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マヨン火山噴火のニュースが流れて久しいが、すでに数万人の人々が避難生活を強いられている。テレビでもトップニュースとして毎日報道されている、25 日のクリスマスにタバコの農場に帰郷する予定だったので、それまでなんとか噴火しないで待っていて欲しいと願っていた。被害をこうむる人たちには申し訳な いが、噴火を間近に見るなど一生にあるかないかの貴重な経験だ。 幸い農場はマヨン火山の北側にあり、噴火口が向いているレガスピ市とは 反対側に位置しているので、火砕流や火山灰の被害はほとんどない。だから安心して噴火見物としゃれこむことができるのだが、レガスピ市にあるホテルは噴火 のニュースのおかげで、一目噴火を見ようと訪れる不謹慎で好奇心の強い外国人観光客で満員だそうだ。ビコール大学がクリスマス・年末年始の休暇のため学生 が帰郷している下宿屋さんは、ホテルに鞍替えして、噴火見物の観光客を一泊500ペソで受け入れてホクホクとのこと。 レガスピ飛行場に近づくと雲の上にマヨン火山の頂がのぞき、噴煙を上げていた。新聞ではマヨン火山は雲に隠れて観測ができないと報道していたが、これでは地上から頂を見ることはできそうにない。 毎度のことだが、セブパシフィックのスチュアーデスは美人が多い。この日もこっそりと一枚取らせてもらった。 一方、飛行場から見るマヨンはやはり雲に隠 れていた。天気が良ければ飛行機の向こうにマヨン火山の頂が見えるのだが、この日は辛うじて頂上付近の右斜面が見えるだけだった。 甥や姪の出迎えにご機嫌の相棒のジェーン。現在、彼女は妊娠6ヶ月。10人の甥や姪を自分の子供たちと思っていたが、いよいよ待望の自分の子供ができたの だ。到着は昼に近かったので、レガスピ市のなじみの店で食事をとったが、私はクリスマス・イブで現金を使い果たしてしまっていたので、写真右の右端に移っ ているジェーンの彼氏に払ってもらった。子供も含めて10人で食べて1400ペソ足らずと相変わらず格安だった。 せっかくだからレガスピ側から火山の様子を見ようと、飛行場の脇にあるリニヨン・ヒル展望台に車で上って見た。日ごろめったに人影を見ないのだが、この日 […]

マヨン火山の噴火 2010年1月5日


 私の相棒のジェーンのファミリーは、一家全員が農場に集っておおみそかを迎えるのがここ数年の慣わしだ。ダバオで暮らしていた次兄のアランも加わって、今年は一家全員が集まることができる(弟のボボイの妻が具合が悪くて欠席したが)。クリスマス・イブはジェーンがマニラにいるので、この日はクリスマス・パーティも兼ね、甥と姪たちはジェーンからのクリスマス・ギフトを楽しみにしている。  夕方、6時過ぎ、軽く夕食を済ませ、後は新年を迎える12時まで遊びの時間だ。その間、大人たち、特に女性陣は新年の料理の準備に余念がない。10人の甥と姪たちに養女のビアンカを加えて、11人。そのうち5人が9歳~13歳の年長グループで、6人が3歳~6歳で遊び盛りの年少グループだ(アランの娘のアレインは写真左の一番後ろ、年少組みの写真に入っているが、年長組みに分類される)。今年のおおみそかの話題の主は、ボボイの末の子供のタムタム君3歳だ(写真左の左端)。  この日は丁度満月で、普段、満月の夜は辰年生まれのためドラゴンの血が騒ぐというジェーンも、今日はクリスマスとおおみそかが重なったファミリー・デイとあって終始上機嫌だった。まいかけ姿で料理の合間をぬってカラオケを楽しんでいるのは長兄のダシンだ。  カラオケに一番夢中だったのが、いとこ仲間で最年長、ダシンの長女のバネサだ。ほとんど歌いっぱなしだったが、映画「タイタニック」の主題歌を何度も繰り返していた。アランと次女のアレインは、久しぶりの再会にパパ、パパと甘えていた。  年長グループの5人は至って仲がよく、和気あいあいとカラオケやパソコンでゲームを楽しんでいた。しかし、年少グループの6人のバトルがこの後始まったのだ。  年少グループの遊び道具として、木琴ひとつ、それと木馬のようなおもちゃの乗り物3個が与えられた。これらの優先使用権をめぐって、3歳4ヶ月のタムタムとその他の子供、特に双子の姉4歳4ヶ月とダバオから来たヤナ、3歳丁度との間で壮絶な争奪戦となったのだ。このタムタムはヤナが来るまでは最年少だったのだが、親の過保護の下で育ち、気に入らないことがあると、双子の姉を張り倒すような狼藉者だ。タムタムは、一見ひ弱な男の子だ。ちょっと前まではオムツをして母親のおっぱいを飲んでいたのだが、今日は頼りの母親がいないので、兄弟やいとこ達と真正面から向かい合う羽目になった。     そもそもタムタムは2006年瀕死の状態で生まれた。腸がねじれていて、即手術をしないと命がないという状況だったのだ。早速手術を行ったものの思わしくなく、さらに100km離れたナガ市の病院に搬送して再手術が必要とされた。そのときジェーンに「10万ペソほどかかるが、父親のボボイにそれを支払う経済能力はない。このまま死なせるか、どうしたらよいか。」と質問された。そんなことを聞かれたら「お金がいくらかかっても助けよう。」と答えるしかない。私に死刑宣告ができるはずがないではないではないか。結局、都合20万ペソという大金を援助する羽目になってしまったのだが、その支払いに半年ほどかかってしまった。  その後、タムタムは成長が遅く、両親のタムタムをいつくしむ様子は並みたいていなものではなかった。まさに溺愛である。時がたち成長するにつけ挽回はしつつあるものの、いまだに両親の過保護下にあるタムタムは、あたかも自分が王様のような気分でいる。ギャーと一声泣けば、両親がなんでも言うことを聞いてくれる。だから、遊び相手に対しても気に入らないとギャーっとわめいて、わがまま放題、癇癪を起こすとすぐに手を出す。自衛策として、姉やいとこ達はドアに鍵をしてタムタムを入れなかったり、一緒に遊ぼうとして寄ってくるのを突き飛ばして仲間にいれなかったりする。なにしろ彼が入ってくると、ルールも順番もへったくれない、やりたい放題で、思うようにならないと泣いたり、わめいたり、暴力を振るうわで遊びにならないのだ。しつけという言葉がないフィリピンだが、こうして親の代わりに年長の子供たちがしつけをしてくれるのだ。  大人が見ていると、小さい子を大きい子が皆でいじめているという状況に見える。だから大人は「小さい子だからといって邪険にしないで仲間に入れてあげなさい」と周りを諭すことになる。これがまた、周囲の子供には気にいらない。タムタムが悪いのに、小さいからといっていつも優先され、逆に怒られる。そんなわけで、彼は、「触らぬ神にたたりなし」の神となってしまい、誰からも相手にされない、典型的な嫌われ者に育ってしまったのだ。ちなみにタムタムの名前は私の和民(カズタミ)のタミからとったもので、ゴッド・ファーザーの私としてもほっておくわけにも行かない。  そこで私は周囲の大人たちに諭した。「このままでは、この子は誰からも愛されず、友達もいない可愛そうな人間になってしまう。その原因が自分にあることも知らず、世間を忌み嫌い、うらみ続ける人生を送ることになろう。それを矯正できるのは周囲の子供たちだけだ。彼らはタムタムの生い立ちがどうだからといって、特別扱いはしない。いやなものはいや、だめなものはだめとはっきり言う。そんな子供たちの世界こそが彼を嫌われ者から立ちなおさせることができるのだ。だから大人がしゃしゃり出て、ああしろ、こうしろと口を挟んではならない。タムタムの両親にも彼のためだと思って目をつむるよう言い聞かせなさい。」と。もちろん大人たちは私の言うことを理解してくれたが、今日は欠席している22歳の若い母親が理解できるかどうか心配だ。母鳥は巣立ちを促すためにヒヨを巣から落とすというが、タムタム君も巣立ちをするときが来たのだ。  日本でも最近は少子化や核家族化が進み、親と子供だけの世界で子供が育っている。だから、タムタム君みたいな世間知らずの子供がそのまま大人になっているのではないか。子供は、子供同士の遊びの中で、世間というものを知り、人との付き合い方や思いやりというものを学んでいく。そんな学習の機会にめぐり合わず、精神的に未熟児のまま育ってしまった大人が、秋葉原の無差別殺人のような理解しがたい事件を起こすのだろう。日本でも、子供たち同士の世界というものの重要性がもっと見直されるべきだと思う。  さて、11時を回ると花火の時間となる。バランガイ(村か部落のようなもので最小行政単位)でも大きな花火が打ち上げられている。マニラなどの都会では街中が煙って、周囲が見えなくなるほどの花火や爆竹が炸裂する。さいわい農場では遠くで響く花火の音に新年を迎える気分になるくらいのもので、決して耳障りなものではない。    12時を間近に控えて、料理の準備ができた。スナックなので、スパゲッティ、パンシット・ビーフンに上海ルンピア、それにデザート類とシンプルだ。なくなったはずの夕べの同窓会の残りの豚肉料理も出てきた。それから新年はお金がたくさん手に入るように、お米の上に紙幣を並べた飾り付けをする。これは中国人の習慣で、13種類の丸い果物を飾るのがフィリピン式だそうだ。中国人とのハーフであるジェーンはおおみそかの習慣もハロハロ(混ぜこぜ)だ。 […]

フィリピンの年越し(タムタム君の巣立ち) 2010年1月5日