フィリピンに寒波襲来2008年12月19日


 地球温暖化が取りざたされている昨今だが、1217日の早朝、バギオはこの冬一番の寒さ、10.8度を記録した。マニラも19.1度だった。フィリピン厚生省は風邪や発熱の注意報を発令した。20度という気温はフィリピン人にとって相当な寒さである。雨上がりなど気温が25度以下に下がると我々日本人は心地よく感じるが、フィリピン人にとっては寒いと感じて長袖やジェケットを着る人が出て来る。フィリピン人が寒いと言うと、私は「寒いのではない、暑く無いだけだ」といつも言い張っている。本人が寒いと感じるのだから勝手なことなのだが、本当に寒いといえるのは10度以下に気温が下がったときだけのはずだと思う。

フィリピン人はちょっと涼しいとジャケットやマフラーをする

フィリピン人はちょっと涼しいとジャケットやマフラーをする

 しかしバギオは1000mを超える高地にあるだけに本当に寒くなるときがある。一度Tシャツ一枚に半ズボンで何の着替えもなしに出かけたことがあった。あいにくの雨模様だったが、しばらくの間外で待たされた時、寒くて寒くてふるえが止まらなかった。それでも長袖にズボンだったら何の問題もなかったろう。しかしフィリピンで寒さに震えるなんて想像だにしなかった出来事だった。

 この日、今年一番の寒さにバギオの人々はジャケットにマフラーそれに手袋のいでたちだったという。バギオでは普段でもマーケットなどではジャケットを着ている人を見かけるが、とにかくフィリピン人は寒さに弱い。しかしかのジャパユキさんは日本の寒さをどう凌いだのだろうか。郷に入っては郷に従えのことわざのようにすぐに順応してしまうらしくて、日本の寒さをそんなに恨めしそうに言うジャパユキさんはいない。それよりも一冬過ぎてフィリピンに戻ってくると皆色が白くなって美人になって帰ってくる。

 元来フィリピン人はスペインや中国の血を引くために、地は案外色白で、普段は陽に焼けて黒くなっているだけなのだ。そこで、話はちょっとずれるが、肌の色について興味深い話を一つ披露したい。 いつか、NHKで色の黒い白いは日光の強弱に人類が適合した結果だという番組をやっていた。元来人類はアフリカで生まれ、体毛を捨てた黒い肌により強い日光から身を守り、草原を走り回って多くの獲物を捕まえ繁栄して行ったそうだ。人類が世界に散らばる過程で日光の乏しい北方に移動するためには数万年の時が必要だったという。それは白い肌を得て、少ない日光を有効に体内に取り入れ骨の形成に必要なビタミンDをつくる能力を獲得するのに何百世代もの世代交代による進化が必要だったのだ。一方日光の強い南アジアには人類はあっというまに広がっていった。その名残が今でもニューギニアやオーストラリアの原住民に見られる。

 現代は飛行機でその日のうちに北や南の国に移動できる。その結果、イギリスに住むインド人の子供が日光不足でクル病にかかったり、オーストラリアでは強すぎる紫外線のために皮膚がんにかかる白人が多発しているという。要は彼らは短期間の内に肌の色を変えることができないためにこのような病気になってしまうのだ。一方、かのジャパユキさんは、北の日本にいると白くなって、フィリピンに戻ると黒くなるという、住むところの気候にたくましく適合しているのだ。これはなにもジャパユキさんに限ったものではなく、東洋ないし東南アジアに住む人々の全般的特徴ではないかと思う。色黒の白人というのは聞いたことが無いし、黒人は何百年アメリカに住んでいても黒いままだ。そうなると世界の距離がなくなった今、世界をまたにかけて活躍できるのは肌の色を変えるという特殊能力をもったアジア人=黄色人種ではないかと思う(ちょっと誇大妄想のような気がしないでもないが)。

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