Monthly Archives: May 2014


フィリピンは今、夏休みの真っ最中だ。そのため、ホリーウイーク(4月第3週)があけてから、我が家には田舎からたくさんの子供たちが遊びに来ていている。  彼らを楽しませるために、日曜日に、海に連れて行く計画を練っていたが、どこも費用がかかりすぎて、躊躇していた。そこで、手ごろな近場として、タガイタイという案が持ち上がった。しかし、タガイタイは、何度も行っており、あまり評判がよくない。しかし、先日行ったとき、建設中の観覧車を見かけたので、遊園地が開園しているに違いないということで、そこへ行くことになった。前日、翌朝10時きっかりに出かけると宣言した。 SM Prime Holdingsが経営する遊園地SKYRANCHのシンボルの展覧車と、同じくSMの大型コンドミニアムプロジェクトーWIND。両方ともタガイタイのイメージを台無しにする代物だ 翌朝になると、ジェーンがモール・オブ・エイシアに出かけると言っており、予定が変更になったと子供たちがうわさをしている。モール・オブ・エイシアなどはあえて日曜に出かけていくこともないし、ジェーンに確認すると、KIANがそう言い出しているという。KIANに問いただすと、どうも本当らしい。それでは、一人でパパ・ママと行っておいでと突き放すと、今度は一緒に行くと私に抱きついてきた。ジェーンは、KIANに裏切られたとふてくされ、結局、カーネルと二人だけでサンタロサのアウトレットに買い物行ったようだ。そんなこともあって出発は10時半にずれ込んだ。 タガイタイは、SLEXを南に向かい、サンタロサの出口を右に折れて、サンタロサの新興市街地をすぎて上っていく。途中、KIANがキャンディを模した店を見つけ、そこに入りたいとダダをこね始めた。最近、希望が通らないと大泣きして周囲を困らせるKIANだが、このときも泣き止まず、私が子守をするはめになった。サンタロサを過ぎて名物のゆでとうもろこしを買ったときも泣き止まなかった。    車の中で泣き喚くKIAN、姉のキムと、いとこのバレリー、それにトウモロコシやさんの子供たち。KIANの恵まれた環境とは大違いだ。 タガイタイに到着したら、もはや食事の時間。タガイタイの市街地を過ぎて、しばらく行くと、左に湖の見えるちょっと安めのレストランが並んでいる。まずは、そこで腹ごしらえだ。今日の参加者は、私と息子とKIANを除くとすべて女性。キムとビアンカと新しいメイドのドナは17~19歳の娘盛り、そのほかの女の子4人は8~11歳の小学生、総勢10人がモンテーロで出かけた。普段飲ませない、シェークやハロハロもご馳走して全部で2000ペソ(200ペソ/人)はリーゾナブルだ。 レストランは地元の観光客用でちょっとみすぼらしいが、景色は抜群だ。この景色にようやくKIANの機嫌も直った この後、普段お邪魔するタアルビスタホテルの展望台、マホガニーマーケットなどは、割愛して遊園地にまっしぐらだ。遊園地はタアルビスタホテルの隣で、もともと乗馬上の会ったところだ。入場料は大人も子供も一人100ペソ、全部で1000ペソもリーゾナブル。しかし、乗り物代は、別途中でチケットを買わなければならない。ほとんどの乗り物が50ペソだが、チケットを買うのに少々時間がかかった。 夏休み中の日曜だというのにさほどの混みようではなくて、そこそこの時間で乗り物を楽しむことができた。KIANのような子供でも楽しめる乗り物が多く、KIAN絶好調といったところだ。ただ、この日はタガイタイにしては異常な暑さで、われわれ大人たちは少々疲れ気味だ。乗り物代は全部で1000ペソ程度、半分はKIANが消費した。 展覧車の他はゴンドラが人気。場内を走る電車も人が並んでいた。メイドのドナはこんなときでもメイドのユニフォームでやってきている ジェットコースターはジェットと呼ぶには少々お粗末だが、KIANはそこそこスリルを味わったようで、2回も乗ってしまった 姉のキムと電車に乗って遊園地周りとしゃれ込むKIANと車を追いかけるいとこたち 遊園地の中央にはイベント会場があり、なにやら催している。その向うにも施設があり、その途中タガイタイの絶景を味わうことができる […]

タガイタイSKYRANCH訪問 2014年5月11日


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1990年ごろ、脳内革命という本がベストセラーになった。内容は、何かうれしいことがあると、脳からドーパミンという物質が出て、快感を感じ、それがやる気を引き起こすというものだった。それから、ドーパミンという言葉が一般に使われるようになった。その話を医者の兄にしたら、医学会ではそんなことは常識であって、あえて本に取り上げるほどのものでもないということだった。しかし、脳から発生する物質がやる気の基になるとは、素人の私にとっては大変新鮮なものだった。 4歳になるというのにKIANは相変わらず、歯磨きが苦手だ それから、20年以上経過して、NHKで、脳の仕組みに関する最近の研究成果について興味ある番組をやっていた。3回連続で、iPS細胞でノーベル賞を受賞した中山教授を招いて脳の仕組みを解説していた。第一回は脳の成長の仕組み、2回目は愛情の仕組み、そして3回目は老化の仕組みだ。 Vの字がKIANの最近のポーズだ 人間の脳は4歳くらいまでにその発達を止める。そうしないと、膨張し続けた脳は、アルツハイマーのような症状を示し、逆に萎縮してしまうそうだ。そして、その後は、脳の性能アップを図る段階で、小学生のころに、音楽を習わせると、五感がフルに働いて、脳はその回転を早め、いわゆる頭の良い子供になるそうだ。私は、KIANにテレビやTVゲームばかりではなくて、碁や将棋などのゲームをやらせたいと思っているが、音楽と同じような効果を発揮すると思う。 音楽は、楽譜を見て、手で楽器を奏で、耳で聞いて判断し、そして楽器の演奏を調整する。五感を瞬時に働かせ目的を達成するという、成長する脳に対して最適な刺激を与えることができる。物理的には脳の情報伝達細胞が情報の伝達を高速化し、要は頭の回転を早めることが実証されているそうだ。ゲームにしても、ゲームをしている間は、脳はフル回転で、じっと見つめているだけのテレビとは大違いだ。 ニューヨークのスラムの9歳の子供たちに音楽を教えたところ、ほとんど大学進学する子がいない地域で、音楽を教わった90%以上の子供たちが大学に進学するという事実に全米が注目しているという。 旧正月の飾りを前にポーズを取るKIAN 4歳ごろまでに脳の器(うつわ)が出来上がった子供は、その後、ゲームや音楽などの訓練で脳の性能を高め、そして、その後は高性能の器に知識を詰め込んでいく長い学校生活となる。だから、小学校を低学年までの間に器となる脳の容量と性能を確保しておかなければ、その後の人生に期待はできない。 この時期(幼稚園~小学校低学年)に、子供はよく遊びよく寝て脳の器を育て、ゲームや音楽などを楽しむことによって脳の性能を高めることが必要で、机に座って、ひたすらABCを唱えたり、123と数えたりするだけの詰め込み教育は全く意味をもたない。 KIANが、パパ・カーネルの実家においてあったキー・ボード(電子ピアノないしオルガン)にいたく興味を示した、という話を聞いて、早速、ヤマハ楽器の販売店(ブエンジアと通りとN・ガルシア通りの角のユーパンコ・ビル)にキー・ボードを探しに行ったら、1万~2万ペソで手に入ることを知った。この程度ならば何とかなると、近々購入することに決定したが、ママ・ジェーンに話によると、キャッシュ・アンド・キャリーには、カシオの製品が7千ペソ程度で買えるそうだ。いずれ購入したら、このブログで報告したい。 息子の帰国はピザで歓迎するのが最近のしきたりだ。KIANは親指を立ててポーズをを取る 第二話は、男女の愛や家族を思いやる愛情の仕組みだ。 恋人同士がキスをしたりしているとき、脳下垂体からオキシトシンというホルモンが発生する。さらに子供を生んだ母親には大量のオキシトシンが発生して、生まれた子供に深い愛情を感じることが実験で確かめられている。人は、このいわば愛情ホルモンが出ると、恋人や子供に愛を感じるのであって、要は、恋人を愛したり、わが子を愛するのは子孫繁栄のために脳細胞が発する愛情ホルモンによる指令なのだ。この仕組みが欠落すると、引きこもりなどの発達障害を引き起こして、他人との交わりをもてなくなる。無縁社会を構成する人たちもこの愛情ホルモンが欠如しているのではないか。 引きこもりの人にオキシトシンを注射すると、目に見える改善が見られ、社会生活を送ることができるようになるそうだ。ちなみ、マウスに注射すると、オスとメスが寄り添って、愛着行動を起こすという実験がある。そうなると、ほれた女に、いかに愛情ホルモンを発生させるかが、恋の成就の秘訣ということになるが、それは、やはり、贈り物と、おいしいものを食べさせることに尽きるのではないか。しかし、この愛情ホルモンを放出させるほれ薬ができたら、世紀の発明としてブレイクするに違いない。 […]

脳内革命、第2弾 2014年5月10日



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(2015年2月13日追記) 送金手続きを行うBOCの担当者が交代して、新規の方の送金手続きを行おうとしたら、BOCから待ったがかかった。その原因は、なんと、PRAの移動許可証に示されたPRAの口座番号と送金依頼票に示された口座番号とに食い違いがあったのだ。送金票の口座番号は、PRAからの指示書に基づいている。 早速、PRAに問い合わせてみると、PRAの移動許可証の口座番号が間違っていたのだ。PRAは、当方が用意した送金依頼票が正しくて、預金は、ちゃんとDBPに送られているので問題はないという。しかし、銀行としては、そのままでは、もはや、送金の実行はできないという(7名分)。さらに、調べてみると、過去に送金した分も食い違いがあり、BOCもそれに気がつかずに送金を実行していたことが判明した(15名分)。 BOCは、PRAと協議して、なんらかの訂正の文書をPRAから発行してもらって、移動許可証はそのままで、従来ならびに今後の送金が可能であるように処置するとのこと。そうであれば、再度移動許可証を退職者に署名してもらうというような面倒なことをしてもらわなくて済むので、ほっとした。しかし、それでなくても遅れに遅れてやきもきしているのに、とんだ人騒がせな話だ。 一方、昨年の10月以降に銀行移動を申請した方の移動許可証の発行が、4ヶ月が経過したのに、相変わらず無しのつぶてだ(10名分)。これらの方は、昨年、GMに直訴した時点では、まだ、申請が行われていなかった。そのため、当方の度重なる催促に関わらず、PRAの内部では、特別なアクションが取られていない模様だ。 一方、すでに、送金を実行したにも関わらず、預金の証明書が発行されていない方が、18名にもなる。一番早い人で、12月19日の送金だから2ヶ月近い。ただ、証明書を発行するだけのことに何故、こんなに時間がかかるのか、全く、理解できない。 これらことについても、再度、「伝家の宝刀=GM直訴」を使う時が来たようだ。 (2015年1月31日追記) GMへの直訴により、そのときまでに提出した銀行移動の申請は、すべて、移動許可証が発行され、逐次、処理を進めている。しかし、BOCからDBPへの送金を終えた後、預金証明の入手に正月を挟んで1ヶ月以上経過している。しかし、預金の移動が終わっているので、一安心だ。さらに10月以降に申請した10人の退職者の移動許可証の発行がまだで、引き続き催促しているが、なかなか発行されない。 一方、BOCの定期預金が共同名義だった場合、どういう取り扱いになるのか、PRAの回答が錯綜していた。そのため、DBPの預け入れは単独にすべきか、あるいは連名にすべきか、あるいは、その手続きはどうなるのかなど、適切なアドバイスができなかった。しかし、今回、実例が出て、PRAの財務とBOCと話をした結果、明らかになった。 要は、BOCの定期預金が共同名義(ORアカウント)だった場合、DBPのPRA口座への預金でも継続することができる。その場合、どちらか一方の手続きで引き出すことができるのだ。しかも、一方が亡くなったとしても、預金は、他の一方に自動的に継続され、相続などの面倒な手続きも不要だ。もし、希望するならば、共同でなくて単独名義とすることもできて、BOCからの送金票にその旨を連絡事項として記入するだけでOKとのこと。 (2014年11月25日追記) 前回の銀行移動許可証の発行から2ヶ月近く、一向に新たな許可証が発行される気配がない。退職者からの問い合わせもたくさん寄せられてくる。PRAの担当者も、GM(General Manager)が承認してくれないの一点張りで、埒があかない。これでも年も越せないと、GMに直訴状を書いた。もちろん、申請中の退職者のリストを添付して、許可証の発行状況を伝えた。 出張から帰ったばかりのGMは、早速、私を部屋に招きいれ、珍しく、言い訳と愚痴を並べ始めた。レビューあるいは承認すべき書類が山積して、どうしようもないというのだ。いずれにせよ、善処を約束してくれた。その直後、彼の秘書が私の提出してリストと格闘して、一人一人の申請書類の状況把握に躍起だった。 翌日、朝一、PRAに出向くと、秘書が声を張り上げて私を呼んだ。早速、許可証の束を手にしていたのだ。中には、関係ない日本人の書類も混ざっていたが、残り33通の内、9通の許可証を手に入れることができた。秘書と担当者にはGMからはっぱがかかっているので、今後は、スムーズに、ことが運ぶと期待される。 […]

Bank of Commerce(BOC)がPRAの認定から外れました2014年5月7日(2015年2月13日改定)