ロングステイフェア2012開催-3Kから3Iへ 2012年11月24日


    11月17日(土)、ロングステイ財団主催の「ロングステイフェア2012」に参加するために半年振りに日本を訪問した。当社、パスコは、財団公認の「マカティサロン」として、フィリピンにロングステイあるいは永住するための相談窓口として3回目の出展だ。今回は、前年を若干上回る、約9500人の来訪者を迎えたそうだ。参考HP http://www.dokodekurasu.jp/

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早朝出発するジェットスターは昼ごろ成田に到着する。伊豆半島の向こうには雪をかぶった富士を臨むことができた。

  各国のサロンやロングステイアドバイザーの交流会が前日、フェアに先立って開催されたが、各国のサロンの報告を3分間で行うよう求められた。そこで「3Kから3Iへ」と称して下記のスピーチを行った。

 従来、フィリピンにはまった一部の男達を除いて、フィリピンは、まさに3K、すなわち「危険」、「汚い」、「困窮」のイメージが一般的だった。フィリピンと聞けば、「ジャパ行き」、「売春」、「誘拐」、「保険金殺人」、「スモーキーマウンテン」位しか思い浮かばず、「フィリピンへ行く」と話すと、皆一様に顔をしかめたものだった。

 しかしながら、最近は、フィリピンの退職ビザを取得する女性が増加し、特にお子様連れのママ達の「フィリピン行き」が目立つ。この方達は、日本の「放射能汚染」を危惧し、さらに日本の経済情勢をにらみ、子供達を「国際人」に育てたいと思っている。しかも、日本の社会情勢は、「虐待」、「いじめ」、「引きこもり」、「無差別殺人」など、子供を育てる環境にないと憂える。 

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ロングステイ財団がアレンジしてくれた、有明ワシントンホテルでは、全世界から駆けつけた、財団公認のサロン代表者が、まるで同窓会のように集まって近況を報告しあった。

 そこで、ママ達が海外に目を向けて、冷静に分析すると、フィリピンは、「近い Chkai」、「安いYasui」、「親しいShitashii」の3I=3つのアイ(愛)の国であることに気がつく。

① 近い:フィリピンは飛行機で4時間で、その気になれば日帰りもできる

② 安い: 米などの生活基本物資は日本の5分の一、さらに人件費は10分の一。退職者の平均的予算は一切を含めて、10万円/月で十分。この予算でお手伝いさんを住み込みで雇っている方もいる

③ 親しい:隣国の中国や韓国のように、日本を敵国とみなすという対日感情はなく、日本人に強い親しみをもつ優しい国民性、それに加えて国策として外国人の移住を奨励している

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有明の象徴のビッグサイト。今回のフェアは1万人近くが訪れる大きなイベントだが、会場は、その一部の会議棟1階レセプションホールというから驚きだ

 しかも、英米に次ぐ、世界で3番目に多くの人が英語をしゃべる英語圏で、法律、契約、新聞、領収書など、すべての公的文書には英語が使われている、すなわち公用語は英語なのだ。さらに学校の授業も小学校から基本的に英語で行われる。だから、英会話留学やお子さんの国際人としての教育も申し分ない環境がある。インターナショナルスクールの学費にしても年間20万~40万円程度で賄え、公立学校に至っては無料だ。英会話学校にしても3食付の寄宿舎と毎日マンツーマンの授業(4~6時間)を含めて十数万円/月で済む。

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入り口に並んだロングステイのポスター。日本人も海外に住むという傾向は、今後ますます発展するだろう。

 年間、数百万円がかかる英米のスクールへの留学は一部のお金持ちの特権だが、庶民はフィリピンに子弟を留学させることにより、日本と同等あるいはそれ以下の生活費で賄えるのだ。まさに、フィリピンンは留学の穴場で、リーマン・ショック前の2005~2008年には韓国から5万人を超える子弟がフィリピンで英語留学をしていたそうだ。昨今の韓国の隆盛は、その辺に原因があるのかもしれない。

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パスコのブース。今回は、現在フィリピンに滞在中の息子が 手伝ってくれた。背景はフィリピン退職庁が提供してくれたポスターだが、当ブースが何を目的としているかわからない、というコメントをいただき、次回は自家製のポスターを準備しようと思っている。

 スピーチは時間の関係で、この辺で終わったが、まだまだ続きがある。

 さらに極め付きは、退職ビザ(SRRV)の存在だ。マレーシア、タイなどに比べて、特に若い人の移住に圧倒的に有利なビザだ。

① 35歳以上であれば、2万ドルを預託金を預けることにより、ほぼ無条件で永住ビザを取得できる。しかも、日本での準備に3週間、フィリピンでの申請に3週間程度の短期間で完了する

② 配偶者、あるいは21歳未満の未婚の子供を合計で2人まで同伴できる(3人目からは15000ドルの追加の預託金が必要)

③ 本人の就労、子供の就学が可能、出国許可、再入国許可、外国人登録証等のわずらわしい手続きも不要

④ 無期限の居住権と、数次入国の特典を与えられる一方、ビザ取得後、フィリピン滞在の義務は一切なく、取得した永住権は既得権として生涯継続される

⑤ 預託金2万ドルはビザのキャンセルにより外貨で回収できる(コンドミニアムの購入などの投資に転用できるプログラムもある)

お隣は、PRAのブース、フィリピン観光省と共同出展だが、PRAに対しては私が声をかけて、今回の出展が実現たのだ

 女性がフィリピンに注目し始めているというに心強く思っている。3Kのイメージを乗り越えてフィリピン行きを繰り返してきた熟年男性は、それはそれで目的があっていいのだが、3Kのイメージに取り付かれているはずの女性が着目し始めたということは、まさにフィリピンが3Kのイメージを脱却して、本来の3Iのイメージを獲得しつつあるということだ。

1986年、マルコス政権の崩壊直後、三井物産の若王子支店長が誘拐された事件は、日本の新聞紙上を連日にぎわせ、フィリピンをいやがうえにも危険な国と印象付けた。あれから26年の歳月が流れ、そんな事件の記憶のない世代が、40代になった。この方たちは、そんなフィリピンの過去の事件にとらわれず本当のフィリピンを見つめることができて、フィリピンも負のイメージから脱却するチャンスが来たと思う。

 マーケットのターゲットは女性というのが基本だが、これら若い世代あるいは女性が、フィリピンを見直してくれたら、日本からフィリピンへ津波のように人々が押し寄せるのではないかと予感される。

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PRAのトップ、アチエンサGMも駆けつけてくれた。隣は奥さん(?)

 4組のママさんが近々、退職ビザの申請を予定されている。皆さん、セブに在住予定で、まずは親子英会話留学からフィリピン生活をはじめる。皆さん、ご主人を日本に残して、母子でフィリピンに渡り、放射能疎開とお子さんの国際人としての育成の一石2鳥をねらう。お母さんも英会話学習に励む心積もりのようだ。

 この傾向は、日本の経済状況、放射能の危惧、等を考えると、一時的な現象ではなく、今後も拡大するのではないかと思う。もしも再度、東海あるいは南海などの大地震がおきて、もう一つ原発がやられたらでもしたら、民族の大移動が起こるだろう。しかし、その時、フィリピンのビザが今のように取りやすいかどうかは保証の限りではない。

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金子さんを挟んでPRAをから派遣された2名のスタッフ。日本語が全く判らないと、心配していたが、金子さんのアシストで何とか大役をこなした。

だから、最近退職ビザを取得する方に、フィリピンを始めて訪問する方が、少なからずいる。初めて訪問して、即、永住ビザの申請を行うというのだ。そして、フィリピンは怖いから、ホテルに缶詰になるとか、フィリピン滞在を最短にしてほしいという。それでは何のために永住ビザと疑問に思うが、その方々は真剣だ。それほどまでに切羽詰まっているといえる。

 そして、フィリピンに来てみると、そこには当たり前の国際都市があり、「何だ、他の国と同じじゃないか」と、安堵して、翌日から見物に繰り出す。感想は、「フィリピンも捨てたもんじゃない。十分か住んですんでいけそうだ。フィリピンのイメージが一変した」だ。それはそうだ。大多数の日本人の持っているフィリピンのイメージは、冒頭の3Kで、3Iのイメージとは程遠い、でも自分の目で現実を見て、今までのイメージがどこかへ飛んで行ってしまうのだ。

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フェア終了後、財団がスポンサーとなって行われた打ち上げ会。ビールとジュースで乾杯した。

 3年ほど前に、とある夫婦が、お子さんとお母さんを連れて、退職ビザを取得するために、フィリピンを訪問された。日本食レストランが集中するマカティスクエアのパソンタモ通りを行き交う車で横断できず、ホテルへ引き返してしまった、というエピソードを思い出す。こんなことでフィリピンで暮らせるのだろうかと思ったが、彼の話はこうだった。

 「日本は、いずれ経済的あるいは物理的沈没する。そのために今のうちに海外脱出の片道切符を買っておく。今のところ、フィリピンに住む気は全くないが、預託した5万ドル(当時のビザ取得要件、現在は2万ドル)は海外ドル預金と考えれば、単なるリスク分散だ。それに若干の申請料で海外脱出のための切符(退職ビザ)がもらえるなんて、こんなうまい話はない。たとえ、このビザを使う機会がなかったしても、それはそれで何の問題もないし、かえってラッキーだったといえる。」


 なんとも先を読む人だと思ったが、将棋5段というから無理もない。そして1年半後、3.11が起こり、日本沈没が現実の問題となってしまったのだ。

CIMG5053s-4成田を1300時に出発するという便は今回のジェットスターで初めてなのだが、夕方明るいうちに到着すると、やや小雨模様で飛行機の後ろには虹が円形にできていた。なにか、フィリピンに錦を飾るような思いがした。

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