Yearly Archives: 2010


 パンデサール(Pandesal)とはパンの一種だが、直訳すると塩パンといったところだ。かすかに甘みがあって焼きたてはそのまま食べてもとてもおいしい。直径5cmくらいの小さなパンで、一個たったの2ペソだ。評判のパンデサールを売る店がマカティの北のはずれ、パシッグ川沿いのJPリザール通りにある。フィル・マリスというパン屋さんは裏でパンデサールを焼いており、焼きたてのパンを売る午後3時ごろになると店先に人が絶えない。 しばらく前、小さな女の子を連れて事務所にやってきた退職者がいた。まだフィリピンに来て数日という3歳くらいの女の子は、お腹がすいたようで、パンデサール、パンデサールとフィリピン人の母親におねだりしていた。その時はまだパンデサールが何かを知らなかった私は、あとからそれを見せられてびっくりした。しかし、食べてみると意外とおいしくて、その子がねだっていたのもわかるような気がした。  先日、児童養護施設でボランティをしていてなくなった日本人は、おやつ時になると、このパンデサールを買ってきて施設の職員に配るのが習慣だったそうだ。パンデサールは店先にはおいてなくて、注文すると売り子が中に入って行って、熱々のやつを持ってきてくれる。一つたったの2ペソだから、50ペソで25 個、100ペソ買ったら50個でかなりの量になる。 その売り子がなかなか愛想が良くて一枚写真を取らしてもらった。ポーズもとってくれたが、良く写っていないので割愛する。

熱々のパンデサールはいかが 2010年2月12日


先日NHKで日本の子供の学力低下が問題となっていると報道されていた。とある19歳の女性は両親が離婚して母親が毎日遅くまで働いていて、妹の世話や家事で勉強する暇がなかった。わからないことがあっても教えてくれる人もいなかった。そのため、学校の授業について行けず、結局高校を中退して働いた。しかし職場でも簡単な算数ができず、学力不足ゆえの疎外感のため、将来の人生が描けないでいるという。  その例えとしてあったのが、「面接で1か月分の給与の額を聞かされて、1年でいくらもらえるのか即座に計算できなかった」だった。今、仮にフィリピンで巷の人に、「1ヶ月の給与が12000ペソで、1年で幾らになりますか」と聞いて、何人の人が144000ペソと暗算で即座に答えることが出来るだろうか。 10人に一人いればいいほうだろう。となると、フィリピン人は皆学力がとてつもなく低いのだろうか。 パソコンに興じる子供達  近所のサリサリ・ストアーで2本のサンミゲルビールを買って帰るのが私の毎日の日課だが、2本のビール(1本ビン付で21ペソ)に氷5ペソを買って、50 ペソ支払ってお釣りがいくらか、売り子は計算機を使わないとわからない。21+21+5=47、50-47=3、を一々計算機で計算するのだ。だからボタンを押し間違えて、とんでもない結果になっても、暗算でわからないから評価できず、計算機に従ってお釣りをよこそうとする。 サリサリのお姉さんではさもありなんというところだが、かつて、フィリピン随一の法律事務所、シッシップ・サラサールの会社法専門のエリート弁護士と打ち合わせを持った時のことだ。フィリピンの会社法の説明を受けているとき、彼女は簡単な計算を黒板で試みた。一応エンジニアーを専門とする当方としては、いとも簡単な計算だったが、彼女はわけがわからなくなりパニックに陥ってしまったのだ。こんな優秀な弁護士でも、こと計算となると日本の小学生並みなのだ。  私の知り合いに計装の施工会社の社長さんがいるが、彼がアメリカの大学院に留学していたときの話だ。かれはもともと数学が苦手だったが、アメリカの大学院では数学に関して最優秀の学生だったそうだ。だから、アメリカ人は数学がまるでだめだと笑っていた。 マクドナルドのドライブスルーのお姉さん  何故、欧米系の人々は数学ないし算数が苦手なのだろう。もちろんすべての人ではないだろうが、一般的にそう感じられる。フィリピンの算数/数学の教育は小学校から英語でやるから、教育の仕方は欧米系と一緒だろう。これは一体何だろう、と色々話し合ったことがあるのだが、小学校で反復練習した九九に原因があるのではないかという結論に至った。英語で九九を言うと、日本語ならKuku hachijuichiというところをNine times Nine equal Eightyoneとなり、いかにもまどろっこしくてリズム感がない。こんなものでは何度反復しても憶えられないだろう。これが算数のスタートで決定的なネックとなり、大多数の生徒が暗算で計算するのを放棄してしまうのだろう。特に現代は計算機があるので何とか繕うことができてしまいあきらめるのも早いのだ。 […]

日本の学力低下 2010年2月10日



日本で不動産業を営む50歳のKさんが退職ビザを取得中だが、その方はフィリピンで農業を営みたいとのことなので、現場に案内した。場所はマニラの北方約120kmのターラックにあるGreenstar Produce Phils., Inc.、大渕さんが経営するオクラの農場だ。ちなみにKさんはすでに13ヘクタールの土地をフィリピン人の妻の名義で所有し、最近250万ペソで8ヘクタールの農地を購入したとのこと。なんと平米当たり31ペソ、たったの60円/平米だ。  全くの予備知識無しに出かけていったので、到着して施設の立派さに驚いた。農家というより農協だ。大渕さんから詳しい話を聞いて納得したのだが、まさにここはオクラ専門の農協だったのだ。出荷するオクラの2割は自社農園、8割は契約農家から調達し、約150ヘクタールの畑から取れるオクラを年間18万ケース、700トン出荷しているそうだ。 http://www.greenstar-produce.com/top_japanese.htm 8~9月に植えつけて、10月~5月に収穫する。この時期は日本国内産のオクラが取れない時期で、このころスーパーで買うオクラはすべてフィリピンなどの南の国でとれるオクラなのだ。出荷したオクラは親会社であるワタリという商社を通じて日本全国へ出荷される。Greenstarのシェアはフィリピンから輸出されるオクラの30%以上だそうだ。まさに商社が独自に食料を海外の農場から直接買い入れ、販売している現場なのだ。(今日は日曜だったので、事務所は空だったが、オクラの袋詰め作業はフル稼働で休みなしとのこと)。 オクラ畑は広大だった。オクラの背丈は50cmほどだったが、すでに実をつけている。これから人間の背丈ほどになるまで実をつけ続けるのだ。オクラは成長が早く、一日収穫が遅れると大きく固くなって食用にできない。しかも身についた細かい毛が皮膚についてかゆくなるので、朝から晩まで毎日欠かせない収穫作業はきついものがある。人の目で見て食べごろのオクラを一個一個収穫しなければならないので、収穫作業を機械化するのは不可能。だから人件費の安いフィリピンにぴったりだ。実は私も30m2くらいのオクラ畑をタバコ市の農場で作ったことがあるが、毎日バケツ一杯取れるオクラに往生した。毎日ゆでたオクラを食べ続け、すっかりオクラ嫌いになってしまったものだ。 ちなみにオクラの花は黄色い可憐な花で、きり花としても使えそうだ。畑から直接とって食べるオクラはしゃきしゃきとしてとてもおいしい。右の写真は玉ねぎ畑。フィリピンの玉ねぎはとても小さく、ニンニクのように調味料として使うので単価が高い。しかもパンパンガは玉ねぎの名産地だそうだ。退職者が狙っているのがこの玉ねぎ、それに鶏の飼料用のとうもろこし、米などだ。 Greenstarの一階が袋詰め工場になっており、約60人のフィリピーナが働いている。彼らの給与は出来高制だが、一日250~300ペソとなり、現金収入の少ない農家にとっては貴重な現金収入だ。工場に入るためには白衣を着て靴も履き替えるという厳重さだ。 収穫されたオクラはまず選別される。大きさや傷など手際よく調べられ、全体の40%がはねられてしまう。廃棄されるオクラは充分食べられそうだが、なんとももったいない。その後は弱塩素水によって洗浄される。 そして袋詰め作業。慣れた手つきでどんどん袋詰めされる。すべてが手作業で厳重な衛生管理の下で作業が進められる。過剰品質ともいえないこともないが、一旦クレームがついたら、しばらくの間、オクラの出荷が停止されることになり、その損害は計り知れない。だから、絶対に不良品の出ない体制を敷いているという。 箱詰めを終えたオクラはマニラまでトラックで運ばれ朝便の飛行機で日本へ運ばれる。鮮度が命の野菜は時間が勝負だ。収穫から始まって、選別、洗浄、袋詰め、ラベル貼り、箱詰め、搬送の過程は24時間常に誰かが何かの作業に携わっていることになる。 農場からアンヘレスに戻る途中、あのスカイラインGTRに遭遇した。プレートナンバーもGTRという、なんとも凝った車だ。日本でも800万円して、現在世界最速のスポーツカーだと、大型バイクを乗りますのが趣味というKさんが教えてくれた。 この日の朝、ホテルでたまたま知り合った日本人のJさんが、有機肥料の生産販売をおこなっているというので、アンヘレスで落ち合って工場を訪問した。この方は、100ヘクタールの農地を持って農業も手がけているという実業家で次回はJさんの農場をじっくり訪問させていただきたいと思っている。

フィリピン産オクラの生産現場を訪問 2010年2月9日


マカティ、パソンタモンのマカティスクエア、リトル東京にあるのが、ラーメンの老舗、「新宿」だ。下手な日本のラーメン屋さんよりよほどおいしくて種類も豊富だ。右下の写真はマカティ・アベニュー沿いにある支店だ。マカティスクエア界隈は日本料理やがひしめく激戦地だが、「新宿」は中でも、もっとも古くその激戦を勝ち抜いてきたつわものだ。その秘密は多くのフィリピン人に支持され、特にマカティ・アベニュー店はほとんどの客がフィリピン人だ。 パソンタモ本店は数年前リニューアルされ、以前の倍ぐらいの大きなモダンな店に生まれ変わった。もともととなりは同じ経営の「原宿」というカラオケだったが、そのスペースを取り込んだのだ。「新宿でラーメン食べて隣の原宿でカラオケをやってくる」という会話に、日本から来たお客さんは「一体何を話しているのか」と首をかしげていたものだ。 私が駐在をはじめた1989年は日本料理といえば、数件しかなく、この「新宿」は貴重な存在で、94年に事務所をアラバンに移転するまでの約5年間、毎日昼食をここで取ったものだ。中でも一押しは辛口ネギラーメン。このラーメンを食べたのは100回を下らないだろう。その外、マーボー・ラーメンやチャーハン、固いやきそば、餃子に野菜炒めなどなど、和式中華料理が何でもおいしい。 最近はフィリピン人の客が多いせいか、すし、刺身、天ぷら、鉄板焼きなど、和食料理の定番もメニューに載っている。フィリピン人は和食料理店となれば当然のごとく天ぷらや刺身を注文してくるので、店側としては、「ここはラーメン屋で日本料理はありません」とは答えても理解されないのだろう。この日は二人だったが、3人分注文して約1200ペソかかった。(メニューがピンボケですみません)  

老舗ラーメンや「新宿」2010年2月4日



Max’sレストラン・チェーンはフィリピン料理専門店としてフィリピン最大のチェーンで、マニラのみならず全国展開をしている。料理は伝統的なフィリピン料理で、フィリピン料理を試してみたかったら、ここで食べれば間違いない。このほかにも有名なフィリピン料理の店としては、カマヤン(手食)、アリストクラット(高級)、バリオ・フィエスタ(村祭)などがあるが、外人向けで少々高い。1945年創業のMax’sは今年で65年目を迎える老舗でもある。 フィリピンの味噌汁、シネガン・スープはすっぱい味がなんとも健康によさそうだ。この酸味はサンパロック(タマリン)の若い実をゆでてすったもので、サンパロックのほかにもグアバやミソの実を使ったシネガンもある。具は豚肉、エビ、ラプラプなどの魚など色々だが、今日はちょっと変わった鮭のシネガンを注文した。右はカレカレ、フィリピンのカレーといったところだが、ピーナッツベースの味は少しも辛くなく、バゴオン(塩辛)をあえて食べる。 フィリピン人は案外豆腐を好んで食べる。熱い鉄板に載せて持ってくるのをシズリングといい、肉や魚のシズリング・ステーキがポピュラーだが、豆腐シズリングというのもある。これが案外美味だった。ちなみに朝早く、タホー、タホーといいながら、ステンレスの大きな容器を担いで歩いている人は、豆腐にシロップを混ぜて、5~10ペソで忙しいサラリーマンの朝食代わりに売っているのだ。右は最もポピュラーなフィリピン料理、パンシット・カントン(やきそば)だ。これにチョップソイ(野菜炒め)を頼んでおけば間違いないし、不足がちな野菜も取れる。  フィリピン料理といえば、このほかに、クリスピー・パタ(豚足のから揚げ)やカルデレータ(牛肉などの柔らか煮、ソースかけ)、レチョン(子豚の丸焼き)などが有名だが、糖尿病の私にはちょっと手が出ない。しかし、取って置きはデザートのハロハロだ。かき氷の一種だが、アイスクリーム、プリン、三つ豆、寒天(ナタデココ)などできる限りの具材を入れてごちゃ混ぜにして食べるのがフィリピン式だ。これも糖尿病の私は分け前に預かることは出来なかった。 Max’sの看板料理はチキンのから揚げで、一匹丸まるのから揚げがサイズにより300~400ペソだ。その他の料理の値段は150~300ペソ程度。3人で多めに頼んで飲み物、デザート込み1100ペソだった。(メニューは拡大して見てください) SMマカティの中にあるMax’sに行ったが、なかなか混雑している。一人や二人で食べている人もいて、気軽にフィリピン料理を楽しめる場所だ。

フィリピン料理Max’sレストラン 2010年2月3日


最近NHKで「無縁社会」という造語の番組をシリーズでやっている。日本では、家族を持たず社会とも絶縁し、孤独にくらす人々が急増しているのだそうだ。一方、昨年無縁死した人は全国で3万に上るという。一人住まいの家で死後数ヶ月たって発見された老人のケースも放映されていた。刑務所で暮らす60歳以上のお年よりは受刑者全体の10%をこえ、刑期を満了して出所しても行き場のないお年よりは無銭飲食などの罪を繰り返し、また刑務所に戻ってくるそうだ。その割合は出所したお年寄りの70%以上に上るそうで、身寄りのないお年寄りを拒否しないで受け入れる場所は刑務所だけだという。また2030年には生涯独身で過ごす人が男で3人に一人、女で4人に一人になると言われているそうだが、そうなると全国で3000万人以上の人が孤独で暮らしていることになる。そんな社会を人間の社会と呼べるのだろうか。  孤独で暮らす人々はそれぞれ事情はあるのだろうが、根本的な原因は何なのだろう。核家族、少子化、老人介護、そして無縁社会。そこにはなにか一連の流れがあるような気がする。大家族制度が崩壊し、核家族化し、その核家族を形成できなかった人々は行き場がなく、一人で暮らすしか術がなくなってしまったのだ。家族というものが老人や子供を守ってきたのが、核家族化により、老人の行き場がなくなり、子供も育てることが出来なくなってしまった。そして、その核家族を形成できない人々は家族からはじき出されて孤独に暮らす。なんともはや弱いものにとっては暮らしにくい社会だ。 そんな無縁社会と全く無縁なのがフィリピンだ。フィリピンには家族と無縁な人などいない。お互いに頼りあい、助け合って、時には傷つけあって生きている。だから弱い人ほど家族に守られて幸せに暮らしている。その大家族を背負って立つブレッド・ウイナー(大黒柱)には大変な負担で、そのために若いみそらで花街で働く女性も多い。しかし彼女達はその責任を背負って逞しく生きている。経済的に苦しいので家族から無縁になろうなどという不届きな考えは決しておこさない。家族と共にあるのが生きている証なのだ。そして家族が一同に集まる食事時は家族が家族であることを噛みしめる至福の一時だ。これを、無縁社会に対して家族社会と名づけられるのではないだろうか。  出口のない日本の惨状をもたらした核家族に対して、フィリピンの大家族が真っ向から対立するのが、熟年日本人男性と若いフィリピーナの結婚だ。熟年諸氏は若いフィリピーナと結婚して二人だけの甘いスイートホームを夢想する。一方フィリピーナはブレッド・ウイナーとなるお金持ちの日本人と結婚して、家族に富をもたらし、女王様として家族一同から敬われる生活を夢想する。  お見合いの席では張本人のフィリピーナよりもその家族の方が結婚に熱心で、熟年諸氏にはなんとも解せないところがある。実際フィリピーナと結婚した熟年諸氏の多くは家族一同が暮らせる大きな家を建てさせられ、それもすぐに妻の家族に占領されて、おまけに親兄弟さら嫁や甥姪の食料まで面倒見なければならないというはめに陥っている。そんなことをしていては、なけなしの退職金もすぐに底をついてしまうので、離婚してしまったという話もよく聞く。  そもそも家族が結婚に熱心なのはきっと、日本人亭主を食い物にする気に違いないと、見合いに臨んだ熟年諸氏は警戒する。そして、住まいは二人だけで、家族は入れない、家族の支援は月々1万ペソまで、などという条件交渉が始まる。熟年諸氏は日本を破滅の道に導こうとしている核家族なるものをフィリピーナに押し付けようとしているのだ。   フィリピン人と結婚してフィリピンに住むとしたら、この大家族という概念を理解し受け入れるのでなければ決して結婚生活は成功しないだろう。日本の社会を破滅させつつある核家族などという概念を持ち込んで、百万年の歴史のある人類の宝であり、そしてフィリピン人の生きる術である家族というものをないがしろにしてフィリピンで生きて行けるはずがない。もちろん期待に胸を含ませる家族に対しては自分が出来る範囲のことをすればよいのであって、分不相応な待遇を提供する必要はない。要は妻と同等に誠意と愛を持って対応すればいいのだ。そうすることにより家族の一員として迎え入れられ、家族の長老として、この先数十年の老後の生活はばら色となるだろう。フィリピンで結婚する場合、それは、すなわち家族と結婚することなのだ。  

無縁社会と家族社会 2010年2月3日



最近ビジネス街に急ピッチで展開しているのがパンケーキ・ハウスだ。初めはパンケーキ(ホットケーキ)を食べさせる店かと思っていたが、中に入ってメニューを見てみると、ハンバーガー、サンドイッチ、スパゲッティ、ステーキ、サラダ、スープ、デザートなど、他の料理も色々楽しめるようだ。そもそもの発祥はパンケーキだったのだが、チェーン展開しているうちに顧客のニーズに会うようメニューを増やして行ったのだろう。顧客の中心はビジネス街のOLで、ちょっとしゃれた店で昼食をとりたい若者達が中心だ。一食は200~300ペソ程度で済むように値段設定がされており、中流サラリーマンをターゲットにしている。ジョルビーやマクドナルドが子供や庶民の憧れであるのに対して、あくまでも味にうるさくておしゃれを好む一クラス上の客層を狙っているようだ。  パンケーキ・ハウスは赤を基調とした室内装飾がされており、オレンジやピンク系の壁と前衛的な絵画など、なかなかモダンなインテリアだ。この室内装飾のデザインと施工を一手に引き受けているのが、私の古い友人の女性建築家ジーナ・ティンソン(Gina B. Tingson)だ。20年前に会ったときは学校を出たばっかりの美人建築家で、建築屋の兄に言わせると、建築のことなどほとんど知らない弁護士の父を持つお嬢さんだった。それから20年、経験を積んで、パンケーキ・ハウスの仕事を一手に引き受けるほどに成長したのだ。ここ数年、新規開店が相次いでいるのでなかなか忙しいそうだ。 右の女性がパンケーキハウスの建築家  基本的に料理のジャンルはジョルビーやマクドナルド一緒だが、パン・ケーキ以外でも高級感を出して、なかなかおいしそうだ。この日食べたのはクラブ・サンドイッチとロースト・ビーフだが、ローストビーフはウエルダンで固すぎた。フィリピンでステーキを注文すると、ウエルダンもミディアムレアもほとんど同じウエルダンなのだが、ローストビーフのウエルダンはちょっといただけない。 メニューについては撮影禁止。パンケーキの写真を撮っただけで、その外の料理のメニューは残念ながら撮影出来なかった。人がせっかくブログで宣伝をしてやろうというのに、気の利かないウエイトレスだ。しかし、パンケーキだけで4ページのメニューとはさすがパンケーキ・ハウスだ。(画面をクリックして拡大して見てください)

パンケーキ・ハウス 2010年2月2日


PARK SQUARE-1はマカティ・コマーシャルセンターの駐車場ビルなのだが、SMマカティ/グロリエッタとパサイロードの間、ドーシットホテルの北西(エドサ通りと反対側)にある。ここには他所ではなかなかお目にかかることの出来ない専門店が並ぶ。コンピューター、スポーツ用品、楽器、オーディオ、電化製品など、ウインドーを見ているだけでもあきない。製品は輸入高級品が多く、良いものが欲しかったら、是非ここを覗いて見て欲しい。 中央の広場の屋台では双眼鏡、ナイフなど有名ブランドの格安コピー商品が並んでいる。私もここで双眼鏡、アーミーナイフ、ドライバーなど、かつてあこがれながらも手が出なかった商品を買い求めた。True Valueという店はいわゆるDIYで色々な家庭での必需品を売っている。  コンピューターショップが圧倒的だが、かなり大きめの店も多い。品数も豊富で、以前、積算の仕事をやっていたとき、いつもここで各種周辺機器を買い求めた。値段的には小さな店の方が安いようだ。   スポーツ用品も本格的なものが揃う。もちろん値段も日本と変わらない。Colemanなどキャンプ用品のなじみのブランド店もある。 フィリピン人の音楽のセンスはなかなかのものがあるが、バンドの楽器も豊富だ。楽器類は、私にはちょっと無用の世界だが、このほかにもゴルフ道具やマリンスポーツ、さらには銃器を売る店までがある。 (なお、2013年現在、パークスクエアは取り壊され、営業は行われていない)

パークスクエアの専門店街 2010年2月2日



ジョルビーやマクドナルドがハンバーガーでフィリピンのファーストフード業界を引っ張っているが、Shakey’sやPizza Hutなどのピザ屋がちょっと上級のファーストフードとして街のいたるところに看板を出している。誕生日にはブローアウトと言って本人が周囲の人間に振舞うのがフィリピン式だが、職場で一番受けるのがこのピザだ。だから、ピザは店で食べるというより、デリバリー(配達)が勝負だ。ちなみにピザのことをフィリピンではピッチャと発音するが、このほうが本物の発音かもしれない。  Shakey’sやPizza Hutが店の数では圧倒しているが、少し高級感を出して上を行くのがYellow Cabだ。店で食べても入れ物は紙製の配達用で手抜きではないかと思うが、それが受けているようだ。看板も配達用のバイクもフィリピン人の好きな黄色に統一されている。黄色は故元大統領コーリー・アキノのシンボルカラーでもあった。  ピザそのものもおいしいが、最近のヘルシーブームか、アルファルファなどの生野菜をピザに巻き込んで食するのは大変結構だ。また、単なるトマトソースのスパゲッティかと思ったら、生のトマトそのものから作ったソースのスパゲッティで、甘くなく大変おいしい。あの、ジョルビーの甘いスパゲッティを好むフィリピンとは思えないインターナショナルな味を提供している。値段は他に比べて、2~3割高いようだ。ちなみに3人で食べて1500ペソ程度になった。 Pizza Hut(ピッチャハット)やShakey’sもなかなかはやっている。土曜のためかグロリエッタの2階のShakey’sでは席がなくてあきらめ、パーク・スクエアのPizza Hutに行ったが、そこでも少々席待ちをさせられたほどだ。 ピッチャハットでも野菜を具にしたピザなど充分健康志向が感じさせられる。ファーストフードの御三家、ジョルビー、チョーキン、マクドナルドについては決して足を踏み入れる気にはならないが、ピザの方はなかなかのもので、日本人も多いに楽しめるはずだ。ちなみにここでは3人で食べて1000ペソで済んだ。 これらのピザ屋の他にもGreenwichやDominos Pizzaなどがチェーン展開しているが、グロリエッタのシャングリラホテルに面したところにあるCalifornia Pizzaの味は格別だという噂だ。  ピザは配達が勝負だから、77-777(Shakey’s)、911-1111(Pizza Hut)などのユニークな番号を設定し、本部にかかった注文は一番近い支店から配達をするようになっている。だから、「注文から30分以内の配達」などを標榜し、「遅れたら料金は要らない」という、日本でもはやった奴をやっている。     […]

フィリピーノはピザが大好き 2010年1月31日


フィリピンにしばらく住んでいると野菜不足に陥る。フィリピン料理の野菜料理といえば、チョップソイ(野菜炒め)かピナクベット(牛肉と苦瓜の煮込み)くらいしかないし、サラダなどは滅多にお目にかからない。毎日和食レストランで食べるのも金がかかるし、そこでありがたいのが、中華シャブシャブの天天々火鍋だ(中国風にチアンチアンと呼ぶ)。マカティのパサイロードとマカティアベニューの交差点のすぐそば、ニューワールドホテル(ルネッサンスホテル)の裏手にある。 クリアスープとスパイシーと、2種類のスープがあって、生の具材を注文して煮て食べる。日本のようにセットになっているのではなく、それぞれ単体の具材を一皿ごとに注文する。 具材の種類は豊富で100種類くらいはある。一皿100~150ペソ程度。一人につき二皿注文すると丁度良い。それに飲み物で、一人せいぜい 300~400ペソ程度であがる。写真にあるように、肉類、シーフード、野菜、それに烏賊ボールや豆腐などの加工食品など、自分で好きなものだけ注文できるのがうれしい。 ここの売りはたれだ。天天独特のたれが人気に秘密で、それにさらにニンニクや唐辛子をいれて自分好みに調整できる。子エビは生きていて、これをゆでて食べる。まず初めに煮立ったお湯をお玉でお椀にいれて死なせてから鍋に入れる。そうしないと、鍋の中で暴れまわって、大変なことになってしまうのだ。仕上げはご飯と生卵を取っておじやを作る。ネギの刻みを載せて、たれをちょっとかけて食べるととてもおいしい。  この店の2階はほとんど日本人の客だが、企業の駐在員が圧倒的に多い。私も駐在員のころは客が来るたびに案内した。客は100%満足するし、当方としては安いのでありがたい。ここで食べたらパサイロード沿いに建ち並ぶカラオケに行くのがいつものパターンだった。退職後フィリピンに戻ってからも、たびたびお忍びで出かけていった。しかし、しょっちゅう知り合いに会ってしまい、お忍びどころではなかった。今でも退職者を食事に案内するときの第一候補と決めており、月に2~3回は訪れている。私にとってマカティで食べるなら、天天火鍋、新宿ラーメン、ルートンマカオ、瀬里奈/MARUCHAN、お好み焼きの神楽が5本の指といった所だろうか。

台湾料理「天天火鍋」は野菜が一杯 2010年1月30日