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  退職者のトラブル解決のためバギオを訪問する機会があった。トラブルの方も無事解決し、一泊2日のバギオ観光としゃれた。バギオといえばフィリピン人憧れの高原都市で、暑さはほどほど、夜は寒いくらいでカーデガンが必要だ。ほとんどの樹木が松ノ木だが、フィリピンで松ノ木が見れるのはここだけだ。  バギオに向うケノン道路はその昔、日本人の労働者によって作られたという難所で、深い谷をつづら折に上って行くこと約1時間、そこには信じられないような規模の天上の都市があるのだ。  泊まったホテルはEl Cielito Innというところだが、1500ペソ/泊で、とても感じの良いホテルだった。セッション通りの坂上のロータリーから5分くらい東に歩いたところにある。また、セッション通りを下りきって左へ折れ5分ほど歩いて、さらに右へ折れてちょっと入ったところにハニームーンなど殿方を接待する店が何軒かある。  セッション通りをのぼりきった当たりにあるのが、有名なフィリピン料理の老舗、バリオフィエスタだ。料理は普通だが、外の木彫りの人形がすばらしい。    この日は丁度、世界一長いロンガニサ(ソーセージ)のパレードがあり、ギネ・ブックに挑戦しているとのこと。学生のバンドなども出て、バギオの目抜き通りのセッション通りを練り歩いていた。   バギオを訪問したらセッション通りの突き当りを右に折れたところ、マグサイサイ通り沿いのマーケットは欠かせない。イチゴジャム、高原野菜、ほうき、民芸品の織物や銀細工などがお土産の狙い目だ。フィリピン全土のレタスやキャベツ、白菜やカリフラワーはすべてバギオ周辺で生産され全国へ出荷されている。例え、たくさん買い物をしてもちきれなくなっても平気だ。小学校の子供達がアルバイトで運んでくれる。魚類はほとんど養殖魚のテラピアかバゴスだ。山の中だからいたしかたないことだが。       バギオ一番の観光名所はマイン・ビューだ。ここから眺める景色は壮大だが、久しぶりにやってきたら、景色の中に住宅が目立つ。バギオの宅地開発も随分進んだものだ。また、さらにおみやげ物屋がやたらと多い。10年前の3倍はあるだろう。毛糸で編んだ服や民芸品の織物などが主体だが、サボテンなどの鉢物もある。どういうわけか20ペソでセントバーナード犬と写真を撮らせる商売をやっていたが、バギオとの関連は不明だ。原住民であるイグロット族の衣装を着せて写真を撮らせるのは理解できる。 […]

高原都市バギオ訪問 2009年9月27日


 ビコール地方は有数の米の産地でもある。収穫の時期の今は道路はモミを干す格好の場所として使われていた。しかしここのところ雨がちで、湿ったモミは一部芽や根が出始めて台無しになるところだった。先日報告した、籾殻を利用して炭の代替燃料のをつくるプロジェクトの下調べとして精米所(ライスミル)を訪問した。  二袋のモミで一袋(約50kg)の米が出来るそうで、料金は100ペソ/袋、籾殻は廃棄/焼却あるいは部分的に自家消費の燃料あるいは肥料として使われている。2軒目のライスミルでは裏庭に積みあがった上にアヒルが住処としていた。その横には豚が飼われていたが、関係はないらしい。豚小屋に籾殻を敷いたら、いい有機肥料が出来ると提案したら、良いアイデアだと言っていた。  3軒目のライスミルではモミは全量焼却しているとのこと。固形化して燃料にしたり、あるいは有機肥料とすることについて質問したら、多いに興味を示していた。このようなライスミルはバランガイに一箇所程度はあるようだ。しかし規模が小さく、一箇所で一台の固形化の器械を入れるということはありえない。やはり、市が一台買って、トラックに積んでライスミルを巡回するということになるだろう。

ライス・ミル(精米所)調査 2009年9月27日



  タバコ市があるアルバイ県の名産はアバカ(マニラ麻)の製品だ。戦前多くの日本人がこのアバカ(マニラ麻)をフィリピンで生産し、1万人ともいわれる日本人がミンダナオのダバオなどに滞在した。現在も日系の2世3世が多くいるが、戦後日本人であることを隠し続けていたため、苦しい生活を強いられているそうだ。  このアバカ製品はマニラ麻とも呼ばれているくらい丈夫で長持ちする。自然志向の現在にもマッチした素材だ。ハンドバッグを初め、かごや室内装飾品があるが、バッグが品数で圧倒している。私の目からするととてもしゃれたデザインが多いのだが、果たして日本女性の目からはどうだろうか。値段はほとんどが200~300ペソ程度、500円前後だ。これがマニラで買うと倍になる。日本なら5倍から10倍程度ではないだろうか。   小さめのものは3個で100ペソ程度で買うことも出来る。これをたくさん買っておいて、事務所を訪問した日本人の奥さんにプレゼントするととても喜ばれる。しかし、フィリピーナにプレゼントしても少しも喜ばれない。彼らは値段を知っていてフィリピンの田舎で作ったものなどは見向きもしない。彼らは意外とブランド志向なのだ。    近くのアバカ製品の工場を訪ねてみた。皆手作りだ。生地を編むのも昔ながらの編み機だ。もし腕に自信のある方は自らデザインして作らせて見てはどうか。日本で10倍程度の値段で売れるかもしれない。  なお、アバカとは普通の麻とは似ても似つかない植物で、バナナの一種だ。バナナより細めの樹木で、この幹からアバカの繊維が採れる。

アルバイ名物アバカ製品の紹介 2009年9月27日


  整体師の下でマッサージをしているのが、タンとデバインだ。小さな体で力強いマッサージをするので評判が良い。9月9日は彼らの田舎でフィエスタ(村祭り)があるというので、特別に飛行機での帰郷を褒美として与えた。といっても格安の航空券を利用して、バスで帰るのと大差のない費用で済んだ。初めて飛行機に乗るというので、彼らは指折り数えてその日を待った。しかし始めての経験で飛行機の乗り方もわかるまいと、同じく我々も格安航空券を利用して同行した。彼らの田舎はわが農場の隣町なのだ。  彼らの街のフィエスタには参加できなかったが、翌日の昼ごろ、散歩がてらに客3人と歩いて彼らの家を訪問した。途中、のどかな田園を歩いていくと、すれ違う人たちは笑顔でForeigner(見知らぬ人、外人)を迎えてくれた。特に、同行したイギリス人は大きな体でいかにも白人、ものめずらしさもあったようだ。こんなのどかな環境に育ったら、悪い人間などありようもないないといった雰囲気だった。途中、昔、有名だったロカモンテというリゾートの跡地も立ち寄った。小川や咲き誇る花がきれいだった。  まずタンの実家、お父さんや姉さん、そしてお兄さん達が出迎え、12時を回っていたので、早速昼ごはんをご馳走になった。突然の訪問なので食事の用意があるはずがない。全部食べてしまったら、彼らの食べ物がなくなってしまうので、控えめにいただいた。その時どういうわけかタンの顔が輝いていた。どうも外国人4人の訪問が彼らにとって前代未聞のことであり、そのうれしさが顔に表れていたらしい。  そして次にデバインの家へ行った。狭い家にたくさんの家族がひしめいている。しかし、きれいに掃除がしてあり、清潔だ。そこでも当然のごとく昼飯が出る。エビや上海ルンピアなど思いのほかのごちそうだ。フィリピンでは出されたものに手を出さないのは失礼なので、少しだけいただいたが、とてもおいしかった。  農場の家に戻ってきてから3度目の昼飯を食べるはめになったが、その時、相棒のジェーンにタンやデバインの歓待ぶりについて話をした。そしたら、ジェーンは、かれらは食べ物を隣近所から借りて来て振舞ったのだと、ことなげなく言う。それを聞いていたイギリス人は感極まったように、うなり声を上げた。現代の世の中に、借金をしてまで人を歓待するという気持ちが残っていたのか、イギリスなどではとうの昔に失ってしまった慣習だ、というのだ。  タバコ周辺のトリップ、タンやデバイン訪問、家での誕生日会など通じて驚きと感激の連続だったイギリス人はこの地をHaven(避難港)とすることを決意した。彼曰く、「イギリスにはもはや人の心を失っている。女も男のようで女らしさのかけらもない。イギリス経済も破綻寸前で、どこかの予言の通り2012 年に一旦、世界は破滅し、不死鳥のように人類は新しい形でよみがえるであろう。その間、どこか避難するところがほしいが、優しい心を保っているフィリピンこそが避難港として最適だ。そして再生した世界を制するのはフィリピンではないか。とにかくここには多くの学校や教会があり、教育と信心を持った次代を背負う子供達がたくさんいる。  こんな話は先日ご家族で退職ビザを取得した日本人も言っていた。日本もイギリスも先進諸国と称する国々は破滅への道を歩んでいるのではなかろうか、と思う。ところでこの日本人家族も次回は是非タバコを訪問したいといっていた。果たしてかれらはそこでHaven(避難港)を見つけることが出来るだろうか。

タンとデバイン物語 2009年9月27日



  久々に我が農場のあるビコール地方タバコ市を、2組の客を案内して訪問した。今回は、そのほかにマッサージ嬢のタンとデバインを同行したが、それについては別途報告する予定。セブパシフィックのスチュアーデスは美人が多いので一枚失礼した。農場には子豚が12匹生まれていた。さらに3匹がそろそろ出荷時で、一匹を処分して、我々の食卓に載った。   タバコの街は相変わらずだが、到着早々イギリス人の客を、教会、マーケットなどに案内した。マーケットでは油やお酢、調味料など、日雇いで生活している人々のために、1回分づつ袋に小分けして売っているのを興味深く見つめていた。パジャック(座席付の自転車)の長い列にも、こんな数ペソ単位の仕事でも供給過剰という就労状況にも感心していた。フィリピンの過剰な労働力の証のようなものだ。このような人たちも失業状態とみなすと、フィリピンの失業率は 50%近いのではないかという気がする。   郊外を回ると、そこにはのどかな田園風景が続いていた。3年前の台風レミンの傷跡もいえて、マヨン火山の山すそには、カラバオの親子やアヒルなどがのんびりとえさを食べていた。特にマヨン火山の周辺は清流が多く、美しい風景をかもし出している。    ビコール地方のシンボルがカグサワ・ルーインという教会の跡地だ。16世紀に建立された教会は、今は跡形もないが、天気が良ければマヨン火山と塔のコンビが美しい。ここには多くのおみやげ物屋があるが、ほとんどが名物のアバカ(マニラ麻)の製品や刃物を売っている。この日は、竹で作ったギターの演奏を聞かせてもらった。     地熱発電所があるTiwiに来ると、名物のハロハロが欠かせない。帰りにと思ったが、行きに食べたいというので、早速店に立ち寄った。皆、おいしそうに平らげた。   Tiwiの先はハンギングロードといわれる景色の良いところに出る。その途中、子供達の通学時間にぶつかり、トライシクルに鈴なりになって帰る子供達を見た。今回のトリップの終点はJoroan(ホロアン)という町で、Salvacion(サルバシオン)という18世紀に活躍した尼さんをまつっている有名な教会だ。この教会では奇跡がよく起こるそうだ。   […]

ビコール、タバコ訪問 2009年9月27日


 モール・オブ・エイシアに近いマカパガル通りに沿ってあるのがシーサイド・マーケット・レストランだ。以前はバクラランのシーサイド・マーケットの周りにあったものだが、ここにさらに大規模に建設された。バクラランと同様に入り口は果物店で、熱帯の果物に混ざって、オレンジやリンゴなどの輸入果物も並んでいる。その奥が食材を売るマーケットだ。このマーケットの周辺には数十のレストランが並んでおり、ここで買った食材を持ち込んでお好みの料理をしてもらう。ご飯や野菜、飲み物は店が用意する。  果物屋の奥がシーフード・マーケットだ。その両脇には野菜やDVDや雑貨を売る店が並ぶ。店員は皆おおらかで、写真を撮られることを多いに好む。しかし、これほどまでの食材をそろえるのは良いが、当然売れ残りがたくさん出るだろう。それらをどう処理するのか不思議だ。 この日は4人で2000ペソほど使ったが、半分くらいの料理が余ったので、6~8人くらいで来てもその程度で済む。しかし、写真のヤシガニやロブスターは一匹、数千ペソもするので辞めておいたほうが良い。そもそもこんな希少生物を食べるというのは不謹慎だ。お勧めは小さな活エビ、1kg350ペソで、ボイルしたり、から揚げにすると大変美味で、日本人もフィリピン人もエンジョイできる。    

シーサイドマーケットレストランは観光の目玉 2009年9月27日



 モール・オブ・エイシアはもはやマニラ観光の定番だが、マニラ訪問中の若い日本人を案内して久々に訪ねてみると、以前には気がつかなかった店もあった。 カルツーラという店にはすでに11月11日のハロゥインデイ(All Saint Day)の飾り付けがされている。内部は近代民芸品ともいえる品ぞろえでモダンな置物が並んでいる。フィリピンに住居を構えたとしたら、是非ここを覗いてみてほしい。モダンなデザインの置きものがたくさんある。 モール・オブ・エイシアの右手はSMが経営するハイパー・マートというスーパーだ。広大なスペースには商品が山のように並んでいる。フィリピンの購買力は日本をはるかに凌駕するのではないかと思うくらいだ。  本館の2階にはこれまた広大なフードコートがあるが、これら調理済みの料理を見るとフィリピン人の胃袋の大きさを感じさせる。

モール・オブ・エイシア再訪 2009年9月27日


  バリクバヤン民芸店はマカティのパサイロード沿い、3階建ての店が有名だが、モール・オブ・エイシアに近いマカパガル通り、シーサイド・マーケット・レストラン街の向かいに広大な店がオープンしている。まず入り口にある巨大な木造が目を引く。どう見ても一本の木から彫り上げているように見える。ちなみにバリクバヤンとは帰郷という意味。 中に入ってみると、広大な店内には民芸品が所狭しと並んでいるが、中でも木製の民芸家具が目を引く。ほとんどがむくの一枚板で、大木の根を裏返して作ったテーブルもすごい。8人がけのテーブルは当たり前で、20人がけ、10mもあるようなテーブルもある。値段も一番高いもので100万ペソもする。こんな家具を置ける家はさぞかし大きな家なのだろうとため息がつく。  さらに骨董品のカメラや真空管のオーディなど、マニアにたまらないものまである。同行した若い日本人にとって真空管のラジオなど生まれてはじめて見たそうだ。こんな大きくて重い家具を日本へのお土産というわけには行かないだろうが、目の保養に是非覗いてみてほしい。 

民芸品店バリクバヤンの紹介 2009年9月27日



マニラから約100km北方にあるアンヘレス市/クラーク、そしてオロンガポ市/スービックは、米軍の撤退後、広大な敷地を政府が管理し、特別経済区として発展を続けている。特にスービックとクラークを直結する高速道路(SCTEX)の開通はこの地域の発展を保証するものだともいえる)。   アンヘレス市に隣接するクラーク特別経済区は元空軍基地なので、広大な空港を擁している。韓国などからはすでに直行便が運行されており、近々日本からも直行便が運行される計画があるそうだ。さらに将来、マニラ国際空港がここに移転され、現在のマニラ国際空港はドメスティック専用になるという計画もあるそうで、クラークがフィリピンの入り口になるのも、そう遠くない将来、実現するかもしれない。また、クラークの入り口には広大なSMモールも営業しており、買い物には不便しない。ゴルフ場も3コースもあり、ゴルフ三昧という生活も可能だ。  一方、オロンガポ市に隣接するスービック特別経済区は1990年代初頭から開発が開始され、元海軍基地ということで港湾も整備され、外国資本による工場やリゾートとして発展してきた。ここには、オーシャン・パーク、動物園、海水浴場、ゴルフ場、ヨットハーバー、などの遊び処、ホテル、病院、デューティフリーショップ、空港、港湾など生活に必要なすべてのインフラが整備されており、フィリピンの中の外国ともいわれ注目を浴びている。  今回、一家で移住を計画している44歳の若夫婦と子供、そしてお母さんの4人のご一家を案内して、アンヘレスとスービックを訪問した。そして、将来の生活設計の参考に、私にとってなじみの深い住居を案内したので、その概要を報告する。もし興味がある場合、当方に連絡してもらえれば、訪問等のアレンジをするが、直接コンタクトをする場合は、PASCOのブログを見たと伝えてもらえれば親切に対応してもらえるはずだ。 1. Herencia De Julieta Villas-サンフェルナンド市   アンヘレス市の南境、サンフェルナンド市にある小型のビレッジだが、ここに日本人退職者の方が住宅を建設し、そのお世話をした関係でたびたび訪れた。。土地が200m2程度で少々狭いが、延べ床面積は駐車場も含めて200m2ほどと大型で、これを約1000万円で手に入れることができた。昨年の6月建設に着手し、今年の1月予定通り完成並びに引渡しを行い、何のトラブルもなく、ご夫婦で快適な生活を送っている。  周囲はすでに7~8割の敷地に家が建っており、美しい街並みを形成している。通常、この程度の敷地面積の分譲地では、フィリピンの一般の人が住み、環境が著しく損なわれることが多いのだが、ここはデベロッパーが住居の建設まで行い、一定の販売価格を維持しているために美しい環境を保つことができている。マニラ周辺でも高級ビレッジは多数あるが、敷地が1000~2000m2と広大で、とても手の出るものではない。したがって、ほどほどの価格でかつこのような環境の良いビレッジは希少とも言える。   この退職者の家のはす向かいに、建売の住宅が販売中だ。少々広めで、価格は約1400万円となっている(家具類は別途)。ここ数年の異常な建設資材の値上がり、完成物件であること、などが影響して高くなっているようだ。1階はリビング、ダイニング、台所、そして客間が配置され、2階にはマスタベッドルームと子供用寝室2つ、それにファミリー・リビング・ルームがある。トイレは1階に二つ、2階に二つ、合計4つある。プライバシーを重んじるフィリピンではこれが普通だ。高級ビレッジの床面積が300~400m2もある住宅では、各寝室にバス・トイレがあるのは普通で、メイド部屋まで入れると一軒の家に7~8つのトイレがあるのはざらだ。今回は家具類も設置されモデルルームとして公開されていたので、イメージがつかみやすかった。これが日本だとしたら、1億円出しても手に入れることはできないだろう。ここに住んでいて、日本からお客さんが来たら、ため息をつくことは間違いない。 2.フレンドシップクラブ–アンヘレス市   フレンドシップ・クラブは以前このブログでも紹介したが、タイムシェアリング方式の会員制リゾートクラブだ。 この日はたまたま、退職者の方を伴ってオーナーの根本さんが訪問されていた。根本さんは現在、日本でITの会社を経営する現役で、来年にはフィリピンでの生活を開始しようとしている。奥さんはフィリピン人なのでここに永住されるおつもりだ。    根本さんの話によると、会員でなくても数日~1ヶ月程度の体験ステイを受け付けているので、フィリピンに移住しようと計画していたら、是非ここにしばらく滞在して、フィリピンになれてほしいという。初めからフィリピンで単独で生活しようとしても、何もかも違うフィリピンではまごついてしまい、取り返しのつかない失敗をすることも多い。ここで日本人を含むスタッフに囲まれて、ゆったりとスタートすることが肝心で、そのためにはフレンドシップクラブは最適だということだ(フレンドシップクラブの詳細はhttp://www.tecb.co.jp/friendship/参照) […]

アンヘレス、スービックに暮らす(物件紹介)2009年8月31日


  退職者の方をマカティのグリーンベルトに案内したが、マカティのビル街のど真ん中に、こんなところがあるなんて、とても信じがたい様子だった。昼間のせいで人影はまばらだったが、外人客がのんびりとテラスでコーヒーを飲んでいた。   もともとこのあたりは古いスーパーマーケットとモールそして教会と駐車場があるだけのつまらない場所だった。しかし、1990年代の末からアラヤの手により開発が進み、現在の超近代的な若者の街に生まれ変わった。ただ、教会だけは庭園にうまく調和させて残っている。なぜなら、この教会だけは、丸い屋根をもち、もともと近代的なデザインだった。   ここは池と緑の庭園を中心にしゃれたレストランが配置され、さらにその上階には高級なショッピングモールが並んでいる。休日はもちろん、夜間は仕事帰りの若者で夜半までにぎわう。池の周囲では岸に座れるようにデザインされており、多くの恋人達が憩っていて、まさに都会のオアシスだ。なお、アカシヤの大木はもともとここに生えていたものだが、そのほかの樹木はすべて、新たに植樹したものだ。   ここのレストランはすべて屋外に客席設けているが、多くの客は屋外の席を好む。まさにヨーロッパ的な雰囲気だが、目的はタバコを吸うためだ。それぞれの店は凝ったテーブルと椅子を競うように配置して、集客する。料理はとても高くて、フィリピン在住の日本人にはちょっと躊躇される価格だ。しかし、フィリピンの中~富裕層でどの店もいつも満員で、この時ばかりは、フィリピンは貧しい国だなんて、少しも思えない。   グリーンベルトは1~5まで分かれているが、時代遅れになっていてプラザなどのモールを取り壊して、最近オープンしたのがグリーンベルト5だ。ここは多分マニラのモールの中でも最高級と思うが、とても店の中を覗く気にならない。一体どのような人々がここで買い物をするのか、何でこんな高級なモールがあちらこちらにできるのか、不思議だ。ちなみにロックウエルのパワープラント・モール、フォーとボニファシオのセレンドラなど、目一杯高級感を出しているが、私には縁の無い世界だ。

都会のオアシス、グリーンベルト 2009年8月29日