アヤラ・アラバン・ビレッジといえば、フィリピン有数の高級ビレッジとして有名だ。マニラから南に約20kmほどSLEX高速道を下り、アラバン出口あるいはフィルインベスト・コーポレートシティ出口を出て右に進み、2kmほど先の左側一帯がこのビレッジだ。ここはモンティンルパ・シティの一部で、日本の戦犯を収容していたことで有名な刑務所がある所だ。「モンティンルパの夜は更けて」という歌を通じて、団塊の世代以前の方々には懐かしい地名だ。
飛行機からアヤラアラバンビレッジを望む。写真の手前のビル群がフィルインベスト・コーポレートシティ。その向こうゴルフ場を中心に広がっているのがアヤラアラバン・ビレッジだ。(写真の画面をクリックして拡大してみてください)
アヤラ・アラバン・ビレッジの面積は1000ヘクタールを超え、中に18ホールのゴルフ場さらにはラサール大学の付属校などまでがある。駐在員の時代、都合2年ほどこのビレッジに住んで、ここのゴルフ場の会員になっていた。名門ゴルフ場のクラブハウスはいかにも重厚で、お金持ち気分をいやが上にも味わされたものだ。
この日は、EIEN英会話学校の体験宿泊のご夫婦を案内して、フィリピンでの住居、医療の現状を把握するという目的だった。そして初めに向かったのがフィリピン最高級クラスの住居が数千軒建ち並ぶこのビレッジだった。
このビレッジにお住まいの日本人退職者を訪問するというのが、入り口で入門許可をもらうための算段だ。そのため、退職者のかたには、ゲートのセキュリティガードから家の固定電話に電話が入るから、口裏を合わせてほしいと、連絡を入れてあった。しかしながら、急の用事で家を空にすることになってしまって、対応できないというのだ。それでも一か八か、運転手に住所を名前を教えて、入門許可をもらうように指示をした。結果として入門できたのだが、車の中が皆日本人だと言うので敵も油断したようだ。ちなみに、このようなビレッジは入門管理が大変厳重で、容易に中に入ることが出来ないのだ。
ビレッジの中に入って、日本人ご夫婦、そしてEIENのスタッフは、こんなところがフィリピンにあるのかとびっくりしていた。一軒一軒の家も超豪邸といえる立派さだが、それが行けども行けども無数といえるくらい並んでいるのだ。その中でも特に豪邸というので、下の写真の家に行ったが、塀の外からなので残念ながらよい写真が取れなかった。しかし、玄関にはフルサイズのベンツが2台置かれ、想像しがたい贅沢な暮らしをしているのがうかがわれた。
下の写真はここにお住まいの退職者の家だ。家賃は10万ペソ/月。2階にはバストイレ付の大きなベッドルームが4部屋ある豪邸だ。庭にプールがあるのは当然のことだ。
ちょっと古い写真だが、ここにはこんな豪邸はざらにある。そものそも高級ビレッジの原理は簡単で、1区画が1000平米以上に造成して、それを分割することを禁止するのだ。そうすると土地だけでも、現状で10~20百万ペソ、すなわち、2千~4千万円となり、並みの金持ちでは家を建てることができない。1000ヘクタール(1ヘクタールは1万平米)のビレッジにその50%が宅地として、500ヘクタール。それを1000平米で割ると、5000区画、すなわちこんな豪邸が5000軒ある勘定になる。
この周辺はマニラのベッドタウンとして戦後開発され、高級住宅街として多くの日本人を始めとする外国人が暮らしている。アヤラアラバン・ビレッジとアラバン・ザポテ・ロードを挟んだ反対側一帯はBFホームズという広大なビレッジ群だ。その住民を目当てにフェスティバル・モールやタウン・センターなどの高級な買い物、食事どころがある。さらにちょっと先へ行くと巨大なSMサウス・モールもある。
さらにSLEX高速道路に近いところには最新鋭のエイシアン・ホスピタルがあり、ここには生活インフラのすべてが揃っている。退職者がマニラに暮らすとしたら、一押しのエリアだ。
アヤラアラバン・ビレッジに隣接するフィルインベスト・コーポレートシティはマカティ、オルティガスに次ぐ副都心として開発されたが、バブルがはじけた 1990年代の終わり、10棟弱の高層ビルが建設された以降手がつかず、最近ようやく建設の槌音が聞こえ始めた。しかし、マカティの隣のフォートボニファシオグローバルシティはここ10年、目覚しい発展を遂げているために、第4~5番目の副都心に地位を落としているようだ。左写真がマドリガル・ビジネスパークを中心に上方左にアヤラアラバンビレッジ、下方にBFホームズのビレッジ群jを望む。左の赤い屋根がタウンセンター・ショッピングモール。右の写真はフィルインベスト・コーポレートシティ。画面の左にフェスティバル・モールが見える。(写真画面をクリックして拡大して見てください)