フィリピン人は国際人(インターナショナル) 2009年10月7日


  先日、とある退職者の一件で、整体師の日本人がが事の顛末と知り合いに話したら、「あなたもフィリピン人になってきている」と評され、えらく立腹していた。日ごろからフィリピン人はどうも理解できないと言っている日本人が自分自身がフィリピン人らしいと言われて、侮辱された気分になったようだ。
 
 日本からこられた方が、フィリピン人のやることなすことが日本人と違い、困惑し、「フィリピン人は、あるいは、フィリピン人のやることは、理解できない」と嘆かれることが多い。といいつつ、フィリピンを何回も訪問し、フィリピンが大好きな方が多いのだけれども。

 あるタイに長くおられた方が、「タイ人は、こうなんですが、フィリピン人はどうなんですか」と色々質問された。びっくりしたが、まるでフィリピン人のことを語っているかのごとく、すべてが同じなのだ。どうも東南アジアの人々の気質は大変似通っているようだ。タイは仏教国、フィリピンはキリスト教国なのだが、根っこは同じようだ。
(
下の写真はスービックの取材の際に対応してくれたSBMAのスタッフ。彼らはまさに国際人だ。)

CIMG0744s-4 ハリー・ポッターの映画で、事件が落着して、校長先生がハリー・ポッターに向って「このことは絶対に秘密で人に漏らしてはならない。ということはすでに全校生徒が知っているということだ。」と言うくだりがある。「フィリピ人に秘密はない」といわれるが、もし皆に伝えてほしかったら「これは絶対秘密だよ」といえば、あっという間にうわさが広がってしまう。これは何もフィリピンに限ったことではなくて、ハリー・ポッターの故郷のイギリスでも同じことなのだ。

 フィリピンでは「ハイ」という代わりに、眉毛を吊り上げる動作をする。アメリカの映画を見ていたら、今まで気がつかなかったが、若者がその動作を頻繁にするのだ。さらに、先日、イギリス人を農場に招待し、マッサージ嬢のタンとデバインの家を訪問した際のことだ。そこで80歳は超えているだろうと思われるおじいさんが挨拶に出てきた。おじいさんはイギリス人と握手すると、その手の平を人差し指でこすった。これは、拙著「金なし、コネなし、フィリピン暮らし、84ページ」でも紹介しているが、Hをしようという意味なのだ。この話をイギリス人が仕草で話をしてくれ、大笑いしたが、イギリスでも同じ合図をするようだ。

 ご承知のように、フィリピンはレディファーストの国だ。エレベーターに乗ったり、先に食卓につくのは女性だ。買い物の荷物を持って歩くのは男性、車のドアを開け閉めするのも男性だ。一方、女性は一家の大黒柱、カカア殿下が当たり前だ。これはフィリピンに限らず、香港、シンガポール、タイなど私の知っている限り各国共通だ。フィリピンは英語圏だから、現在でも欧米の文化がそのまま流れ込んでくる。国民の1割近くが出稼ぎなどで海外暮らしをしているということからも、外国との文化経済交流は活発で、フィリピンは東南アジアにあっても日本よりもはるかにインターナショナルな国なのだ。
(下の写真はポーズを取るパスコのスタッフ。いつもとても明るくて優しい)

CIMG8742s-4 フィリピンは危険な国というが、欧米人は決してそうは思っていない。アメリカや南米諸国、あるいは東南アジアの他の国々と比べてはるかに安全だ。ただ、新聞やテレビに報道されるニュースは悪いことばかりで、決して良いニュースは流れない。だから、日本にいてはフィリピンのことは決してわからないのだ。しかし、日本と比べて安全と言っているわけではない。日本以外の国としては決して取り立てて言うほど危険な国ではないのだ。フィリピンで普通の生活をしている限りて被害に会うことはめったにない。

 フィリピンで人にだまされて大金や家をとられたということは良く耳にする。この原因は日本人があまりにも安易に人を信用して契約書を読まず、あるいは読めず、時には契約書や書いたものも何も無しに大金を出してしまうことに問題がある。俺々詐欺ではないが、金に対してあまりにも鷹揚なのだ。これはフィリピンに限ったことではなく、どこの外国に行った所で同じことだ。

 日本と比べてフィリピンがどうのこうのというのは、どうも観点が違うような気がする。強いて言えば、日本と外国の違いなのだ。忘れてはならないのは、フィリピンは外国であって日本ではないのだ。多数のジャパユキさんが日本で働いていたから、多くのフィリピン人が流暢な日本語を話す。だから、フィリピンにやってきても日本にいるような気分になって、ここが外国であることを忘れてしまっている日本人が多い。フィリピンの言語である英語やタガログ語を全く話せず、あるいは話そうとせず、フィリピン人の親切や人の良さに甘えてしまっているのだ。だから、「日本ではこうなのに、フィリピン人は、なぜだめなのか」と不満が絶えない。
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下の写真の子供達も立派に国際人なのだ。)

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  日本の文化は中国から伝わった儒教の教えをバックボーンとした独特のものを持っている。日本の島国という地理的環境と儒教の教えという特殊な環境に育まれ、それが唯一絶対思っている方が多い。しかし、それは日本と韓国で位しか通用しない独特の考え方だ。国際社会そしてフィリピンでは全く通用しないのだ。

 海外旅行で外国を経験している方も多いと思うが、そのほとんどは素通りするだけで、そこの人々の文化、慣習を知る術もない。フィリピン人の奥さんがいたとしても、意識するしないに関わらず奥さんに日本流を強要し、奥さんが必死に日本の慣習に従おうと努力している限り、フィリピンのことを知ることはできない。だからフィリピンにやってきて、その文化・慣習に触れると、「フィリピンはなぜ...、フィリピン人はどうして...」と愚痴を重ねる。一方、フィリピン人にしてみれば、日本人は、国際的マナーも常識も知らない野蛮人と映るのだ。(もちろん、日本と同様、フィリピンにもとんでもない輩が少なからずいるが、こんな輩には決して相手にしないことだ。)

 フィリピン人は中国とマレーの両足で立ち、スペインのハートで感じ、アメリカンのマインドで考えるといわれる。すなわちとても国際的なのだ。フィリピン古来の文化はあるにせよ、フィリピンの文化・慣習を観察するとき、それは日本とフィリピンの比較ではなく、日本と海外、あるいはインターナショナルとの比較とたらえたほうがわかり易いと思う。逆説的な言い方になってしまうかも知れないが、もし、あなたがフィリピン人らしいといわれたら、それだけ国際人の考え方に近づいたと解釈し、胸を張ってよいのではないか。

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