足買い求めた。フィリピンに戻ってはいてみると極めて心地よくて、室内でひっくり返る危機に見舞われることはなくなった。それでもう一足買おうと近所のデパートに行ったが、いかにもという安物しかなくて形は似ていても底が柔らかくて役にたたない。 フィリピンのものは数百ペソで買えるのだが底が柔らかくで役にたたない  そんな折、サンタロサのアウトレット街、買い物のメッカにキアンの通学用の靴とサッカー用の靴を買いに行った。二足で5000ペソという予算にびっくりしたが、キアンの新学期用となると財布を紐を緩めるしかない。 サンタロサはマニラッ子の買い物のメッカ 2016年12月7日 Adidas Outletは5割引き3割引きはざらなので、いつも買い物客で溢れ返っている  自分では履いたこともないAdidasブランドの通学靴が2000ペソ、サッカーシューズは探し回って、なんと900ペソのものを見つけることができた。似たようなものが4000ペソもするのにどういうわけか900ペソという掘り出し物だ。キアンも履き心地に満足したようで、迷うことなく買い求めた。 キアンのAdidasサッカーシューズは格安900ペソで手に入れることができた  アウトレット街をうろうろしていてジェーンが教えてくれたのが、件のサンダルだ。確かに日本で買ったサンダルと一緒で履き心地も良い。しかし、なんと5000ペソを越える値段だ。まさかサンダルに一万円強とは、日本で一緒に買った革靴の倍もするではないか。底には「BIRKENSTOCK Made in Germany」と得意げに書いてあり、ジェーンによるとブランド物で健康に良いという。ブランドなどどうでも良いが、たかがサンダルに5000ペソ払う馬鹿がどこにいるのかと思わずつぶやいた。しかし寝たきり生活の防止に役に立つとあれば、5000ペソの投資も高くはないかという考えも浮かんできた。結局、ジェーンは、いずれ半値で買えるからと店を後にした。しかしさすがドイツ、世界にとどろく商品を開発するものだが、日本で買ったのもこれをまねたものだったのだろう。しかし、これまたさすが日本でオリジナルとそん色ない品質で価格は五分の一だ。ちなみにフィリピン製の価格は十分の一だが役立たずだ。 […]

5000ペソもするサンダルとは一体何者なのか2018年8月5日


ブログへの登場はしばらくなりを潜めているが、相変わらずいつも私と行動をともにしているキアンだ。そのキアンに大いなる試練がやってきた。 今年は新学期が7月から始まったが、キアンもいよいよ3年生だ  先日、親しくしている札幌の退職者の誘いがあり、冬の北海道家族旅行が現実化しつつある。はじめはキアンと二人だけの日本行きのはずだったが、パパ・ママに加えてクッキーまでが付き添うことになって、総勢5人の大旅行となってしまった。パパカーネルの長期休暇取得とキアンの学校休みの都合で、年末クリスマスをはさんで一週間の旅程を組んだ。年末はさぞ航空チケットが高いだろうと検索してみるとエクスペディアでマニラー札幌、往復5万円/人・程度で買えることがわかった。格安とまでは行かないが年末にしてはオンの字だ。しかし、9月10日から運行されるはずのPALの直行便は見当たらず、乗り換え時間を含んで14時間とはいかにも辛い。しかし、2日がかりでゆっくりいけば、乗り換え時間を利用して、韓国、台湾、あるいは東京も見物できるという息子のアドバイスで、結局東京経由で行くことにした。それでも同じ5万円少々だから返って得な気がした。日本に行ったことがないカーネルのたっての願いで往復は早足で東京見物も組み入れることになった。ママ・ジェーンの念願のママ・のぶ子さんとの夕食会も実現するかもしれない。 7月6日PRAの創立記念パーティ、18歳未満お断りのはずだったが、PRAのユニフォームに身を包んだキアンは当然のごとく参加した  一方の私の肺炎での入院をきっかけに家族全員の肺のレントゲン検査を行った折、キアンが結核に感染しているという疑いがあって、予防のために薬を3ヶ月飲むように医者からアドバイスされていた。しかし、キアンは錠剤を飲み込むことが出来ず、液体の薬にしたが、それも血液を飲んでいるようで気持ちが悪いとどうしても薬が飲めないでいる。一見、まったく健康で、そんな心配はないと思うのだが、医者は執拗に繰り返して、鉾をおさめない。そんな心配を抱え続けるのもいやなので、「このままでは、日本の入管に入国を許可されないから、なんとしてでも薬を飲んで憂いを取り去ろう」という提案をした。キアンもそれには納得しているようだった。 7月20日札幌の客の農場視察に同行してレガスピ空港に降り立ったキアン、客先接待係の面目躍如といったところだ 金曜の夜、遅く帰ってきたママジェーンとパパカーネルの特訓が始まった。私は、寝てしまっていたので、その様子を聞いたのは翌日、ピアノにキアンを連れて行ったときのことだった。早朝寝起きに携帯を見ると「キアンの罰として私との食事、パソコンを禁止する」というメッセージがママ・ジェーンから入っていたので、キアンは薬を飲むことができなかったのだと予測された。10時過ぎキアンを起こしてピアノ練習に行く準備をさせると腫れ目のキアンはなんとなく元気がない。夕べはこっぴどく叱られて泣き寝入りしたらしい。 農場からの帰還の飛行機の中でくつろぐキアン。私と一緒にいるときがキアンの最もくつろげる瞬間だ。出発前、ジェーンが同行すると言ったら、キアンのがっかりした様子に笑ってしまった  すったもんだの挙句に果てに結局キアンとのランチの許可が下りて恒例の樹海での食事となった。キアンに夕べのことを聞くと、やはり錠剤を飲み込むことができず、パパ・カーネルに壁に向かって立っていろ命じられたとのこと。また、「ママが怖い(I’m scared of mommy)」としみじみつぶやいていた。同席したジェーンの兄、アランもあまりにキアンが可哀想なので止めに入って、ようやくキアンへの折檻が収まったとのこと。キアンは、私にしがみついて甘えていたが、自分が愛され守られているという実感を感じようとしていたのに違いない。 7月22日デュシットホテル、パントリーのビュッフェに招待されて、大盛りの料理におどけるキアン、食べ放題のアイスクリームも無常の喜びだ  問題は、キアンが大きめの錠剤をどうしても飲み込めない、という単純なものだ。これは物理的に飲み込めないのであって、単なる物理現象であり、子供の責任ではない。だったら飲めるように工夫してやるのが親の責任であろう。それをあたかも悪さをした子供を叱るように折檻するというのは全くの見当違いだ。マット運動や鉄棒ができないからといって先生が子供を張ったおしたり壁に立たせたりするだろうか。何故出来ないのか、できるようにするにはどうしたらよいのか教えるのが先生の役割だ。その辺は、日本的発想かも知れないから、ジェーンに兄としてじっくり話して欲しいとアランに頼んだら、横で聞いていたキアンが「僕はわかる、I understand」とすかさず口を挟んできた。彼の側に立っている人がいると言うことを認識して心がめげてしまわないよう祈るばかりだ。 […]

薬が飲めないからといって何故折檻されなければならないのか 2018年8月5日



PRAの催し物はいつも突然声がかかるのが通例だが、今朝、今回のツアーの幹事と思しきスタッフから、8月2日(木)のコレヒドールツアーに参加して欲しいと声がかかった。私としては何度も行っているし、キアンは学校を休ませるわけにはかないから、やんわりと断ると、知り合いの退職者に声をかけて欲しいと懇願する。参加者が若干名不足しているらしいので、ブログで声をかけるので連絡を待って欲しいということで納得してもらった。 コレヒドールといえば第2次世界大戦の遺跡がそのまま残っていることで有名な観光スポットで、興味がつきない場所だが、詳細は下記のブログを参照して欲しい。 コレヒドール島訪問 2010年8月4日 バラックと呼ばれる兵舎が延々と続く 巨大な大砲がそこかしこに置かれている 巨大なトンネルは日本軍の駐屯所だった 以下はPRAの案内、明日中に予約を入れて参加して欲しい。集合場所のサンクルーズのターミナルはMOA(モールオブアジア)の至近距離だ。 Good day! It is with great pleasure […]

PRAのコレヒドールツアー参加の誘い2018年7月30日


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最近ラグナ・テクノパークで違法就労容疑の法人が拘束されたというニュースがマニラ新聞に出ていた。「男は就労許可や就労ビザを取得せずに日系企業の営業部長として働いており、情報提供があったため強制捜査に踏み切った。男は旅券やビザを証明する書類を持っておらず、運転免許証が押収された。」とある。 ここで目に付いたのは、「情報提供」という言葉だ。要はタレこみがあったのだ。タレこんだのはきっと男の部下で、きっとへまをしでかしてきつくおこられたのだろう。腹いせに入管にタレこんだに違いない。 本当に営業部長として組織に組み込まれて働いている場合、日系企業で就労ビザ(9dないし9gビザなど)も就労許可(AEP-Alien Employment Permit)もとらずにいるなどということはありえない。きっと下記のような微妙な状況にあったに違いない。 9gビザないしAEPの申請中で手元にパスポートがなかった。通常、申請中であれば情状酌量の余地はあるが、それを証明する書類の写しを所持しているべきである。例え一日でも収容施設に入れられたのではたまらない。 厳密に言えば申請中でもPWP(Provisional Work Permit、暫定労働許可)が必要で、2~3日で発行される。大分前の話になるが、私自身がPRAで働き始めるときにAEPを取らされたのだが、それが取れるまで出勤することは許されなかった。さすが役所のやることはお堅い。 出張ベースで来て現地社員の指導をしており、給与も現地会社からはもらっておらず特に就労しているわけではない。あるいはセミナーなどの指導のために短期間訪問していている場合だ。これも厳密に言えばSWP(Special Work Permit, 特別労働許可)が必要で、2~3日で発行されるが、そんなものを一々とっている会社は少ない。また、芸能人が公演をするときなども必要なビザだ。 さらに最近は特に会社に所属しているわけではないが、個人的にフィリピンに在住して業務を遂行して、日本の会社から対価を得ているという場合がある。従来であれば、フィリピンで収入があるわけでもないし、対価は日本の口座に振り込まれるし、一体、入管なり税務署に捕捉する手立てがあるのか、ということでAEPはとらないでも大丈夫と判断された。 しかしながら同僚ないし知り合いにタレこまれたのではたまらない。立ち入り調査でパソコンなどを調べられたら、仕事をしていることは一目瞭然で、通帳などを見ればしっかりと収入を得ていることもばれる。しかも税金も納めていないから脱税の容疑もかかる。 […]

フィリピンで就労する時は、就労許可証(AEP)が不可欠 2018年7月12日



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フィリピンで就労している場合、外国人であってもフィリピンへの納税義務があるため、TIN(Tax Identification Number:納税番号)の取得が義務付けられている。日本のマイナンバーに近いものと思ってよいのだが、このTINは就労していなくてもコンドミニアムの売買、株式投資、遺産相続など納税の必要が出た場合にBIR(Bureau of Internal Revenue)という日本の税務署にあたる役所から提示を求められる。フィリピンで就職した場合、TINは雇用する企業がまとめて取得等の事務処理を行うため、就職時にTINの存在を意識する必要はない。 一方SRRVの取得にはTINは必要ないため、ほとんどのSRRVホルダーはTINを持っていない。しかし、上記のような事柄に関連してCAR(Certificate Authorizing Registration:納税証明書)を申請する際、売買では売り手と買い手、相続では相続人と被相続人双方に必須の情報となるため、TINが必要となってくる。 就労していない外国人にとってこのTINの取得が難関なのだ。また、TINの番号だけでよいか、あるいはTINカード(TINが印刷され、顔写真を貼付できる紙製のカード)が必要なのかによってその難 易度が大きく異なる。端的に言ってTINカードの取得はフィリピンで就労していない場合は、よほどのコネがない限りその取得は不可能といってよい。 さて、件のSIRV申請中の方と、SIRV取得に必須である株式投資のためにフィリピンの某大手証券会社に訪れた。証券口座を開設するためだ。口座の開設には顔写真付きのID、現住所を証明できるもの、銀行口座等が必要なのだが、その必要書類のリストの一番下に目立たぬように、難敵であるTINが記載されている。申請者はフィリピンで就労していないので、当然TINを持っていない。 証券会社の担当者よりTIN取得の要領が記載されたペーパーを渡された。そこにはインターネット上でTINを取得できることも記載されているのだが、よく読むとフィリピン人用であり外国人は対象となっていない。口座開設者のTINを証券会社の方で代わりに取得してもらえないかと要求してみたのだが、それはできないという。現地証券会社でできないものが一外国人にできるわけもないと思うのだが、そのあたりの企業努力はされていないようだ。後日、申請者はインターネット上でTIN取得を試みたそうだが、何度操作しても「BIRに訪れ申請してください」と表示され、どうにもならなかったそうだ。 当方としては金にものを言わせれば何とかすることができるのだが、今後も常にネックとなることなので、今回は正攻法、つまりBIRに訪れ担当デスクでTINの取得を試みることとした。 まず、証券会社としては必ずしもTINカードを要求しているわけではなさそうなので、まずはTINの番号の取得を試みることにした。さらに色々と調べていくと、どういうわけか就労していない外国人の新規TINの発行は、現在はケソンのBIR […]

外国人の難敵TIN(Tax Identification Number-納税番号)2018年7月6日


毎日のように催促していたにもかかわらずPRAからようやく招待状をもらったのが、一昨日、パーティは4日後に迫っているのに、何というていたらくだと感心した。それはいつものことなので、早速ブログで知らせようと思ったものの、毎日が多忙で、ようやく明後日のパーティを知らせることができた。招待状によると一昨日までに出欠を届けなければならないことになっているので、時すでに遅しの感はある。 今回は、その筋のお達しにより、規模を小さくして質素なパーティということなので、今までのように来るものは拒まずという方針は撤回して、一人につき同伴者一名、18歳未満はお断りなどと厳しい方針で臨んでいるようだ。私の知り合いでご夫婦の他に4人の子供とヤヤ4人で出席しようとしたら8人の同伴者を体よく断られてしまったそうだ。その話で招待状が発行されていることを知ったわけだが、私には招待状がいつまでたっても届かない。 私自身は近々、パーティがあるということは知っていた。その訳は、部長のハビタンさんから「ビコールの農場の最近の写真をくれ、創立記念パーティで紹介したい」という話が合ったのだ。それからしばらくして、課長さんから再び「農場の写真をくれ、表彰式の際にバックスクリーンに写す」というだ。種がつきたのかそんなことまで表彰したいということらしい。そういえば、私の知り合いの100歳の退職者が表彰されたこともあった。しかも私の写真までも欲しいというのだが、私自身の写真はない(自撮りは趣味ではない)ので、その場で写真撮影となってしまった。 ところで私はテーブル一つを割り当てられているので、もし、申し込みをしていないが是非参加したいというSRRVメンバーの方がいたら、私の招待ということで参加できるので連絡して欲しい 場所はいつものPICCでモールオブエイシアに程近く、スターシティの至近距離なのでわかりやすい。 以下は昨年の創立記念パーティの様子だ。 昨年の創立記念パーティは盛大だった 入管の幹部アトーニー・カンタ(中央、PRAのボードメンバー)を囲んでマーケッターのかしましいおばさんたち キアンは食べ放題のアイスクリームに目が無かった

第33回フィリピン退職庁創立記念パーティのお知らせ 2018年7月4日