四つ巴の大統領選の火蓋が切って落とされた2015年10月18日


来年、5月9日に行われる3年毎の総選挙の投票受付が10月12日(月)に開始され、16日(金)、に締め切られた。今回の注目は正副大統領の改選で、泡沫候補も含めて130人が立候補した。その他、上院議員の改選が12人、下院議員が293人、その他、知事・副知事が81州、市長・副市長が144市、町長・副町長が1490町、そのほか、1634市町の議会など、約1万8千のポストが争われる。一方、立候補者総数は50万人に登るものと推定されている。

総選挙は3年ごとに行われるが、大統領の任期は6年で、一回おきに大統領選がある。なお、マルコス独裁政権の反省から大統領の再選は、憲法で禁止されている。今回は、現職のアキノ大統領の後継を争うものだが、アキノ大統領はマルコス独裁政権を崩壊に追いやった故コーリー・アキノ元大統領(英雄ニノイ・アキノの妻)の息子で、故アキノ元大統領の人気にあやかって2010年の選挙で当選した。

大統領選の本命は、現アキノ大統領の後継者のロハス前内務自治長官、前マカティ市長で現副大統領のビナイ氏、支持率一位の若手女性政治家のポー上院議員、さらに3度目の正直にかけるサンチャゴ上院議員の4人で、役者が整った感がある。

立候補が有力視されていたドテルテ・ダバオ市長は、ダバオ市長に立候補して、大統領選を見送った。ちなみにドテルテ氏は、ダバオ市を長年支配し、その豪腕で現在の良好な治安を築き上げたダーティ・ハリーとして有名だ。

アキノ大統領の後継者として立候補したロハス候補は2010年の選挙では、アキノ現大統領と組んで副大統領に立候補した正統派だが、現副大統領、元マニラ市長のビナイに破れた。

CIMG9606as-2

2010年の選挙では元大統領とコンビを組んだが、ビナイ前マニラ市長に破れた

そのビナイ副大統領は、最近まで支持率が一位を誇っていたが、現職市長時代に行ったとされる市庁舎建設をめぐる汚職の疑いで起訴が決定し、急速に支持率が落ち込んでいる。ビナイ側は選挙をめぐっての政治的駆け引きとして反発を強めている。

CIMG2463s-2 CIMG2461s-2

大統領選挙の前哨戦とも言われるビナイ親子(ビナイ副大統領とビナイ・マカティ市長)の起訴が確定したことに対して、抗議集会が開かれたが、金で雇われた人々が集まっただけのようだ。

CIMG8273s-2 CIMG8276s-2

2013年の統一選挙で選挙会場に現れたビナイ前市長(左)とビナイ副大統領(右)。

ポー候補は2004年の選挙でアロヨ元大統領と争ったフェルナンド・ポーの娘で、支持率一位を誇るが、彼女も、国籍の関係で立候補の資格がないと、クレームされている。

4人目のサンチャゴ上院議員は、ラモス(1992年)およびエストラード(1998年)と2度の大統領選を戦った毒舌で有名な人気女性政治家だ。上院議員の前は入管の局長だった生え抜きの役人だ。

副大統領選に立候補した一人が、上院議員のボンボン・マルコスだ。彼は、20年以上、独裁を続けたマルコス元大統領の実の息子で、イロコス地方のラワグ市では、未だ絶大の人気を誇る。母親のイメルダ・マルコスは現役の下院議員、姉のアイミーは知事と、政治家一家だ。イメルダ・マルコスは、その美貌でマルコス政権を操ったとされる歴史上の人物で、今でも庶民には人望が厚い。

CIMG0307s-2CIMG2467s-2

2010年の選挙で下院議員に当選したときのポスター(左)と私の相棒のジェーンと一緒にツーショット(右)におさまったイメルダ・マルコス。

そのほかの着目すべき候補者は、マニラ市長の再選をねらうエストラーダ現市長、もと大統領(78)で、リム前市長(85)との因縁の一騎打ちとなっている。

エストラーダは1998年に大統領に就任したが、在任中に不正蓄財疑惑で退陣に追い込まれ、2007年に終身刑の判決を受けたが、退陣劇のの旗頭だったアロヨ元大統領の特赦で釈放された。さらに2010年の大統領選挙で善戦し、アキノ現大統領に次ぐ得票を獲得した。そして2013年の総選挙で現職のリム市長を破ってマニラ市長に就任した。元映画俳優で庶民の人気は圧倒的で、政治でも映画ばりのパーフォーマンスを期待され、大統領にまで上り詰めたが、化けの皮がはがれて失脚した。

CIMG8222s-2 CIMG9607 (2)s-2

2013年のマニラ市長選で選挙活動中のエストラード(左)と2010年の大統領選のポスター(右)

一方、対抗馬のリム前市長はNBI(国家捜査局)長官を経て、1992にマニラ市長に当選。二期(6年)勤めたあと、上院議員に鞍替えし2007年に再びマニラ市長に就任したが、2013年の選挙でエストラーダ現市長に敗れた。1992年の就任以来、ツーリスト・ベルトとして名を馳せたマニラ・エルミタ地区、デルピラール通りのゴーゴークラブを一掃し、有名なマニラの夜を破壊するという教条的な施策で不評(あるいは好評かもしれない)を博した。

上院議員に立候補したのがパッキャオ下院議員だ。彼は議員というより、ボクシングの現役チャンピオンとして世界的に有名で、フィリピンの国民的英雄だ。つい先日も無敗のメイウエザーとの試合で僅差で破れ、7階級制覇を逃した。

CIMG1004s-2 CIMG1020 (2)

今年、5月に行われたメイウエザー戦では惜しくも7回級制覇の夢は果たせなかった

下院議員に立候補したアロヨ元大統領・下院議員は、1998年副大統領に就任し、2001年のエドサ2の政変で現職のエストラーダ元大統領を追放し、副大統領から大統領へと格上げされた。そして、残りの3年間、さらに2004年の大統領選挙に勝って、2010年まで、合計、9年間政権の座についていた。2004年の選挙では対抗馬のフェルナンド・ポーが勝利したとのうわさだったが、その後、ポー氏が病死してうやむやになった。そして、娘のポーが今回大統領選に立候補し雪辱を果たそうとしている。

アロヨはマカパガル元大統領の娘で国立大学の雄、UPで経済博士号をとり、名門アテネオ大学の教員から通産省の局長となり、1992年、過去最高の得票で上院議員となった。その美貌と知性で国民的人気者だったが、9年間もの間、政権の座についていたせいか、汚職にまみれ、現アキノ政権により略奪罪で起訴され拘留中だ。今回の立候補は、下院議員として地位を利用して、司法の追及を免れようとの目論見との見方がもっぱらだ。

CIMG0573s-2 CIMG7402s-2

知性と美貌を誇ったアロヨ元大統領も、入院先で拘束され惨めな生活を余儀なくされている

 

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *