先日、オクラのパッキング工場を見学に行った際、アンヘレスのホテルのレストランで脇に置いておいた「金なし、コネなし、フィリピン暮らし」の本を指差して、「珍しい名前の本ですね」と声をかけてきたのが実石さんだった。「実は、この本は私が書いたんです」から会話が始まって、同席した実石さんの友人がその本を持っていて「サインが欲しい」などという話になり、翌日、実石さんの有機肥料工場、そして今回ブロック工場を見せていただくことになった。実石さんは奥さんの実家であるアンヘレスの郊外の農場を基点に幅広くビジネスを展開するフィリピンに根をはった実業家だ。
実石さんのブロック工場(Real Block)はフィリピン最大の生産量をほこり、月産250万個(10万個/日)に達し、ほとんどを首都圏に出荷している。サイズと強度でまちまちだが、 4インチの標準ブロックで1個3.75ペソ(工場渡し)と競争力のある価格だ。受注残は数千万個でいくら作ってもたちまち売切れてしまうと言う繁昌ぶり。一方、原料はセメントとピナツボの灰でほとんど無限といえるほど存在する。
この日は日曜で休みなので、一組しか働いていなかったが、全部で250人雇っているそうだ。ゲートのガード代わりか、入り口ではワーカーの家族が笑顔で迎えてくれた。
ブロックの製作はすべて人力だ。モルタルをミキサーで練って、型枠に流し込み、それを機械で押し出す。3個一組で1サイクル10秒以下の作業で、3人一組で作業を行なう。ヤードには養生中のブロックが無数に並んでいる。3個x6サイクル/分x60分x8時間=8640個、x12組=103,680個となり、12組で日産10万個が可能となる。一日あたり10万個を出荷するとなると、1台の10トントラックで2500個運べると仮定して、1日40台のトラックが首都圏に向うことになる。運搬は夜間に限定され、一日2往復しかできないので、20台ものトラックが首都圏を毎日往復していることになる。
ブロック工場の脇は採砂場になっている。ブロックを作る砂のほか、砂そのものを建設材料として首都圏に出荷している。実石さんはここに200ヘクタールの採砂場を確保しているが、30mに及ぶピナツボの砂の層にはざっと6千万m3の砂があり、1日5000m3(ダンプ500台、1台あたり10m3)を出荷して、12000日(40年)分の砂があることになる。ちなみに出荷価格はダンプ1台で950ペソだそうだ。
ピナツボの砂の層の間にはプラスティックのゴミが見えるが、これは砂と一緒にゴミが流れて埋まったものだ。この砂の層を見ていると現代もまさに地球が大地を育む営みが続いていると感じる。「100万年前あるいは1億年前の地層から発掘された化石」などということをよく耳にするが、遠い将来20世紀の地層から化石ならず、プラスティックが古代の遺跡として出土されるのだろうか。
実石さんの家と農場があるバランガイへ行くには実石さんの所有する私道を通らなければならない。実石さんの私道が唯一バランガイへ行く方法だそうで、実石さんがこの私道を作るまで、バランガイは陸の孤島でそこへ通じる道路はなかったそうだ。この辺一帯が実石さんの農場だが、全部で100ヘクタールという広大なものだ。道路の左ではとうもろこし、右にはひまわりの栽培試験農場がある。とうもろこしは飼料に利用し、ひまわりはバイオ燃料としての利用するための実験栽培だそうだ。
農場の中央には有機肥料の倉庫がある。ここで藁やとうもろこしの茎、さらに牛糞、鶏糞などを混ぜて発酵させている。実石さんはこの有機肥料の使用を強力に推し進めいているが、フィリピンでは化学肥料万能で、このままでは10年後には収穫が激減するであろうと、警鐘をならしている。日本では数十年前に有機肥料の重要性を再認識し、藁や鶏糞等を利用する有機肥料の生産が奨励され農家や園芸家の必須作業となったのだが、フィリピンの農家ではこの有機肥料の生産をほとんどやっていない。藁は燃され、豚の糞は廃棄物として処理されているだけだ。
肥料工場には大型の農作業の機械が数台置いてある。自分の農場以外にも貸し出して高い稼働率となっているそうだ。また、この日はとうもろこしの収穫機械が中国から到着し、組み立て中だった。日本製なら1000万円はするだろうが、これは300万円程度で購入したそうだ。この機械で1日に5ヘクタールは収穫でき、余っている時間は自分の農場以外にも貸し出すことを計画している。フィリピンでは暑い日中のとうもろこしの収穫作業などの重労働を行なう人が減ってきて、逆に人手不足と言うおかしな現象がおきつつあるのだそうだ。右下の写真は実石さん夫妻。
実石さんのお宅を訪問してびっくりした。まるでゴルフ場のクラブハウスだ。敷地は2ヘクタール(2万m2)あるそうだが、通常の家の敷地が200m2としたら、100軒分で、小さな団地並みの広さだ。まあ、100ヘクタール所有する農地のほんの一部だろうが、とにかく広い。一方、家のあるバランガイの住人の50%以上が実石さんのところに働いているそうだ。まさにバランガイの村長さんで、皆に慕われており、どこへ行っても住民が笑顔で迎えてくれる。バランガイの住人は皆家族と同じだから、実石さんも安心してここに住んでいられる。地域の住民に愛されること、これがフィリピンで安全に暮らすコツなのだ。
この日、マカティに戻ってきたら、前をポルシェ・カレラが走っていた。見たことのない新車のカレラだ。本文には何の関係もないがフィリピンにはお金持ちがたくさんいるものだと、ため息がついた。