メタボ社会は国を滅ぼす(その5-年金と健保)2013年12月22日


最近、NHKで、「介護を拒否する一人住まいの認知症のお年寄り」、あるいは元NHKのレポーターの「認知症のお母さんの介護生活の3000日の記録」、「辞職して親の介護をする中高年-介護辞職」などの番組をやっていた。日本の介護の現場は、どうしようもない状況に陥っているようだ。

日本では予備軍も含めて、800万人の認知症のお年寄りがいるという。そして、この方たちの多くが一人あるいは夫婦だけで暮らしている。私の身の回りを見渡して見ても、子供夫婦と一緒に暮らしているお年寄りはほとんど見かけない。お年よりは皆、口をそろえて、子供達に面倒はかけたくないと話す。そして子供達も将来、親の面倒を見るという気はない。

かと言って、いざ親が認知症など介護を必要とするときが来たら、ほっておくわけにも行かないし、特別養護老人ホーム(特養)は40万人の入居待ちがおり、私設の有料老人ホームに入れようとしても、一般人には高嶺の花だ。そうなると、介護のために会社を辞めたり、離婚して親の介護に専念したり、自分の家族を犠牲にせざるを得ない方も多い。だからこそ、お年よりは、ますます子供に面倒をかけまいと、一人住まいや介護拒否が加速する。そして、最終局面では、面倒を見るほうも見られるほうも地獄を見ることになる。

CIMG1335s-4最近はおやつ代わりにミルクを粉のまま食べるKIANはメタボ予備軍だ

 先進国としての通例で、国は、年金制度、健康保険、介護保険、生活保護などの社会福祉を充実することにまい進してきた。しかし、高齢化社会、少子化社会を向かえ、収入と支出のアンバランスにより、膨大な国家予算をつぎ込むことなり、その破綻は秒読みの段階にになっている。日本はそれぞれの福祉制度にフィリッピンの国家予算をはるかに凌駕する国家予算を割り当てている。しかも、それは皆、国債などの借金で賄われているのだ。

政党は票集めのために社会福祉の充実を旗印にしているが、現実は、年金支給開始年齢のの引き上げ、個人負担の増額、在宅介護の奨励など、出費の削減にやっきだ。それは、膨大な国家の負債により財政が破綻、そして国が破綻するということが、海外では、すでに現実となりつつあり、日本も例外ではありえないからだ。

しかし、手厚い福祉制度に胡坐をかいて、核家族化、そして無縁社会をまい進してきた日本人にとっては、国家の福祉に頼らざるをえない体質(メタボ社会)になってしまっている。そんな日本人に対して福祉の後退は、お年寄りの致命傷となり、子供達は、この世に生を授けられることさえも拒否される世の中になっている。

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ルートンマカオで定番の野菜とシーフードのスープを食べたら一気に一杯半も平らげたKIAN。普段食べない野菜や豆腐、イカにエビなども喜んで食べていた

  先般、お世話したお年よりは、すでに軽度の認知症で、高齢の奥さんにとって、その介護は過酷で精神状態までおかしくなりかねない切羽詰った状態だった。お子さんは、それぞれの生活があり、介護を助けることもできない。特養に入れようにも、この程度の認知症では対象外と門前払いをされ、申し込むことさえできなかった。私営の老人ホームに入れたら、財政的に子供達の生活が破壊されてしまう。

解決策として考えたのが、フィリピンでの介護で、外国人を専門に面倒を見ているWellness Placeというところに父親を預けた。月々10数万円、これなら、なんとか賄える。これにより、家族崩壊の危機を乗り越えることができた。しかし、この選択は、海外に居住する、海外通の息子さんあってのことだ。今後、介護老人を抱える家庭は、国を頼りにするのではなく、日本を脱出して、自ら解決策を海外に探る以外に方法がないかもしれない。

一方、フィリピンには老人介護の問題も少子化の悩みもない。国民の半数が貧困という社会では老人と子供は強い家族の絆に守られて、幸せに暮らしている。介護施設も皆無で、自分の親を介護施設に送る込むという様な不謹慎な子供はいない。フィリピンでは老人と子供は神の子であり、天使なのだ。

CIMG1389s-4となりの家の歩行機械で一生懸命運動をするKIAN。メタボ解消に躍起だ

 それでは、日本のお年よりは、何故、子供に面倒を見てもらうことを拒否して、一人暮らしをするのだろうか。逆説的な言い方だが、財政的に可能だからこそ、一人暮らしをするのだ。たしかにお金さえあれば、色々と面倒な家族などいないほうが気楽でいいかもしれない。嫁姑の確執もないし、夫婦の揉め事も、兄弟や子供が持ち込むトラブルに悩まされることもない。

財政的裏づけとは、まさに社会福祉の目玉、年金だ。年金があれば、子供を頼りにしなくても老後の暮らしが送れる。老いて子に従う必要もなくて、好きなときだけ土産を持って孫の顔を見に行けばよい。年金がもらえない人は生活保護という便利な制度まである。

一方、フィリピンでは、年金制度はあったとしてもささやかで、それにあやかれる人も少数だ。まして、生活保護なんでありえず、人々は国家に頼るという発想はない。フィリピンでは老後の保険に子供を作るという考えがある。だから、子供がいない夫婦は子供をもらってまで育てる。そうやって、家族を維持して、老後の備えをする。

さらに家族を作る過程こそが人生であり、喜びなのだ。そして、老後はその果実をエンジョイすることになる。これは人類が数百万年続けてきた仕組みだ。この仕組みに、ほんの数十年前に作られた年金制度がかなうわけがない。まさにこの年金や生活保護などの社会福祉と呼ばれる先進国の誇りである福祉制度が、人間が最強であることの証である家族を崩壊させる原動力となったのではないか。まさに飽食によるメタボが肉体を蝕むことに通じるところがある。

CIMG1435s-4家の周りではスケーターで走り回るKIAN。これもメタボ解消のエクササイズだ

 最近、こんな話をビザ申請に訪比された退職者と話をしていたら、その方は、「さらに、老人が死なないんだよね」と仰った。もはや寿命を全うすべき老人が、医療の力で生きながらえ、膨大な医療費を消費している。回復する可能性がなくても、医療関係者はあらゆる手を尽くして死なせない。医療側としては、健康保険のおかげで、取りっぱぐれぐれがないから、高額な延命治療を施す。このことが多大な財政負担を国家に強いる。

一方、フィリピンでは、健保の制度はあるものの、その恩恵は少額で、限られた人々のものだ。だから、老人が大病を患うと、その家族が賄うことができる範囲の治療しか施すことができない。病院も支払いの保証がない限り、治療を行わない。従って、行き過ぎた延命治療はありようがないし、あったとしても一部のお金持ちのセンチメンタルでしかない。老人は不治の病を患うと、家族が見守る中、すみやかに神の元に旅立つのだ。

まさにこの、もう一つの社会福祉の目玉、健康保険制度が、医療制度を捻じ曲げ、意味のない高齢化社会を作り出す一因となっているのだ。

年金も健保も不十分なフィリピンは、家族という強力な社会制度を維持しているために、何があろうが行きぬく活力に満ちている。一方、日本は、社会福祉のおかげで、家族制度が崩壊しつつあり、まさにメタボで瀕死の状況だ。いずれ3.11を上回る災害、国家の財政破綻、あるいは、その他の未知の状況に遭遇したとき、日本沈没は免れず、その後、よみがえるのは、家族という仕組みを取り戻した日本民族なのか、あるいはフィリピンなどにとって代わられてしまうのだろうか。

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