「CALL ME NOW」2019年3月29日 1


DBP銀行で、SIRVビザ申請者がBOI(投資庁)に預託している約400万ペソのお金の小切手(MGR’s Check、銀行振出小切手)を作成してもらおうとしている矢先、電話がけたたましくなった。昨日SRRV を取得した退職者の方からだったが、電話に出てみると、日本大使館付近で道路を横断したら、警官に捕まって4000ペソの罰金を支払えといわれている。そんな法外なお金なんかとんでもないことなので、警官に交渉してくれて言うのだ。銀行内で話をしていると警備員に追い出されて銀行の外のロビーで電話を続けたが、ロードがなくなったらしく切れてしまった。そうしたら別の電話でこちらから電話をしてほしいとメッセージが入った。

注 DBP:Development Bank of the Philippine、SIRV:Special Investors Resident Visa、BOI:Board of Investment

パパカーネル(右後ろ)はこのポリスカーで通勤するが家に帰ってこれるのは3日に一度程度だ。子供達は大喜びで一家のヒーローを迎える

警官と話をしてみるとギャーギャーと、いかに退職者が規則を犯したかまくし立てている。たしかに歩行者も取り締まるとはアナウンスされているが、歩行者の信号無視なんていまだに日常茶飯事で、取締りと言ってもせいぜい注意される程度で交通係官も相手にしていない。だから、これが外国人目当てに金をせびるけしからん悪徳警官の仕業であることには間違いない。

こちらも敵意むき出しに、そういうやつは、パサイ警察の署長カーネル・ヤン(キアンのパパ)にレポートしてやると脅した。ちなみに日本大使館はパサイ市でまさに彼のテリトリーなのだ。そこで件の警官も負けておらず、それならその退職者をドテルテ大統領に報告してやる息巻いていた。パサイ警察の腐敗を一掃するためにカーネルが乗り込んだのだが、まさに末端まで腐敗しきっているようだ。

たまの休みで家でくつろぐカーネル。家では良きパパで一時も子供達を離さない。後ろではクッキーがキアンから習ったアッカンベーをしている

あほな警官が泣き面かくなよと、まずはママ・ジェーンに連絡、そして退職者の電話番号をパパ・カーネルに連絡して、とりあえず当方のやるべきことは終わった。そして銀行に戻って、大事な小切手の作成の依頼を終えて落ち着いたところで、件の退職者から電話があった。期待通り、パパ・カーネルから電話があって件の警察官の態度が豹変して、とてもやさしくなってお咎めなしとのこと。これで一件落着だ。

タガイタイで一家総出で食事、クッキーはいたずら盛りなので遠くに隔離されている

その後、SIRVの申請者とNBI(国家捜査局)にNBIクリアランスの申請に向かった。途中、ママ・ジェーンが同行したのだが、車中で、ことに次第を話してくれた。曰く、パパ・カーネルにメッセージを入れたら、会議中という自動メッセージが入った。そこでママ・ジェーンは「CALL ME NOW」というメッセージを2回入れたら、パパ・カーネルは、会議を抜け出して電話をしてきた。そしてママ・ジェーンの指示に従って、即座に件の退職者に電話を入れてくれたとのことだった。

注  NBI:National Bureau of Investigation

カーネルの価値ある名刺、今回の退職者の災難もこれを持っていたら一発解決だったはずだ。まさにこの名刺は水戸黄門の印籠なのだ

彼が出てくれば件の警官などはハエか蚊のようなもの、まさか本当に大ボスのパサイ警察署長から電話が入るなんて思いも寄らず、さぞかしビックラこいたに違いない。こんなことができるなんて、ドテルテ大統領かアルバヤルデ国家警察長官くらいしかいないはずなのに、ママ・ジェーンは即座に当たり前のようにやってのけたのだ。

ちなみにフィリピンでは亭主連中は妻のことをコマンダー(指揮官)と称する。家庭内では妻が全てを指揮して、亭主は有為諾々と従うので原則だ。ほとんど全ての決定権は妻が握っており、それを破ると鉄拳の制裁が課される。そんなわけでパサイ警察署長のカーネルといえども、ママ・ジェーンの要求に対しては会議をほったらかしてでも即座に対応せざるを得なかったのだ。

バレンタインいは赤いバラの花束が定番なのだが、最近はコマンダーの要求でチョコレートで作った花束を贈ることになっている。これなら、しおれないばかりか最後は食べることができるというマママ・ジェーンの深遠なソロバン勘定だ

かのマルコス大統領も影の大統領と呼ばれた妻のイメルダ・マルコスには逆らうことができず、その挙句の果てに20数年間の統治の間に国家を存亡の危機にまで追い込んでしまった。そしてマルコスの銃弾に倒れたベニグノ・アキノ上院議員の遺志をついで大統領についたのが妻のコーリー・アキノであり、まさにフィリピンは女性が動かしていると言っても過言ではない。

今回のことで、パサイ署ではトップが末端の警官の悪行にまで目を光らせているという噂が広がって、 綱紀粛正の大任を背負って乗り込んだパパ・カーネルの目標に、少しでも貢献したのではないかと期待している。

その後、件の退職者から丁寧な説明とお礼のメールが届いたので全文をそのまま紹介したい。

「志賀さま

お世話になります、29日の早朝に到着したのですが、いつもの月末の不調にも増して、渇水が関係あるのかネット接続が悪く、ご連絡が遅くなりまして、申しわけありません。先日(28日)は、窮地のところを助けていただきましてどうもありがとうございました。 志賀さんのご都合を慮る余裕もなく、一方的なお願いであったにも関わらず、ご尽力いただきましたおかげで無事に放免となりました。 本当に、本当に助かりました。

事の顛末をご報告いたします。

28日の早朝に戻る予定だったのですが、急きょ予定を変更し、朝一に大使館に行きパスポートの増ページの手続きをしました。滞りなくすべてを終え10時前には大使館を出て、件の交差点に行きました。地図で見ますとヘリテージホテルの脇の日本大使館に曲がる大きな交差点です。

ジプニーに乗ろうとヘリテージホテル側に渡る手段を探していたところ、裸足の子供2人が私の側から道路を横切っていました。何も考えず、ここはこうして渡るものだと思い込み、私も道路を渡り、ホテルの方の車線に入った瞬間に警官に呼び止められました。ヘリテージホテルの脇で少なくとも5人以上の警官たちが取り締まりをしてるようでした。

現地のバイクの若い人たちが数人、書類にサインをしたりしていました。私だけ奥に来いと1人の警官に言われ、影に隠れたところでパスポートを見せろと言われ、見せた瞬間に取り上げられて他の警官に渡されてしまいました。その後、その恐喝担当のような警官は紙切れに4000Pと書き請求してきました。

「NO」と言うと「幾らなら払える?」と言われたので、その時に「私はカーネルさんを知っている。」と言ったのですが、発音が悪かったのか知らばっくれたのか、「そんな人は知らん。」と突っぱねられたところで志賀さんにお電話させてもらいました。ところが運の悪いことにチャージが切れてしまったので生きた心地がしませんでした。

志賀さんからお電話いただきましてから、若干向こうの態度も変わっては来たのですが、再び電話を切った後は自分はこのあとどうなってしまうのか不安で不安で仕方ありませんでした。再びいくらなら出せるんだと聞かれ「500Pしか出せない。」と答えると「OK」と言われ、500P支払い、その代わりにあなたの写真を撮らせてくれと言うと、その警官は表情を一変させ、預けていた私のパスポートを他の警官から回収し、違う担当者に渡し記録するように指示しました。

成す術なく警官が私のパスポートをノートに記録している時にカーネルさんから電話が入り、その恐喝担当の警官に代わって話し始めると、みるみると怖かった警官の顔が笑顔になり、 電話を切った後でパスポートを回収し返却してくれました。その警官が「こいつは本当にカーネルさんと知り合いだ。」と言うと、
驚いたことに奥からラスボスのように満面の笑みを浮かべた隊長のような警官が出てきました。

そして「私は頑張って仕事してます。」的な感じで握手を求めてきました。
何となくですが、カーネルさんに宜しく伝えてくれよと言うような感じに受け取れました。その隊長と握手すると今まで恐喝担当だった奴まで握手を求めてきました。 訳がわかりませんが私としては無事にパスポートが返ってきたので握手を返しました。

最後にもう帰っていいか? と聞くと、その恐喝担当は最後に今までの口調とはうって変わっていましたが、「本当に少しもお金は置いていかないのかい?」と言ってきました。さすが、これがフィリピンなのかと思いました。無論、払わずにその場を立ち去りました。

以上です。

やはり数人の警官に囲まれる状況というのは怖かったです。しかも巧妙なのは、パスポートを隠す担当、恐喝の担当、記録の担当、普通の取り締まりをする警官と、担当が幾人にも分かれ、それぞれが役割分担をこなす分業制度が確立してることです。そして全てを知ってるであろう隊長らしき警官は最後の最後まで出てきませんでした。

あの状況では何かコトが大きくなっても裏金を請求する時は一対一なので、
そんな事はしてないとしらばっくれられたら何も証拠は残りません。初めての体験でしたが、良く考えられた手口だと思いました。私は運良く救っていただけましたが、あれでは普通の日本人は言い値を支払ってしまうと思いました。
怖いマニラを初体験しました。

また、志賀さんに大きな借りができてしまいました。私は無力で、お返しできるような事はほとんどありませんが、 何か志賀さんのお力になれることがあればと思っています。もし何でも、私にできるようなことがあれば申しつけてください。最後になりますが、今回は最後までご迷惑をおかけして、お世話になりっぱなしで本当にどうもありがとうございました。気をつけると言っても、何をどこまで気をつけたら良いのか判断が難しいですが、マニラでは極力、目立たないように過ごしていこうと心に刻みこんだ出来事でした。

それでは、また。」                  

注 後日カーネルの話によると、カーネルが電話をして自分の身分を名乗ったところ、けしからんことに件の警官はカーネルの名前を知らなかった。それもそのはずで、彼らは警官ではなくてMMDAの交通整理取締係官だったのこと。とは言え、交通違反をと取り締まる権限があるので、このようなゆすりたかりをする係官が後を立たないようだ。悪徳警官以下の社会のごみのような連中で、カーネルの出番を待つまでもなく、ゴミ収集車でまとめてさらって行って欲しいところだ。

注 MMDA:Metro Manila Development Authority


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One thought on “「CALL ME NOW」2019年3月29日

  • kujira

    最近の友人の話です。退職者でドライバーを雇い移動していますが、マカティ市内を移動中に面会場所が判らず、ドライバーに曲がる場所を携帯で確認させました。運の悪いことに交差点で徐行中だったので交通警官に停止を求められ、運転中の携帯使用は罰金P4,000で後日指定場所に免許証を取りに行くことになったそうです。
    警官の給与が上がったとも聞いていますが、悪習は治らないようですね。