今回、2件ほど重要な用事があって、日本に出張した。1週間滞在したが、用事があって出かけたのが3日間だけだった。初日は渋谷、相変わらずハチ公前での待ち合わせだが、若い外国人の団体観光客などでとてもにぎわっていた。東京でも被爆するかもしれない、なんて風評は彼らにとってはどこ吹く風のようだ。震災から3ヶ月、そこにはいつもの日常があった。
インターネット・カフェを探して渋谷の街を歩いてみたが、そこには震災の影響など全く感じさせず、私にとっては、相変わらずの異国の街並みが広がっていた。東急デパートの地下にはこれでもか、これでもかと、美味しそうな食材を豊富に並べているが、被災地への食料の供給はもはや十分なのだろうか。
もうすぐ3歳になる孫娘の結月には赤いバッグをお土産に買ってきてやった。それが大変気に入ったようで、「ジッジは怖くない」と自分に言い聞かせていたそうだ。ちなみに結月とはまだ4~5回しかあったことがなくて、物心ついてからは近づくと逃げてしまう有様だ。KIANと同様、異性が苦手だそうで、はじめは写真を撮ろうとすると顔をそむけてしまった。しかし、赤いカバンが功を奏したのか、2回目会ったときは写真を撮らせてくれた。彼女の体重は今13kgで標準より重いそうだが、KIANは1歳と2ヶ月で同じ13kgと、超健康優良児のようだ(いま時、重いだけで健康とはいいがたいが)。ちなみにもうすぐ結月の妹が誕生して、この子もお姉さんとなるのだが、今のように母親べったりで大丈夫だろうか。
次の外出は品川駅で待ち合わせて、高田馬場の早稲田大学で打ち合わせを持った。駅中といえば、最近注目を集めているショッピングの穴場だ。品川駅の駅中はまるでデパートの食品売り場とレストラン街のように充実している。フィリピンのLRTの駅とは大きな相違だ。また、エスカレーターに左側一列に並んで乗っている様子も田舎者の私にはものめずらしい。
早稲田大学は私の父や兄も通った大学で、私自身も付属高校を受験したりて(結局通学が大変で入学しなかったが)縁のある学校だ。それにも関わらずここは初めて踏み入れる場所だ。高田馬場周辺は学生であふれかえっていた。ここだけは若者がたくさん歩いていて、日本にもまだまだ若者はいるのだと心強く感じた。
日本滞在1週間を経過して、いよいよフィリピンへ帰国する日となった。成田第1ターミナルのトイレで見かけた赤ちゃんの椅子に感激。男子トイレだから子連れのお父さんが利用するのだろうが、なかなかしゃれていて、つい写真に収めてしまった。
夕方、成田空港を飛び立ったANA機の眼下には雲海が広がっていたが、この空も放射能で汚染されているのだろうか。次回は、11月12日のロングステイ財団が主催するロングステイフェアに参加する予定だが、放射能汚染で成田空港が閉鎖なんて事態になっていなければ良いのだが。このブログとは関係ないが、フィリピンへのペソの持ち込みは従来の5千ペソから1万ペソとなっていた。ちなみにドルは1万ドルと従来と変わりない。