Monthly Archives: August 2012


   8月27日(月)は英雄の日で祝日となり、先週に続いて連休となり、再びプエルトガレラを訪問した。先週、騙し取られた50ペソを取り返そうと意気込んでいたが、呼び込みの輩は姿を消して、乗船賃や港の使用料の支払いはスムーズに済んだ。  今は、オフシーズンのプエルトガレラは熱帯モンスーンの影響で風が強く、波が大きく、乗船に苦労する一方、船中では船酔いの人が続出した。  今回の目的地はホワイトビーチだが、ここは船着場がなくて、この時期、船がつきにくくてプエルトガレラ港で下船、小型のバスで、目的地のホワイトビーチに向かう。 プエルトガレラ港は、入り江の奥深くで波が全くなく、数多くのヨットが停泊している。  ホワイトビーチは名の通り、サバンに比べて広い砂浜が続く。宿泊は、前回と同じホワイトビーチロッジで一泊1500ペソ。サバンに比べて、高級なレストランはなくて、バーベキューが一皿ライス付で100ペソと安い。 500mほど内陸に歩くと普通の田舎町が続く。ここからプエルトガレラまではトライシクルで、往復400ペソ、サバンまでなら800ペソもとられる。しかし値切ればサバンまで往復500ペソだ。ちなみに乗り合いのジープはない。 今回は、ホワイトビーチの先にあるタリパナン・ビーチに足を延ばした。 一番奥まったところにあるのが、エル・カノネロ・リゾートで一泊1800ペソで、リーゾナブルだ。  プライベートビーチの雰囲気が良い。客はまばらだ。  帰りはプエルトガレラまで小型バスで行く、乗船賃275ペソのうち、45ペソがバス代になる。このバスに14人がぎゅうぎゅう詰めなって、役15分の道のりだ。 12時発の筈が、出発は1時近く、その間、のんびりと海を眺めて待つ。 近所に小さなレストランが数軒あり、そこにはコッテージや土地の売り物が張り出されている。価格的にはマニラの郊外の物件と大差ない。価格はどういうわけかドルやポンドで示されている。15000平米のビーチの土地がなんと89万ドルという売り物があった。  オフシーズンは便数が少なくて、かえって満員だ。帰りは波はあったものの追い風で比較的スムーズな船旅がエンジョイできた。 バタンガス港について空腹のため食べるところを探したが、ターミナルの中に入らないと何もない。何故乗船客には食べ物を提供しても下船する人間にはなにも食べるところがないとは、なんという矛盾か。おかげでバスに乗ったら、車中は食い物を売る人であふれていた。我々もハンバーグと卵を買い求めて一息ついた。

プエルトガレラ・ホワイトビーチ、シーズンオフの訪問 2012年8月29日


   8月21日(火)はニノイアキノ記念日、20日(月)はブリッジ休みとなり、土日を含めて4連休となった。さらに先々週の8月7日(火)と8日(水)は洪水で官庁が休みで仕事にならなかった。さらに来週27日(月)は英雄の日で祝日となるので、ここのところ平均して週休3日という超先進国並みのゆとりある日々だ。しかし、日本のお盆を挟んで休暇をとり、限られた日数で退職ビザ取得を計画された退職者が多く、当方としてはやきもきする毎日だった。しかし、なんとかビザの発行をつつがなく終え、20日(月)と21日(火)は息子とプエルトガレラの海浜リゾートに遊びに出かけた。今回は特に息子の趣味の釣りに挑戦することにした。  今年は3度目のプエルトガレラ行きなので、慣れているつもりだったが、バタンガスの船乗り場で、船会社の社員と称する連中がしつこく付きまとい、つい言いなりに乗船賃(310ペソ)を支払うと、別の人間が環境税(一人50ペソ)を支払えという。しかも往復で一人100ペソだという。合計410ペソとられた。よく聞いてみると乗船賃が230ペソ、環境税が50ペソ(帰りの便には環境税は不要)、ターミナルフィーが30ペソ。全部で310ペソだ。最初の男に支払った310ペソですべて入っているはずだが、別の男に支払った環境税が二重払いだった。往復100ペソの嘘は見抜いて50ペソを取り返したものの、二重払いに気がつかず、50ペソを騙し取られる羽目になってしまった。たったの50ペソだが、金額の多寡にかかわらず騙されたということが癪にさわる。だから、この手の支払いは決して人任せにせず、窓口で自分で支払うべきだ。彼らはあの手この手で客を煙に巻いて小銭を騙し取ることに汲々としているのだ。きっとそれが彼らの生活の糧なのだろう。 今回はサバンに泊まった。ここはプエルトガレラの中でも最も繁華でゴーゴークラブさえも数軒ある。ただ、ビーチはそれだけ汚れた感じもする。リゾート客の多くは、ここを起点にボートで岬や島をめぐり、海水浴やダイビングをエンジョイする。 プエルトガレラはミンドロ島の北端の入り組んだ岬や島で、数百軒のコッテージがひしめく。今回泊まったのは海に面した部屋で1000ペソ/泊、3~5月のピークシーズンは5割り増し程度になるそう。プール付の立派なリゾートでも3000ペソ程度で泊まれるようだ。 浜の魚(そーだがつお?)の即売と浜で遊ぶ子供たち。 飾りを売る屋台が道端にある。みやげ物売り場はホワイトビーチの方が豊富だが、商品は似たようなものだ。 天気は雨は降ってはいなかったものの曇り空で、波も若干荒かった。 このような豪華なリゾートも、3~4千ペソ/泊で泊まれる。 浜に面したちょっとしゃれたレストラン、一品大体300~600ペソと、やや高めだが、チキンアドボを頼んだ息子はその量と味にいたく満足していた。 さすがマニラに一番近いダイビングのメッカとあって、ダイバー用のボートが並ぶ。 二日目、釣り船をチャーター、昼には帰らなければならないので、3時間、1500ペソを800ペソに値切って乗船。 途中、以前息子と一緒に泊まったビッグ・ラ・ラグナの端にあるリゾートを懐かしく眺める。息子といえば、船長の勧めでトローリングの道具を早速流して、大物を狙っている。 山の中腹にあるコッテージはとても洒落ている。 ここではボートが庶民の足だ。しかし、息子はトローリングの道具をスクリューに巻き込まれて無くなってしまい、浮きだけで3000円もしたのにとぼやくこと仕切り。 […]

プエルトガレラで釣りに挑戦 2012年8月25日



パスコのゲストハウスとして一年近く使っていたオリエンタルガーデン・コンドミニアムがオーナーの意向で急遽年単位で賃貸することになったので、すでに予約済みの方には別途のユニットを借りて提供することになった。本来は、予約済みの分を消化してから長期賃貸にまわすはずだったが、エージェントの早とちりで、賃貸契約を結んでしまったためだ。そのため、代替のユニットを見に行ったが、それはオーキッドタワーにあるために、マカティのビル街が一望できた。  スツジオタイプは33平米、日貸しで2000ペソ/日、月貸しなら25000ペソ/月(電気、水、ケーブルTVは別途、インターネットはない)だ。生活に必要なものは一応すべてそろっている。 一人で住むなら十分な広さで、特に月貸しの25000ペソは安い。 2~3日過ごすならホテルの方がよいが、月単位で済む場合はかなり経済的だ。 他に1ベッドルーム47平米のユニットがあって、日貸しで3000ペソ/日、月貸しで30,000ペソ/月(電気代など別途)、これも月貸しとしては安い。  エージェントはこのようなユニットを20室も管理しているそうで、大いに利用価値がありそうだ。 オーナーとしてはパスコがゲストハウスとして利用していたユニットを売却したかったのだが、客は、とりあえず住んでみて、その上で購入を考えるということだそうだ。現在のコンドミニアム建設ブームで大量の新築物件が出回りはじめているが、そのあおりを受けてか中古物件の売却は非常に難しいという。そうなると、今盛んに建設中のコンドミニアムをプレセール(未完成物件ないし未着工)で買い求め、完成後高値で売却して利益をあげる、というデベロッパーのうたい文句は絵に描いた餅になってしまうだろう。

オリエンタルガーデンの賃貸物件の紹介 2012年8月25日


学校探しをしていたご家族がパラニャケ/ラスピニャスにまたがっているBFホームズにお住まいになることとに決めたので、住まいを探しに出かけた。奥さんは40~50平米程度の住まいが希望ということなので、コンドミニアムにならざるをえない。しかし、大き目の戸建の住宅が多いBFホームズではコンドミニアムを探すのは至難の技と予測された。しかし、この方はインターネットで学校の至近距離に建設中のコンドミニアムプロジェクトを見事に探し当てたのだ。 前回BFホームズに出かけていったときは、見事に飛行機が着陸する模様をスカイウエイから見ることができた。こんなことはめったにないのだが、ご主人は飛行機の眼前の通過に自信を持っていて、この日こそとカメラを構えて待っていたが、大分遠くだった。道路の延長上、高速道路の陸橋の下にかすかに見えるのがそれだ。     コンドミニアムを訪れる前に、最近、退職ビザを取得してラスピニャスにお住まいの退職者を訪問した。部屋が余っているので、誰か借りる人がいたら紹介して欲しいと頼まれていたものだ。延べ床面積が140m2程度で、3LDK、屋根裏部屋もあって、住み安そうな住まいだ。新築で460万ペソだったそうだが、まだ、仕上げをやっている最中だった。  学校のすぐ裏手にあったコンドミニアム(Pacific Coast Residence)はまだ未完成だが、3棟が建設中だった。1棟目は売り切れて、2、3棟目はまだ空きがあるという。最終的には2ヘクタール程度の敷地に11棟できる予定だそうだ。最終的な完成は2014年だという。  BFホームズの中にあるために、建築協定で高層ビルの建設が禁止されており、今時、珍しい3階建てで、落ち着いた感じがする。特に高所恐怖症の私いはとても好ましく思える。 スツジオタイプ26平米、150万ペソ、2ベッドルーム43平米、240万ペソ、3ベッドルーム57平米、320万ペソ程度と、平米5万6千ペソ程度、最近のコンドミニアムが平米10万ペソ程度だから半値程度だ。パーキングスロットは別途35万ペソで購入しなければならないが、まさに掘り出し物の感がある。  家具は別途だが、全体的に明るくて、レイアウトも使いやすそうで、訪問したご家族にはまさに理想的に思える。しかし、引渡しが、11~12月になるので、9月から完成まで仮の住まいが必要となる。その間、上記の退職者の家に間借りすることも考慮に入れているようだ。 この場所の欠点は、当分は建設工事が継続するので、騒音、誇り、ワーカーの出入りなど、落ち着かないことだ。周囲のがれきも目ぐさい。しかし、周囲は緑が多く、また主要道路から奥まったところにあるので、完成したら閑静な住宅街を形成するだろう。クラブハウスやプールも建設が開始されている。1年後ぐらいには使えそうだ。 コンドミニアムとして登録されているので、ユニットの40%までは外国人でも自分の名義で買える。購入者はフィリピン人が主体だそうだが、ドイツ人、韓国人、日本人、中国人など多国籍だそうだ。フィリピン人が多いと環境が悪化する恐れがあるが、その点は厳重に管理して、資産価値の低下を防ぐといっていた。

BFホームのコンドミニアムプロジェクト 2012年8月19日



   学校のあるBFホームズからちょっと足を延ばしてアラバン・タウン・センター付近まで行くとかなりのコンドミニアムがある。その一つ、OHANAというプロジェクトをのぞいてみた。これは建設業界大手のDMCIの子会社DMCI Homesが開発業者だ。不動産開発業界の大手、アヤラランド、メガワールド、フィルインベストと、SMDC(デパートチェーン、SMの子会社)などと共に肩を並べる存在になっているそうだ。DMCI Homesの詳細は http://www.dmcihomes.com/ 参照。賃貸売り物物件の詳細は http://www.sulit.com.ph/index.php/classifieds+directory/q/ohana+las+pinas+condo+for+rent 参照。 ここは、2010年に完成したそうで、ランドスケーピングも完成し、すばらしい景観を提供している。ユニットはすでに完売しているが20%は未入居で、転売ないし賃貸用となっているそうだ。ユニットは2LDK50平米が主体で、3~3.5百万ペソ、平米6万~7万ペソ程度。賃貸は2~3万ペソとのこと。モデルルームも未だにのこしてあり、内装の感じを把握することができる。        実際の建物を見に行ってびっくりしたのが、その規模と景観の見事さだ。どこかのリゾート・ホテルとも見間違うほどで、このような見事なコンドミニアムはフィリピンではお目にかかったことがない。  マカティやボニファシオのプレセールの物件で平米10万~12万ペソ、完成新築物件なら10万~15万ペソ程度することを考えたら、その半値でこんな環境が買えるなんて、すばらしいと思う。SMDCの物件がショッピングモールと一体になった至便さが売りだとしたら、ここはリゾートのような環境が売りと言えるだろう。5階建ての低層でこの環境と値段はやはり掘り出し物といえる。しかし、今すぐ売り物があるわけではないので、担当に売り物が出たら連絡してもらうという方法によるとのこと。 ところでDMCIといえば、1990年代の建設ラッシュの急成長した、もと建設大臣のコンスージが起こした会社で、その息子さんの会長とは縁があって何度か面会したことがある。気さくで、どこかの現場監督と見間違うような、建設業界では伝説の人だ。 クラブハウスやプールの作りもまさにリゾート風だ。ちなみにOHANAとはハワイ語で家族という意味だと博識の奥さんが教えてくれた。 建物の内部の空間。中央の廊下部分が吹き抜けになっていて、なんとも心地の良い空間を作っている。 DMCIはこのほかにも、同様のプロジェクトをいくつか手がけているそうだが、さすが建設業界の雄だけあってセンスがよく、また安い。DMCIのプロジェクトはねらい目といった感じがした。  帰りはアラバンからスカイウエイに入ったが、スーカットのジャンクションまでは一車線で、支線といった構造だ。 スーカットとビクータンのSMの脇には大型のコンドミニアムがSMDCによって建設中だ。 件のご主人が念力で飛行機を呼び寄せようとしたが、今一タイミングが合わなかった。 家に戻ってみると、どうもKIANの様子がおかしい。いつもなら私を見るとすぐに手を出して抱っこをねだるのだが、シカとして私を無視している。ここのところ、毎日、朝から夕方まで出かけっぱなしで、お相手をしてもらえないので、すっかり、すねているらしい。夕食を一緒にとるあたりから回復し始めたが、決め手はショップ・ワイズ(近所のスーパーマーケット)でアイスクリームを買いに行くことでご機嫌を直してもらった。下の写真はKIANが保育園で作成した絵。手のひらと指で絵の具を紙に押して作ったもの。KIANももうすぐ2歳と5ヶ月だ。

アラバンの高級コンドミニアム”OHANA” 2012年8月19日


  学校探しのご家族に同行して、この日はBritespark International School を訪問した。ケソンとパシッグ市の境界、オルテガス・アベニューとC5(シーファイブ)の交差点の近くにあるこの学校は小規模で、場所も環状道路に面していて、環境は今一だ。しかし、裏は工場跡地にロビンソン・ランドが大規模なコンドミニアムを計画しているので、近々校舎を新築して移転するそうだ。 生徒数は幼稚園から高校まで全部で200人足らずとかなり小規模、特に高校は一クラス数人だそうで、私塾といった面持ちだ。先生は20人、それに職員らしき人がたくさんいる。月謝は年間14~15万ペソで、インターナショナルスクールとしては並だが、私立としてはかなり高額だ。幼稚園でも9万ペソもする。  お子さんが入学試験を受けている間に、教頭先生といろいろ話をしたが、少人数のせいか、理想的な教育を目指しており、将来のリーダーを養成するのだと張り切っていた。教科書はすべてアメリカ製、日本の教科書に比べて数倍のボリュームで、1年でこれだけの量を消化するのは容易ではないと思われる。        しかし、子供達が、こんな環境で勉強できたら、高校を出るころには一般の公立校出身の子とでは大きな差がついてしまうと思う。また、こんな高額の授業料を支払える親は外国人かお金持ちの子だろうから、人生のスタートからエリート教育を授けられ、将来社会を牽引する人材となるのだろう。  英語が全くできないお子さんがどうやって授業についていけるのか、色々議論をした。学年を一年遅らせて、スタートして、途中で英語が十分となったら、中途で進級する、といった芸当も可能だそうだ。いずれにせよ、放課後にESLという英語の補習授業を受けて、英語の特訓をする必要がある。その費用は授業料とは別途で、2万ペソ/月だそうだ。  月々2万ペソも支払って、英語の補習を何年も続けていたのでは、親がたまらない。先生によると、4月から入学した日本人の子供は2ヶ月ほどで、授業についていける英語力を身につけることができたそうだ。テストの結果、英語を除く学科は十分な力を持っているということで4年生への編入を許されたが、ESL を受講するという条件付だ。   最近、好みのトイ・ストーリーを見ていると、画面が訴える危機に対して、明らかにそれを理解し、はらはらどきどきしているKIAN。トイ達が救われる場面では完成をあげて喜んでいる。もちろん、言語は英語だが、かなり理解し始めているようだ。KIANが通う保育園の授業料は年間2万ペソだが、幼稚園に進んだら、上記のような環境で教育を受けさせたい。しかし、年間10万ペソを越えるような授業料の支払能力は両親にはないから、例のもっとも授業料の高いマニラ・インターナショナル・スクールの特待生(スコラーシップ、授業料免除)をねらっているそうだ。

Britespark International School 訪問 2012年8月15日



  マニラの南、パラニャケ市とラスピニャス市にまたがるBFホームズにあるのがSothville International Schoolだ。今回は日本からやってきているご夫婦の9歳になる娘さん(小学4年生)の入学手続きのために訪問する機会があった。小中高(12年)一貫教育で大学もある。生徒数は2000人、大学は2000人を擁し、中堅の学校だ。  住宅地にあるために、キャンパスは広大というわけではないが、一通りの施設を擁している。  幼稚園から小学校5年生までと6年生以上と中高が別棟になっており、校舎の全面は父兄の使う大きな駐車場がある。 年間の授業料は施設料も含めて20万ペソ、フィリピンの物価感覚では200万円に匹敵し、大卒社員の年収にも匹敵する。それでもボニファシオ・グローバルシティのインターナショナル・スクールに比べれば4分の一程度が、これは別格だ。またフィリピンの私立学校の授業料が2万~10万ペソだから、超私立といった感じだ。ちなみに先日訪問したエミリオ・アギナルド・インターナショナル・スクールは1600ドル(7万ペソ)だったから、約その3倍だ。  それだけの授業料をとるだけに施設も中々のもので、子供達にとって理想的な環境を提供している。 一クラス15~20人、我々が一クラス50人以上の教室だったことを思うと格段の相違だ。 図書室も立派の一語につきる。  食堂もあり、我々が教室で食べていたのとは少々勝手が違う。  早速、入学試験、算数と英語の試験があった。設問形式の算数と英語はギブアップ。しばらく待って校長先生の面接があって、両親と共に面接が行われた。それだけで、入学はOK。フィリピンはアメリカ式で入学は簡単で、中で頑張るというやり方だ。どこかの国のように才能のある子でも受験準備が不十分だと、さっさと門前払いをしてしまうのとはわけが違う。しかし、ほとんどの授業は英語だから、当面、普通クラスに入ってもついていけない。そのため当面は家庭教師(個人授業)をやってくれるそうだ(もちろん別途の授業料を支払う必要があるが)。さすがインターナショナル・スクール、外国からやってくる子供を受け入れる大勢が整っている。  小学6年生以上の生徒が学ぶキャンパスでは韓国人の子供が目立つ。中には大学生と見間違う生徒も多数いたが、子供達の国籍はまさに国際的だ。 コンピューターは現在の教育には必須で、一人一台の環境が整っている。 中庭の校庭も立派。  外国人やフィリピン人とのハーフが多く、20万ペソもの授業料が払える家庭の子供達だから、皆お金には困っていない。そして構内にはハンバーガーやアイスクリームを売っていて、いやがうえにも子供達の食欲をそそる。だから、その辺を歩いている子供は心なしか、デブちゃんがおおかった。

サウスビラ・インターナショナル・スクール訪問 2012年8月12日


しばらく外出の機会がなくストレスがたまっているKIANを連れて、久しぶりにシャングリラホテルのロビーでブランチとしゃれ込んだ。フィリピンで一番高いホテルとあって、いつ来てもロビーは立派で、中央の飾り付けに圧倒される。 KIANも入れて6人で、注文したのはクラブハウス サンドイッチ、クリスピー・パタ、パンシット・カントンの3人前、それにKIAN用のアイスクリームだけ。飲み物はなし。これで6人が腹いっぱいになる秘訣は、この無料のパンだ。 ホテル自慢のパンで、とてもおいしい。初参加の息子もびっくりしていた。これがお代わり自由だから、理論的には何か料理を一皿注文すれば、何人でも腹いっぱい食べられる。しかし、それはさすがに恥ずかしいので、人数の半分くらいは注文して取り繕う。グルメのKIANもこのパンには目がない。 ホテルの顔はクラブハウス・サンドイッチだ。色々嗜好を凝らしてある。 KIANは、クラブハウス・サンドイッチについてきたフレンチ・フライを独り占めする。 フィリピン人の誰もが大好きなクリスピー・パタ。豚の足をカリカリに仕上げたフィリピンの代表料理だが、シャングリラのクリスピー・パタは格別にうまかった。皆パンをたくさん食べたのでそろそろお腹がくちくなってきた。KIANも最近は白いご飯が大好きだ。 とどめはパンシットカントン。これもフィリピン料理の代表だ。具も色々入って、豪勢だ。特に白いせんべいにKIANが夢中になった。 仕上げはアイスクリームだが、腹が一杯になったKIANはホテルの中を走り回っていて、このアイスクリームは私と息子の腹に納まった。 広々としたロビーが気に入ったKIANはピアノをたたいたり、水槽の魚になったつもりで泳ぐまねをして、おおはしゃぎだ。小一時間ロビーを遊び場にしてご機嫌のKIAN。 大人4人、子供2人、6人がたっぷり食べて、〆て2200ペソ。これだけの豪華な場所で食事して、まさにリーゾナブルと言えるだろう。

シャングリラでブランチ(その3)2012年8月11日



8月7日(火)および8日(水)はマニラ首都圏を中心に豪雨に見舞われ、道路のほとんどが冠水し首都機能が麻痺した。所によっては水位が腰まで達して、車の通行を不可能としたが、当方にとっては雨季恒例の道路冠水のちょっと程度の激しいものといった感じで、家に閉じこもっていさえすれば、生活になんら支障を来たすものではなかった。  しかし、この日はビザの取り消し手続きのため、バギオから6時間のみちのりをやってきた客がいた。9時に事務所で会って、早速PRAに向かったが、この日、学校と役所はすべて閉鎖され、PRAの事務所も固く閉ざされたままだった。たかがこんな雨でさっさと事務所を閉めてしまうなんて、全くけしからんとぼやいて見ても始まらない。 PRAのドアは無常にも錠がかけられている  それで、銀行の手続きだけも終わらせておこうと、お馴染みのBank of Commerceに行ったが、なんと、銀行も閉まっている。携帯で支店長に文句を言うと、中央銀行が閉まっているから、とおかしな言い訳をしていた。バギオからまた来てもらうのも心苦しいので、委任状を作成して署名してもらい、あとの手続きは当方が代行することにして、昼食後バギオへ戻ることになった。 頼みの銀行も閉鎖  しかし、そうはどっこい、バスターミナルへ行ってみると、NLEX(北ルソン高速道路)が閉鎖され、北へ向かうバスは全部運休となっていたのだ。 仕方無しに、切符を明日の便に変更して、ホテルへ向かった。 そうこうしているうちに雨は激しさを増し、マカティスクエア近辺は歩道まで水が来ている。道のど真ん中で立ち往生したタクシーを放棄している人もいた。  なんとか、ホテルに送って我が家に戻るころには、すでに道路から車が絶えていた。マカティスクエア近辺は水が出やすいことで有名だが、車道と歩道が区別できず、一帯は湖のようになっている。 水しぶきを上げて走っているのはトラックとジープニーだけで、こんな時でも交通手段として役に立つのがジープニーでまさに庶民の足だ。さらに、こんな時活躍するのがサイドカーをつけた自転車、パジャックだ。エンジンなどという文明の利器は使っていないから水に浸かっても屁のカッパだ。  あとは歩くしかないが、マンホールの穴でも開いていたら、下水に飲み込まれて溺死する危険もあるので命がけだ。  現在、ビザの発行を待っているご一家は、この日勇敢にも、お子さんの入学に必要な出生証明をとりに日本大使館に出かけていった。午前中は良かったものの、パソンタモ沿いのウォルターマートでゆっくり買い物をしている間に、パソンタモ周辺は水に沈んだ。タクシーも走っていない。そこでこのパジャックを使って、当社のゲストハウスのあるプライムシティに決死の覚悟で向かったそうだ。 パジャックは、歩道など道なき道を進んでようやくゲストハウスにたどり着いたそうだが、とんだ冒険にお子さんは大喜びだったそうだ。ゲストハウスの近くの道端では子供や若人が天然のシャワーを楽しんでいた。 […]

大洪水‐頼みの綱は自転車 2012年8月10日


   EMILIO AGUINALD COLLEGEは、医学、薬学、看護・介護士など医学系の学生を中心に養成しているフィリピンの中堅大学だ。エルミタ、タフト通り沿い、LRT、UN駅の至近距離、いつもNBIクリアランスでお世話になるおなじみのNBIからも近い。  今回、ここで日本語クラスの先生を務める渡部さんから、退職者でボランティア的に日本語を教えてもらえる人はいないかと聞かれ、私のブログで紹介しましょうと、いうことになった。そこで日本語教室のあるエミリオ大学を訪問したのだ。ここでは日本語クラスのみならず、海外から英会話を勉強する留学生も受け入れている。留学生はEIENと同様にこの大学の寮に住むのだが、二人部屋で3食付、月々560ドルと安く、毎日(月~金)6時間、マンツーマンの授業料が月々880ドルだそうだ。中国人、日本人、韓国人など多国籍の学生が寮の中を歩いていたが、話声を聞くまで、全く区別がつかなかった。ちなみに日本語クラスは50時間で8000~9000ペソ程度。  タフト通りはUP、ラサール、フィリピン女子大、アダムソンなど多数の大学が並ぶ学生街だ。エルミタにあるので、多少ごみごみしているが、いたるところ学生であふれている。特に昼時のマクドナルドやジョルビーは学生で埋って席がとれないくらいだ。        エミリオ大学の周りは白い制服の女の子が圧倒的に多い。彼女達はきっと看護士の卵なのだろう。フィリピンでは看護士は天使の職業として人気があり、大量の看護士を世界に送り出す。アメリカの病院はフィリピン人医師と看護し無しでなりたたないと言われるほどだ。 エミリオ大学に隣接して大学病院がある。さらに近傍には大学のスポーツ施設があり、かなり大きいプールがあった。これらは日本語教室や英会話教室に通う生徒も使えるそうだ。 通りは制服姿の女子大生が闊歩する。  さらに、大学に隣接してホテルも経営しているので、日本から英会話の勉強にやってきて、寮に住むのは今一と言うような退職者には向いている。 さらにエミリオ大学ではインターナショナルスクールを経営しており、幼稚園から小中高(12年)、全体で200名ほどの子供が学んでいる。一クラスは 15名ほどで、それこそ先生の目の届く理想の教育をしているそう。学費は年間1600ドルで、新たにフィリピンにやって来て英語が不得意な子供には英語の補習授業もある。 英会話の授業は1平米程度の小部屋でマンツーマンで英会話の特訓を毎日6時間やるわけだが、3ヶ月から6ヶ月程度でものになるという(もちろん個人差や年齢の差はあろうが)。諸外国から生徒が来ているが、英会話学校の多くはセブやバギオの観光地にあり、エルミタの下町に位置するエメリオは苦戦していると言う。たしかにここでは土日の休みに遊ぶところがない。  しかし、逆にマニラ在住の日本人が通うとしたら、かえってこの立地が有利になるのではないだろうか。退職ビザを取る方々の半数近くが英会話を学びたいと思っているので、通学という形を受け入れたらいいのではないかと思う。その場合、1日2時間程度、月水金などいうフレキシブルな時間割が必要となろう。 […]

エミリオ・アギナルド・カレッジの紹介 2012年8月4日