フィリピーノはほうれん草が大きらい 2010年11月27日


フィリピーノは野菜をあまり食べないことはご存知だと思う。業界最大手のファースト・フード・チェーンのジョルビーではご飯とチキンのから揚げだけのメ ニューが一番人気だ。ハンバーガー専門のマクドナルドもそれにあやかってご飯とチキンのメニューを追加した。しかしここで話題にしようとしているのは野菜 のホウレン草ではなくて、報連相、すなわち報告、連絡、相談のことだ。1980年代の日本で「報連相で会社が強くなる」という本が話題になった。早速買っ て読んだがいたく共鳴したものだった。それ以来、報連相の重要性を常に痛感しているのだが、フィリピーノはその報連相に滅法弱いのだ。

フィリピーノを部下に持つと、「実に報告が無くて、こっちが聞くまで何も言ってこない」、「横の連絡が取れておらず、何もかも上のものが指示をしなければ ならない」、「わからないことがあっても聞き返さない、相談しない、ほったらかしておく」など、どうにもストレスが溜まる。そしてそれを責めると彼らは萎 縮してしまって、返って気まずくなり、最悪辞めてしまう。この辺のところを当地の心理学者にセミナーをやってもらい、教えを乞うた。答えは「長年、縦の指 示系統で動いてきたフィリピーノは横の連携が苦手。自ら上司に報告や提案することを求められず、上司が問いかけて初めて答える。できない、わからないと言 うことは自らの無能を申告することになるので、とても恥ずかしい。」のだそうだ。それでは自らが向上していくことはできないではないかと自問してもやまな い。

 報連相を是とする日本のビジネス習慣とは隔たりが大きい。しかしフィリピーノを使う限り、こちらがそれにアジャストするしか方法は無い。しかし例外もある。1989年、マカティでクーデター騒ぎがあった時に採用したアカウンタントがそれだ。ただのおばさんに見えたが採用後、そのレスポンスの速さにくだをまいた。そのころはE-メールも普及していなかったので、色々な指示はメモを書いて渡していた。彼女にメモを書くと、5分以内に返事が戻ってきた。しかも 社内の色々なことについて実に良く報告、連絡あるいは相談があり、社内で起きていることが手に取るようにわかるようになった。専門外のミーティングに出席しても、ミーティングメモを作成させると、わかりやすい英語で完璧なメモをあっという間に出してきた。会計担当だった彼女は見る見るうちに出世して、4年 後にはアドミ部門(総務・人事・財務)のトップ、取締役本部長にまで上り詰め、給与は10倍以上に上昇した。

 1994年ごろRCCという大型のジョブが舞い込んだ。日本の親会社がシンガポールで受注した大型石油設備のエンジニアリングを実施することになったのだ。社員に報連相を徹底するためにこんなスローガンを掲げた。「RCCプロジェクトをReporting、Communication and Consultationで成功させよう」。そして報連相の勉強会や講習会など各種イベントを開催した。効果のほどは定かでないが、会社の競争力を増すため報連相の徹底にエンドレスの努力が必要だったのだ。

  会社では毎年4つの大きな行事があった。アウティング(3月)、スポーツフェスティバル(5~8月)、創立記念パーティ(9月)、クリスマスパーティ (12月)だ。一年中社員をイベント漬けにして退職や組合など余計なことを画策する暇が無いようにとの戦略だ。その時はバジェット(予算)だけを与えて、 すべて彼らに任した。何が起きたとしても会社の業務に直接関係無いから好きにやらせたのだ。彼らはまず実行委員会を組織して、着々と準備を進め、イベント が近くなると就業後、そこかしこで出し物のレッスンを内緒でやっていた。そして当日、初めて内容を知るプログラムは目を見張るものがあった。日ごろ静かで 控えめな子が、舞台で堂々と司会をやったり、出し物も各部門ごとに工夫を凝らしてとても見ごたえがあった。その組織力、計画力、実行力などなど、まさにエ クセレント・パーフォーマンスだ。仕事もこんな風にやってくれたらいいのにとため息をついたものだったが、そんなかれらに報連相が出来ないとは信じがたい ところだ。要はすべてを任されて、ゴールも見えていれば、充分やれるのだ。だから会社の業務も経験を積めば充分やれるようになるだろう。 CIMG5515s-1

 考えてみれば、当時の社員の平均年齢が24歳、その後1歳づつ年を取っていったとしても、親会社の平均年齢40数歳とは大きな隔たりがある。10~30年 選手のベテランから見れば、経験数年の若者がやる仕事に不満があるのはやむをえない。報連相という言葉が日本ではやったということは、日本でも報連相が出 来ていないからでこそあって、若いフィリピーノにできなにのはやむを得ない。この会社も社員が10年、20年と経験を積めば、親会社を凌ぐほどに成長する だろう。ちなみに1989年設立だから現在、21年目を迎えている。しかし、フィリピンの会社の問題は社員が定着しないことで、設立当時からいる社員が何 人いるか、きっと1年目に採用した100人の内、現在までいるのは数名に過ぎないのではないかと思う。だからたゆまない報連相の普及努力が必要なのだ。

 

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