Yearly Archives: 2015


9月25日の金曜は、ラマダン入りの休日となり、ご家族一行をマニラツアーに案内した。家族の構成は、訪問中のおじいさんとおばあさん、フィリピン在住のお母さんとそれに子供3人(長男5歳、長女2歳、それに次男3ヶ月)、それにヤヤの総勢7人(ご主人は留守番)。5歳の長男は、先日、タバコの農場を訪問し、KIANと遊び回った仲良しなので、当方もKIAN、それにヤヤとビアンカを同行させて、総勢、11人という団体ツアーとなった。車は、そのために12人乗りのニッサン・アーバンをレンタルした。 道中、5歳同士の長男とKIANとが車内を大はしゃぎで動き回って、渋滞でいらいらするところが、わいわいがやがやの楽しい旅となった。家族の希望で、下町、すなわち彼らだけでは行けないような場所ということで、マーケット、キアポ、チャイナタウンなどを中心に回った。スコーターにも行って見たいということだったが、渋滞で時間切れとなり、割愛した。 カーティマール・マーケットはLRT1とブエンジアの角の奥にある日本人の奥さんも多くやってくるマーケットで、通常の生鮮食品や乾物のほか、3軒ある日本食材店やペットショップで有名だ。 豊富な野菜は細めのきゅうりや大きなたまねぎやねぎ、ジャガイモなど、他では手に入らない野菜が置いてある(左)。同行した奥さんはトマトが安いと早速買い求めていた。魚売り場では、KIANは生きたなまず(タガログ語でヒト)に興味深々だ(右)。 マーケットに近づくやいなや、KIANが ”FISH”と大声をあげた。以前、ここで Fighting Fishを買って、数ヶ月家で飼っていたのをKIANは覚えていたのだ。この魚は生命力が強く、ビンの中でも活き続ける。一匹づつ別にするのは、一緒にすると喧嘩を始めるからだ。ビンを近づけただけもファイティング・ポーズをとるなど、まさに闘鶏と一緒だ。 マーケットの次は、マニラ唯一ともいえる観光スポットのイントラムロスに向かった。ここの一押しはサンアガスティン・チャーチ。バロック建築様式の教会群として世界遺産になっている。すぐ隣のカーサ・マニラはスペイン時代の住宅を再現したムード満点のエリアだ。       イントラムロスにKIANを連れて来たのは初めてだと思うが、ひたすらはしゃぎまわっていた(左)。カーサマニラの中庭には話題の竹製の自転車がレンタル用においてあった(右) 皆が、カーサ・マニラの内部を見物している間、子供達は外で待っていた(左)。そこではモデル(眉毛がやけに太いのが気になった)の撮影が行われていた(右)。今日は休日なので、学生らしき若者が大勢来ていた。 次に向かったのは、下町の中の下町、キアポだ。今日は、キアポ・デイ(毎週金曜)でしかも休日ということがあって半端な人出ではない。教会の中は人で満ち溢れ、足を踏み入れることさえもできなかった。         小さな子供は車においてきたが、KIANがはぐれてしまわないか、ヤヤも必死だ(左)。キンタマーケットが解体されており、そこの店が道路いっぱいに屋台を置いて、周辺は足の踏み場もないほどだった(右)。 この日は、特別に、本尊のブラック・ナザレが教会に外に置かれ、人々が列をなしてお祈りをしていた(左)。教会の前はサンパギータを売るおばさんが声をからしていた(右)。 […]

家族でマニラツアー 2015年9月27日


4月から働いているヤヤ(子守、実際の役割はメイドだが、我が家では響きがいいので、ヤヤと呼んでいる。ちなみにアテはお姉さん、チタは叔母さんで、アテ・キム、アテ・ビアンカなどとKIANは呼んでいる)は、とても優秀で、料理は上手で、炊事、洗濯、掃除を一人で切り盛りしている。KIANもヤヤが大好きで、いつも粛々と手際よく仕事をこなし、我が家には、なくてはならない存在となっていた。28歳、独身、名前はAudi(オーディ)といい、ジェーンと同郷の娘だ。 そのヤヤが、前の雇用主から戻ってきて欲しいと、声がかかった。8年雇われていた絆は強いものがあり、どうしても辞めさせて欲しいと申し出てきた。ジェーンを初めとして皆が留めたが決意は固かった。 Dream Playに出かけたとき、写真嫌いのヤヤは顔を両手で隠している。サイカの恒例のランチでも後姿しか写真をとらせない。 そんなある日、ヤヤが私の部屋に、あいさつにやってきた。これから、田舎に帰るというのだ。たまたま部屋にいたKIANは、ヤヤに「I know that you are going home and not coming back. […]

ヤヤ(子守)が帰って来た 2015年9月26日



1
マニラ新聞によると、マニラ首都圏の渋滞で、毎日、30億ペソ、年間、一兆ペソの経済損失が生じていると、国家経済開発庁(NEDA)が発表したそうだ。この損失は、国内総生産(GDP)13兆ペソの8%を占めるに至っており、かつ国家予算の半分に相当する。 確かに朝夕のラッシュ時は、自宅からPRA(フィリピン退職庁)まで15分でいけるところを一時間は優にかかることもある。マカティの中心地を横断するのに一時間、約束の時間に間に合わせるために、途中から歩いていくこともしばしばだ。歩いたら、車の半分の時間でで行けるし、正確に時間が読めるから安心だ。しかし、この雨季の真っ只中、雨でも降り出したらおしまいだ。 サウススーパーハイウエイはマニラ南部からマニラ港に向かう唯一の幹線道路であるため、終日トラックが列をなし、一般車両も巻き込んでで首都圏渋滞のメッカだ(左)。最近急増した個人用のモーターバイクが渋滞の中をジグザグに走りぬけ、ドライバーの頭痛の種になっている(右) この渋滞は、首都圏周辺、北のケソン・シティ、ブラカン、リザール州あるいはや南のカビテ、ラグナ、バタンガス州方面から流入する幹線道路においては地獄のようだ。特に下の地図の青い線(MRT)で示されるEDSA通りは、北からマカティに向かう唯一の幹線道路で、普通は2~30分でいけるところが、数時間かかることがざらにある。最近では、朝夕のラッシュ時間帯ばかりではなく、終日、渋滞している。 Metromanila map 20150920_0001 そのため、政府は、国家警察高速道路警備隊(HPG)の隊員、約100人を監視の任につけた(首都圏の交通行政は本来、首都圏開発局(MMDA)の役割)。しかし、その後の新聞は、根本的解決無しには、一時しのぎの策は何の効果もないとこきおろした。 EDSA以外でも、南からマニラ市にある港に向かうサウス・スーパーハイウエイはコンテナ・トラックの列で、終日、いっぱいでほとんど動いていない。しかも、首都圏の鉄道は、LRT1とMRTの環状線(青と緑の線)、マニラを横断するLRT2(紫の線)、そしてPNR(国鉄、茶色の線)しかなく、しかも、ラッシュ時は超満員で人々は車で移動するしか方法がない。 LRT1、2、MRT(左の写真)それにPNR(国鉄、右の写真)があるものの輸送力が小さくて焼け石に水だ ちなみに、マニラの通勤の主役は、長距離移動のためのバスあるいはUV(小型の乗り合いバン)、中距離移動のジープニー、タクシー、そして、短距離用のトライシクル(三輪バイク)あるいはパジャック(三輪自転車)などの公共交通手段で、それに無数の自家用車がひしめき合っている。 そのため、庶民は、ターミナルでいつ乗れるかも知れないバスなどを待って、毎日、数時間を費やし、ラグナ、カビテ、ブラカンなどのベッドタウンからの通勤にエネルギーを使い果たしている。 郊外へ移動手段はバスが主体で、中、長距離バスが幹線道路にひしめく(料金は固定性) 中距離移動はジープニーが主役、頼もしい庶民の味方だ(ちなみに初乗り8ペソと格安だ) UV(Utility Vehicle、左)は、比較的長距離を点と点で結ぶために乗り換え無しに通勤できて便利だが、その分だけ高めだ(料金は固定性)。一方、タクシーはメーター制なのだが、運転手によっては、料金はネゴ次第となって、外国人には頭が痛い。 […]

首都圏渋滞で一兆ペソの経済損失 2015年9月20日


1
最近、日本では水害のニュースが四六時中流れているが、我が家もご多分にもれず、一階の事務所の床が冠水するという事態に見舞われた。 雨季真っ只中のマニラでは、毎晩、かなり激しい雨が降っている。それほど長くは続かないので、しばらく家に閉じこもっていれば、何のことはない。しかし、3日前の夜、下で、メイド達が大騒ぎをしているので、降りてみると、事務所の床が数センチ水をかぶっている。大慌てでパソコンの電源などを高いところに移し、難を逃れた。 排水パイプがプラスティック袋や砂などで詰まってしまっており、樋を伝って流れ込んだ雨水がラナイ(中庭)にある集水桝から逆流したのだ。そしてラナイから室内に雨水が流れ込んだ。問題は、この家の構造(タウンハウスが2列つながっており、その中間にはラナイが設置されている)にあり、ラナイに降った雨水は床下に設置された排水パイプを流れて外の排水溝に流れるようになっている。ラナイの周囲は建物なので雨水は床下の設置された排水パイプを流れるしかない。しかも、その排水パイプが6インチ(15cm)のパイプで容易に詰まってしまう代物だったのだ。 ボボイらがその日、そして翌日の夕方、大騒ぎをしてなにやらやっていたので、てっきり修理が了したものと思っていた。しかし、その3日後にも、浸水騒ぎが起きたのだ。どうも、やりかけでほったらかしてしまったらしい。たまたま、ビコールからお抱えの大工(ウベット)がやってきたので、修理はウベットに引き継がれたが、完了したのかしないのか、相変わらず報告がないので定かではない。当面は、対処療法で水をかい出す作業が続きそうだ。 その後、6000ペソを出して、プロを雇って修繕作業は完了した。工事は見逃したが、パイプの中のゴミを専用工具で掘り出したらしい。 ちょっと見にくいが、事務所の床は水で覆われている ラナイ(中庭)にたまった水をバケツでかい出して外へ運ぶ 2階からラナイの様子を眺めると、排水溝から逆流した水や砂で台無しになっている 水が引けてから夜遅くまで床の清掃に励むビアンカとヤヤ

我が家が床上浸水 2015年9月13日



1
PRAのGMが交代して3ヶ月経過して、ようやくお目にかかる機会があった。最近は、朝一、8半ごろにはPRAに出向いて用事を済ますのを日課にしているが、それは、いつもNO.1の札をもらって、人が来ないうちに諸々の用事を済ましてしまおうという魂胆だ。10時を回ると、客が増えて、長時間待たされることが必須だ。 受付のマリーと話をしていると、丁度、GMの出勤に遭遇し、彼が私を好奇の目で見ていた。即座に立ち上がって、自己紹介をしたが、彼は私のことをよく知っていて、うれしそうに挨拶をしてくれた。実は2年ほど前に、東京ビッグサイトで行われたロングステイフェアで挨拶をしたことがあるのだが、彼は、それを覚えていた。 ブログに乗せたいからとの申し出に、マカティの街並みを臨むGM執務室で気軽に撮影に応じてくれたValentino L Cabansag GM。 Valentino L. Cabansagという覚えにくい名前だが彼は観光省の代表として東京に8年赴任していた日本通で、かなり流暢に日本語をこなす。私と話をしていても語尾に日本語が混ざるくらいだ。ほんの5分くらいの挨拶だったが、近々行われるロングステイフェアに参加して欲しいとしきりに要請された。しかし、ロングステイ財団のマカティサロンとしての公認を辞退した私は、出席できないことをしきりに弁解した。 GMはさらに、日本が注目すべき市場であること、SRRVの制度を改善することを主張していた。確かに、5年前に前GMのVeredigno P. AtienzaさんがGMになった時は、現在のスマイルプグラムの導入、預託金先のDBPへの変更など、全面的に制度の変更を行い、その複雑な制度がゆえに、落ち着くまで一年近い時間を要した。現在も、色々な面で不都合があり、強く、その改善が望まれている。 先日、ハビタン部長と話したおりも、今まで禁止されていた色々なプログラム(スマイル、クラシック、年金、50歳以上と50歳未満など)の間の移動を自由にするなど、退職者にとって、使い勝手のよい制度にするよう検討/提案中であると話をしていた。 退職者とPRAに間に立って動いている私にとって最大の悩みはシンプルなもので、なにもかもにも時間がかかることだ。これを改善すれば、SRRV申請者は倍増すると思うのだが、今後、機会をとらえてGMに進言していきたい。 PRAの担当者は、入管やDBP(銀行)などが遅いのだと、外部の組織のせいにするが、純粋な内部手続きについても数週間の時間を要し、内部的制度および意識の抜本的な改革が必要になることは間違いない。しかし、それをやる価値はおおいにあり、それこそが新しいGMの使命だと思う。 1.預託金の入金確認(DBP銀行のPRA口座);2週間(従来の民間銀行の個人口座への振込んだ場合は、3日程度) […]

PRAのGMが交代 2015年9月13日


2016年の祝日が大統領府より発表になった。 1月1日(金)元日;金土日と3連休となるが、前年の12月30日(水)がリザールデイ、31日(木)大晦日で休みなので、あわせて5連休となる。しかもさらに、12月24日(木)クリスマスイブ、25日(金)クリスマスで、土日を含めて4連休となっており、この間の平日28日(月)と29日(火)をはさんで、11日間、休む人が大半だ。 2月8日(月)旧正月;チャイニーズニューイヤー、2月6日(土)、7日(日)とあわせて3連休となる。 2月25日(木)エドサ革命記念日;26日(金)ブリッジ休みをとれば4連休となる 3月24日(木)、25日(金)ホリーウィーク;ほとんどの国民が故郷に帰るので21日(月)から25日(金)の1週間は仕事にならない。19日(土)から帰省ラッシュが始まって、27日(日)まで9日間、マニラは空になる 4月9日(土);勇者の日;もともとバターン死の行進と呼ばれた第二次世界大戦の記念日 5月1日(日)メイディ;2日(月)が振り替え休日になる可能性がある 6月12日(日)独立記念日;13日(月)が振り替え休日になる可能性がある 8月21日(日)ニノイアキノディ;22日(月)が振り替え休日になる可能性がある 8月29日(月)英雄の日;27日(土)、28日に(日)と合わせて3連休となる 11月1日(火)万聖節オールセイントデイ;前日の10月31日(月)がブリッジ休みとなり、10月29日(土)、30日(日)とあわせて4連休となる。ほとんどすべての人々は墓地に行って先祖に再会し一晩を過ごす。 11月30日(水)ボニファシオディ; 12月24日(土)クリスマスイブ、12月25日(日)クリスマス;来年のクリスマスは土日にかかり、休みがない 12月30日(金)リサールディ、12月31日(土)大晦日、1月1日(日)正月;さらに年末年始の3日間の休みは金土日と最小限で、毎年10日~2週間の大連休となるのだが、めったにないことだ。 このほかにイスラム教のラマダンと犠牲祭の2日間の休日があるが、日程は未定だ。さらにこの年は、大統領をはじめとする統一選挙があるので5月に休みがはいる。 […]

2016年の休日 2015年9月6日



家族付き合いともいえる賓客のぶ子さんを久しぶりに迎えて、先々週の8月21日Ninoy Akino Day(金)の3連休を利用して季節はずれの農場行きとなった。ちなみにジェーン一家は、先週、この8月31日英雄の日(月)の3連休を利用して再び農場を訪問した。なにかビジネスの用事があるそうだが、車で出かけていったので、きっと、新車FJクルーザーのお披露目も兼ねていたのだろう。KIANは、ことのほかハッピーだったが、帰る日になって、農場に残りたいと泣いてすがったそうだ。そしてとりあえず、マニラに戻って、私を連れて農場に引き返すという約束で帰ってきたそうだ。だから、そんなことを知らない私と話が通じず、一悶着があった。近い将来、KIANと農場で一緒に暮らす日が来るかもしれない。 行きの飛行機(フィリピン航空)はプロペラ機で、その巨大なプロペラに興味をそそられた。 農場に着いたら、早速KIANと農場を一回りして、動物たちに挨拶だ。 アヒルは常においしい卵を供給してくれる。ヤギは、将来、乳を搾って、ミルクやチーズを賞味するつもりだ。   闘鶏の飼育場では大きなグアバの実を発見。闘鶏の実演には遠くから眺めている。 母豚と三匹の子豚がいたが、KIANは豚小屋に入りこんで、あんなに怖がっていた母豚にタッチした。 黒豚には2頭の子豚が生まれ(左写真の手前)、合計13頭に増えていた。 牛の赤ちゃんも大分成長した。KIANもさすがにカラバオには近づけない。        果物や花は少々、端境期だったが、パパイヤはいつでもたくさん実をつけている。        食事は基本的にすべて農場の収穫で材料を賄う。この日は、のぶ子さん迎えたというわけで、マミーが腕によりをかけて、ビコールそして農場の名物料理をふるまった。のぶ子さんには、どこのレストランで食べるよりおいしいとほめてもらった。 […]

季節はずれの農場訪問 2015年9月6日


2
8月24日、家族法の改正案が下院を通過した。これは外国人配偶者と離婚したフィリピン人の再婚を容易にするもので、これで消滅している婚姻に縛られて再婚ができない幾多のフィリピーナが救われることになるだろう。従来、仮に日本での離婚が成立していても、フィリピンでさらに裁判所の裁定がない限り、フィリピンでは既婚者と記録されており再婚ができなかった。ジャパユキさんの試練 2010年7月7日 それが、日本の裁判所が発効した離婚証明書をフィリピン大使館で認証し、それを提出すれば、再婚可能となるのだそうだ。詳細な手順は不明だが、フィリピンでの裁判は、15万ペソ程度のお金と半年の時間がかかるので、離婚して帰国したジャパ行きさんが手続きを行うことはまれだった。特に、偽装結婚で日本にわたり、その後、離婚手続きをして帰国したジャパ行きさんは、一生涯、結婚ができないとうとんでもない高い代償を支払わなければならなかった。彼女らは日本からは離婚を証明する戸籍謄本などを渡されて帰国するのだが、フィリピンで離婚を成立させるためのハードルが高すぎるのだ。 市長室で行われた結婚式。市長さんの署名で、婚姻証書が成立する そもそも、フィリピンには離婚という制度がない。これは世界中に二ヶ国しかないという時代錯誤の法律といわれているが、これにより、数多くのカップルが正式な配偶者とは別れた後、新しい配偶者とは事実婚で夫婦生活をしている。確かに、相続とかややこしい問題さえなければ、事実婚でも子育てや夫婦生活には支障はないだろう。 ただし、離婚に代わるものとしてアナルメントという制度がある。これは、この結婚が、そもそも存在していないと裁判所に訴えて裁判所の裁定で結婚を取り消すことができるのだ。しかし、それには数百万ペソの費用と数年の歳月が必要なので、財産のあるお金持ちの特権となっている。 教会で厳かに執り行われたジェーンの結婚式。ここでは牧師の承認で結婚が成立する 日本人がフィリピーナと仲良くなって、いざ結婚となると、何故かフィリピーナが躊躇することがある。その場合、ほとんどが、件のフィリピーナは過去の婚姻歴のために結婚資格がないのだ。特に日本帰りの場合は、ほとんどがそうともいえる。この結婚資格/独身証明はシノマ(Certificate of No Marriage)と呼ばれ、NSO(National Statistic Office)にて発効される。結婚をほのめかす彼女にシノマはあるかと聞いたら、敵はびっくりしてひっくり返るだろう。 日本人の場合は、戸籍謄本に出生から、婚姻/離婚、子供、死亡まで、すべて記載されているが、戸籍制度のないフィリピンの場合は、出生証明、婚姻証明、独身証明、死亡証明など、それぞれが独立の書類となっており、個人の履歴が把握しにくい。たとえば、結婚しようとしているフィアンセに子供がいるのかどうか、調べようがないのだ。ただし、どういうわけかその辺についてフィリピーナ決して嘘をつかず、堂々と子供がいると宣言する(聞きもしないのに)。 ジェーン夫妻は教会での式に4ヶ月ほど先立って、裁判所でも結婚式を行った。届出に使った結婚証明は教会のものか裁判所のものか定かではない […]

家族法の改正で外国人との離婚手続きが容易に 2015年8月31日



バリクバヤン・ボックスとは、海外の出稼ぎ労働者(OFW)がフィリピンの家族のもとに様々な物品を無税で送れる優れものの宅配便だ。大中小の段ボール箱にいっぱいの荷物をつめて、5000円から1万円、2週間程度玄関まで届けてもらえる。ちなみにバリクバヤンとは帰郷という意味だ。詳細は次をクリック(マニラ生活電話帳の広告)IMG_20150831_0002 一口に一千万人のフィリピン人が海外で働いているといわれているが、バリクバヤン・ボックスは、それらのOFWと国に残された家族をつなぐ大切な絆だ。免税範囲は、一箱につき500ドル以下、利用頻度は月に一回などと制限はあるものの、中を調べるわけでもないので、無制限に等しい。 これが、密輸や違法物品の輸送などにも使われていることが発覚し、税関が通関検査の厳格化を打ち出した。これに対して、中身が盗まれるなど、多方面から抗議が出て、翌日、大統領が開封検査を取りやめるよう税関に指示を出した。 これで一件落着だが、実は、このバリクバヤンボックスは息子も大いに利用している。しばらく農場に滞在していた息子は、フィリピンを故郷のように想い、日本には出稼ぎに行っているという感覚がある。だから、ビアンカにプロポーズして、いずれはフィリピンに家族を持とうと目論んでいる。 その息子が、ビアンカ攻略に利用しているのがバリクバヤンボックスだ。ダンボールボックス一杯に、お菓子、即席めん、缶ビール、中古屋で買った衣類、などなど、大量の物品を年に1~2度、送ってくる。これが届くと子供達は大喜びで、目当ての品を競い合って手にする。もちろん早い者勝ちだ。 息子から送られてきた食料品を独り占めにするKIAN、その後、ボックスの中で遊んでいたら、姉のキムに唇を奪われてしまった。 逆に、日本に何か送りたいがどうしたらよいかという相談をたまに受ける。書類などはEMS(郵便局の国際宅急便)やFEDEXなどの航空宅配便で、一通、1000ペソ程度、2~3日で届くが、お菓子などの日用品を送るのにはコストが嵩む。日通や佐川急便、クロネコヤマトなども進出しているが、こっちは駐在員の帰国にともなう引越しなどには利用するのはよいが、例えダンボール一個でも一般の貨物扱いとなって、宅配便のような手軽さがない。早く、バリクバヤンボックスのようなサービスを始めて欲しいと思うが、そもそもフィリピンから日本へ日用品を送るようなニーズはほとんどないのだろう。 以前、犬の血清を検査のために日本に送ろうとしたら、FEDEXなどの航空宅配便では扱ってくれなかった。そして、某大手運輸会社からは、一辺が20cm程度の発泡スチロールの箱、一個が、冷凍宅配で、10万円の見積もりが出てきて度肝を抜かれたことがある。

バリクバヤン・ボックス(ふるさと宅急便)2015年8月31日


退職ビザ(SRRV、Special Resident Retirees Visa)は、下記の特徴を備えた世界でも類のない万能ビザといえる。条件に応じて、1万ドル、2万ドルあるいは5万ドルの預託金が必要だが、この預託金の取り扱い関する明快な指針がないので、申請者にとって頭痛の種だ。そこで今回、この預託金をキーワードに退職ビザにまつわるルールや実務をまとめてみた。 (1)滞在期間に制限が無く、出入りも自由。フィリピンに滞在する義務もない。ただし、年会費360ドルを支払ってIDカードを更新する必要がある(代理可能) (2)出入国に当たって、再入国許可、出国許可、などの手続きは不要。さらにACR(外国人登録票)も不要(PRA発効のIDカードがその代わりをなす)。 (3)35歳以上であれば、2万ドルの預託金でほとんど無条件で取得できる。配偶者と子供(21歳未満未婚)の同伴が可能(合計2名まで、3人以上は追加の預託金が必要)。就労もできる(ただしAEP-就労許可証、取得のこと) (4)預託金は一定の条件のもとに使用することができる。また、ビザをキャンセルすることにより、全額が返却される(利子も若干付く)。 1.退職ビザ取得のために必要な預託金の条件 35歳以上、50歳未満の申請者の預託金;クラシックプログラムでは5万ドル、スマイルプログラムでは2万ドルの預託金が必要。ただし、介護、療養を必要とする場合(ヒューマンタッチプログラム)、1万ドルとなるが、月間、1500ドル以上の年金を受け取っている必要がある。 クラシックでは、預託金をコンド購入あるいは住宅の長期リースとして利用できるが、スマイルでは投資への転用はできない。 50歳以上の申請者の預託金;クラシック、スマイルプログラムとも2万ドル、ただし、年金を800ドル(単身者)あるいは1000ドル(夫婦)以上もらっている場合は、1万ドルとなる(クラシックプログラムの一部)。 投資の条件は(1)と同様。 年会費;預託金の他に年会費が必要で、同伴者2名までを含んで360ドル、ただし、3人目の同伴者は一名に付き100ドル追加される。条件が整っていれば、3年分の年会費を先払いして3年有効のIDカードを発行してもらうこともできる。そうすれば、3年間、何もしないでも、ビザは維持される。 これらの預託金は事前にフィリピンのPRA認定銀行に送金され、その証明書を申請書の一部としてPRAに提出しなければならない。その際、重要なことは、これが、海外から送金されなければならないということだ(日本あるいは香港、シンガポールなど)。フィリピンにある預貯金、あるいは現金を持ち込んで、預金したのでは認められない。ただし、以前、フィリピンに送金した外貨で定期預金を作った場合、送金先銀行から、それが海外から送金されたという証明書が出ればOKとなる。 […]

退職ビザ預託金の行方2015年7月30日